見守ってた君は言う
今 ここにいるよ
逃亡者 p1
真っ当に生きる方法なんて、もう忘れた。
色とりどりの灯りで満たされた繁華街を、黒塗りの車が走る。
窓にはスモークが張られており、中の様子は窺い知れない。
見る人が見れば、普通ではない車両だとすぐにわかる。関わってはいけない存在だともすぐに悟れる。だからだろうか、周囲を走る車は、それに対してどこか仰々しく振舞っているように見えた。
車は、それに構わない。
全く気にかけることなく、駆け抜けていく。
我が物顔で、その先に広がる闇の只中へと。
――やがて灯りは少なくなる。
商店も、住宅すらも、無くなっていく。
道幅も狭くなり。
程なく、真っ暗な峠道へと変貌していた。
辺りを包む暗黒を切り裂くのは、車両の放つ光だけ。
誰もが踏み入ることを躊躇しそうな、そんな深い深い闇の中を。
車は走る、溶けるように走る。
躊躇いなく、進んでいく。
するとそのうちに、静々とした灯りが見えてくる。
建造物一つない、深い深い山の中に。
不釣り合いなほど、多くの人々が集まっている。
――それらの人々もまた、明らかに普通ではない。
見るからに悪意ある人間たちであり――そのどれもの顔が、醜悪な笑みや、暴力的な怒りに歪んでいる。
その中をなおも進んだ車は、やがて舗装されていない空地へと辿り着き。
運転手は、車を止めると、後部座席へ声を投げかけた。
「……『フード』。着いたぞ」
呼ばれた人物は、それまで微動だにしなかったが、その声を受けて、座席から降り立つ。
見るものを引き付ける、深紅のパーカー。
ボーイッシュなショートパンツ。
目深に被ったフードの頭部、無理矢理に空けたのであろう穴からは、長い耳が突き出している。
見た目からではその性別はわかりにくかったが。それはれっきとした女性だ――少なくとも、『生物学上は』。
車を降りた彼女は、辺りを見回すこともなく。すぐさまそこから歩き出す。
長い尻尾を不機嫌に立たせながら。
人だかりを掻き分け。
不穏当な話を聞き流し。
辿り着くのは、一台の、改造されたスポーツカー。
そのバンパーに腰かける、一人の男の元だ。
「――おう、来たか」
オールバックの髪に、漆黒のサングラスをかけたその男の前に彼女が立つと、男は笑みに口元を歪ませ、言っていた。
この世全ての悪意を凝縮したかのような、底の見えない笑み。
「……
彼女は、言う。その声は、透き通った宝石のように綺麗な響きを伴っていた。
「ちょうどお前待ちだったんだ。すぐに始めるぞ」
男に言われ、彼女は移動する。果たして辿り着くのは、道路上。
何人もの人が、そこに立っている。
――否。人ではない。
彼女らは、人のものとは異なる特徴を備えていた。長く反り立った耳に、尻尾。
ウマ娘だった。
「……」
いくつもの瞳が、彼女を貫く。まるで、今ここで仕留めんばかりの勢いだ。
それにも怯まず、彼女は位置につく。ちょうど一人分空いた、自分の『特等席』へ。
「よー! フードちゃん!」
そんな彼女に。
呼びかけながら、隣に立つ男が一人。
「今日参加させてもらうストマックってんだ! よろしくな!」
「……あんた」
彼女は彼を――小太りの男を一瞥するが。それは見るからに明らかに、人間だった。
自分とは、極めて近く、限りなく遠い存在だった。
「人間だよね?」
「その通り! いやな、俺もなんか、あんたらの走り見てたら、一緒に走りたくなっちまってさぁ」
「あっそ。好きにしたら」
「おいおい、素っ気ねーじゃねーかぁ! もっと仲よくしようぜぇ?」
――気持ち悪い。
それが、彼女の第一印象。
なるだけ気にかけず、彼女は目の前を見つめ、来るその時を待つ。
「それでな、フードちゃん。話ってのは終わりじゃ無くてな」
にもかかわらず、彼は、彼女に呼びかけ続ける。
「俺もこう見えて、昔は陸上でぶいぶい言わせててよ。実力には自信があんだよ。……でな。もし俺があんたに勝ったら……」
「一発、ヤらせてくれよ」
「……」
そのあまりに場違いで、あまりに下品な申し出に、彼女は小さく息を吐く。
だが、動じはしない。
恐れもしない。
それは彼女が、自分の実力に、絶対の自信を持っていることに他ならなかった。
その証拠、とばかりに。
「……いいよ別に」
彼女は、あっけらかんと言っていた。
「『勝ったら』ね」
それを口火としたように。
パン、と、辺りに空砲が響いていた。
それを合図に。
彼女らは、一斉に走り出した。
そのレースは、どう控えめに評価しても、普通じゃない。
っていうか、性質を考えたら、レースと定義していいかどうかすらも怪しい。
空砲を合図に最初に走るのは、公道のど真ん中。
端っこや、順行車線を走る者なんて一人もいない。
そうすることがルールであり。
誰もが愚直に、それを守っているからだ。
道路は曲がりくねっている。
常に、危険が付きまとう。
それに恐れた臆病者が。
まず食われていく。
「――!!」
背後から、絶叫が聞こえた。
でも、振り向かない。
もうそんなの、気に掛ける心すらも、ない。
『あーっと滑落! 滑落だぁー!!』
上空を飛ぶドローンから、やかましい実況が聞こえてくる。
それに舌打ちしながら走り続けていると、それはやがて見えてくる。
……このまま道路だけを走れたなら、まだただのレースと言えたかもしれない。
でもこれがレースじゃない、と思うのは、ただのそれだけのものじゃないからだ。
「!」
見える。
ガードレールに取り付けられた、即興の目印が。
だからあたしは、素早くその場から飛び跳ね、横の山林の中へ――
道なき下り坂を、行く。
「――、――……」
夜目を頼りに、走る。
根を飛び越え。枝を掻き分け。
誰よりも早く、何よりも先へ。
先頭を、ひた走る。
「――っはぁ、はぁ、さすが速ぇなぁ、フードちゃんよ!」
そんなあたしに、背後から投げかけられる声は、先ほど聞いた醜悪なそれ。
「で、でも、俺もなかなかやるもんだろ!? 人間で、ただの人間で、ここまでやるのは、そうそういねぇ!」
だから、とばかりに。死に物狂いに。彼は言う。
「だから、だから、ヤらせろ! 俺にヤらせてくれよぉ!!」
「……」
……気持ち悪い。
本当に気持ち悪い。
あぁ、あんたはその気持ち悪さのために。
「――バーカ」
今日、死ぬんだ。
「――!」
横に飛び跳ねる。
まるでパルクールのように。
男は、あたしの背後を追っていたみたいだけれど。それが仇となった。
「――!?」
そこに聳え立つ大木。
男が、それに叩きつけられたのだろう。
生々しい衝撃音と、くぐもった呻き声とが、背後に遠のいていった。
「――っ」
やがて山林を抜ける。
目測、数メートルほどの段差。
そこを躊躇いなく跳躍し、勢いよく着地した時。
眩しいライトが、あたしを照らしていた。
「――!!」
同時に聞こえる、耳障りなクラクション。
それを見てあたしは、飽くまで落ち着いて。
――その場に。
宙返りした。
「……」
全てがスローモーションになったように感じる。
あたしは、そうして、すんでのところで『車』を躱し。
着地し。その峠を、上っていく。