学園全体を巻き込んだ騒動は、終結した。
あの人が言った通り、学園を取り巻いていた状況は、ビデオを巻き戻すみたいにあっという間に元へと戻っていた。
一体彼がどんな手を使い、どんな『後始末』をしたのかはわからないけれど。
たぶん、その辺のことは、知らない方がいいと思う。
「――ふむ」
派手に転倒した私は、あの後すぐに保健室で診断を受けた。
骨とかもしかしたら逝っちゃってるかもなーと、覚悟を決めていたのだけれど。
なんと、打撲はあっても、骨は無事、とのことだった。
「にわかには信じがたいですね……あれだけ派手にずっこけたのに」
先生は不思議そうに呟くばかりだったけれど、幸運が重なったんだろうと思う。
でも、正直な話……
あの瞬間。あの刹那。
何かに包み込まれたような感覚がしたんだけど。
「……」
……頭までイカれたと思われたくないので、黙っておいた。
一週間ほどの療養の末、私は全快した。
どうやら理事長伝いに、そのことがラジコンさんに伝わったらしい。
久々に、相変わらずの非通知より、彼から連絡が届いて。
『放課後、グラウンドに集合な』
そう告げられたので。
私は今日、グラウンドに一人立っている。
場内では多数のウマ娘が既にトレーニングに勤しんでいて、それを見ていると、自分も走り出したくなる衝動に駆られた。
「……あ」
それを必死に抑え込んでいると。
その人は、現れていた。
「……おう」
目が合う。
彼は……ラジコンさんは。姿を現すなり、私の隣に立つと、グラウンドを見つめる。
……会話はない。
こちらからも、あちらからも声を掛けず、ただただ、グラウンドの様子を見守る。……
「……」
「……」
「……」
「……」
……き。
気まずっ。
え、何この空気。もしかして私が口開くの待ち?
いやでも、呼び出したのはあっちだし、私から話の口火を切るのは――
「……まぁなんだ」
「はひっ!?」
「妙な声出してんじゃねーよ」
う。だ、だって、急に話し出すものだから。こっちは、どうするべきか必死に考えてたのに……
「お前、担当がいない状況だよな」
「う、うん」
ともかくと、気を取り直し、彼の言葉に耳を傾ける。
「担当がいないと、トゥインクルシリーズから降ろされるだろう。大会にも出られなくなる」
「うん」
「だからお前は、一刻も早く担当を見つけたい状況なわけだ」
「うん」
「……ちょうど俺は今、フリーなんだがな」
「……うん」
「……」
「……」
……なるほど。
うん。
正直、言わんとしていることは、察した。
「……」
「……」
「……おい」
だから。
だからこそ、私は、何も言わない。
「何か言えよ」
「え? 何を?」
「いや、だからな。お前は今担当が――」
「うん。いないよ。いないけど。それがどうかした?」
「いやだから、そのー、俺はフリーでな? それでお前は……」
「うんうん」
「……」
あ。彼の顔が引きつってる。
わかっちゃったかな。
……おちょくってるの。
「――っだぁー!! もう! ホンッッッットかわいくねぇなお前!!」
そこから続く、奇妙な静寂に、彼は耐えられなかったのか。やがて、絶叫していた。
「わかれよ!! 察しろよ!! 俺に皆まで言わせんじゃねーよタコ!!」
「えー?? 全然わかんないんですケド。ごめんね? 私バカウマだからさー。人のこと察するの苦手でぇー」
「嘘つくな!! わかってんだろ全部!! あーくそ!! 期待した俺がバカだった!!」
だんだんと地団太を踏む彼。……そこまであからさまに怒らなくても。
「はぁー。本当にいい性格してるわお前」
満足したのか、彼は乱雑に後頭部を掻くと、言う。
「察しは悪いし、すぐ噛み付くし。態度も悪いし……これじゃ、これから着く担当が可哀想だ」
言う。
「そしてそれは、お前にとっても良くないことだ」
言うのだ。
「……だから、お前の手綱。俺が握ってやってもいい」
「……」
……うん。
可愛くない、って彼は言ったけど。
なんかもうそれは、こちらこそ、だった。
「……あなたこそ」
だから、私も、言う。
「本当ろくでもないトレーナー。口悪いし、話聞かないし。乱暴だし。これじゃ、これから着かれるウマ娘が可哀想だよ」
言う。
「そしてそれは、あなたにとっても良くないこと」
言うのです。
「……だから、私の手綱。あなたに握らせてあげてもいいよ?」
「……」
「……」
沈黙が漂う。
でも程なく、彼はにやりと笑う。
「オーケイ」
それから差し出される……右手。
「交渉成立だ」
そして。
言った。
「これからよろしくな。……バカウマ」
「……えぇ、こちらこそ」
だから、私も。
その手を握って。
「これからよろしく……クソトレーナーさん」
お互い。
示し合わせたように笑い。やがて、手を離す。
「おし。じゃあ景気づけにグラウンド十周」
「え? そんだけでいいの? 私病み上がりだけど。結構いけるよ?」
「じゃあ百周な」
「いや極端すぎるでしょ!! なんで中央値がないのあなたは!!」
「いーから行ってこい。十周でも百周でも五十周でもいい。好きなだけ走ってこい」
「うぅー、もう!」
態度も当たり方も、全然変わってない。ついこの間、残酷なことを言い合ったようには思えない。
少しは改心した、とか思ってた私がバカだった。もう。
「いってきますっ」
そういうわけで。
心の中で毒づきながらも。彼に言われるまま、走り出す。
彼女は走り出す。
グラウンドへ向けて。
その背中を見た彼は、そこに、過去の残影を見ていた。
「――……」
そう、それは夢ではない。
フラッシュバック――であり。
今、確かに見ている。
現実だった。
「……ミザール」
彼は、それを口にする。
彼女は、それに反応して、振り返る。
「……怪我すんなよ」
「……」
そう言われた彼女は。
ミザールは、ゆっくりと、目を見開くと。
「――え。え!? 今名前で――!」
「うっせぇなバカウマ!! さっさと走ってこい!! 時間が惜しいだろ!!」
「え、で、でもー!」
「お前なんざバカウマで十分だ」
「う、うー! レアなとこ見れたのにーっ」
もー、と嘆きながら、彼女は改めて走り出す。
それを見届けつつ、彼は頭上を見上げていた。
そこに広がるのは、突き抜けるような青空。
優しい風がそこには吹き付け。
彼の、彼らの頬を、柔らかに撫でていく。
――こんな景色を。
お前ももしかしたら、見てるのかもしれないな、と彼は思い。
「 」
呟いた声は。
空へと舞い上がり、霧散していった。
その少女は、とある民家の和室にて、生け花に勤しんでいた。
が、開かれた障子の奥、に広がる中庭、の上空に広がる空へと、ふと目を向ける。
それから、懐に手を伸ばすと。そこにいつも収めている一枚の紙のようなものを取り出していた。
それは古ぼけた写真。
現像から何年も経っていることが分かる、色褪せた、一枚の写真。
「 ?」
彼女は、名前を呼ばれたことに気付く。
そちらにゆっくりと振り向き、彼女は微笑んでいた。
「どうしたんです? 手を止めて。何か考え事でも?」
「いえ……なんでも。少し、昔を思い出していただけです」
にこり、と彼女は笑い。その、しわがれた声に返す。
「何か……遠くで」
再び写真に目を落とし。
慈しみ深く、笑い。
「とてもいいことが……起きた気がして」
写真には、微笑んでいる一人の少女と、硬い表情の一人の男が並んで写っている。
その見た目は、いかにも厳格ではあるが。
どこか朗らかな空気も、感じられた。