携帯電話が、ひっきりなしに鳴動している。
もう、ろくに眠れてもいない。
美浦寮から出てきたメジロマックイーンを、タマモクロスとオグリキャップが出迎える。
タマモクロスは早速、とばかりに声を掛けようとしたが、彼女の曇った表情を見て、口を噤んでいた。
代わりに出てくるのはため息で、首の辺りに手を回し、やや乱暴にそこを掻き始める。
それを見ていたオグリキャップは、視線を明後日の方向に向けると、何事かを思案し、
タマモクロスの目の前の、何かを拾うような動きをしてみせていた。
「……何しとんねん自分」
「タマの吐き出した幸せを回収してる」
「おー、そうか! おおきになー! せやったらそれ周りに撒いてみんなを幸せに――」
と。タマモクロスも、それに応じる。
「ってなんでやねん! そないに簡単に回収出来たら苦労せんわ、ドアホ!」
「……」
「……」
冷たい風が辺りを通り過ぎる。
活気は、特に生まれることはなかった。
「……今日は冷えますわね」
「うん。暖かくして寝た方がいい」
「おいちょぉ待てー!! マックはまだしもオグリが元に戻んのはちゃうやろ! なんでウチが一人で火傷せなあかんねん!!」
「すまない。ちょっと面白くて」
「だったら笑いで反応してくれや! 笑い取れへんツッコミなんざ虚しいだけやろ!!」
「……」
くすくすと笑うマックイーンは、二人がすっかり元に戻ったことに安心感を覚える。しかしそれもつかの間。今現在直面している問題を思うと、楽観もしていられなかった。
「……もう三日になりますわ」
そう。
件のウマ娘――サファイアミザールが、寮の部屋に引き籠り始めて、三日になる。
寮長であるヒシアマゾンの他、マックイーンも説得に乗り出しているものの、彼女はろくに返事もしない。
体調は大丈夫なのか、そもそも生きているのか死んでいるのか――すらもわからない状態で、不安は募っていくばかり。
もやもやと。
マックイーンは、もどかしい気持ちでいっぱいだった。
「……あんだけウチのこと気にかけてくれたんや。ウチも協力したいんやけど」
「ドアぶち破るかもと思うと協力出来ないそうだ」
「おま……ウチが一応コンプラ的に言わんとこ思たこと、結構あっさり言うんやな……」
「実際、このまま出てこなかったらぶち破るつもりだそうですよ。……あ、暴力的な手段ではなく、マスターキーで、ですわ」
一瞬タマモクロスは顔を強張らせるも、マックイーンの付言で立て直した。
「相方がいれば、また違っていたのでしょうけれどね」
「あれ。一人部屋なんやっけ」
「えぇ。たまたま相方が見つからなかったそうで」
そのやり取りを最後に、三人の間に沈黙が流れる。タマモクロスは全員の顔を一瞥し、沈黙を留まらせることもない、と考えた。
「……場所変えよか。こんなとこで話してても栓ないやろ」
口にした提案に、面々は特に不満はなかった。三人、誰が先頭を切るでもなく、歩き出す。
「はぁ……しかしとんでもないことになったなぁ。まさかミザールのトレーナーが、あんなテロ紛いなことするなんて思いもせんかったわ」
「テロ紛い、ではなく。正真正銘のテロですわ。今日も正門辺りで、お暇な活動家の皆様がお集まりでしょうし」
「あれでは不用意に学園の外にも出られない。いい迷惑だな」
「実際、レースの出走を見送った方もいるそうですわ」
「うわぁ……同情するわぁ……」
耳を澄ますと、かすかに遠くから聞こえてくる、罵詈雑言。そうでなければ、という一縷の望みは、そうしていとも簡単に崩れていた。
「……例の情報。まだ止まりませんのね」
「先生たちが対応してくれているみたいだが、いたちごっこが続いてるようだ」
「一応、ウチも
「……だが、ただ騒ぎたいだけの第三者には、そんなことは関係ない……」
オグリキャップの言葉を受け、タマモクロスは改めてウマッターを確認する。そこに広がる現状も、彼女の一縷の望みに反して、残酷、かつ醜悪だった。
「……
「これ……いつかは終わりますのよね? きっといい感じに、お互いの妥協点が」
「どうだろうな。あのトレーナーの様子。尋常ではなかった。私達全員を処さんばかりの勢いだ」
「でもこんなの、泥沼ですわ。どこかで……それこそ折り合いをつけなくては」
「……それはそうだけど」
オグリキャップの言葉を最後に、三人は黙ってしまう。そこでふと、タマモクロスは、ひとつ疑問に思った。
「……なぁ。今ウチらどこに向かって歩いとるんや?」
「知らない」
「知りませんわ」
「……食堂でも行こか。それ以外に行けそうなとこないし」
「……あ」
と、タマモクロスが現状の指針を示した時。
マックイーンが、進行方向に何かを見つける。
それは、見慣れた人影であり。
「――チヨノオーさん!」
彼女が、手を振りながら呼びかけた時。
影の主――サクラチヨノオーは、泣きそうな顔で――というよりほとんど泣いて――彼女らに駆け寄ってきていた。
「まっ、マックイーンさぁぁぁんっ!!」
「!?」
そのまま――マックイーンの腕の中に飛び込むチヨノオー。それを見たタマモクロスとオグリキャップは、互いに顔を見合わせ、
「……じゃ、ウチらは先行っとるなー」
「えっ、ちょ!! 待って!! 置いてかないでくださいませー!!」
マックイーンは、それにコミカルに返すが。チヨノオーは依然として、彼女の腕の中で肩を震わせていた。
「……ミザールさんのことを悪く言うなんて、おかしいって言ったんです」
自販機の並ぶ休憩スペースに落ち着いた一行は、チヨノオーからの話を聞いていた。
「た、確かに、ミザールさんのトレーナーさんは許されないことをやりましたけど……やってますけど。だからって……ミーザルさんまで悪人ってことにはならないと思います。
一緒に走ったからわかるんです。あの子は……真っ直ぐで、純粋で、素直で……今に全力をかけてる、普通の、いい子なんです。悪い子なわけが……ないんです……!」
「……そしたら、クラスから総スカン食らったっちゅうわけか」
「ほんの何人かは、同意してくれましたけど……」
チヨノオーの声は涙ぐんでいる。彼女のその様子が、そんな、同意してくれた何人かの運命をも暗示していた。
「はぁ。今対抗せなあかんねんは外やのに、内輪揉めしてどないすんねん」
「実際、彼女を追放したところで、何の解決にもなりませんわ。彼女も……そういう意味では、被害者ですの」
「純粋に素直に、指示に従ってトレーニングしとっただけやもんな。まぁ……今にして思うと、無茶苦茶なローテとか、頑なに姿現さんとことか、気付けるタイミングはあったにはあったなぁ」
ただ、気付いたところで。この陰謀の全貌を明かせたとも思えない。
詮無い話か、とタマモクロスはため息を吐く。
――するとオグリキャップは、再度目の前の何かを拾う素振りをするが。タマモクロスは、それを見て言った。
「二度はやらへんでオグリ」
「そうか。残念だ」
また火傷してたまるかい、とタマモクロスはジュースに口をつける。
「――はぁー……」
と、そこでもう一人、別の影が現れていた。タマモクロスやオグリキャップに似た、流れるような白髪と長身。
「……ゴルシさん」
「ん? おぉー、マックちゃん――ってうお!? なんか珍しい取り合わせだなおい!」
ゴールドシップは、それまで彼女らの存在に気付いていなかったらしい――マックイーンの呼びかけに振り向くと、大袈裟な動作付きで驚いていた。
「おいおい、もしやみんなで山籠もりしようって計画か? なるほど! そういうことなら、今すぐシュノーケルの準備してくるぜ!」
「山でシュノーケルはしませんわ! ってか出来ませんわ! せめて出来るものにしてくださいませ!」
「ボーリングしてでも出来るようにするのが私たちの使命だろうが!」
「そんな使命を請け負った覚えはありませんの!」
「……えっと。それでゴルシは、なんでまたため息吐いてたんや? オグリが幸せ拾とるで?」
「ん。あとでタマにもお裾分けする」
「いらんわ! 捨てとけ!!」
「それも酷い気がしますけど……」
一通りのやり取りの後、ゴールドシップは後頭部を掻いていた。
「……なんてことねーよ。正門前の連中がうるせーから、散らしてきた」
「……? でもまだ声しとったで?」
「そりゃそうだよ。すぐにまた集まりやがったんだからな。散らしてもキリがねぇ、まるで虫だ」
ゴールドシップはいかにも面倒臭そうに言う。それを聞いたマックイーンは、視線を下げていた。
「……ゴルシさんでも手が負えないなら、いよいよ私たちではどうにもなりませんわね」
「おいおい、あんまゴルシちゃんを褒めんなよ~。海に沈めるぞ~?」
「なんでナチュラルに怖いこと言うんですの!?」
「お前と深海2万マイルしたいからだろうが! 言わせんな!」
「意味が分かりませんの!!」
「……なぁ。なんでマックはこのテンションにずっとついてけてるんや?」
「たぶんネジが2、3個飛んでるんだろう」
「聞こえてますわよ!!」
「……ふふっ」
そんな四人のやり取りを聞いていたチヨノオーは、思わず笑っていた。それに、一番に微笑んだのはオグリキャップだった。
「落ち着いたか」
「あ、はい……なんだか、ちょっと元気が出ました。ありがとうございます」
「う。こ、こんな形で元気づけるなんて、不本意ですわ……」
「素直になれよマックちゃんよ~、きょうびツンデレなんて流行らねーぞ~?」
「あなたのせいなんですが!?」
「……」
喧騒が響き渡る中で、タマモクロスは空を見上げる。
学園中が不穏な空気に包まれる中でも。空は相変わらず、腹が立つほどに、綺麗な青色だった。