16年度の卒業生   作:Ray May

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鋼の意志 p1

-◆◇◆-

 

 

 

 正直な話、ミザールの担当は、彼女の状況を心配していた。

 

「……」

 

 彼女が、無断でブラックレースの会場を訪れたのが、つい二日前。

 あんな、本来ならば目の当たりにすることもない『クソ』の掃き溜めを目撃し、それだけでも精神的にダメージがあったろうに、例の友人に関する収穫は、ほんの僅かと言って差し支えないもの。

 それどころか、友人に拒絶されたというのは――むしろ行かなければ良かったと後悔してもおかしくないほどのものだ。

 直近に大きなレースは予定していないものの、トレーニングへの影響を注視せずにはいられない。

 必要ならば、更なる休息日が必要だろう――とすら、彼は考えていた。

 

 だが結果として――

 そのような心配は、杞憂に終わっていた。

 

「……」

 

 否、それどころか。

 その日、彼女が出した記録は、彼女自身の最高記録にひっ迫するほどのものだった。

 

 いつも以上の荒々しさ。いつも以上のしなやかさ。いつも以上の――速さ。

 目の前に何か、明確な目標を見定めているかのような――迷いのない、鮮やかな走り。

 その変貌ぶりは、彼女が何かをしている、あるいはしようとしていることを、彼に予感させるには十分なものだった。

 故に――その記録を、複雑な気持ちで分析する。

 

 ありのまま受け入れていいものか。

 それとも、何か声を掛けるべきなのか。

 

「トレーナー!」

 

 思案する彼の元に、担当が――サファイアミザールが駆けてくる。おう、と彼は、彼女に当たり障りない返事をした。

 

「どうでしたか? 今日は……」

「あー……」

 

 いつになく真っ直ぐに聞いてくる彼女に、逆に不安が増大したのを感じながらも、彼はともかく、と、伝えるべきことを伝える。時間も時間なので、その日のトレーニングは、それで終了となった。

 

「お疲れ様でしたっ、また明日!」

「……」

 

 にも関わらず。

 ミザールは、荷物を纏めると、慌ただしく走り出そうとする。

 見るからに、この後何かすることがあるとでも言いたげに。

 

「……ミザール」

 

 それが何なのか、彼には知る由もないが。

 それでも、このまま行かせれば、その勢いのまま、どぶ川にでも嵌まってしまいそうだったために、彼は諭すように声を掛けた。

 

「無理すんなよ」

「……」

 

 ミザールは、一瞬、その言葉の真意を測りかねたようだが。

 もう一瞬で、嬉しそうに口端を緩ませると。

 

 

「――はい!」

 

 

 元気よく返事をし、その場から走り去っていた。

 何をしているにしろ、追及したところで答えないだろう。

 ならばここは様子見に徹するか――と、彼は考える。

 

 ただ、それはそれとして。

 また以前のように、危なっかしい場所に、無断で立ち入ることがあっても困る。

 予防策として――

 

『確認』は常に怠らないようにしておこう、と携帯電話に目を落とした。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 そこには、地図アプリが起動しており。

『安全』と文字の振られた、緑色の領域の中を。

『M』というアルファベットの振られた青い点が、点滅しながら動いている様子が映っていた。

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 トレセン学園校舎内。

 とある階段の踊り場にて、 壁が砕けたのではないか、と思ってしまうほどの、激しく、物騒な殴打音が響いた。

 それは、シンボリルドルフが、シリウスシンボリの肩裾を掴み、壁へと強く叩きつけたことによって起きたものだった。

 

「……」

「……」

 

 それにも関わらず、シリウスは、顔色一つ変えずに、目の前のルドルフを見つめるだけ。

 朴訥とした表情で、彼女へと視線を投げかけるだけだ。

 対照的に。

 その行為の張本人――ルドルフはというと、激昂に顔を顰めていた。

 仇敵を目の当たりにしたかのように。

 眉は吊り上がり、瞳は、威圧的に燃えていた。

 

 

「……痛ぇな」

 

 

 やがて。シリウスが口を開く。

 

「離せよ」

「……どういうつもりだ」

「離せっつってんだろ」

「どういうつもりだと訊いている!!」

 

 ルドルフの怒号が、辺りに響き渡る。それに応じたように、他の生徒のものと思われる靴音が、そそくさと遠ざかっていった。

 

「……別に()()が個人的にあのような活動に勤しむのは構わない」

 

 ルドルフは、シリウスに続ける。

 

「だが無関係な生徒を巻き込むな!! 一歩間違えれば、取り返しのつかないことになっていたかもしれないんだぞ!!」

「……」

 

 ぴくり、とシリウスの眉が動く。彼女は、右手を動かし――肩裾を掴む、ルドルフの右手を掴んだ。

 

「……無関係じゃねぇよ」

「あ……!?」

「『峠のレッドフード』。奴がミザールの友人だって確認が取れた」

「結果論だろう。それで何の収穫も無かったら、どうするつもりだったんだ」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『皇帝』サマには無意味に映るかもしれねぇが。『アイツ』には大きな収穫だ」

「……巫山戯(ふざけ)ているのか」

「ふざけてあんなこと出来るかよ」

 

 二人、じりじりと睨み合う。また別の靴音が、二人の近くで止まり、やがて遠ざかっていった。

 

「……何もしないままじゃ何も始まらない。あんたにもわかるだろ。虎穴に入らずんば……ってやつだ。結果論かもしれねぇけどな。それこそああしてなかったら、()()()は貴重な時間をさらに無駄遣いするところだった」

 

 ルドルフは答えない。

 

「まぁ、危ない目に遭いかけたのは事実だけどな。その辺は謝る。悪かった」

 

 ルドルフは、答えない。

 

「次があったら……いや、たぶんねぇだろうが。もう少し準備を万全にしていく。そうだな。アイツのトレーナーは、何か弱みを握ってるらしいから。トレーナーに引率を依頼して……」

「……シリウス」

 

 それでもなお話し続けるシリウスに、ルドルフは視線を下げ。

 先ほどとは正反対の、弱々しい声で言った。

 

「……もう、やめてくれ」

 

 嘆くように。

 縋るように、言った。

 

「君のやりたいことはわかる。私の力が足りないのも……わかる。でもそれは、君がやるべきことじゃない。君が、自身を危険に晒してまでやらなくてもいいことだ。代わりは……他にもいるはずだ……

 

 ――いや、いや。そういう意味じゃない。見捨てろということじゃない。盥回しにしろ、ということでもない。だがそれは……仕方のないことだ。しようのないことなんだ。今、無理に規則に逆らってまで、やるべきことではないんだよ! わかるだろう……!?

 

 きっと、彼女らを助け出す。そのための地盤を整える。辛抱だ。辛抱すれば道は開ける。光はいつか差すんだ。だから……だから。

 

 

 ……頼むから。もう、やめてくれ……」

 

 

「……」

 

 それは。

 ルドルフの、心からの懇願だった。

 使命と本心の狭間で揺れ動く、心の本音。シリウスは、その揺らめきを肌で感じ取り――

 その懇願を、汲み取ってやりたいと考えると同時に。

 それでも、背くまでの理由がある、とも考えた。

 

「……()()()()

 

 シリウスは、その末に言う。

 

「いい加減気づけよ。泥でもがく奴を救うには……自分も泥に塗れるしかねぇんだ」

 

 答えないルドルフの右手を。

 シリウスは、そっと退ける。

 その腕に、先ほどまでの荒々しさも、力強さも無かった。

 華奢で、今にも折れてしまいそうな、細腕。

 

「お前の言い分もわかってる。だが私には……やっぱり、その間に零れ落ちた連中を、見捨てることは出来ない。

 

 安心しろよ。お前の活動を、妨害したりしない。だから、『光』(そっち)『光』(そっち)でやっててくれ。『闇』(こっち)『闇』(こっち)で勝手にやる。目指すところが同じなんだから……きっとそこで逢える」

 

 ルドルフは――

 やはり、何も言わない。

 だが、シリウスも、彼女の返事を待たなかった。

 

「じゃあな」

 

 別れの挨拶もほどほどに。

 階段を、颯爽と下りていく。

 取り残されたルドルフは。

 その場に立ち尽くす。

 どこか遠くから、楽しげな談笑が反響し。

 それに紛れるように、靴音が、彼女の元へと近づいてきた。

 

 

「――お」

 

 

 それが、程なく止まったかと思うと。

 不思議そうな――しかし楽しげな声が響く。

 

「ションボリルドルフ発見?」

「……」

 

 ルドルフは、ゆっくりとその声の方向に振り向く。

 そして真っ先に目に入る、“CB”という装飾の着いた、特徴的な白いミニハット。

 

「……シービー」

「どうしたどうしたー? そんな死にそうな顔してるなんて、らしくないじゃん」

「色々、あって」

 

 彼女――ミスターシービーは。俯くルドルフに近付くと、その顔を、覗き込むように観察する。

 

「んー、喧嘩したってわけじゃなさそうだね。ただお腹が減ってるとかでもなさそうだ。……あ。もしかして恋バナ? うん。有り得るかも。キミも年頃の女の子だもんね。そういう浮ついた話のひとつやふたつ――」

「――っ」

 

 マイペースに話す彼女に、ルドルフは、唐突に身を寄せていた。

 その肩に自身の額を押し付け、小刻みに肩を震わせる。

 

「……おー、これは重症だ」

「……シービー」

「うん」

 

 その行動にも動じず、シービーは、そっとルドルフの両肩に手を乗せる。娘を見守る母のように。その瞳には、慈愛の明りが灯っていた。

 

 

「私だって……みんなを救いたい。みんなを、幸せにしたい」

 

「うん」

 

「でも、出来ないんだ。それをするには、私の手は……あまりに、小さ過ぎる。私の力は、あまりに、か弱すぎる。零れ落ちた者の悲痛なんて、いくら考えたかもわからない。決して忘れたことはない。あの顔、あの声、あの苦しみ……」

 

「うん」

 

「私だって……私だって。シリウスのように、やりたいんだ。でも、でも……」

 

「うん」

 

「……出来ないんだ」

 

 ただただ、頷くシービーに。救いを求めるように、ルドルフは言った。

 

「出来ないんだよ……シービー……」

 

「うん……」

「……っ」

 

 

 その言葉を最後に、ルドルフの声は、嗚咽交じりの涙声に変わる。それを、困ったように微笑みながら、シービーは見つめた。

 

「……おう、泣け泣け」

 

 それでも、その背を優しく抱きながら。頭を撫でながら。呼びかけていた。

 

「アタシが、どーんと受け止めたげるよ」

 

 それに甘えるように。

 ルドルフは。『皇帝』と呼ばれた少女は。ただただ、泣き続けた。

 

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