『――わかってるだろ。
世の中、善人ばかりじゃない。悪人は世に蔓延る。どこにでもいるし。どこからでも狙ってる。
お前の輝かしい未来が、そんな小石共に邪魔されるようなことがあっちゃいけないんだ』
「……」
私は。
それに、何も、言えなかった。
何よりもそれは。
私の、これまでの経験が、証明していた。
あの、遠い昔の、私たちの。
始まりの物語が、強く、証明していた。
『……それに、な』
……何も言えない、私に。
彼は。
続ける。
『俺は今まで、何もやってこなかった。言われたことをやるだけで、何一つ、自分で掴み取ろうとしてこなかった。お前と出会って、色々と経験してくうちに……俺も、お前みたいに。何かを目指すのも……まぁ、悪くはないかもな、って思ったんだよ。
でも、もうお前のトレーナーとしてついてるのに、お前のことを無視して、自分のことを優先するわけにもいかないだろ。だから、お前の夢を叶えるのを一つの区切りとして、まぁ、そこまで付き合おう、と思ったんだよ』
「……そ」
私は。
答える。
「そんなの、い、いつから……」
『あー、そうだな……』
彼は。
しばし考え。
『お前が……『四人』で有マに行きたい、って言った時からだな』
「……」
そ。
そんなに。
そんなに、前から……?
そんなに、前から……
この結末を、思っていたの?
こんな終着点を。
あなたは。
誰にも、言わずに。
私にも、告げずに――
目指して、
いたの……?
『そしてそれは、今日成った』
彼は。
言う。
『お前は……見事に、夢を叶えてみせた。あぁ、大丈夫だ。もう俺がいなくても……お前は、大丈夫だ』
私は。
何も言えなかった。
『きっと、どこへでも行ける。きっと、どこまででも行ける。何にだって……なれる。だから』
そんな私に。
彼は……
『だから……自由になれ』
……
言った。
『自由に……思うがままに、走れ』
「……」
私は。
無言になる。
『……』
彼も。
無言になる。
木々が揺らめき。
喧騒が響き。
チャイムの音が。
時を告げた。
……
…………
………………
果たして。
「……はは」
私は。
笑っていた。
「ははは。そっか」
電話口に向かって、
笑っていた。
「あー、そーですかそーですか。そーいうことね! いや、うん。確かに、あなたの言う通りかも」
そう。
だから、思うがままに、言う。
「いやー、せいせいするわ! あなたみたいなクソトレーナー、確かに、私の足かせだもん! いっつも私を小ばかにして、ろくに名前で呼んでもくれないし。最初の頃なんか、私を道具みたいに扱って、捨てようとしたんだもんね!
本当にクソ野郎。そんな人と離れられるなんて考えたら、うん。すっきり! せーせーします! 本当に!」
そう。
そう思う。
そう、思って。
言う。
「はぁーあ! これで私も晴れて自由の身! あなたも私も、お互いの自分勝手に、もう振り回されないで済むもの! いいね! 本当にせーせーした!」
そう。
そう。
せーせーする。
せー、
せー……
「せーせーする……」
……
……
「せー、せー……」
……
……
……その時。
「……っ」
それでも。
気持ちは、溢れていた。
「……~~っ……」
堰を切ったように。
抑えていたものが。
瞼から。
溢れ、始める……
『……ミザール』
トレーナーさんは。
私の名を、よぶ。けれど。
でも、わたしは、もう、それに、こたえ、られ、なかった。
「――なんで」
わたしは、
おもいのたけを。
「――なんでっ!! 急にいなくなっちゃうんだよっ!!」
ぶつけていた。
「一言くらいッ!! ひと言くらい言ってよッ!! 少しくらい、少しくらい姿見せてよッ!! いっつも、いっつもそうやって大人ぶって、私の気持ちも思いも全部蔑ろにしてッ!! 勝手ばっかやって!! なんで、なんで、最後くらい、きっちり、姿くらい、見せて、よっ……!!」
いいたいこと。
はなしたいこと。
つたえたいこと。
いっぱい。
いっぱい。
あった。
のに……
まだ、
まだ、
いっしょに、いられるって、
これからも、
いっしょに、やってけるって、
おもった、
おもった、
おもってた、
のに……
……
なんで。
な……
なん、で……
「なんでっ……勝手に、行っちゃうんだよぉっ……」
『……ミザール』
「ばかっ、ばかばかばかばかっ!! トレーナーのばかっ!! だいきらいっ!! なんで、なんで、なんでっ……」
もう。
もう……
「なん、でぇ……」
『……面と向かってそんなこと話したら、お前絶対癇癪起こすだろ。実際今起こしてるし』
……
『それで、本気のお前に殴られたら、洒落にならん。これはだから、まぁ、仕方のないことだったんだよ』
……
『……聞いてくれ、ミザール』
「……やだ」
『聞け』
「やだっ!! やだやだやだ、やだっ!! 聞かないっ!! 聞きたくないっ!! あなたが、あなたがやっぱり帰るって言うまで、絶対――!!」
『聞くんだ』
「っ……」
……
私は。
その、静かで、重い言葉に。
結局、抑え込まれた。
『……別れは、必ずやって来るものだ』
そして彼は、
言う……
『そして、必ずやって来るなら、いつかそれは、受け入れないといけない』
言う。
『俺もお前も、成すことを成した。そして、お互いに、違う目標を立てられた。別れが必要なのに……それなのに、それを無視して、無理矢理に居ようとすれば、それは依存になる。
そうなっちゃいけない。そんなことになったらいけない。依存はお互いのためにならない――ただ可能性の幅を狭めるだけだ。わかるだろ。
可能性は視野狭窄なんだ。そこに無駄なモノが差し挟まる余地はない。だから、だから、別れないといけない。許された俺たちだけで、俺たちの可能性を追い求めないといけない。だからこれは――それが課した試練なんだよ。
……試練は、それを乗り越えられる者の前にしか現れない。飛び立つ時が来たんだ。
お互いの、心という住処から、もっと広い広い、外側の大海へ、羽ばたく時が来たんだ。
闇の底から、光の頂点へ。ばか者と大ばか者は……そうして、新たな夢を為す。
いくつもの理想を為す。無数の未来を、叶えることが、出来るようになる。……
自由っていうのは、そういうものなんだよ』
「……」
……
『……大丈夫だ、一人で飛び立ったお前は、きっと、誰よりも、何よりも、強くなれる。
これは綺麗事じゃない。確信だ。お前だってきっと……わかってるはずだ。
数々の悲しみと、苦しみを乗り越えてきたお前なら……
別れは――悲しいことじゃない。別れは――
祝福なんだ。
だから……別の道へ行こう。これから、別の場所を目指そう。
お互い、掴みたいものを求めて、叶えたい夢を背負って、歩いていこう。
何、平気だ。何も悲しいことはない。
目的地は、みんな同じなんだ。
きっとそこで……また逢えるさ』
「……」
『……そうだろ』
「……、」
……
私は。
乱暴に、涙を拭って。
言う。
「……私が、そうなれたのは、私ひとりの力じゃ、なかった」
言う。
「導いてくれた、人がいた。助けてくれた、人がいた。最初……その人のことを、私は、信じなきゃよかったって思った。でも……でも、今なら、こう、思えるんだ」
言う……
「わたしが、あなたを、信じられたから」
「あなたが、わたしを、ここまで誘って、それを、信じられたから、私たちは、ここまで、来られたんだよ」
「そうでなきゃ……」
「……きっと、私は、ずっと、一人だった……」
『……』
……彼は。
それに、息を吐いたようだった。
『……俺はお前に知恵を与えた』
そして。
言う。
『そしてその知恵で、お前はお前自身の選択を決めた。それは俺が変わってしてやれることじゃない』
「どっちにしろ、同じだよ……」
私は、
それに、言う。
「あなたを信じられたことが……私の、いちばんの、成功、だったんだよ……」
『……違うよ』
すると。
すると。
『お前が俺を信じたんじゃない』
彼は。
言った。
お前が、
俺を、
信じさせたんだ
「……」
……
……
……
……わたしは。
わたしは。
もう。
なにも。
いえなかった。
『……だから、ありがとうな、ミザール』
それに。
なにも。
いえなかった。
『信じさせてくれて』
なにも。
いえなかった。
けど。
『こんな、楽しい経験をさせてくれて』
けど。
けど。
けど――
『……本当に、ありがとうな』
「……トレーナー」
力を振り絞って。
溢れる涙を、抑え込んで。
「……、」
……
……私は。
「私、なる」
……
言った。
「私、もっと、もっと、すごいウマ娘に、なる。
今なんて、比にならないくらい、ずっと、ずっと、大きくて、偉大な、ウマ娘に、なるっ。
あ、あなたが、あなた、が――っ、
――あなたがっ!! どこにいても、わかるように!! どこで生きてても、大丈夫だなってわかるように!!
今よりずっと、ずっと!! もっと、もっと、すごくて、強くて、おっきなウマ娘に、なる!!」
そう。
言った……
「……なる、からぁ……」
だから。
だか、ら……
「だから……あなたも……そっちで、頑張って……」
そう。
頑張って、
「応援、してる……」
遠くから。
この場所から。
応援。
してる、から……
『……あぁ』
……すると。
彼も、言う。
『……俺も、応援してる』
言って、くれる……
『お前のことを、応援してる。お前が一人にならないように、応援してる。だから……
お前も……がんばれ』
「……、」
その声は。
少し。
震えている。
気がした。
それに、ちょっと、おかしくなって。
私は。
微笑みを、口に、含んでいた。
「……うん」
『よし』
そして。
彼は、告げる。
『それじゃ……切るぞ』
「うん……また、どこかでね」
『おう』
彼は。
あっさりと。
そう。
言って――
『……またな』
「……うん」
……言って。
「またね」
私の言葉を。最後に。
「……」
電話は。
切れていた。
「…………」
いくら待っても。
望もうとも。
願おうとも。
……それからは。
何も、起きない。
サプライズでも、何でもない。
そこには、ただ。
立つ、私が、一人、いる、だけ。
「……えぇんか?」
そんな私に。
誰かが、背後から、近付く。
「……泣かんくて」
「……なんでですか」
「悲しかったら、泣いてえぇんやで?」
隣に並んだその人に。
私は。
振り向かない。
だって、それが、誰だか、知っているから。
……偉大な。
素晴らしい先輩の声に。
「……泣きませんよ」
私は。
答えた。
「だって……」
前を。
向きながら。
「悲しく、ないですから」
木々が、再び、揺らめく。
その音は。
私の耳には。
祝福の鈴のように、鮮やかだった。……
今まで。
色んなことがあって。
色んなことを、経験して。
本当にあの人は、どちらかというと、嫌いなとこもあって。
嫌な人だ、と、何度も、思いもした。
……最初なんか。
死んでしまえ、とか、思っちゃった。
でも。
でもそれでも、頼りある。
私の、唯一の、トレーナーで。
ただ一人の。
苦楽を共にした。
何よりも信頼出来る。
相棒だった。
……そう。
きっと、会えるよ。
そう、思う。
実は、もう会えずとも。
関係ない――それは、誓いだったから。
約束、だったから。
何よりも、私は――
私たちは。
これから、なんだから。
だから、さようなら、じゃない。
だから、さいご、じゃない。
だから。
だから――
……
またね。
また。
きっと。
どこかで――
……
会おうね。――
――……
「 、さん……」