「……なんで髪赤いの?」
校庭の隅っこで、私は無邪気に問いかけていた。
「あ?」
「変な色」
「あぁ?」
そしたらカペラちゃんは、見るからに不機嫌そうに立ち上がっていた。
「オメーこそう●こみてーな色の髪しんてじゃねーかよ。変な色!」
「は!? ●んこじゃないから!! ばーかばーか! 血みたいな髪してきもい! きも髪!!」
「なんだとぉ!?」
「……せんせー、またふたりがけんかしてる」
「もぉー、およしなさいって二人ともー!」
それをコハクちゃんに目撃され、先生に止められる。二人、こってり絞られても、フラストレーションは発散されないままだった。
「この色はイイ色なんだよ!」
「意味わかんないっ」
それに押されるままカペラちゃんは、そう言い、私も対抗する。
にも関わらず。
彼女はどこか、誇らしげに続けるのだ。
「……母さんが褒めてくれたんだ。明るくて、美しい夕陽の色だって」
「お前を見ていると、昔、父さん……じいちゃんに連れられて、河川敷に行ったのを思い出すんだって」
「私の大切な記憶を受け継いだお前は、それはそれは素敵な人になるよって」
「だから、この色は変な色じゃない!」
「――イイ色なんだよ!」
……当時の私には。
その意味は、ほとんど理解出来ていなかった。
静謐な生徒会室に、つらつらと響いていた筆記音が止まっていた。
眼鏡をかけた会長さんの、暖かくも鋭い瞳が、こちらに向けられる。
それに貫かれた私は、思わず姿勢を正していた。
「……すまない、」
会長さんは、視線を手元の書類に戻すと言う。
「よく聞こえなかったみたいだ」
それまでと同じように、書類に何事かを記入しながら、言う。
「……です、から」
それに圧倒されながらも。
私は、勇気を振り絞って、もう一度、言った。
「――ぶ、ブラックレースのことについて、何か、知りませんか?」
再び、手を止めていた。
会長さんは、手にしたペンを置いてしまう。
眼鏡を外し。
机の上で手を組むと。
その――威厳ある。どこか冷徹な目で、私を射抜いていた。
「……」
……ビビらない。
もう、ビビらない。ビビッてなるものか。
私は……この人と、一騎打ちしたんだぞ。
怖いことなんて、ない。
「……理由を」
やがてその口が動き、言葉を紡ぐ。
「まずは聞こうか」
「友だちのためです」
負けじと。
私も、真っ直ぐと、答えを返す。
「友だち」
会長さんは、それを噛み締めるように復唱していた。
「……ご友人が、ブラックレースに関与していると?」
「確証はありません」
「確証がないのに知りたいのか?」
「確証を得るために知りたいんです」
会長さんは、そこで椅子の背もたれに凭れ掛かっていた。
ただでさえ強い威厳が、その行動によって、更に高まる。
「それで……確証を得たならどうする。会場に乗り込むつもりか」
「……そう言ったら笑いますか?」
「
ごくり、と、固唾を呑んでいた。
「私は君を止めるだろうな。いや。止めないといけない。今から投身自殺してきます、という生徒を、そうですかと行かせる生徒会長がどこにいる?」
「そ――そうかもしれませんけれど! それでも、カペ――友達が、そこで必死に生きてるかもしれなくて!」
「
会長さんの目が、明確な威圧感を伴う。底冷えするような感覚に震えながらも。私は……逃げない。飽くまで、相対する。
「そこらの不良のたまり場に行くのとはわけが違うんだ。あそこは現世と地続きの魔界――異世界だ。おいそれと踏み込んで、多大な後悔に襲われた者は数多い。君にまで――本来なら、縁もゆかりもない者にまで、そんな気持ちを抱えてほしくない」
「……」
いや――わかる。
会長さんは、面倒臭いだとか。鬱陶しいだとか、そういう小手先の不快感で私を遠ざけようとしてるんじゃない。
飽くまで、優しさで――こうして、警告してくれているのだ。
今の言い方だって、きっと最大限オブラートに包んだ結果によるものだろう。
本当はこう言いたいはず――『バカなこと考えていないで、勉強しろ』。そう言わないのは……
寄り添ってくれているから。こちらのことも考えてくれているから。
……ありがたいけれど。
そのお気遣いは、痛み入るん、だけど……
「……私から言えることは何もない。わかったら帰りたまえ。私も忙しい」
「……」
会長さんは、眼鏡をかけ直し、書類への記帳を再開する。私は……それを見届けながらも。手を握る。
「……どうしても、駄目ですか」
諦めずに、言う。
「最大限、安全には配慮します。危ないと思ったらすぐ引き返します! そ、それでも……駄目ですか」
縋るように、言う。
「何か、こう、絶対に生きてそのままで帰ってこれるっていう、確証や保証があっても、駄目なんですか? 会長さん」
懇願するように、言う――
「――、会長さん!」
「くどい」
……けれど。
彼女は、とうとう目線すら寄こさず、ペンを走らせる手を止めすらせず、言うのだ。
「もう一度言う。私から言えることはない。諦めなさい」
「……」
「……諦めなさい」
「……、」
……そう言われて、諦め切れるわけがないけれど。
後ろ髪引かれる思いで、ここから、立ち去りたくもないけど。
でも、鉄壁のように、障壁のように聳え立つ彼女の意志は、私には……打ち崩せる気が、しなかった。
「……失礼、します」
悔しさが滲むのを感じながら。
踵を返し、扉を開ける。
もう一度だけ、会長さんの方を、肩越しに見てみるけれど。彼女はやはりこちらを向いていない。
息を吐いて――
私は、生徒会室から退室した。
「……」
……やり場のないこの感情は。
怒りと名付けるには、ちょっと違和感がある。
物に当たるのもなんだか違って。
ただただ、息となって口から放たれるばかり。
……無力感。
そうでなければ、虚無感。
自分だけの力では、どうにもならない大きな問題を目の前にして……
成す術がない。
どうすればいいかわからない。
わからなくて――立ち止まるしかない。
そういう――もどかしさ。
「……、……」
……ただ、抱えて立ち止まってるだけでも。
時間は過ぎるもので。
スマホで確認してみると、トレーニングの開始時間まで、あと少しと迫っていた。
……遅れて怒られるわけにもいかない。
とにかく、グラウンドに行こう――なんて。
考えながら。廊下の奥の方へと、足を向けた時。
「――……」
その人は。
壁に背を預けた状態で、そこにいた。
いや――その人がそこにいたんじゃない。
きっと――そこでようやく、私がその存在に気付いたのだ。
長い暗めの茶髪に、鋭い目つき。
「……シリウスシンボリ、さん?」
「……」
零すように、その人の名前を口にすると。
その目が、ちらとこちらに向けられる。
もしかして、生徒会室が空くのを待っていたのだろうか。だとしたら、申し訳ないことこの上ないので――さっさとその場から退散することにする。
そそくさと。
彼女の目の前を通り過ぎた時。
「――おい」
会長さんとはまた違う、威圧的な声に射抜かれる。
私は、思わず立ち止まり。ゆっくりと、そちらへ振り返っていた。
「……は、はい」
……蛇に睨まれた蛙ってレベルじゃない。全身が強張り、指ひとつ動かすことも出来なくなる。
石像のように直立する私と……
彼女は、壁から背を離し、相対する。
「……」
彼女は、すぐには何も言わない。
一心にこちらに注がれるその視線は、私を品定めしているようにも見える。
そんな時間が、数秒とも、数分ともつかない長さ、流れて。
「ブラックレースに興味があるのか」
「……え」
その末に紡がれた言葉は、私が予想だにしないものだった。
呆然と声を漏らした私に、シリウスさんは、顎で廊下の先を示して、
「来い」
「……」
その迫力は、有無を言わせないものだった。私は言われるまま、歩き出した彼女の背に着いていく。
……そのさなかで、こっそり携帯電話で連絡を済ませる。あて先はトレーナーさん。……『ごめんなさい、ちょっと遅れます』――何がどうなるか、自分には予測出来なかった。
やがて辿り着いたのは、外の渡り廊下、自販機の並ぶ休憩スペース。
「……コーヒーはいけるか?」
自販機の前に立って、彼女は振り返らないまま問いかけてくる。
「あ……ち、ちょっと、難しいですね……」
恐々と答えると、彼女は、そうか、とだけ言って、何かを購入し、私に投げて渡していた。
缶のオレンジジュース。その傍らで、シリウスさんはブラックコーヒーのプルタブを開ける。小気味いい音が響き、どこか優雅に、それに口をつけた。
「……」
「……」
……一息の間。
遠くに威勢のいい声と、学園のチャイムの音が聞こえた。
「……ブラックレースに興味があるのか」
果たして、シリウスさんは、生徒会室前でしたものと同じ問いかけをする。私はそこに来て、ようやくこの行動の真意を理解した。
「……えっと」
なので、慎重に言葉を選びながら、答える。
「興味があるっていうか。行かなきゃならない……って思ってる、っていうか」
「何のために?」
「友達が……関わってるかもしれない、って思ってて……せめて、その確認だけでも、って思ってたんですけど」
「なるほど。美しい友情だな」
「あ……ありがとうございます……?」
なんだろう。皮肉られている気がする。表情が変わらないものだから、ちょっと意図を汲み取り切れない……
「……」
「……」
……そして、この無言である。
あれ、私、悪くないよね。何か間違ったわけじゃ……ないよね。
特に何も訊かれてないし、糾弾されたわけでもないし。口を開く場面じゃ、ないよね……
「『皇帝』サマは」
「え」
「なんつったんだ?」
「……えと」
どうやら、生徒会室での会話は、全部が聞こえていたわけじゃなかったらあしい。私は、また一息置いて……置かせてもらってから、答えた。
「何も、話してもらえませんでした。いや。連れてってください、とか言ったわけじゃないんですけど。それに関する手がかりも……話してもらえなくて」
「そうか」
「はい。それで、まぁ……あはは。そのー、諦め切れない気持ちはあるかなー……って、感じで……」
「……」
「……」
……な。
なんで定期的に、無言の時間が訪れるんだろう。
やっぱり、私の関わり方が間違ってるのかな。その割にこの人、不快そうでもないし……
も、もっと、情報を口にした方が、いいのかな……
「……お前は」
不安に思う傍らで、彼女は言った。
「それが本当に危険なことだと、理解してるか?」
「人並み、には」
「冗談みたいなクソを、目の当たりにする覚悟があるか?」
「……はい」
「行って……後悔したとしても、いいんだな?」
「……」
試すように。
続けられた質問に。私は、再三黙り込んで、自分の想いを確認する。
怖くない、と言ったら嘘になるけど。
恐ろしくない、なんてことは決してないけど。
それでも、それに揺らぎがないことを確かめて、シリウスさんの瞳を、見つめ直した。
「――はい」
「……」
それを受けてか。
シリウスさんは、ぐい、とコーヒーを一気に飲み干す。
空になった缶を颯爽とゴミ箱に投入すると、数歩、渡り廊下へと歩き、振り返らないまま――言った。
「……お前、確か美浦寮だったな」
「あ……はい」
「明日。夜の十時。制服以外の服装で、エントランスに来い」
「……!」
告げられた言葉に、自然、目を見開く。シリウスさんが、それに気付いたかどうかはわからない。
それでも彼女は、こちらに背を向けたまま、言った。
「覚悟があるなら、な」
その声色は。
最後通牒のようだった。