16年度の卒業生   作:Ray May

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逃亡者 p2

-◆◇◆-

 

 

 

「あ、あぶねぇ……!!」

 急ブレーキをかけた男が、信じられないものを見た、とばかりに絶叫する。

 助手席に座っていた別の男性も、九死に一生を得たように、呆然と呼吸を繰り返す。

 

 

「なんだ今の、人だったよな……!」

「で、でもどうしてこんなとこで……」

 

 

 二人、困惑しながら話すも、状況は待ってはくれない。

 どがん、と、天井に何かが降り立った音がした。

 

 

「な、なんだ!?」

 

 

 後部を見ると、横の山林から、多くの人々が降り立つのが見えた。

 いや……しかも、それは人ではない。耳と尻尾を悠然と揺らしており――

 ある者は、見向きもせずに走り去り。

 またある者は、あっかんべーをし、走り去っていた。

 

 

「な、なぁ! もしかしてこれ……!!」

「あぁ、間違いない……!」

 

 

 助手席の男性が呼びかける中、運転席の男性は携帯電話を取り出す。震える手で打つのは、三つの数字。

 誰もが一度は目にする――『110』の数字。

 

 

「――ブラックレースだ!」

 

 

 程なく男性は。

 携帯電話を耳に押し当て、言っていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 峠道は、急峻な上り坂。

 並大抵の体力じゃ、すぐにばててしまう。

 ただでさえ、辛い坂道だというのに。

 

 

「――!」

 

 

 その先からは。

 時たま、車が降りてくる。

 

 それは時に普通乗用車であり。

 それは時に、大型トラックである。

 

 トラックに身を掠めてしまい――

 そのまま転倒し、脱落する者もいる。

 

 しかも――

 

 レースは、これで終わりじゃない。

 

 

「!」

 

 

 左側――壁に掛けられた、五個の梯子。

 それを認め、あたしは乱雑に上がっていく。

 

 その真下にも、別の者たちが続くが――

 

 ……梯子は、完全には固定されていない。

 

 

「っ……!」

 

 

 梯子が傾き始め――

 上れる状態ではなくなる。

 それでも私は、上へ、上へと進み。

 ――上り切った。

 

 

「きゃああぁぁっ!?」

 

 

 壁の縁に手を掛けたと同時に、梯子が倒れる。

 がしゃん、という無情な物音と、絶叫が響く。

 それを背に、壁をよじ登ったあたしは――

 

 最後の山林を、上っていく。

 

 最後の最後、スタミナの尽き果てた参加者を食らう、魔の道。

 

 それでも、あたしにとってはもう慣れたもので、背後に他のものを置き去りに、悠然と走っていく。

 

 走る。

 走る。

 ただただ、走り続けて。

 

 

「――っ!」

 

 

 山林を抜け。

 更にしばらく、舗装された道を行けば――

 

 

「――!」

 

 

 パン、と。

 再びの空砲が、私を迎えていた。

 

 

『終了ー!!』

 

 

 浮かれた実況が聞こえ。

 パラパラと歓声と拍手が上がる。

 

 

『優勝、『フード』!! 本日もまた、その圧倒的な強さを見せつけましたぁ!!』

「……」

 

 

 祝福と、歓喜の声。

 本当なら、それは優勝者だけの特権で。

 心の底から、喜ぶべきもの。

 

 

「おーう、フード。ナイスラン」

 

 

 サングラスのおっさんからも。

 労われるし。

 

 

「ほれ、今日の賞金だ。またよろしくな」

「……」

 

 

 ……普通じゃ、考えられない。

 お金だって、もらえるのに……

 

 

「…………」

 

 

 ……とにかく。

 あたしは、そこから歩き出す。

 

 

「おし、今日のレースは終了! もうすぐポリも来るだろ! テメーら、さっさと撤収するぞ! ……」

 

 

 沸き立つ声を背に。

 あの空地へと向かう。

 特別、何かを告げることなく、黒塗りの車の後部座席に乗ると。

 何も言わず、車は発進する。

 

 

「……」

 

 

 峠道を下っていくと。

 何台ものパトカーとすれ違う。

 途中、ガードレールに背を預け。

 見知らぬ誰かに手当てをされているウマ娘もいた。

 

 

「……」

 

 

 その子と。

 ガラス越しに、目が合った気がした。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 無茶なレースに参加し、無茶な走り方をしてしまった結果として、峠道から滑落する、という痛々しい結末を迎えてしまったそのウマ娘は、それでも傷だらけの身体を鞭打って、元の道へと這い上がってきていた。

 

 それまでに、相当の時間が過ぎていた。先ほどまでの周囲の騒がしさも、既にそこにはない。予想はしていたが――見るからに明らかに、レースは終了し、関係者もまた、姿を消していた。

 

 静寂。

 

 耳に痛いほどの夜更けの静寂が、ただただ、そこにあるばかりである。

 

 

「……」

 

 

 虚しさ、悲しみ。苦しみ。痛み――あらゆる負の感情で、心の中がどす黒い感情に染まっていく中でも。

 

 彼女は折れない。あるいは――折れ尽くしたために、諦めない。ともあれと、命はあったのだから。今回のレースの改善点、そのために取るべきトレーニング、次の開催までに生活を繋ぐ方法――そんな諸々を考えながら、峠道を下ろうとした。

 

 その時だった。

 

 

「……?」

 

 

 一台のワゴン車が、道を上ってくる。何事かと、手を翳しながら見ていると、その車は彼女のすぐ近くに停まった。

 後部座席のドアが開き、何者かが降りてくる。

 

 

「……よう」

「……!」

 

 

 その顔に、その人物に、彼女は見覚えがあった。すらりとした体型に、長い栗色の髪。赤みがかった瞳――そして、人間にはあり得ない、頭頂部の耳と尻尾。

 

 

「……シリウス、シンボリ……?」

「なんだ。知ってるんだな」

 

 

 呆然と言う彼女に、シリウスシンボリはどこか超然と返す。同時に、その背後。別のもう一人がまた、車内から降車する。

 彼女と同じくらい長い髪に、灰色のニット帽。トートバッグ。その姿にもまた、見覚えがあった。

 

 

「……な。何をしに……」

 

 

 シリウスの背後――ナカヤマフェスタが周囲を警戒するように見回す中、名も無きウマ娘は、シリウスに問いかける。

 その声は、判決を待つ囚人のように張りつめていた。

 

 

「乗れ」

 

 

 そんな彼女に、シリウスは顎で車を示し、言う。

 

 

「は……?」

「乗れっつったんだよ。それともなんだ。身体が痛くて動けないか」

「い……いや。意味が……っ」

 

 

 シリウスの言葉に、彼女は飽くまで怪訝に、飽くまで警戒を解かずに対応するも。身体はそれを待ちはしない。

 よろ、と倒れそうになる体躯を、シリウスが咄嗟に抱き留めていた。

 

 

「無理するな」

「……っ」

「ナカヤマ」

「おう」

 

 

 シリウスはそのまま、彼女をその場に座らせる。呼びかけに、ナカヤマは短く反応し、同じように少女の前に座ると、バッグから何かを取り出した。

 それは、包帯をはじめとする、応急処置のための用具だった。

 

 

「……ここまでよく頑張った。辛かっただろう」

 

 

 てきぱきとナカヤマが応急処置をする中、シリウスはそう語り掛けながら、彼女の頭を優しく撫でる。

 

 

「もうこんな場所にいなくていい。一緒に行くぞ」

「……っ、ど」

 

 

 対して、少女は。涙声になりながら、シリウスに応じる。

 

 

「どこ……へ……?」

「決まってるだろ」

 

 

 するとシリウスは、その不敵な笑みを崩さないまま、返した。

 

 

「トレセン学園だ」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 夜更けも夜更け。漆黒の只中に沈んだトレセン学園――その寮の前に、ワゴン車は停まる。

 

 シリウスとナカヤマは、後部座席から降りる。シリウスは降りるなり、運転席に近付く。

 

 ちょうどその時、運転席の窓が開き、若々しい顔つきの男性が、彼女の方へ目を向けていた。

 

 

「……すまねぇなトレーナー。あんたにも用事があるだろうに」

「何。可愛い担当の我儘を聞くのも、『仔犬』(パピー)の仕事さ」

「はん。言いやがる」

 

 

 答えに、シリウスは鼻で笑うも。そこに険悪な空気はない。お互いに、どこか和やかに笑い合うと。トレーナーである男は、車のシフトレバーを操作した。

 

 

「では、また明日」

「あぁ。じゃあな」

 

 

 走り去るワゴン車を見送り、シリウスとナカヤマは目を合わせ、頷き合う。二人、そうして寮の部屋まで戻ると、ナカヤマは開口一番、大きめのため息を吐いていた。

 

 

「……今日は三人、か。()()()()()はいくらだと思う」

「さぁな。私たちの知るところじゃねぇ」

「私たちと警察の目を掻い潜って逃げるなんて、元気なもんだな」

「たまたま傷が軽かっただけだろ。実際、私たちが回収した奴らは、みんな軽傷以上重傷以下だったしな」

 

 

 シリウスの返事に、ナカヤマはそれもそうか、と答え、愛用のニット帽を荒めに脱いた。

 しばしの沈黙の後。

 

 

「……なぁシリウス」

「あぁ」

「あと、どれだけ続ければいいと思う」

「さぁなぁ」

 

 

 応じるシリウスは、どこか自虐的な笑みを、口元に灯していた。

 

 

「あとどれだけ……だろうな」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 車は繁華街に停まり、あたしはそこに降り立つ。

 

 運転席の窓が半分だけ開き、不躾に片手が伸びてきた。

 

 何かを求めている手つき。

 

 あたしはその手に、今日の『賞金』の三分の一ほどを渡す。

 

 手は引っ込み――

 

 窓が閉まる。

 

 しばらくすると、車はそこから走り去っていた。

 

 楽し気なざわめきの中に。

 あたしは、一人取り残される。

 

 

「……」

 

 

 ここにいたってどうしようもない。

 とにかく、住処へ帰ろうと。足を踏み出し掛けた時。

 

 

『さぁ! 本日もやってきました! 週刊ウマ娘! このコーナーでは、毎週この私が! 個人的に気になるウマ娘の紹介をさせていただいております!』

 

 

 大型モニターから。

 バカみたいな声が、辺りに響く。

 

 

『第██回目の本日は、こちら! そう! 先日、トレセン学園を混乱に陥れた『悪役』でありながら、その泥臭い走りで多くの人々を魅了したウマ娘――』

 

 

 自然と。

 惹かれるみたいに、その画面に目を向ける。

 

 

『――サファイアミザールさんです!』

 

 

 そこに。

 ()()()が、でかでかと、映っていた。

 

 

『何と言っても凄まじいのはその走り! 能力は平均的ですが、最終盤で見せる圧倒的な加速は、観る者誰をも惹きつけます!』

「……」

 

 

 食い入るように。

 あたしは、それを見つめていた。

 画面はそこで、見知らぬ一般人へのインタビュー画面へと変わる。

 

 

『――いやぁー、すごいですよね。最初は泥臭いだけって思ってたんですけど、見てるうちにどんどんハマっちゃって』

『ダンスと歌声に課題あり、という声もあるようですが……』

『そこがまたいいんじゃないですか! もー、わかってないなぁ!』

「……」

 

 

 あたしは……

 そこから放たれる光に。

 目を細めていた。

 

 

『なんか不思議な子ですよね。決して『皇帝』みたいな凄い走りでもないのに。見てると勇気づけられるっていうか……元気が出るっていうか』

 

 

 

『なんか、応援したくなるんですよねぇ』

 

 

 

「……」

 

 

 ……耐えられなくなって。

 あたしは、モニターに背を向ける。

 

 あぁ、お前はやっぱ凄いよ。

『あの時』から、何となく思ってたけどさ。

 お前は……あたしとは、やっぱり、丸っきり違う。

 

 最近――久々に観た時。

 自分ももしかしたら、なんて、考えたけれど。

 

 ……やっぱり駄目だ。

 あたしには――駄目だ。

 だってあたしには。

 その光は、もう、眩し過ぎる。

 あたしは――

 

 

 

 真っ当な生き方なんて、

 もう、忘れてしまった。

 

 

 

「――っ!」

 

 

 だから、あたしは走り出す。

 モニターと真逆の、路地の奥へ。

 光の作り出す、漆黒の闇の中へ。

 

 一人。

 駆け出す。

 

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