ただ――どちらにせよ。
私の想いは、変わらなかった。
夜の寮を歩き回ることはそうない。
学園側から明確に禁止されているし、歩き回るような用事もないからだ。
どれだけお遊びやトレーニングが詰まったとて、夜七時……遅くとも八時には部屋に落ち着いて寛いでいるし。九時ともなれば、就寝準備に入っている頃合いだ。
実のところ、飽くまで『準備』がその時間からであって、そこからまたダラダラした結果、最終的に眠る時間は遅くなりがちなんだけど……
とにかく、学園に入学してからこっち、真夜中に外を出歩くことなんて全くなかったし、これからもそうそう無いだろうとも思っていた。
それがまさか――こんな形で、破られることになろうとは。
「……」
……寮の消灯時間は、一律夜十時。
廊下の電気は点いているけれど、各空間の電気は消されている。
いつもとは違う様相、まるでホラー映画の中のよう。
壁から得体の知れないモノが、ひょっこりと顔を出したとしても。何ら不思議ではない――薄ら寒い雰囲気。
その中を――誰にも気づかれないよう、悟られもしないよう。出来る限りの忍び足で、歩く。
目的地は――無論、エントランス。
シリウスさんが指定した、集合場所。
どこよりも深い闇へと続く、覚悟の集う場所。
……そろり、と。
その、エントランスを覗き込んだ。
相も変わらず、漆黒の闇に沈んでいるその空間の、中心付近……
「……あ」
そこに、二つの人影があった。
片方は、昨日に見た茶色の長髪。もう片方は、同じくらいの長さの無造作な鹿毛に、ニット帽。
……まさかお供がいる、なんて思っていなかった。
しかし誰だっけ、あの人は。見たことある気がするんだけど。えぇっと……
「――おい」
思い出そうと記憶の引き出しをひっくり返していると、鋭い声がこちらに飛んでくる。見ると、片方の視線が――シリウスさんの目が、こちらへと向けられていた。
「隠れてねぇで出てこい。時間が惜しい」
「……すみません……」
いそいそと彼女らの元へ歩み寄る。いつから気付いていたんだろうか。もしかして最初からかな……
「……『見学』がいるとは聞いてたが。まさかこいつとはな」
辿り着くと、ニット帽の人もまた、私の方を見ていた。シリウスさんと同じくらい、鋭く、どこか威厳ある瞳。
「友達がいるかどうか確かめたいらしい」
「そうか。
「え……えと。初めまして」
口ぶりからして、彼女は私のことを知っているらしかった。けれど、こうして話すのは初めてだ――なので、浅く礼をしながら挨拶をする。
おう、とその人は、フランクに答えていた。
「ナカヤマフェスタだ。まぁ好きに呼んでくれ。……あぁ、そっちの紹介はいらねぇぞ。あんたのことはよく知ってる。『有名人』だからな」
「あ、あー……あははは」
どうして、なんて訊く必要はないだろう。私は……当たり障りなく、苦笑いを返しておいた。
「おし。それじゃあ行くぞ」
「おう」
「……よ、よろしくお願いします……」
てっきり、何か、事前の説明があると思っていた。
けれど、時間を一秒たりとも無駄にしたくないのか、不要だと思ったのか、あるいは単に面倒臭いのか。
いずれにせよ、特段の確認事項も無く、二人は歩き出す。私は、思わず身を縮こまらせながら、その背中に着いていく。
事前に伝達してあるのか、寮の鍵は開いていた。外の世界は――当然ながら、夜更けも夜更け。
誰かの話し声はおろか、有り触れた物音すらろくに響かない世界で、私たちは、敷地を歩いていく。
……
「……」
「……」
「……」
……う。
うわ。
なんだこれ。なんか、これまでに経験したことのない雰囲気。
世間話も無ければ、無駄話も無い。これから向かう先を考えれば、当然ではあるんだけれど。正直、何かしら話くらいはするだろうと思っていた。
……まさか、それすらないとは思っていなかった。厳粛な、口を開くことが禁忌であると思えるような、正直――とんでもなく居心地の悪い空気の中で。
私たちは歩く。ただ、黙々と歩き続ける。
誰一人、単語ひとつ口にしないまま、ただただ、歩いて、歩いて……
「……あ」
やがて、敷地外。
すぐ傍に、灰色のワゴン車が停まっていることに気付く。
私たちがそれに近付くと同時、その車は、荒々しいエンジンの嘶きを上げた。
運転席の窓が開く。
「……やぁ。いい夜だねお三方」
「
短い黒髪に、薄く閉じられた目。その人に、私は見覚えが無かったけれど。シリウスさんとは知己のようで、軽快にやり取りをしていた。
「えと……こ、こんばんは」
「えぇ、こんばんは。はじめまして」
挨拶をすると、彼は浅く頷きながら、言う。
「シリウスの担当です。今日はくれぐれもよろしくお願いしますね――『おおぐま』さん」
「は……はい」
……なんだか底知れなさを感じて、更に縮こまってしまう。それを見てか見ずか、彼は口元の笑みを深くしていた。
「乗れ」
その間に、ナカヤマさんが後部座席の扉を開け、私たち――というより、私に呼びかけてくる。それに従うまま、ワゴン車へと乗り込む。シリウスさんは、助手席へと乗り込んだ。
「では行くよ。シートベルトを忘れずに」
扉が閉じられると同時。担当さんが言い。車は発進した。
振動と共に。
闇の只中へと、走る。……
「……」
「……」
「……」
「……」
……そして。
そして、この無言である。
女は三人寄れば姦しい、とかいう言葉があった気がするんだけど、そんな言葉の制作者がもしこの場にいたなら、困惑の表情でカンペでも出しているかもしれない。『もっと喋って!』だなんて。
でもそんなのお構いなしに、誰もが、ほんの少しも口を開かない。
「……」
担当さんは、前をじっと見つめているし。
「……」
シリウスさんの状態は、後ろからではわからないし。
「……」
隣のナカヤマさんも、窓の外を見つめるばかりで、話になど興味はなさそうだし。
「…………」
……なんか。
誰もがなんか、話しかけんな、と言外に言っているみたいで……
覚悟も決めてきた……つもりなんだけどさ。私の考えてた覚悟って、そういうものじゃなかった。
――やばい。
なんかもう既に、帰りたいかも……!!
「……っ」
い、いやいや。こんなことで挫けてたまるか。めげてたまるか!
そうだ、喋るな、なんて、実際には言われてないんだもの。私が話題を出せばいいんだ。な、何か話題を。何かないか何かないか。
なんでもいい。気になること。この場で、聞けること。聞くべきこと。何かないか、何か……
「……?」
……あれ。
でもそういえば、考えてみれば。私……
この人たちに、まず訊くべきことを、訊いていなかった。
「……あの」
「ん」
「どうして二人は、ブラックレースに?」
漂っていた沈黙を、控えめに切り裂くと。ナカヤマさんは、あー、と思い出したように言っていた。
「人道支援……的な活動かな」
「人道支援……?」
「彼女らは、ブラックレースの参加者を救助しているんですよ」
ナカヤマさんの答えを引き継いだのは、担当さんだった。
「ここに来るというからには、ブラックレースがどのようなものかはご存じでしょう。レースでは無謀な挑戦を――走り方をして、大けがを負ってしまう参加者が後を絶たなくてですね。彼女らは、ブラックレース開催の情報を嗅ぎ付けると、こうして、そのような参加者の救助と回収を行っているんです。
回収された参加者は、理事長の恩赦と共に、トレセン学園への入学を薦められる。薦められるだけで、強制ではありませんがね。そうして、道を踏み外したウマ娘たちの更生のお手伝いをしている、というわけです」
「へ、へぇー……凄いですね……!」
「そうでしょう? ほら、シリウス。もっと喜んでいいんだよ。こんなに活動を褒めてくれる子なんて、久しぶりじゃないか」
「うるせぇよ」
シリウスさんの声は、先ほどまでと変わらない。ただちょっと照れてるように聞こえたのは……気のせいじゃないんじゃないかな、と思う。
「……けど、そううまくいくことばっかりじゃねぇのもまた事実だ」
その中で、ナカヤマさんが深刻そうに言う。
「私たちが出来るのは、飽くまで入学まで導くことだけだ。それ以上のことまでは面倒見切れない――こういう外道なことに足を踏み入れた奴っていうのには、どうしても『箔』が付き纏う。対外的には無かったことに出来ても……心には執拗にこびりつき続ける。
その結果……それから逃げたいがために、結局ブラックレースに戻る奴もいる。実際……入学してからしばらくして、行方を晦ましたと思ったら、レースに戻っていた奴もいた。
そういう奴の末路は悲惨なもんだ。堕ちるところまで堕ちていく。そして最後に……どこで間違えたのか、と後悔しながら、闇の底で終わっていくのさ」
「……」
思わず、固唾を呑む。膝の上に揃えた手も、自然、握っていた。
「……なんて名前なんだ?」
「え」
「その友だちの名前」
「……えと」
やや唐突なナカヤマさんの問いかけに、面食らいながらも、落ち着いて、答えた。
「ガーネットカペラって言います。関わってるとしたら、その子しかないと思うんですけど……」
「ガーネット?」
「へ……?」
が、そこでナカヤマさんは、薄闇の中、眉を顰めていた。
「な、何か……?」
「いや……シリウス」
「柘榴石」
「
「……?」
どうやら――三人が、何かに気付いたみたいだった。ただ私は……目を丸くするしかない。
ガーネット。柘榴石。深紅の宝石――私も、それくらいは一応、知っているつもりだけれど。それが、何かあるのだろうか。
「あ、あの……?」
「最近のブラックレースでな、」
私が言うと。シリウスさんが答えていた。
「絶対的な強さで、一位を取り続けてる奴がいる。確か……初戦から、もう三年くらい経つと聞く。そのあまりの速さと強さ、そして外見から、ブラックレースとしたら異例の、異名で呼ばれている奴だ」
「……『峠のレッドフード』。『ブラックレースの申し子』」
「――!」
シリウスさんに続き、ナカヤマさんが口にした異名に。私は息を呑んでいた。
カペラちゃんの名前の赤。そして髪も――赤色。そう、夕陽のように綺麗な、赤い色……
「もちろん、その異名は……そいつの着ている真っ赤なパーカーから来てるって話だから。名前とかに関係があるとは限らないが」
「……でも、カペラちゃんの髪色は、赤色でした」
ナカヤマさんの言葉に応じた刹那、嫌な胸騒ぎに襲われる。ざわざわと、私にその可能性を口々に呟いた。
――予感がする。
それが、その子と無関係ではないと、何となく、感じる。
「……トレーナー。『連絡』の用意だけしておいてくれ」
シリウスさんも、なんとなしにそれを感じたのだろうか。その声色は、先ほどよりも、神妙になる。
「ふむ。……『行く』つもりかい?」
それに応じて、真田さんの声も神妙になっていた。シリウスさんは、それに、あぁ、と頷き。
その目を、こちらへと向けていた。
何かを決意したような、鋭利な眼光。
「今日は……『深く』『潜る』ぞ」
それが何を意味するのか。
私も、直感的に理解していた。