……が。
「――っ」
それを、誰かが抱き留めてくれた。
視界には、濃い緑色。
さっきまで、穴が空くくらいに見つめ続けた、『皇帝』の、色。
「……いけるか?」
「……」
顔を上げると。
そこには……会長さんの、顔があった。
正直、もう、身体は動かなかったけれど。
それでも、気絶……は、なんとか、しないで済みそうだった。
「……はい……」
「よし」
会長は、私に肩を貸してくれる。
二人三脚で、地下バ場道へと向かう。
その途中。
「……見ろ」
「へ……」
会長が、呼びかけるので。
力を振り絞って、見上げてみると。
「――……」
誰もが。
私たちを見ていた。
そこに渦巻く拍手と、歓声に。
もう、敵対的な色も、下世話な感情も、ない。
「よくやったぞー!!」
「ブラボー!!」
「いい試合だった!!」
「フォーッ!!」
「……」
会長は、それに堂々と手を振る。
私も……出来る限り、手を上げて、それに応じた。
とあるウマ娘は、そのレースを見届け、涙を拭う。
それから、ふと、背後へと振り返る。
そこには、このレースの元凶、全てを狂わせたあの男がいるはずで。
「……あれ?」
だが、そこには誰もいなかった。
男は。
忽然と、姿を消していた。
地下バ場道を、私たちは歩く。
会長は、何も言わない。
かつん、かつん、と、硬い靴音だけが響く。
本当は何か言いたかったんだけど。
そこまで気配りできるほど、身体の余裕はなかった。
肩を貸されるまま。
導かれるように。
そこを、ただただ、歩き続けた。
「……!」
その先で。
誰かが、壁に肩を預け、立っていた。
フォーマルなスーツに、やや長めの黒髪。
その人物を……私が、知らないわけがない。
「……ラジコン、さん」
「……」
彼は。
ラジコンさんは。
壁から肩を離すと、私たちの方へ歩み寄ってくる。
お互い、数メートル分の距離で立ち止まると。
無言で、こちらを見つめる。
「……」
……会長は何も言わない。
何も言うことが無いからだろうか。
でも、私は。曲がりなりにも、彼側として、出走したわたしには。
……言わなくちゃいけないことが、あった。
「……ごめんね」
だから。
それを、言う。
「私……勝てなかった」
……照れ隠しの笑みを浮かべたけど。
上手く出来ただろうか。
彼がしばし無表情でいたのは。
それが上手く出来ていなかったからかな。
「……全くだ」
彼は。
やがて、口を開いた。
「バカウマが。お前のせいで……俺はこの学園から出てかなきゃいけない」
「……」
感情を押し殺したように。
私に、つらつらと語る。
「トレーナー業も廃業だ。また一から、全部をやり直さなくちゃならん」
「……」
それに、私は何も言えなくて。
反論出来なくて。
思わず、視線を落とす。
「――」
彼は。
そこで、少し、間を置いて。
「……だが」
言うのだ。
「それで、いいのかもしれん」
「――え」
顔を上げても、彼は無表情のままだった。その目は……どこか、遠くを見つめているように見えた。
「正直、目を見張った。全盛期ではないとはいえ、あの『皇帝』にここまで食らいつけるとは思っていなかった。お前の能力値は飽くまで平凡だが……その情熱と、勇気と、底力……そして、勝利への執念には、やはり、光るものがある」
「……」
……それに。
心が、揺らぐ。
「……お前は、俺にはもったいないウマ娘だ」
「……、……」
あれ。
どうしてだろ。
「お前、この先も……色んな大会に出たいんだろ。……それでいい。きっとお前なら、適切な導きがあれば、大きな大会への出走も……入賞も、夢じゃないだろう」
この人のこと、嫌いなはずなのに。
信じてない、はずなのに。
「これから、お前にはすぐに新たな担当が付く。そいつと共に……」
なんで。
悲しいんだろ。
「お前の夢に向かって、走れ」
「…………」
なんで――
泣いてんだろ……
「……あんたにも迷惑かけたな」
……その言葉は、私から離れる。
私に肩を貸してくれている、偉大なウマ娘へと向けられる。
「会見場で、色々酷いことを言った。……悪かったな」
「……気にするな。それは私も同じだ」
会長は。
ルドルフさんは。それに、超然なまでの声色で、応じる。
「私も、君のことをよく理解せずに罵倒していた。すまなかった。……君の過去に、何があったかわからないし、それを知ることは出来ないけれど。
君にもきっと……あるのだろう。譲れないものが」
「……それは、訂正すべきだな」
それを、ラジコンさんは黙って聞いていたけれど。やがて、自虐的な声色で言っていた。
「譲れないものは――
「……」
会長は、それ以上何も言わない。
追及もなく。そして彼は、それを会話の終わりと捉えたらしい。
「……じゃあなバカウマ」
彼が、踵を返す音が聞こえ。
私は、再び顔を上げていた。
「もう、二度と会うことも無い」
「ま――待って!!」
……それを、思わず。
私は、呼び止めていた。
けだるげに振り返った彼は。
何も、後悔なんてなさそうだった。
「……」
……あぁ。
何してんだ、私。
どうするんだ、呼び止めて。私の担当になってください、なんて言うのか? 今更?
どうやって? 彼はこれから、いなくなるのに。
あんなにひどいこと、されたのに。言われたのに。
もうここには、いられないのに。
どうあがいたって、どうもがいたって。
この結末は、変えられないのに……
……そうだ。
なんで、悲しむんだ。
私、タマちゃん先輩に言ったじゃないか。
別れは祝福だ。
悲しいことじゃない。
重要なのは、それまでに何をするか――
況して、この人は、ほぼ犯罪者だぞ。
あんなテロしでかして、あっけらかんと酷いこと言い連ねた、人でなしなんだぞ。
……悲しいことじゃない。
悲しいことじゃないんだ。何も。
苦しいことなんか。
辛いこと、なんか……
ないのに。
ない、はずなのに……
「……何もないなら行くぞ」
言葉に詰まった私を、彼は待ってくれなかった。
再び踵を返し、立ち去ろうとする。
「これから、理事長室に行かなきゃならない――」
「――否!! その必要はないぞ!!」
それを止めていたのは。
そこに、新たに現れた影だった。
特徴的な長い茶髪に、優雅な佇まい。
傍らには、緑色が基調の服装に身を包んだ、一人の女性。
「……理事長」
秋川理事長が。
たづなさんを引き連れて、そこに立っていた。
「……」
ラジコンさんは、それに向き合う。
背後からだから。
彼が、どんな表情を浮かべているかはわからない。
「……秋川やよい」
ただ、彼は。
そんな風に、切り出す。
「……これまでの非礼を詫びる。あることないこと吹聴して申し訳なかった」
「うむ!」
「便乗して似たようなことやった連中も追跡し、黙らせる。……程なく、学園は元に戻るだろう」
「うむ!!」
「トレーナー室も明日には引き払う。新しいトレーナーはそこに――」
「……うむ!? なぜその必要が!?」
話を聞き、肯定していた理事長。
でも、その言葉を聞いた時、まるで幼女のように、小首を傾げていた。
「……は?」
「君、まさかこの学園から立ち去る気か? 暴論!! そのようなこと、この私が許すとでも!?」
「あ……は? いやでも、俺は勝負に……」
「うむ。確かに君は勝負に負けたが……」
困惑しながら、理事長に反論しようとする彼。でも理事長は、それに更なる反論で畳みかける。
「肝心の、負けた時の条件を言ってなかったぞ!!」
「……」
いや、それは……
屁理屈では、と言いかけたけど、その隙すらも、理事長は与えない。
「この学園の生徒のほとんどは、君のことを許さないだろう! そんな学園から立ち去ることは、私には逃げのように映るな! 数々の暴挙を働いた君だからこそ――敢えてここに勤め続けることこそが、君への罰に相応しい!!」
「……は」
「――それに、なぁ」
ばん、と理事長は扇子を開く。
いつものように、それで、口元を隠して。
「うちは次から次へとウマ娘が入学してくる関係上、トレーナーは慢性的に不足しているのだ。
「……」
「悪くない話だと思うが?」
にっこり、と無邪気に笑う理事長。ラジコンさんは、何も言わないが。それが、その話に対する全てだった。
「よし! 行くぞたづな! まだまだ業務が残っているからな!」
「えぇもちろん。仮病を使ってはダメですよ」
「と、当然だ! はっはっはっはっは!!」
「……」
……で。
悠然と、超然と。理事長とたづなさんは、そこから立ち去っていた。
「……」
「……」
「……」
……残された私たちは。
重苦しい沈黙に包まれ、押し黙る。
「……あー」
でもやがて。
こちらに振り返らないまま、口を開いていたのは、彼だった。
「なんだ、そのー……」
「……」
「……」
でも。
呆然と投げかけられる私たちの視線に、彼は耐えられなくなったのか。
どこか、バツが悪そうに。
「……とにかく、今は身体を休めろ」
そう言って。
「全部の話は……それからだ」
とうとう……歩き出していた。
「……」
「……」
私は、顔を伏せて。
身体を震わせる。
「……、」
会長に、背中を軽く擦られながら。
一人、声を押し殺し、涙を流した。