16年度の卒業生   作:Ray May

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玄界領域 p5

-◆◇◆-

 

 

 

 サイレンの音が、辺りに響き始める。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 カペラちゃんは。

 問題を一人で抱え込みがちなところがあった。昔から。

 軽めの問題から、重大な問題まで。終ぞ明らかにならなかったものも、多少なりともあるだろう。

 問題が明るみに出るたびに思ったものだ。相談してくれればよかったのにと。手伝うことが出来たのにと。

 彼女は人前で気丈に振舞うことを得意とする一方で――

 

 個人的に何かを頼むことを、極度に遠慮する子だった。

 

 ……例えば、北部校で、夏休みが終わる直前。

 わざわざ私の家に遊びに来て、こんなことを言っていた。

 

 

「――いやー、やべーわー、宿題終わってねーわー!!」

 

 

 あからさまに、わかりやすく、聞こえるように、言っていた。

 

 

「やべーわー!! マジやべーわ!! このままじゃ先生に怒られちゃうわー!! いやー!! まずいわー!! ……」

 

 

 ……それに私は。

 

「そうなんだー」

 

 淡白に答えていた。

 

 

「……」

「……」

 

 

 ミンミンとセミの大合唱が会話の間隙を埋め、このまま『完』の字がせりあがってきてもおかしくない空気。

 

 

「――いやそこは手伝うよって言えよ!! 親友が困ってんだぞ!!」

 

 しばらくして。

 カペラちゃんは、大絶叫をかます。

 

「えー? ごめーん。私バカだからワカンナーイ。言ってくれなきゃわかんないよー」

 

 それに私は、悪魔的な笑顔を浮かべて。

 

「言ってみ? カペラちゃん」

 

 言うのだ――借り作れる! と。

 

「私に、どうしてほしいか」

「……っ」

 

 すると彼女は。

 いかにも恥ずかし気に、悔し気に。こう言っていた。

 

「――くれ」

「ん?」

「――だあぁぁ、もぉ!!」

 

 

 何かに襲われたみたいな、更なる絶叫をかましてから。

 

 

「……助けて、くれ」

 

 絞り出したように。

 言っていたのである。

 

 

「あたしの宿題。手伝ってくれっ」

 

 

「――うんっ」

 

 

 それに私は気を良くして。

 

 

「いいよっ」

 

 

 満面の笑みと共に、彼女を助けるのだ。……

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 私は、トレーナーさんの乗ってきた黒塗りのワゴン車で。

 シリウスさんとナカヤマさんは、グレーのワゴン車で。それぞれ、学園に戻ってきていた。

 

「――おつかれ。報酬だ」

「ウス」

 

 各々、各々のやり取りをする。

 

「また何かあったら頼む」

「ヘイ、ダディ、コンド、カエル。バベキュースル。イッショニ」

「おー、そりゃ素敵なアイデアだ。空けとくよ」

 

 あの大きな男の人は、それを最後に、その場から歩き去り。

 トレーナーさんは、しばし沈黙する。

 

「……明日は休みにする」

 

 それから、言っていた。

 

「気持ちの整理が付いたら連絡しろ。説教もそれからだ」

「……」

「じゃあな」

 

 私の返事を待たないまま。

 彼は車に乗り、そこから立ち去る。

 あとに残されたのは、私と、シリウスさんたちだけ。

 そちらに近付くことも出来ず――私は、立ち尽くしていた。

 足に。

 足枷でもつけられた、みたいに。

 

 

「――ナカヤマ」

 

 

 目の前を、灰のワゴン車が通り過ぎる。

 そのすぐ後に、シリウスさんの声が聞こえた。

 

「悪い。先帰っててくれ」

「……あぁ」

 

 ナカヤマさんは、多くを語らなかった。

 

「あんま遅くなんなよ」

「おう」

 

 足音が遠ざかり。

 彼女が立ち去ったことを感じる。

 また別の足音が近付いて。

 私の隣で止まった。

 ……彼女は。

 シリウスさんは。何も言わない。

 

 

「……」

「……」

 

 

 二人、何を語るでもなく。

 頭上に煌めく星々を、見つめる。

 

「……お前は」

 

 どれだけ時間が経ったかわからない。

 やがてシリウスさんは……口を開いていた。

 

()()()()の理想を知ってるか?」

「……あの」

 

 絞り出した自分の声は。

 まるで老人のように、小さかった。

 

「全てのウマ娘が幸福であるように……っていう」

「あぁ、そうだ。……百点満点」

 

 シリウスさんがそこで浮かべた笑みは、どこか自虐的だった。

 

「それをあいつと話したのは……もう何年も前になる。甘ったるい理想論だな、と思ったし……正直今でもそう思ってる」

 

 そして、言う。

 

「でも当時……まだ洟垂れだった私は、嫌がらせのつもりでこう訊いたのさ。……『じゃあ『皇帝』サマには、全てのウマ娘が不幸に見えてんだな』ってな」

 

 その視線が、こちらへと、向けられた。

 

「……そしたらあいつ。どうしたと思う」

 

 答えに窮したのを察したのだろうか。

 私が、無言を返すと、彼女は、言った。

 

 

「笑ってたよ。手を叩いてな」

「……笑った」

「あぁ。『その発想はなかった』ってな。至極面白そうに笑って……元に戻ったら。締めとばかりにこう言ったんだ。

 

 

 ――『そうだと言ったらどうする』、ってな」

 

 

「……」

 

 私は。

 答えられなかった。

 

 

「……考えてみりゃ当然だ」

 

 彼女は。

 言う。

 

「誰かを幸福にしたい。誰かを救いたい。そういう発想は、事実としてそいつが不幸であるか、未確定の未来を確定させるためにだけ出てくるもんだ。実際……この世界の幸福は等量だ。誰かが幸福になるためには、別の誰かが不幸にならなきゃいけない。そういう法則(クソ)の上に成り立ってる。……あいつは。

 

 そのルールを覆したいんだろう。真の意味で、誰もが幸福であるように。不幸に一生を終えないように。誰も彼もを……救いたいんだろう」

 

「……」

 

 

 ……そんな話を。

 随分前に、あの人から聞いたような、気がする。

 

 

 

『哀しいかな……いつの世も、天秤の双方が救われる都合のいい選択など我々の手中には無い』

『何かを得るためには何かを犠牲にしなければならず、何かが幸福になるためには、』

『何かが……不幸にならなくては、ならない』

 

 

 

「……でもな」

 

 シリウスさんは、続ける。

 

「そんなことはほぼ不可能だ。あいつの掌はとてつもなく大きい。この世のウマ娘のほとんどを受け止められているかもしれないが……それでも取りこぼしは出てくる。

 偉大な『皇帝』サマの掌に受け止められず、落ちこぼれる者も絶対に出てくる。だから私は……

 その『取りこぼし』を、受け止めてやってるのさ。『皇帝』サマは、上を見上げるのに必死だからな」

 

 シリウスさんは、自分の掌を見つめた。

 

「それで衝突したことも、何度もあった。でも私は後悔していない。正直これが……健全な状態だとすら思ってる。あいつの理想は途方もなくて、甘ったるいが……その陰で支えるのも、まぁ、悪くはねぇかってな。勘違いされやすいんだけどな――

 別に私は、あいつの理想を悪く思っちゃいねぇよ。誰もが幸福になれる世界。そんな世界が来ればどれだけいいことか。ただ……ちょっと難しいんじゃねぇかってだけの話だ」

「……シリウスさん」

「でも」

 

 思わず、彼女の名を零すも。そこで、彼女の声は、翳りを帯びた。

 

 

「……それでも、取りこぼしは出る」

 

 

 カペラちゃんの姿が。

 そこで、過ぎる。

 

 

「私の掌にも、あいつの掌にも、限度はある。二人で結託して、受け止めようとしたところで……全部を取りこぼさない、なんてことは無理だ。あいつの掌も。私の掌もすり抜けた奴は……どこにも引っかからず、誰にも受け止められず、ただただ、落ちて、落ちて、落ちていく。

 

 そしてやがて……辿り着く。それはこの世のどん底。この世の闇の、深みの深みの、更に奥深く。誰も彼もが、近寄ることすら躊躇うほどの、一寸先も見えない暗闇の果て、その果ての果て」

 

 シリウスさんの目が。

 暗闇の中、私を捉えていた。

 

 

「……『あいつ』がいるのは、そういう場所だ」

 

 

「……」

「いいか、」

 

 諭すように。

 彼女は言う。

 

「お前があいつを救おうとするのは自由だ。私も止める気はない……だがそれをやり続けることがどういうことか……ゆめゆめ忘れるな。その友情は『美しい』が……天秤は常に誤っちゃいけない」

 

 言う。

 

「命は……一度きりなんだからな」

「……」

「……、じゃあな」

 

 言って。

 彼女も、とうとう、そこから立ち去る。

 

「…………」

 

 私は。

 すぐには立ち去れなくて。

 徐に、空を見上げていた。

 星々は、相変わらず、爛々と、輝いている。……

 

 

 ……いつもより。

 遠くに感じられた。

 

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