「……」
涙で潤んだ彼女の目もまた、私から逸れていなかった。それまでは。
俯いて。それに応じて、私も、手を離して。
地面に、数滴の涙が零れ落ちる。
……
「……マック」
「……はい」
「ごめんな。色々酷いこと言った」
「いえ」
言葉に。
マックイーンさんが、応じる。
「私の方こそ、言い過ぎましたわ。……ごめんなさい」
「ん」
「……ちょっと、行ってくるわ」
そして。
短く告げると。グラウンドから、走り去っていた。
「……」
「……」
……身体を縛っていた緊張が解け。
大きく息を吐く。
それを見てか見ずか。マックイーンさんは、くすりと笑っていた。
「……な、なんですか」
「いえ……すごいなと思っただけですわ」
優雅に笑う彼女に、先ほどまでの威圧感はない。
「二年も三年も上の先輩に、あそこまで詰め寄れるなんて」
「そ……それ言ったらあなたもやばかったですよ。何もあんな悪役令嬢みたいな立ち回りしなくても」
「親友のやる気を戻すためなら、悪役もまた一興、ですわ」
そ、そうですか。それは……大した決意で……
「さ、では食堂にでも行きましょうか」
「あれ……開いてるんでしたっけ、休業中も」
「うちの食堂は年中無休、ですわ」
「……お世話になります」
そんな風に、話して。
私たちもまた、グラウンドを後にした。
タマモクロスは、勢いよく寮の自室のドアを開けていた。
室内、正面辺りに、オグリキャップはちょうど立っており。コーヒーカップを片手に、休憩をしていたように見える。
「……タマ?」
突然に現れたルームメイトに、彼女は呆然とする。名を呼ばれたタマモクロスは、息も絶え絶えに、彼女の元へと近づく。
それがあまりに鬼気迫る様子だったものだから、オグリキャップは、思わず一歩後ずさっていた。
「ど……どうしたタマ」
困惑しながらも――口にした問いかけに。
タマモクロスは、息を整えてから。
「……オグリ」
言っていた。
「――ごめん」
「……え?」
「ウチ……」
自分は。
「DTL……行けそうにない」
そちらの世界には。
行けそうにない、と。
「――ウチ、今年の有マで……引退する」
「――……」
その宣言に、オグリキャップは目を見開く。
コーヒーカップが揺れ、中の液体が波打った。
「ホンマはオグリと走りたかった……DTLで、一緒に競いたかった。でも駄目や……駄目なんや。身体がもう……ガタが来始めとって、家族のことも……真剣に考えなあかん」
オグリキャップは、何も言わない。
何も言わないが。それでも、タマモクロスは、続ける。
「だから……ごめん。ホンマに、ごめん!!」
深々と。彼女に、頭を下げて。
「……
「……」
オグリキャップは。
依然として、何も言わなかった。
お互いに、重く、長い、沈黙が流れ。
やがて廊下を、何人かが行き交う音が響いた時。
彼女は。
タマモクロスの前に、しゃがんでいた。
「……そうか」
そして。
優しく、言った。
「良かった」
「……へ?」
予想外の言葉に。
タマモクロスは、声を上げる。
「最近のタマは……なんだか、思い詰めてるように見えた。ずっと……たぶん、あの約束のせいだろうなと思っていたんだ。私が……私が。後先考えずにあんなこと言ったから。そのせいで、タマを無用に縛ってしまった」
「そ――そんなことあらへん! だってあれはウチも――!」
「でも」
タマモクロスは、それを否定するために言葉を紡ごうとする。
が、オグリキャップの優しい目で、思わず、それを止めていた。
「……それから解放される、いいことがあったんだな」
「……」
「正直、寂しかった」
タマモクロスが、答えられずにいると。彼女は、少し視線を落とす。
「同室内にいるのに……まるで別世界にいるみたいで、怖かったんだ。ずっと」
「……ぁ」
「タマが決心出来て、良かった」
オグリキャップは、口元を綻ばせる。
彼女もまた――何かから解放されたように、晴れやかな表情をしていた。
「……私は私で、こっちで、頑張る。だからタマも……タマで。そっちで、頑張れ」
こつん、と。
額と額を、触れ合わせて。
「……応援してる」
「……っ」
タマモクロスは。
込み上げる熱情を、抑えながら。
絞り出すように、答えた。
「……ウチも、応援しとる」
なんだ、と。
これまでの時間を、後悔していた。
「オグリのこと、応援しとる! オグリが一人にならんように、応援しとるから。だから……」
簡単なことだったのだ、と。
ただこれだけの話だったのだ、と。
「オグリも……っ、がんばれっ……」
「……ん」
ただ触れ合えばいいだけの話だったのだ、と――
「……ちなみに言っておくと」
「え?」
「この間のウィンタードリームトロフィーは3着だった」
「どっ、はぁ!? そうやったんか!? す、すまん!! ウチその……」
「
「……おう」
タマモクロスは、拳を掲げる。それを見たオグリキャップも、不敵な笑みを浮かべていた。
「併走くらいなら、いつでも付き合うで!」
「お手柔らかにな」
そして、互いの拳を打ち付け合って。
満面の笑みを、浮かべ合った。
「……さて、それじゃあそろそろ行くとしようか」
「ん? 今からトレーニングか?」
立ち上がったオグリキャップにタマモクロスが言うと、彼女は首を横に振っていた。
「そろそろ██中華店で、大食い大会のエントリーが始まるんだ」
「いや、この流れで大食いかい!! もっと余韻ってもんが――」
という。
いつもどおりのタマモクロスのツッコミは。
「――!?」
突如、ドアを襲った激しいノックに、遮られていた。
「お二人とも!! いらっしゃいますか!?」
「え……お、おるけど……」
続いた呼びかけに、タマモクロスが答えると。
「今すぐロビーに……無理ならとにかくテレビを観てください!!」
逼迫した声に。
二人は顔を見合わせるが。
「大変なことになってます!!」
それに煽られるまま。
とにかくと、寮室備え付けのテレビの電源を入れた。
みんなトレーニング上がりなのか、食堂には、ちらちらと生徒たちの姿があった。
「――じゃあやっぱり、体型維持のためにいつも我慢を……」
「そうですわ……そう考えますと、本当に世の中は誘惑で満ちていますの……昨日も街中のスイーツに誘惑されまして」
「なんとか我慢したわけですね」
「一口食べてしまいましたわ」
「屈しちゃってるじゃないですか……」
マックイーンさんからの言葉に、苦笑いを浮かべると同時。
何やら、食堂の別の一角が、ざわめきだしたのを感じる。
見るとそちらの方――大きなテレビが備え付けられている一角に、生徒たちが集まっていることに気付いた。
「……なんですの? 面白い番組でもやってるのでしょうか」
「行ってみます?」
お互いに頷いて、そちらの一角に近づく。
画面には――何やら、会見席のようなものが。
いや、実際、会見席、なのだと思う。それは……
場所は……どこかのホテルらしい。報道席は、既に何人もの報道陣で埋め尽くされているが、会見席は空席。
そして右上には――それはそれは、鬼気迫るフォントで。
『トレセン学園 緊急記者会見』と銘打たれていた。
……
……へ?
「トレセン学園、緊急記者会見……?」
「理事長が何か会見するのでしょうか」
「え、でも私達、何も聞かされてなくないですか……?」
私の言葉に、マックイーンさんが頷くと同時。画面から、何やらざわめきが上がったのがわかった。
見ると――そこに。
一人の、見慣れない男性が、現れていた。
特異な外見をしているわけじゃない。むしろ有り触れてる方に見える……男性にしては長めの切り揃えられた黒髪に、若々しい顔立ち。黒いシックなスーツ姿……
全部が全部、この厳正な空気の場所に相応しい外見に見えるけど。
……眼光は、鋭く。
まるで、画面の向こうの私達を、射抜こうとしているかのように見えた。
『――皆様。突然の会見にも関わらず、お集まりいただきありがとうございます』
その男性は、抑揚のない言葉で始める。
『私はトレセン学園中央部にて、トレーナーとして勤務している者です』
「学園で……?」
……ざわざわする。
胸が、ざわざわする。
良くない予感。嫌な悪寒。
それが、彼が喋るごとに、少しずつ、確かに、大きくなっていって――
『……かのウマ娘――』
それが最高潮に達した時。
彼は。
言っていた。
『――サファイアミザールの、担当トレーナーでもあります』
時間が止まった気がした。
思い思いに、自分たちなりの予想を口にしていたウマ娘たちが、一斉に黙る。
そして、一斉に。
その目を、こちらに向けていた。
「……」
私も私で。
呆然とするしか、なくて。
「……え」
漏らすように。
「……え……?」
言葉を。
口にするしか、出来なかった。
タマモクロスと、オグリキャップは見る。小さなテレビ画面上にて、男が話しているのを。
『今日、会見を開いたのは他でもない。そのトレセン学園中央校に関する提言があるためです。……こちらをご覧ください』
男が示すと、会見席の後ろ、白い布地に、映像が映し出される。
それは――見間違えるはずもない、あの、サファイアミザールが、競技場にて疾走している姿だ。
紛れもなく。
京都ジュニアステークスと、ホープフルステークスで、彼女が走っている姿。
その末に、一着で、その競技を終えている姿。
『これは言うまでもなく、我が担当ウマ娘のレースの様子です。彼女はこれまで、GⅢ、並びにGⅠのレースに立て続けに優勝してみせました』
それを示しながら、男性は言う。
『――これらはひとえに、私の弛まぬ指導のお陰です』
「は、はぁ?」
その傲慢ともいえる発言に、タマモクロスは不満げに声を上げる。
「なんやそれ。確かにトレーナーはトレーニングしてはくれるけど、勝負を決めるんはそれだけとちゃうやろ」
「……仮にそうだとしても」
そしてオグリキャップもまた。
怪訝そうに顎に指を添え、言っていた。
「……一体……何が言いたいんだ」
ひっきりなしにシャッター音が響く中、男は変わらぬ調子で話し続ける。
「ここに特別なものは何もない。トレセン学園中央校は、設備は充実していますが……果たしてそれらは、日常的に代えの効かないものでしょうか?
トレーニング設備も、教師による授業も、トレーナーの指導も。わざわざこの学園内に設置し、利用する意味などない。この学園が――存在しなければならない必然はない。皆様――冷静になって考えていただきたい。
自由などという幻想を振り翳し、『そこに積み重ねられた屍を踏みにじり』、のうのうとウマ娘の過ごすような場所が、本当に必要といますか?」
――会見場は、ざわざわとどよめきに包まれる。
まるで彼の言葉など、ほんの妄言であると言いたげだ。
それを見た彼は、人知れずスマートホンを操作する。
その画面には、コミカルな爆弾のマークが表示されており、
「……賛同できない、と言うなら見るといい」
彼は、それをタップすると同時に――
言っていた。
「彼らの、本当の姿を」
すると、表示されていた爆弾のマークは。
BOMB! という、これまたコミカルな表示に変わっていた。
刹那。
食堂中に、携帯電話が発する、十人十色の着信音が響き渡る。
誰もがそれに驚きつつ、携帯電話を取り出し、内容を確認した。もちろん……私も。するとそれは。
『速報』と銘打たれた、何やら怪しげな……いくつもの『メール』であり。
「――……」
その本文に書かれた文に。
私は、絶句する。
「なんですのこれ……」
マックイーンさんもまた、それに声を失っていた。そう、そこに書かれていたのは――
トレセン学園に関する、決していいとは思えない、酷い情報の数々。
スキャンダラスなものから、オカルトに片足突っ込んでるものまで。冷静に考えれば、捏造だとすぐにわかりそうなものばかり。
「お二人とも!」
そのさなかで、誰かが私たちに呼びかけていた。振り向くと、サクラチヨノオーさんがこちらにぱたぱたと駆け寄ってくるのが分かった。
「チヨノオーさん!」
「う、ウマッター見ましたか!? 大変なことに……!!」
彼女は私たちの元に辿り着くなり、携帯電話の画面を見せてくれる。そこには……いや、そこにも。
メールの文面とさして変わらない、フェイクニュースの数々が投稿されていた。そしてそのリプライ欄に……ものすごい勢いで、反応が付いている。
なにこれ、とか。信じられない、とか。
どうなってんの、とか。これマジ? とか。
最低、とか。
この学園終わったな笑、とか――
「……」
何も言えない。
何も出来ない。
ただ目の前の現実に、思考停止している中でも。
『……お分かりいただけたでしょうか』
会見は……続く。
会見場のどよめきは、ざわめきに変わっていた。
誰も彼もが、混乱に右往左往する中で。
「――このような不埒で、非道徳な施設など、名実ともに必要ない」
男は。
彼は。
「よって私は。本日この場を持って――」
飽くまで冷静に。
冷徹に。
宣言していた。
「――トレセン学園中央校の閉校を提言します」