トレセン学園のグラウンドを、何人かのウマ娘が走っている。
誰もが必死の表情で、決死の形相で、駆けている。
それは、公式なレースではない。
併走、と呼ばれるトレーニングの一環だ。
優勝トロフィーがかかってるわけでもなければ、賞金がもらえるわけでもない。栄誉も、名誉も、与えられるわけでもない。
そもそも、厳密にはレースですらもない。
「――へいへいっ、どうしたどうしたぁー!!」
それでもグラウンドには、威勢のいい声が上がる。
「お前の力はそんなもんかぁ!? ミザールちゃんよっ!!」
長い白髪を靡かせ、走る長身のウマ娘。
ゴールドシップのその声は、彼女の後方1バ身ほど背後へと、投げかけられていた。
「――、あんま喋ってっと、舌噛みますよ先輩っ!」
対象――サファイアミザールはというと、それに負けじと対抗する。
「――そう言うゴルシも、さっきからウチとの距離縮まっとらんでー!!」
そんな二人の前方、2バ身ほど前を走るのは、タマモクロス。
「――そんなこと言ったら、あなただって私との距離、縮まってませんわよ!」
さらにその前方、同じくらいの距離を、メジロマックイーンが走っている。
これだけ見れば、いつも通りのメンバー。
これまでにサファイアミザールを助け、支えてくれた、偉大な先輩メンバーとの併走だ。
だがその併走が、いつもと様子が違うように見えるのは――そこに、文字通りいつもとは違う面々がいるからに他ならない。
「んなこと言い始めたら、」
そして――タマモクロスは、それを証明するかのように、言う。
「スズカはさっきからずっと先頭走っとるやん!」
「……えっ?」
忙しなく動く橙色の髪に、緑色が基調の髪飾り。
「あ……すみません。ペース落としますか……?」
「すまん! 何言うてるか聞こえへん! この距離やと!!」
怒涛のツッコミが向かう先、先頭を走るサイレンススズカ、更には、
「――あはははっ、やっぱりスズカさんはなまら速いべー!」
サファイアミザールのすぐ背後には、スペシャルウィーク。
「もォー!! みんな本気で走り過ぎ! もっと気楽に走ろうよぉー!!」
その更に背後に、トウカイテイオー。
「次は負けない次は負けない次は負けない……!!」
その更に更に背後にはサクラチヨノオー。
「ウオッカにだけは負けないウオッカにだけは負けない……!!」
更に更に更に背後にはダイワスカーレット。
「スカーレットには負けねえスカーレットには負けねえ……!!」
そのすぐ傍に、ウオッカ。
総勢十名、それほどの数のウマ娘が、ドドドドド――と我先と競い合う光景は、もはや壮観ですらあった。
「いやぁー、壮観壮観っ」
そんな光景を眺めながら言うのは、長身の男性。
長めの茶髪を短いポニーテールにし、側頭部を刈り上げた髪型の彼は、感心したように顎を擦っている。
「最初はどうなるかと思ったけど、やっぱりこれだけの人数が走ってると、実際のレースくらいの迫力があるな」
一通りそう言った彼の目は、横の方へと向けられる。
より正確には――隣の、少し下の方。
「あんたもそう思うだろ? 担当クン?」
「……そっすね西崎さん」
投げかけられた言葉の先――
サファイアミザールの担当は、彼、西崎の隣に座りながら、ノートパソコンを開いていた。
彼らの目の前にはスピードガンらしき機器が設置されており、そのトレーニングの様子をより精密に分析している。
それらの分析の結果として――彼は、自身の担当、サファイアミザールのことに関してある結論に辿り着いていた。
「それで、何か新しくわかったことはあったか?」
「あー……」
西崎の問いかけに、担当は後頭部を掻きながら答えた。
「……正直、アイツの持つ能力は平均的です。本当に中の中……調子が悪いと中の下にもなる。でもそれは……飽くまで一人でトレーニングに臨んだ時の話」
「競争相手がいると?」
「えぇ――途端に
ふむ、と西崎は何かを考える素振りをした。
「その現象自体は珍しくはないが……あの子の場合は、その上がり幅が尋常じゃない、と?」
「そんなとこです。実際……あれだけの面子が揃ってる中でも、食らいついてはいますしね」
『不沈艦』。『白い稲妻』。『ターフの名優』。『異次元の逃亡者』――
誰もがそのような、聞くだけでも畏怖してしまいそうな異名を賜っている中で、未だ名も無き彼女は、怖気付かず、食らいついている。
ただのそれだけで、彼らにとっては成果であった。
「……ウマ娘の競技ってのは、まず競争相手がいるだろうからな。デメリットには、まぁまずならないか。はは。面白いことになってきたな」
「差し詰め、生粋の勝負好きってとこですかね」
「とてもそんな風には見えねーけどな」
西崎は、思わず苦笑いする。実際、サファイアミザールを始めて見た時の印象は、『どこにでもいそうな普通のウマ娘』だった。
それがどうだ、先日の『皇帝』との一騎打ち以来、印象ががらりと変わった。
レース場に立つと、変わる。
相手がいると、変わる。
愚かしいほどに勝負に挑み、狂おしいまでに勝利を求めるその姿は――
『普通』などではなかった。
もうすっかり――『異常』であった。
「……担当ちゃんと
「お手柔らかにどうぞ」
「こんにちは」
と、そこで、別の影が現れ、二人に声を掛けていた。
特徴的な菱形のカチューシャと、長い白髪が目を引く。
「オグリ!? なんでこんなとこに……ってかなんだそのクソでかいタッパーは!?」
「うん。トレーニングしていると聞いたから、差し入れに来た」
「差し入れすらオグリサイズかよ……!」
「迷惑だろうか……?」
「いやいやいや! 大丈夫だ! きっとあいつらなら喜んで食ってくれる!」
西崎が対応する中、担当もその様子を確認する。現れた人物――オグリキャップは、両腕に抱えてなお余るほどの巨大なタッパーを持参していた。
その中には、はちみつレモンと思しきものがぎっちりと詰められている。担当は甘いものが嫌いなわけではないが、見ただけで胸焼けを起こす錯覚を覚えた。
「トレーニングは順調か?」
彼らの隣に立ったオグリキャップは、グラウンドの様子を見守り始める。
「というか、面白い面子だな」
「……最初は三人くらいでやる予定だったんだけどな」
担当は、その時のことを思い出す。そう、併走の様子を確認したいがため、まずタマモクロスに声を掛けたのだが。
それを傍で聞いていたメジロマックイーンが、自分も参加すると言い出し。
騒ぎを聞きつけたゴールドシップが面白そうだからと参加したがり。
そこにたまたま居合わせていたサクラチヨノオー共々、チームスピカの面々までもが巻き込まれ。
現在の状況へと至った次第。
「ははは。まるでピクニックだな」
「ま、うちとしても助かったけどな。噂の『悪役』がどんなもんか、間近で見てみたかったし」
「ご期待に添えてれば幸いっす」
「……タマも、楽しそうで何よりだ。見ていると思い出すよ。あの頃の色々を」
そう言うオグリキャップの表情が、優しく綻ぶ。
「こうして、意志や想いは、受け継がれていくんだな」
「あれ、オグリさん!?」
まるで娘を見守る母のような瞳を、彼女が浮かべた時。
真っ先に反応したのは、併走を終えたスペシャルウィークだった。
「お久しぶりですね~! どうしたんですか……ってうわぁ! すっごいサイズのタッパー!!」
「うん。差し入れに来た」
「わぁ~! ありがとうございます! いただきますねっ」
「うっ……み、見ただけで胸焼けがしそうですわ……」
「っちゅうかそれ、この間スーパーで買ったウルトラキングサイズのタッパーやん……ようやく使い道見つけたんやな」
「うん。多い方がいいと思った」
「アタシら併走に付き合って良かったな。二人や三人だったらお残しするとこだったぜ」
「ねぇトレーナー!! どっちが速かった!? 当然アタシよね!?」
「いーや俺だ!! なぁトレーナー、そうだよな!?」
「お、落ち着け落ち着け。今教えてやるから……」
「トレーナー」
各々が各々のトレーナーの元、各々のやり取りを繰り広げる中。ミザールはトレーナーに話しかける。
「どうでした? 今の併走……」
「んー……まぁなんか、あれだよな……」
言葉を受けた担当は、顎に指を添えながら、彼女に答えた。
「お前ってこう……変わってるよな……」
「か――はぁ!? あなたにだけは言われたくないんですけど!?」
片や勝負に執着するウマ娘、片やラジコンで接触してきた男性。
客観的に見れば、その変人っぷりは、どっちもどっち、ではあった。
「でもまぁ名だたる先輩と張り合えてたのも事実だ。この調子で地力を鍛えていくぞ」
「い……言ってることは真っ当なのに、なんかムカムカする……」
「体調悪いなら無理するなよ。ここの保健室は腕利きだからな」
「あなたのせいなんですけどね!?」
「……そういやお前ら」
そんな二人の騒がしいやり取りを見た西崎は、自分の担当チームの面々に訊ねる。
「もう慣れたのか?」
「へ? 何がですか?」
「ほら、『アイツ』のこと。色々あったし、そのー……なんか思うとことか、ないのか?」
早速とばかりに差し入れに手を付けつつ、真っ先に反応したスペシャルウィークは、傍にいたトウカイテイオーと顔を見合わせた。
「……まぁ、確かに色々ありましたけど。私は気にしてないですよ! ちゃんと謝ってくれましたし。助言とかしてくれますし!」
「ボクも別にって感じかなー。もう終わったことだし」
「アタシは許してないけどね」
チームメンバーのほとんどが、あっけらかんとした反応をする。だがスカーレットは特別、思うところがあるらしく、その目には薄めの怨嗟が灯っていた。
「――おし、わかった。おーい、みんな集合ー!」
それを確認した西崎は、周囲に呼びかける。それにはタマモクロスやサクラチヨノオーのトレーナーも含まれ、文字通りその場に居合わせた全員が、西崎の元へと集った。
「えー、それでは。本日の大規模併走に関しまして、こちらの新任トレーナーからありがたいお言葉があります」
『おー!』
「……聞いてないっすけど」
「言ってないしな」
拍手が上がる中、西崎に促される担当。彼はなんだかんだで『ありがたいお言葉』とやらを口にしないまま、なあなあで立ち去ろうと考えていたが、
「……」
いくつもの視線、それも好奇心と怨嗟の入り混じる混沌としたそれを一心に受け、それが不可能であることを悟ると、浅めに息を吐いて立ち上がっていた。
「……あー、今日はうちのバカウマのために併走に付き合ってくれて感謝する……痛っ!」
このような場にも関わらず、悪びれることもなくバカなどと発言した彼を不愉快に思ったか、傍にいたサファイアミザールが、彼の脇腹を肘で強めに小突いていた。小さく舌打ちをし、彼女を一瞬睨みつけた彼だったが、すぐに気を取り直し、続けた。
「……、まぁ、この間の一件で、俺に対していい印象を抱いていない子はいると思う……というかそっちの方が大多数だと思っている。そしてそれは当然のことだし、俺も言い訳をするつもりはない。贖罪を試そうとしたところで、完全に許されることもないとは重々承知だが……
それでも、理事長の恩赦でこうしてトレーナーを続けられている以上、出来る限りのサポートはしたいと思っている。自分の力を過信してるつもりはないが……自分のトレーナー以外からの視点も、成長や学習のきっかけになるはずだ。
俺はトレーナー寮には入ってないから、いつも会えるってわけじゃないが、それでも寮室をこっちでの仕事部屋として貸してもらってる。もし何か気になることがあったりしたらいつでも連絡してくれ。出来る限りで対応する。
……今日付き合ってくれたこと、重ねて感謝する。また何かあったら、うちのバ……担当のために力を貸してやってくれ。以上だ」
「……」
最後、隣からの眼光に貫かれ、言い直した彼に。場に居合わせた一同は静まり返る。しばしその時間が続いたと思うと、西崎が、徐に拍手を始めていた。
「……なんすか?」
「あー、いや」
それに担当が訝しげな眼を向けると、西崎はどこか感心したような顔で応じていた。
「思ってたよりまともな話されたから、ちょっとびっくりして」
「俺をどういう目で見てんすか」
「そりゃまぁ……一般的テロリスト?」
「……人の足無断で触るのも、十分テロだと思いますけど」
「それはもう忘れてくんねーかなぁ!?」
西崎の絶叫に、一同が可笑しそうに笑う。サファイアミザールは――内心。実際には、少しひやりとはしていた。
前振りがあったとはいえ、突然のちょっとした演説。一同から大反発を受けるかと思っていたが。
それらも、杞憂に終わっていた。彼女らの、そしてこの学園の、柔軟で寛容な姿勢に――彼女は、ひっそりと感謝していた。