「――全く、部屋でくたばっちまったのかと思ってたよ」
寮の食堂にて、寮長――ヒシアマゾンさんは、呆れたように言っていた。
「三日以上もろくすっぽ飲まず食わずでよく生きてたねホント。ほら、消化にいいものを作ったから、ゆっくり食べな」
「ありがとうございます……」
頭を下げて、ありがたくいただくことにする。消化にいいものを選んでくれた、という心配りはありがたいんだけれど。正直量は結構なもので、逆に全部は食べられそうになかった。
「ま、無理せんでもえぇで。お残ししてもウチらがおるしな」
「うん。むしろ今参戦してもいい」
「いやオグリ……大会やないねんぞ。参戦とかそういう話やないねん」
「そうですわ! こんな時間に食べては、我々にとっては健康に悪いですの! 我慢しなくては……じゅるり」
「欲望抑え切れてないで自分……」
「しょうがねーなー、そんなマックちゃんのために、ゴルシちゃんが絶品スイーツフルコースを振舞ってやるよ」
「なんでさらに状況を悪くしようとしますの!? やめてくださいませ!」
「……」
あぁ。
なんか、いつもどおりだなって感じ。
さっきまであれだけ遠かった日常の風景。
こんなに近くに広がっていただなんて。
……前に。私はタマちゃん先輩に言っていた。
怖がっていても、怯えていても、何も始まらないって。
結局、自分に返ってきた、ってことか。
怖がっていたせいで、怯えていたせいで。
すぐ近くにある温もりに気付かなかった。
……ただ。
扉を開いて、歩き出せばよかったんだ……
「……みなさん」
「?」
「ありがとう、ございます」
「……お礼は、全てが終わってからにしてくださいませ?」
「……、そう、ですね」
マックイーンさんは、苦笑しながら言う。それは確かに……その通りで。
私はようやく出てこられたけれど。問題は、まだ何も解決していない。
むしろこれからだ。レースのこと、『彼』のこと。どうすればいいのか、ちゃんと考えていかなくちゃ。
……これから、どうするべきなのか。どうしたいのか。
ちゃんと、考えなくちゃ。
「……まぁさ」
そのさなかで、口を開いていたのは、ゴールドシップさんだった。
「お前も色々あるだろうけど、閉じこもって考えてばっかりじゃ、視野は狭くなるばっかりだ。
「……、はい」
「そう、向こう何千年と生きて、行く行くは生ける伝説に……!!」
「……はい?」
「もう! あなたは! 病み上がりの人を労わる気持ちがないのですか!」
「あるに決まってんだろ! 労わり過ぎて労わりクイーンと呼ばれたゴルシちゃんだぜ! 嘗めんなよ!!」
「そんな称号初耳ですわ!!」
「……??」
よ、よくわかんないけど、心配してくれた、ってことでいいんだよね。ゴールドシップさん……変わってる人だ、って噂には聞いてたけど。想像以上かもしれない……
「……あれ?」
「?」
その時、チヨノオーさんが、寮の出入り口の方を見て、声を漏らしていた。釣られて、私もそちらに目を向けてみると――
「――!!」
そこに認めた姿に。
どくん、と心臓が跳ね上がった。
同時に。
その人物と、目が合う。
「――ちょうどよかった。ここにいたか君たち」
その人は。
気さくに話しながら、近づいてくる。
私はそれに――思わず、隣のマックイーンさんの、裾を掴んでいた。
マックイーンさんの目はこちらに向いたが。
それ以外のみんなの目は、その人の方へと向く。
『――会長!』
全員の声が。
ほぼ、一致していた。
そう――そこにいたのは、トレセン学園生徒会の現会長。
シンボリルドルフさん、だった。
「……」
……『挑戦状』を叩きつけたのは彼女だ、と聞いた。
その状況で、私の存在が彼女にどう映るのか、なんて言うまでもない。
私は、警戒心最大でその姿の一挙手一投足を見つめ――
それに気付いたのだろうか。
会長さんは、私たちの元まで歩み寄ると、困ったように笑っていた。
「……そう警戒しないでも、取って食ったりはしないよ。私は……君を敵と思っていない」
そして。
ちょうど、マックイーンさんと、同じことを言うのだ。
「むしろ……君も被害者だ。彼は君の良心に付け込んで、いいように利用した。君のことは……心より同情している」
「そ……それは、どうも」
「……、と言っても、そう簡単に警戒は解けないか」
申し訳なさそうに、表情を曇らせる会長さん。そんな顔は……してほしくなかったのだけれど。
ごめんなさい。やっぱり、その瞳を直視することは……出来そうに、ない。
「……会長はアタシらに用事があるのかい?」
そんな会長さんに、寮長さんが問いかける。
「さっきの口ぶりだと、アタシらを探してるようだったけど」
「うむ……実際は、ミザール君に用事があったのだけれどね。この状態の君に、一対一で話すというのは酷だろう。……でもその前に」
会長さんは、私達を一瞥する。
「……彼女を連れ出したのは、君たちか?」
「ん。まぁー、ウチらっちゅうことにはなるけど」
「そうか。……」
タマちゃん先輩の返事に、彼女は短く応じると。
「……すまない。ありがとう」
深々と。
私たちに、礼をしていた。
「――ちょ、」
それに荒々しく立ち上がったのは、チヨノオーさんだった。
「な、なんで頭を下げるんですか! 会長がそんなことすることは……!!」
「いや……本来なら、私が説得して、君を連れ出さなければならないところだったろう。それなのに私は、自分の業務にかまけて、その使命を果たせずに終わってしまった……」
申し訳なさそうに。
本当に心底、申し訳なさそうに。会長さんは言う。
「だから、ありがとう。お陰で……君たちに、それを話すことが出来る」
「ってことは、なんか話があって来た、ってことか?」
「あぁ。君たちも、いい加減気になっているだろう」
ゴールドシップさんの言葉に、会長さんは、頭を上げて、答えていた。
「――『彼』のことが」
「……」
……空気が張りつめる。
その場の時間が、止まったかのような錯覚。
『彼』が誰を指すのか。
それをここで、わざわざ確認することも無かった。
「昨日。理事長が私に全てを話してくれた。君たちに……話して聞かせようと思う」
「でも……えぇんか? 言うてもウチら、直接の関係はないで?」
「もちろんだ。君たちにも、知る権利はある」
「あーアタシは聞き流しとくわ。辛気臭い話とかごめんだし」
「え、えー……折角会長さんが話してくれるのにですか……?」
「……」
……彼のこと。あの人のこと。先の部屋での会話が思い出されて、自然、マックイーンさんの服の裾を掴む力が強くなる。
手が震えてしまって、崩れ落ちそうになって――逃げ出しそうになった時、その手を、そっとマックイーンさんが包み込んでくれていた。
振り向くと、彼女は柔らかに微笑んでくれる。
私はそれに浅く頷いて、会長さんに、とうとう、視線を向けた。
合致する。
彼女の視線もまた、真っ直ぐで――しかし敵意はなく。飽くまでこちらを、抱擁してくれているかのようだった。
迷いのない。
意志の強い瞳。
「……理事長が言ったことには」
その中で、彼女は、空気が『そうなった』ことを感じ取ったのか。
「すべての因縁は……十年前に遡るそうだ」
やがて、それを話し始めた。
「十年ほど前。トレセン学園は、今とは真逆の制度の下で運営されていたのは知っているだろう」
「……存じておりますわ。その頃には、今でも違法すれすれな危険なトレーニングが罷り通っていたとか」
「その通りだ。国内最大のトレセン学園として、その名誉に恥じぬように。最強のウマ娘を輩出し続けることだけを標榜していた。……その厳しすぎる指導体制が、結果としていくつもの才能の芽を摘んでいた、というのにな」
「確か、それを憂いた秋川理事長が改革して今に至った……っちゅう話やったな?」
「うむ。だが、時の理事長がその席から退いたのは、改革の為ではなく……病魔に侵されたせいだったそうだ」
「それは、当時の学園の指導体制によるものだったのか」
「そうらしい。彼もまた、日夜重労働を繰り返していたせいだと。それが祟って……ある日、卒倒してしまったそうだ」
「ふん、自業自得だね」
「身も蓋もありませんわね……」
「……きっと、想像を絶するストレスに晒されていたのだろう。診断はくも膜下出血だったそうだ――すぐに手術が行われたが、努力虚しく……翌日には、逝去が告げられたらしい。……それで、その後を継いだのが、言うまでもなく秋川理事長だ。
前理事長は、これまでと変わらない運営を望んでいたらしい。名誉に恥じぬよう、栄誉に背かぬよう、国内最強であれ、と……だが彼女は、それを良しとしなかった。人にしろウマ娘にしろ、もっと自由であるべきだと。生き物として、伸び伸びとあるべきだと。
その考えの元……理事長は、後を継いですぐに改革に乗り出した。幸い、賛同する者は多かったとのことだ。最初の時点で、職員の半分以上は賛同してくれていたという。だが裏を返せばそれは、もう半分は反対していたことに他ならない。……そして。
そして彼は……その反対派の一員だった。
今や直接話すことが出来ない以上、それが何故だったのかを確実に知ることは出来ない。ただ、改革が進むにつれ、反対派が数を減らす中でも……彼は最後まで抵抗を続け……
最後には……この学園を去っていったとのことだ。
秋川理事長を絶対に許さない、と残して……」