山奥の峠道。
街灯ひとつないその場所には、本来なら人っ子一人いないはずだ。
いたとしても休憩中だとか、待ち合わせだとか……そういうちょっとした用事で。
大勢が集結してるなんてことは、あるはずがない。
無論、今日がお祭りだとか、特別な行事があるだとか、という話も聞いてはおらず。それを証明するかのような、係員や、誘導員の姿も無かった。
人が集結するような理由なんて。
特別、ないはずだった。
「……」
……でも。
私たちが訪れたそこは、今、薄明かりが灯されていて。
周囲にも、少なくない人々がたむろしている。
ただ、まぁ――ただのそれだけなら、まだ受け入れることは出来たかもしれない。
きっと意味もなくたむろしているんだろう――なんて、勝手に納得出来たかもしれない。
そう――その人たちが。
見るからに、普通の人たちだったのなら。
……受け入れることが出来なかったのは。
正しく、それらの人が、お世辞にも――『普通』とは、言えなさそうだったからだ。
「……」
……右を見る。
「おー、久しぶりだな。今度付き合えよ。見つけたぞ穴場。そう。連中の目も届かなそうなとこ……」
「……」
……左を見る。
「はい、はい。いやー、いつもお世話になってますー……はい。わかりました。またひと月後に……」
「…………」
周囲を、見る……
「んだてめぇ嘗めてんじゃねぇぞ!!」
「っるせんだよ文句ばっか垂れてんじゃねぇ█すぞコラァ!!」
「……」
……な。
なに、この、場所……
覚悟してきた、はずだった。頭の中で全てをイメージして、何を目の当たりにしてもいいように、準備を整えてきた、はずだった。
何があっても、絶対に、手掛かりだけでも見つけてくるんだと、意気込んでいた、はずだった。
はず、だったのだ。
はずだった、のに……
「――……」
目の前のそれらは。
そんな私の覚悟も、準備も、軽々と凌駕していた。
――やばい。
ここは、ヤバい。本当にヤバい。
駄目。
きもい、きもい、こわい……
想像より、何倍も、何十倍も、恐ろしくて。
気持ちの悪い……場所。
「――、――?」
「――、――……」
楽観。笑顔。怒号。悲哀。
それら全部。日常に有り触れているもののはずなのに。ここで目の当たりにしている全部は、ひどくそれからかけ離れているように見える。
全てが全て、汚染されているみたいに、悪意と、敵意に塗れていて。
見ているだけでも。
感じるだけでも。
吐き気すら――催してきて。
……思わず。
思わず――に。
逃げ出したく、なる。
「――!」
その時、ぽん、と背中を軽く叩かれた。
背後へ目を向けると、そこには、灰のニット帽。
「大丈夫か?」
ナカヤマさんは……無表情だったけれど。こちらを真っ直ぐに見つめる瞳に、私は出来る限り強く頷いた。
「……はい。なんとか」
「無理すんなよ」
いつでも引き返せるからな、ということだろう。そこには、ぶっきらぼうな優しさを感じられたけれど。でも……でも。
逃げちゃ、駄目だ。ここまできて、逃げてたまるか。
何をしにここまで来たんだ。何を胸に踏み込んだんだ。ここで逃げたら、何にもならない。
我慢して、強く意志を持って。前へ、進まないと。
探し出さないと。あの子を。
探し出して、そして、連れ出さないと。
こんなところから。
早く、助け出して、あげないと……
「……」
そういうわけで――
今、私たちは……シリウスさんを先頭に、一列になって歩いている。
全ては、私の身の安全を思ってのことだろう。それを認めると、なおのことわかりましたと引き返すわけにもいかなかった。
二人のために。
ここまでしてくれる、先輩のためにも。もっと、気を確かに持たなくちゃ。
「……」
「……」
「……」
相変わらず、私たちの間に会話はない。さっきの短い会話が、とても懐かしいもののように思える。ただ――その沈黙を、今度は自ら破ろう、という気にはならなかった。
そのための気力を――周囲を見回すことに費やす。
真っ赤なパーカー。特徴的なその容姿は、きっと夜中の遠目でもよくわかるだろう。
無論、それがカペラちゃん本人だと決まったわけじゃないけど。何らかの手掛かりにはなりそうな気はする。
それを探し出すことが――何にしても、現状の史上目的であると思う。
だから――目を皿にして、探し回る。
何一つ、ほんの少しの手掛かりも、見逃さないよう。見回し続ける――けれど。
けれど……
「……」
右にも。
左にも。
ついでに、後ろにも、前にも……
そのような服装の誰かは、見当たらなかった。
赤と別の色のツートンカラーとか。赤くてもスーツだとか。赤い髪でも、見るからにガタイのいい大男だとか。微妙に違うものばかり。
記憶に合致しそうな、求めている者に一致しそうな。
誰かは。捜し人は――
……一向に。見つからない。
「……いないな」
やがて立ち止まったシリウスさんは、後頭部を掻きながら言っていた。
「あんだけ真っ赤なパーカー着てたら、すぐわかりそうなもんなんだが」
「まだ着いてないのかもしれないな。いつも出走直前に来るって聞くし」
「……」
……カペラちゃんは、昔から時間にルーズだ。遅刻も無断欠席も、何回やってたかわからない。もし当人だとしたら、その癖、未だに治ってないんだな……
「出直すか?」
「いや。もう少し粘ろう。ここまで『潜って』おいて、収穫ゼロは無しだろ」
「……ごめんなさい」
もう、救助だとか活動だとか抜きに。一心に協力してくれる二人に……思わず、謝罪していた。
「私が、無茶なこと言うから……」
「は。これくらい、無茶にも迷惑にも入らねぇよ。自惚れんな」
すると、シリウスさんは、恥ずかしがることもなく言う。
「どっちにしろ、そいつがいるなら、私たちの『目的』でもある。利害の一致だ。……無駄話する余裕があるなら、捜すぞ」
「……はい」
その不器用な気遣いに感謝しながら、私も、気を入れ直す。
「……」
その想いを無駄にしないためにも――
もう一度、周囲を見回す。
先ほどよりも注意深く、ひとひらの気付きも見逃さないよう。
あの子の断片を、捜す。
「……、……」
どこかにいるはず。
きっといるはず。
必ず、見つかるはず――と。
捜して。
捜して。
捜して――……
「――……!」
……果たして。
私の目は、捉えていた。
「……あれ」
「あ?」
多くの人だかりの奥の方――
別の人の陰に、消えていく――
深紅の、パーカー姿が――!
「――っ!!」
私は。
一目散に、走り出していた。
目の前の人と人、車両や何かの台、の間を縫って、走る。
ぶつかりそうになりながら。
怒号を浴びながら。
ほどほどに、謝罪しながら――
「――!」
その末に。
姿が見える。
見るからに改造されているであろう、ごつい車の前。
その子は……いた。
「――……」
他に、誰もいない。
その子一人が、立ち尽くしているだけ。
誰かを捜しているように見える、その子に、私は。
……息を吸って。
「カペラちゃん!!」
目一杯に。
その名を、呼んだ。
そして、振り返ったその顔は。
記憶の中の顔を、合致していた。
……
何よりも。
「……ミ」
その子は。
口にしていたのだ。
「ミザール……?」
……カペラちゃんは。
見た目こそ荒々しいけれど、その声はとても美しかった。
先生の誰もが。
村民の誰もが。
宝石みたいな声だ、と語っていた。
私たちがバラバラになって、もう六年になる。
きっと成長して、色々変わっているだろう、と思っていたのだけれど。
彼女のその声は。
相変わらず、だった。
「カペラちゃん……」
その名を呼ぶ。
名を呼ぶごとに、胸が熱くなる。
見つけた、と。
辿り着いた、と。
思わず、泣きそうに、なる……
「カペラちゃん……!」
「……お前」
……対して。
「――なんで」
「……」
彼女の声は、明らかに、呆気に取られていた。
目の前で起きている状況が、よく理解出来ていないように見える。
私は、それに動揺せず。出来るだけ平静を保ちながら、一つ一つ、言葉を、慎重に、選ぶ……
「……カペラちゃん」
ゆっくりと。
紡ぐ。
「……なんで、こんなとこにいるの」
オウム返しみたいになったけれど、まずはそこから。
なぜ、こんなところにいるのか。
どうして、こんな危険な場所にいるのか。
気になって仕方がなくて。まず、最初に問いかける。
「なんで……こんな危ない場所に」
「……そりゃあたしの台詞じゃねえか」
でも、カペラちゃんは、どこか馬鹿にした風に笑って言うのだ。
「先に質問に答えろよ。なんでお前は……ここにいるんだ」
「あ……なたを。捜しに来たの」
慎重に。
飽くまで慎重に。ガラスに触れるように、言葉を紡ぐ。
「その……色々あって、もしかしたら、って思って、来て……その」
「そっか。ありがとな」
「う、うん……」
「で?」
……え?
で……で? って……
「え……?」
「えじゃねーよ。で? って聞いたんだよ。それで、なんだよ」
彼女の言葉に。
今度は、私が呆気にとられる番だった。
「あたしと会う、って目的はこれで果たされたろ。お前がもうこれ以上ここに居る理由はないだろ」
「え……え? いや、でも」
「とっとと帰れよ」
困惑する私をよそに。
ぴしゃりと、彼女は言う。
「ここはお前がいるべき場所じゃねえ」
「そ――それはカペラちゃんも」
「あたしも同じだってか? はは、目ぇ腐ってんじゃねえか」
ざり。
カペラちゃんが一歩を踏み込み、砂利が音を立てる。
「――なあ。あたし観たぜ、映像」
「え……?」
ざり。
さらに一歩を踏み込み、また、砂利が、音を立てる。
「すげーよなぁ。あんな特大ビジョンに映し出されて、特集まで組まれちまってよ」
「い、いや……あんなの、大したことじゃ……」
ざり――
もう一歩踏み込んで。
砂利は、嘲笑うように、毎度、毎度、耳障りに、音を上げる――
「――あたしなんかじゃ、到底及ばねえ場所だ」
「そ――そんなことない。カペラちゃんだって、来てみれば――」
「――知った口利いてんじゃねえ!!」
瞬間――
身体が、彼女の方向に引き寄せられる。
襟首を掴まれた、と理解したのは。
一瞬、遅れてのことだった。
「わざわざこんなクソの掃き溜めまでご訪問しておいて、来てみれば、だぁ? そんなことない、だぁ? おい、まさかあたしをそこに連れてこうってんじゃねえだろうな」
「そ……それは」
「――図星かよ」
――手を離される。
解放されて、距離を置かれた。
カペラちゃんは。
私に……背を向けている。
「……早く帰れよ傲慢野郎。ここはお前のいるべき場所じゃねえ」
「い――いやでも、カペラちゃんだって――」
「カペラカペラうるせえな!!」
怒号と共に。
彼女はまた、こちらを振り向いていた――その瞳は。
憤怒の炎で。
めらめらと。燃え滾っていた。
「……あたしは『フード』だ」
「え……」
「カペラは……もう、死んだ」
その瞳を。
隠さないまま。
「そんなやつ……もう、どこにもいない」
「は……はぁ……?」
――ちょっと待って。
ちょっと、待ってよ。
「なに……言ってんの。それじゃ、みんなのこと……」
「みんな? 誰だよそれ。最近会ったタナカのことか? あー、そういやあいつ、あたしに一回ヤらねえかってはした金渡してきたな」
「先生のことは? 村の人たちも……」
「この場所で生きてくための先生ならいたな。もうそいつもくたばったけど。村? 村ってあれか。ムラタのことか。あいつもなかなかクソなやつで――」
「真面目に答えてよ!!」
「真面目に答えてんだよ!! 何度も言わせんな!!」
……わからない。
わからないよ、カペラちゃん。
「お前みたいなやつ――知らねえ」
「……」
――ぱきん、と。
心の中で、何かが折れた気がする。
呆然と、立ち尽くして。
呼吸すら、忘れそうになる。
「…………」
何か言わなきゃ。
何か言わなきゃ、いけないのに。
何も言えない。
何も出来ない。
目の前にいる彼女が。今確かに、すぐ傍にいるはずの彼女が――
うそみたいに、
冗談みたいに、遠い。