トレセン学園生徒会室に、上品な硬い音が響いている。
それは生徒会室の手前の方、来客用に用意されたテーブルとソファの辺りから放たれているものだ。
今、そのソファには、向かい合って座る二人のウマ娘がおり――
目の前のテーブルには、いかにも高級そうな木製のチェス盤が置かれている。
「――正直な話」
それまで彼女らは、黙々とその遊戯に――チェスに興じていたものの。片方――シリウスシンボリは、黒色のチェスの駒を手に取りながら、やや唐突に口を開いていた。
「『あの時』、完全にスイッチ入ってただろ」
「うん?」
タイミングもさることながら、内容も唐突だったからか、その対面――顎に指を添え、思考しているもう一人、シンボリルドルフは、チェス盤に目を落としたまま、どこか頓狂に返事をしていた。
「何の話だ?」
「とぼけんなよ。例の『一騎討ち』の時だ――人目も憚らずに笑い散らかしやがって」
「ははは。聞こえていたのか。面目ない」
「あの盛り上がりだったんだ。聞き取れたのは私だけだったろうがな」
頬被りを看破されても、ルドルフは余裕そうに笑う。一騎打ち――サファイアミザールとの、一対一のレース。当時のことを思い出すと、彼女は今でも心の昂る感覚がした。
「昔を思い出したのか?」
「まぁ……そんなところだな。オグリキャップに惜敗を喫して、リベンジを果たせなかった悔しさが……顔を出したのだろう。覚えているか? 最後の最後で、彼女の末脚に差し切られた。あの時と同じ緊迫感と恐怖を感じたよ」
「はん。『皇帝』サマを恐怖させるとは。
「実際……あの子は他の生徒とは、また別のベクトルの才覚を持っているように思うよ。能力こそ平均的だが……土壇場で発揮される頭のキレと、大胆な発想。それを実行に移す度胸……そして何より、勝利への執念。これから、どんな『怪物』になるかもわからないね」
「……私には」
シリウスは、既に確保したルドルフの駒――白い駒を指で摘まんで掲げる。何かを思案するように、しばしそれを見つめて、
「お前が、そうなることを望んでるようにも見えるな」
想起するのは、そのレース終了直後のこと。下バ評と真逆を行く、白熱の試合展開は、しばらくの間大衆の話題を掻っ攫った――当然それは、サファイアミザールの知名度を上げる結果に繋がった。
シリウスはルドルフをちらと見るが、彼女は不敵に微笑むばかりで、目を合わせようとしなかった。それを鼻で笑った彼女は、摘まんでいた駒を元の位置に戻し、足を組み直していた。
「で?」
「?」
それから、改めて呼びかけるシリウス。ルドルフは小首を傾げてみせたが、それにシリウスは、どこか苛立たしげに舌を鳴らしていた。
「? じゃねーよ。今日は何の用で呼び出したんだ?」
つまりは――それまでのやり取りは、世間話。
もう前振りは十分だ、とばかりに、彼女は訊ねる。
「まさか、チェスするために呼び出したわけじゃねーだろ」
「やはり君は鋭いな。私としては、もう少し場を和ませたかったんだが」
「いらねーよ、そんなもん。それとも、そんなことが必要なくらい重い話題なのか?」
「あるいはね」
それまで、朗らかに応じていたルドルフ。飽くまで場の空気を固まらせないよう、無意味に緊張しないようさせないよう、配慮した結果だったわけだが。それすらも看破されたことで、もはや意味がなくなったことを感じ、気を入れ直す。
明るかった瞳が。
途端に、不穏な翳りを帯びる。
「……昨晩。峠に行ったそうだな」
ぴたり、と。
その時、シリウスの、チェス駒を動かす手が止まった。
「……」
「……」
シリウスが上目気味に視線を向け。ルドルフは見下ろすように視線を投げる。両者の視線が合致し、絡み合い、数秒の沈黙と緊迫を齎した。
「……だったらなんだ?」
果たして、シリウスはチェス駒を動かし、体勢を元に戻した。
質問の答えにはなっていないが――
全てを察するには、ルドルフには、それだけで十分だった。
「……『ブラックレース』絡みか」
「だったらなんだ、っつってるだろ。『皇帝』サマに、下々の民の活動なんか関係ねぇだろ」
「だが、それらを安全に保つ責務はある。そのために、危険な場所を適切に管理する義務も」
「は。
「好きにさせてはいない。こちらからメスを入れ辛いだけだ。それは君も重々承知のはずだ」
「私には、自ら手を汚さないための言い訳にしか聞こえねぇな」
「……」
ルドルフは、難しそうに眉を顰める。嘆くように、その口から息が漏れた。
「……シリウス。何度も言うようだが、一切関わるなと言っているわけじゃない」
そして、慎重に、言葉を選んで彼女に語り掛ける。
「ただ――もっと慎重にやるべきだ。藪を突いて何が出てくるかもわからない。君自身が危険に晒される可能性すらある。もちろん、君がそう簡単に絆される手合いじゃないことはよくわかっているが、それでも危険は出来る限り排除するべきだ」
シリウスは何も言わない。先ほどと同じように、黒いチェス駒――ポーンの駒を摘まんで、どこか退屈そうに見つめる。
「我々も何もしていないわけじゃない。ブラックレースそのものの開催も少しずつだが減ってきている。……成果は出ている。強硬な手段を取るのはそれからでも――」
と。
彼女が、そこまで言った時。シリウスは、摘まんでいたポーンで、徐に白いチェス駒――正確に言うならば、白のキングの駒を弾き倒していた。
それを見たルドルフは、思わず言葉を止める。その隙にシリウスは、ソファから立ち上がっていた。
「……眠たい説教なら帰るぜ」
「シリウス」
「安心しろよ。私だって身の程は弁えてる――だからこっちの仕事に口出すなっつってんだ」
「シリウス!」
「お前はそれでいいと思ってるかもしれねぇが」
やや声を荒げるルドルフに怖気づかず、シリウスは動きを止めない。そのまま生徒会室の扉の前に立つと。彼女へ、肩越しに視線をやり。
「……悪いな。私は、『皇帝』サマが重い腰を上げるまでの『取りこぼし』を、無視していいとは思ってねぇ」
「――……」
「じゃあな」
それだけ言い残して。
彼女は、生徒会室から、静かに立ち去っていた。
遠ざかっていく靴音を耳にしながら、ルドルフは弾き倒された白のキングを見つめる。
自然、その口端は、自虐的な笑みに緩く上がっていた。
「……そうだな」
そして、誰にともなく、呟いていた。
「本当に……その通りだよ」
「ミザールちゃんは、何か夢とかあるんですか?」
生徒で賑わう食堂にて、スペシャルウィークさんが唐突に訊ねてきていた。
ちょうどその時、ウオッカさんに羽交い絞めにされたテイオーさんが、ゴルシさんに、フォークに刺したブロッコリーを食べさせられようとしていた。
「へ?」
「あ、いえ。夢というか、目標? どういうのなのかなーって思ったんです」
「あー……」
頬を掻きながら、先日交わしたトレーナーさんとの会話を思い出す。ちょっと気恥ずかしかったけれど、スペさんの透き通った瞳の前だと、そんな羞恥心すらもひどく罪深いもののように思えた。
「……私、北部校っていう、今はもうないトレセン学園の出なんですけど」
「うんうん」
「そこの最後の卒業生四人で、有マに出たいなー……とは、思ってます」
「おぉ~! 素敵な夢ですね!」
目を爛々と輝かせるスペさん。どちらにせよ――照れるというか。ちょっと恥ずかしくなってしまった。
そう。先日トレーナーさんに話したこと――例の騒動も終わって。
改めて私が、ウマ娘としてやっていくにあたっての――目下の目標。
それを設定する時、パッと思い浮かんできたのが、それだった。
カペラちゃん、ヒスイちゃん、コハクちゃん、そして私。
四人で、有マ記念にて、共に走ること。
昔みたいに。大舞台で――思い切り、競い合うこと。
……それで、一番になること。
トレーナーさんは、それに無表情を返していたけれど。きっと内心では、難色を示していたことだろう。
有マ記念に出る、というだけでも大変だというのに。
厄介な課題が、それに上乗せされているのだから。
「じゃあ、その四人のお友達は、もう学園にいるんですか?」
「あ、四人のうちの一人は私だから、あと三人なんですけど……一人以外は、行方すらわかってなくてですね」
「えー! じゃあ、その子たちを見つけて、学園に誘うところから始めないとじゃないですか!」
そう。その課題というのが――彼女らの行方を掴むこと。
その上で、学園に入学してもらって……更に出走できるまでに活躍してもらうこと、だ。
通常のレースというのは、グレードに関わらず、エントリーすれば大抵は出走が可能になる。
出走可能な枠数は決まっているので、枠がいっぱいの場合は抽選になるけれど。そうでなければあぶれるということはまずない。
ただ有マ記念のような、一部の権威あるタイトルはちょっと違っていて――出走枠の抽選の際に、ファンによる人気投票が実施され、それで十位以内に収まったウマ娘は、優先的に出走が可能になるのだ。
もちろん、そうならなかったウマ娘も出走が不可能なわけじゃない――が、なにぶん権威あるタイトルというのは相応に人気なもので。倍率が何倍もある抽選にお祈りを捧げなければならないわけで。
ファンによる投票で少しでも有利になれるよう、活躍しておくことは重要というわけである。
なので、彼女らを見つけ出すのであれば、早い方がいいにはいいのだけど……
「見つけられる宛てはあるんですか?」
「いやぁー……」
……真っ直ぐな彼女の瞳から、思わず目を逸らしてしまった。
そう……今のところ、行方知れずの残り二人――言っちゃうとカペラちゃんとコハクちゃんの行方は、それを掴むための糸口すら見つかっていない。
捜すにしてもどこから始めればいいかもわからないような状態で……一応、トレーナーさんも協力してくれてはいるのだけれど。
特に何の動きもないまま、早数日。
「あはは……まぁ、人探しって簡単じゃないですよね。手がかりもないならなおさら……あれ。でもスマホとかはないんですか?」
「うん。私の地元、本当にびっくりするくらいの田舎だったんで……基本連絡は、手紙か直接訪問だったし、スマホなんてもう……異世界の産物って感じでしたよ」
「じゃあ、簡単に連絡も出来なさそうですね……残念です」
そもそも、連絡出来たなら苦悩もしてないんだよね。地元に手紙を送る、って話も一瞬出てたけど。三人とも、もう地元を出ちゃってるみたいだし。
捜すのなら……
「……地道にやるしかないかなって」
「でも、この辺に住んでるって情報もないんですよね……気が遠くなるような話ですよ」
「それでも、それくらいしか取れる方法が無いですから……」
私が困ったように返すと、スペさんは何事かを考える素振りをする。ちょうどその時、彼女の背後で、テイオーさんがとうとうブロッコリーを食べさせられていた。
顔を青くし、口を抑え、苦悶の表情を浮かべている……けれど。ブロッコリーってそんなにひどい味のする食べ物だったっけ。
「……どんな子たちだったんですか? クラスメイトって」
「へ?」
そのさなかで、スペさんはそう問いかけてきていた。頓狂な私の声に、彼女は可笑しそうに微笑む。
「いえ、知っておけば、私も力になれるかもって思ったので」
「……お気遣い痛み入ります」
「むず痒いなぁ」
可笑しそうな彼女の微笑みは、困ったようなそれに変わる。私もそれに自虐的な微笑みが浮かぶのを感じながら、思案した。
「……そうですね。まず一人目は、ガーネットカペラちゃんって子で、髪は赤くて、結構粗暴な子」
喧嘩っ早いけど根は優しい、カペラちゃん。
「二人目は、緑がかった長い黒髪で、眼鏡かけてる、ヒスイレグルスちゃん」
理知的で、物怖じしないヒスイちゃん。
「三人目は、長い芦毛に低めの身長のコハクダブルスターちゃん」
いつもボーっとしている、マイペースな不思議ちゃんのコハクちゃん。
「で、この私って感じです」
……直近で、実のトレーナーに変わっていると言われたこの私。
以上四名。北部校、16年度の卒業生。
廃校にあたっての――最後のウマ娘。
「なるほどー……あれ? でも確か、ヒスイレグルスって……」
「まぁ、お察しの通りです」
「おい、なんだなんだー? アタシら差し置いて秘密の会議かよー?」
と、そこでガっと肩を組まれた。言葉遣いとあまりにもフレンドリーな介入の仕方、該当する人を私は一人しか知らない……
「……どうもです、ゴルシ先輩」
「なーんでそこで畏まるんだよー。アタシがいじめてるみたいだろー?」
「えへへ、実はミザールちゃんから相談受けてたんです! ゴルシさんもどうですか?」
「おっ、いいのか? 聞かせて聞かせてー、マックちゃんに自慢してやるんだー」
「聞こえてますわよ。そんなので自慢になると思って?」
「おぇ……ま、まだ口の中にブロッコリーが……」
「大丈夫? お水はいる?」
「っていうか、ブロッコリーくらいで悶えすぎでしょ……」
「お、おぉ……そうだな」
「なんでウオッカまで顔青くしてんのよ! しっかりなさい!」
それに続いて、マックイーンさん、テイオーさん、スズカさん、スカーレットさん、そしてウオッカさんの声が聞こえる。
さっきまでスペさんとの会話に集中していたせいか、それらの言葉がひどく懐かしいもののように思えた。
思えた、のだけれど。
……
……冷静に考えると、どういう状況なんだろう、今。