朝の匂い 街が動き出す
画面の天気予報
Graduate of 16
Act.1
the Fool and the Idiot
ばか者と大ばか者
-Act Out-
千里の道 ①
オグリキャップは、背の高い姿見の前に立ち、流れるような純白の髪に乱れが無いことを確認していた。
いつもの勝負服も皺ひとつなく、一寸の汚れも無い。
『今日』のためにクリーニングをしてもらったので、当然の結果ではあったが。それだけでこうも変わるものなのか、と彼女は驚きを隠せなかった。
菱形の並んだ、思い出深いカチューシャを前髪に装着する。
ぱちん、と小気味いい音が響くと同時、優しいノックが部屋に響いた。
「はい」
「失礼するよ」
返事をすると、入室してくる一人の男性。
皺が目立つながらも、活力の感じられる顔つきの彼は、オグリキャップの見てくれを確認すると、満足そうに頷いていた。
「おめかしは済んだかな?」
「ちょうど」
優しげな声に彼女が応じると、男性は満足そうに笑みを深めていた。
「奴さんら、もうお待ちかねだ。少し早いが、姿を見せてあげるとしようか」
「えぇ、そうですね。でも、あの……トレーナーさん」
「うん? なんだい」
「これまで、ありがとうございました」
オグリキャップが頭を下げると、男性は困ったように頬を掻いていた。
「そんな仰々しい……今生の別れでもあるまいし」
「えぇ……ですが、『キャリア上』は、そう表現しても相違ないかと」
彼女の言葉に、男性は視線を下げた。
「……あなたがいなければ、私はここまで来られませんでした。どうかこれからも……」
「――その先は、」
続けられた言葉を、男性は遮っていた。
「『会見場』で聞かせておくれ」
「……、はい」
困惑しながらも、オグリキャップはそれに頷く。そうして二人、部屋から出た。
並んで目的地へと向かう中で、オグリキャップは、先の言葉に関して思案する。トレーナーの申し付けたことにケチをつけるつもりはないが、それでも、自分の中でどうしても合致しないところがあった。
「……トレーナー、」
「うん?」
「この会見は、私のことで終始すると思います」
だから、言う。
「その中であなたに感謝を述べるというのは……些か無理があるように思います」
「……」
対して男性は、ぽかん、と目を丸くすると、可笑しそうに口元を綻ばせていた。
それに、今度はオグリキャップが目を丸くする。
「何か……?」
「あぁ、いや、いや。やはり君は真面目だなと思っただけだ」
感心したように、彼は片手で顎を擦って言った。
「……私はもう、十分すぎるほど君からもらったよ。もうお腹いっぱいだ」
「……、そうですか」
やがて二人は、目的地へと辿り着く。
そこは、広大な会見場。普段はパーティ会場として利用される、その『ホテル』の一間だ。今やそこには、その空間を埋めて余りあるほどの数の報道陣で犇めいている。
その真正面――仰々しい演台に立ったオグリキャップは、集まった人々の注目が自分に一心に向いていることを感じ、やや身体を強張らせていた。
やはり大勢の前に立つのは緊張するな、と思いつつ、彼女は胸に手を当て、目を閉じ、深呼吸をする。それから目を開け、身体の強張りが解けたことを確認すると、目の前のマイクに向けて、口を開いた。
『……皆さま。本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。
本日お集まりいただいたのは、私のこれからの進退についてでして……私が先日、競技場内で行った言動から、様々な推測が上がっていることを既に耳にしております。
そしてその推測は……半分は真実で、半分は間違いです。
それら大方の推測の通り、私は本日をもって、トゥインクルシリーズを引退しますが――』
その宣言に、起こる若干のざわめき――
だがそれに、彼女は動じず。続けた。
『――同時に。来る四月一日を以って。ドリームトロフィーリーグに参入いたします』
ざわめきは。
瞬間、控えめな歓声へと、変わっていた。
ある少女は聞く。レトロなラジオが垂れ流す音声を。
『それまで数か月ほど、長めの休養をいただこうと思っています。ファンの皆様方に付きましては、これからも変わらず応援していただければ幸いに存じます』
「――おい、フード」
その少女は、低い男声に呼ばれると。
ラジオを置き去りに、そこから立ち去る。
ある少女は観る。広大なロビーに設置された大型テレビが映し出す光景を。
『私が引退するかもと嘆いていた方々につきましては……どうかご安心を。来るその日に、新たな私の姿をお見せすることを、ここに約束いたします』
「――おーい、ヒスイちゃーん」
その少女は、溌溂とした声に呼ばれると。
テレビに背を向け、歩き出す。
ある少女は見る。古ぼけたブラウン管のテレビが届ける世界を。
『そして、同級生の皆様。先生方。……家族の皆様。私は、もう一歩先の世界へ行こうと思います。これからも、どうか、私のことを見守っていてください』
「こ、コハク様。ご、ご夕食、です……」
その少女は、怯え切った声に呼ばれると。
テレビから視線を外し、そちらへと振り向く。
『――私からは以上です。ご清聴、ありがとうございました』
……そのテレビの放つ映像を、私は食い入るように見ている。
『――はい、まぁそういうわけでね。本日を以って、我が担当は新たなステージへ旅立つわけですが』
時間を忘れて、取り付かれたように、観る、観ている。
『私としては――』
マイクに話すのは男性に変わり。
そこからさらに何かを離そうとした瞬間――テレビが、ぶつり、と切れていた。
夢から覚めたみたいに、我へと返る。何が――と現状を把握する前に、その声は頭上から降ってきた。
「……ミザール。バイトじゃないのか」
「……わかってるよ」
……その声の主を確認して。
私は、ちょっと荒めに立ち上がる。
もうもろもろ準備は出来ている。あと鞄を持って行くだけ。なので『お父さん』に一瞥もくれず、逃げるようにそこから立ち去ろうとするのだけれど、
「ミザール、」
お父さんは、どこか不機嫌そうな声色で、言うのだ。
「何度も言うが、中央は――」
「はいはいわかってますわかってます!!」
……だから。
私も、負けじと不機嫌そうに返してやった。
「どーせ私に行く資格なんかないですよ! 行ってきますっ!!」
で、家出かってくらいの勢いで外へと飛び出した。
……サファイアミザール、ウマ娘。趣味、走ること。
でも趣味は趣味、特技でも何でもない。昔いた田舎町の中じゃ速い方だったっぽいけど。こうして町から街へと引っ越して以降は、すっかりそれに自信を持てなくなっていた。
一応年頃の女の子なのでね、私も夢を見るには見るのです。自分が夢の舞台を目指すとこ。その舞台でトップに立ってるとこ。夢を見て、きっと叶えよう、なんて思いもするのです。
でもそういうのって、大抵は現実の高い高い壁に阻まれるわけでさ。
現実を見て――
限界を知って――
全部を理解して――
……結果出来たのが。
私という存在なのです。
「――店長ー、これここでいいですかー?」
「いいわよー! いつもありがとうねー!」
ウマ娘というやつは、普通の人間よりも『力が強い』。
バイトとして働いている私の存在は、結構重宝されているみたいで。
こうして段ボール箱を五個くらい一気に持ち運ぶなんてのも日常茶飯事。
「ふー」
「助かったわー、本当。段ボール一個だけでもびくともしなくて。内藤くんなんか無理に持とうとして腰やっちゃったのよ?」
「あぁ……だから欠員対応いるんですね」
道理でいないはずの石原さんがいるわけだ。明らかに不機嫌なのも、取得予定だった有給を別の日に移動させられちゃったからだろう。ドンマイ。
「……でもこれ、中何が入ってんですか? とんでもない重さですけど」
「えっとね。中身は箱いっぱいのお野菜で……うちの旦那の親戚の孫の息子のおじいちゃんの母方のお父さんが昔のよしみでって特別に卸してくれてねぇ」
「それもう他人じゃないですか?」
途中でこんがらがってしまった。よく遠方の親戚なんて軽々しく言えたな。大家族に謝れ。
「あはは。でも本当、あなたがいて助かったわ」
すると店長は、朗らかに笑うのだ。
「でもごめんなさいね。ウマ娘の本分は走ることなのに――」
「ははは……」
そう。この人に悪意なんてない。性根がひねくれてもいない。誠実でいい人だ。だからこそ――
「――それ、どういう意味ですか?」
「……あ」
……それが、明瞭な悪口でないこともわかっている。
なのに。私は抑え切れずに、思わず問い返してしまっていた。
店長さんは、やってしまった、とでも言いたげに、口を押さえる。
「ご――ごめんなさい! そういう意味で言ったんじゃ……」
「いえ、いいですよ。どーせ私はあぶれ者ですから。ほら、表出ましょう」
「喧嘩するの……?」
「そういう意味じゃないですって……」
気にしてない。
気にしてないから。さっさと……さっさとお店の中、行きましょう。
「らっしゃいませー!」
「いらっしゃいませ~」
こぢんまりとしたスーパーの中は、今日も多くの人で賑わっている。満員御礼、ってね。でも出てきたはいいけど、今日はどこの配置付けばいいかな……
「……とりあえず商品の整理行きますね」
「あ、待って。そうだったわ。先にレジの応援に――」
「店長!」
と、話そうとした時。別の店員さんがこちらに駆け寄ってくる。辿り着くなり……その人は、総菜コーナーに立っている、一人のお客さんを示した。
その方は男性で、あんまり整えられた身なりをしているようには見えない。目深にかぶった帽子に、ジャンパー……一点を見つめたまま動かない視線。怪しさ満点、不審さ満点で……
私は、自然、付けていたエプロンの結びを解く。
「ねぇあれ。もしかして……」
「……ミザールちゃん」
「あ、はいっ」
が、ちょっと早とちりだったらしい。店長に声を掛けられ、思わず姿勢を正していた。
「ちょっと、声掛けてみてくれない……?」
「え。わ、私がですか……!?」
「ここは若いもんの力が必要なの! ファイト!」
宛てにされてる、と言えば聞こえはいいけど、そんないいものじゃない。宛ら気持ちは死地に向かう戦士、だが従業員として、店長の命令に従わないわけにもいかない……
「……わかりました。ただ110番だけ、準備しといてくださいよ……?」
二人から頷きをもらって、その男性へと近づく。一歩、二歩、三歩……刻んでも。彼は、私に気付いたようではなかった。
「……」
とうとう、間近まで近づいて……
なおも商品に目を落としている男に、私は、意を決して声を掛けた。
「……あのー」
「!?」
男性は、びくりと身体を震わせる。その目はこちらに向けられていないが。
「何か、お探しですか?」
「……」
続けざまかけた言葉に。
彼は一秒、二秒と間を置いて――
「――」
三秒を刻んだ時。
目線の先にあった商品を手に取り、走り始めた!
「あ――!!」
「万引きよーっ!!」
店長の絶叫に、周囲のお客さんが反応する。男性は乱暴にお客さんの壁を掻き分け、出入り口を通っていった。
それを見た店員さんが、店長さんの肩をばしばしと叩く。
「て、店長! 警察警察!!」
「は、はいはい!! 待っててね、えーっと警察は警察は――!!」
「すみません、通報はお願いします!」
そんな二人に――私は、エプロンを脱いで投げかけ。
「え!? ミザールちゃん!?」
「お構いなく! ちょっと走ってきます!!」
それだけ言い残し、その場から走り出した。
スーパーの外――駐車場から、男が自転車に乗って走り去るのが見える。
その背は程なく、住宅の塀に隠れ、その向こう側へ。
「待てっ!!」
そこまで目測、50mもない。すぐに辿り着くけれど。
「いっ!?」
うそ――遠い!?
いや待て、あの自転車、普通のママチャリにしてはごつい……あぁそうか!ここ最近の人類の技術進化のもたらした、重要にして重大な発明の一つ。
――電動自転車だ!
その後ろ姿はみるみる遠くなっていく。ギア最大かつアシスト最大ってとこだろうか、そんな速さで走って、信号ぶつかったらどうすんだ……!!
――つべこべ言ってられない!
「――ッ!!」
ともかく。
ともかく、こんなに無様に逃がすわけにはいかない。そういうわけで、私も急いでその背中を追い始めた。
『――はい! というわけで今日はですね! 中心街で隠れグルメ探しにきていまーす!』
そのキャスターは、向けられたカメラに朗々と口にする。
『いやぁー、今日も多くの人で賑わっておりますが、果たしてまだ誰にも見つかっていない『隠れ』はあるのでしょうか!? 早速街の人に聞いてみましょうか……!』
ノリよくテンポよく。手近な人へと声を掛けようとする。
『――あ! そこの方、すみませ――』
が、その刹那。ちりんちりん、という小さなベルの音が、けたたましく鳴り始める。
『……ん?』
「どけどけどけっ、どけぇぇぇっ!!」
音のする方角。
キャスターもカメラクルーも、思わずそちらに振り向いていた。するとそこから、
「どきやがれぇぇぇっ!!」
死に物狂いの表情で、絶叫しながら電動自転車を漕ぐ一人の男が現れていた。
その鬼気迫る勢いに人々は気圧され、尋常ではない、と認識しながらも、停めることが出来ず、道を開けてしまう。
そしてそれは彼らも同様であり、自転車はキャスターとカメラクルーの間を一瞬で通り抜けていった。
『……な』
キャスターは呆気に取られていたが、そこはプロ、とばかりに気を取り直し。
『な、なんだったんでしょうねー、今のは! さ、気を取り直して――』
中継を再開させようとした――が。
「――すみませぇぇぇんっ!!」
『は……!?』
その男の来た方角から、もう一人、何かが現れる――
「通りまぁぁぁぁすっ!!」
瞬間。
キャスターの目には、全てがスローモーションになったように見えた。
一人の少女が、頭頂部の耳を、腰部の尻尾を、忙しなく揺らしながら。
高速に、目の前を、通り過ぎたのだ。
『――……』
彼らは、その後ろ姿をばっちりとらえる。
嵐が過ぎ去った後のように、しばし、沈黙がその場に舞い降り。
『……あれ、なんかの撮影?』
キャスターは、素に戻ったように、そう呟いていた。
男は、ホラー映画の主役になったような錯覚に陥っていた。何せ、少女がどこまでも自分を追ってくるのだ。
自分は電動自転車という文明の利器を用いているというのに。その差を、全く広げられないまま――むしろ少しずつ縮めながら。
なんだよ、と男は内心で毒づく。なぜこのような事態になったのか、など火を見るよりも明らかだというのに、俺が何をしたって言うんだよ、などと考え始める始末だ。
そのように考えざるを得ないほどに、彼は追い詰められている、ということでもあった。
甘かった、と。やはり下調べをするべきだった、と。
まさか、思い付きで立ち寄ったスーパーに――ウマ娘がいるだなんて。
「……っ」
何しろ、男は漕ぎ続ける。逃れるために、漕ぎ続ける。
いつかは終わる、いつかは振り切れる。そう信じて、一心に漕ぎ続け――
「――やほ」
「!?」
が。
少女の加速は、彼の想定を大きく超えていた。
彼が限界を超えてペダルを踏もうとした時には、彼女は彼の隣に並んでおり。
「――っ!?」
その車体を――思い切り、蹴り飛ばしていたのだ。
「うわあぁぁぁぁぁッ!?」
派手な転倒音が響き、男は歩道上に投げ出される。
痛みに悶えるのも――束の間。
「ぁがっ!?」
背中に何かにのしかかられ。
腕を、後ろ手に押さえつけられていた。
「えーっと、午後五時……何分かわかんないけど! 現行犯逮捕ー!!」
次いで――少女の、快活な声が聞こえてくる。
「警察、もうすぐ来ると思うから。……大人しくしててね?」
「ち……」
頭上から、そう呼びかけられ。
「ちくしょぉ……」
男は、弱々しくそう漏らしていた。