「――なーんか、怪しくねぇ?」
ある日のお昼時、生徒で賑わう食堂で、ゴールドシップが言っていた。
「……何がやねん」
それに、対面に座っていたタマモクロスが応じる。するとゴールドシップは、威勢よくガッツポーズを決めていた。
「だぁからミザールだよ! アイツ、昨日もなんか、トレーニング終わるなりそそくさ逃げてったろ? 付き合い悪いぜー、せっかくゴルシ様が『ヘラクレスオオカブトとチンアナゴの邂逅展』に連れてってやろうってんのにさぁ」
「それ普通に自分から逃げてんのとちゃうか……?」
なんだその絶妙にそそられるようでそそられない美術展は、と思いながらも、タマモクロスは思案する。ゴールドシップの発想がどうであれ、彼女がここ最近、放課後に慌てて去っていることは事実だった。
トレーニングの後然り。
トレーニングのない放課後然り。
これまで、誘われればなんだかんだで付き合ってくれた彼女だからこそ、そのような姿を何度か見ていると――なるほどそれは確かに、不審に思うのも無理はないな、と思う。
「……私たちに隠れて、秘密のトレーニングでもしてるのかしら」
パンを千切りながら、ひとつの可能性を口にするのは、サイレンススズカだ。
彼女の瞳にもまた、どこか寂しげな色が灯る。
「だとしたら素っ気ないわね。私も一緒に走りたいのに……」
「誰かを蔑ろにするようなタイプとちゃうからなぁ。ホンマにウチらに言えへん用事があるんかもなぁ」
「……ブラックレースか?」
「それこそあり得へんやろ。自分でももう二度と行かへん言うてたし」
「でも……ちょっと心配になるわよね。ブラックレースじゃなくても……何か危ないことに手を染めていたら……」
「――お。噂をすれば」
そこで、ゴールドシップが呟く。タマモクロスとスズカの目は、それに弾かれたように、ゴールドシップの視線の先へ。そこには、トレーを戻し、どこか慌ただしく食堂から出ていくミザールの姿があった。
三人はそれを見届け、顔を見合わせる。
「……昼でもなんかやってんのか」
「謎は深まるばかりね」
「――よっしゃ! こないにうじうじ悩んでてもしゃあないわ!」
二人が首を傾げる中。タマモクロスは思い立つ。
「二人とも、今日の放課後は空いとんな? 空いとるな! よし! ちょい付き合えや!」
「有無を言わさねーなぁ」
「何をするつもりですか?」
スズカの問いかけに、タマモクロスは、どこからか何かを取り出し、答える。
「んなもん決まっとるやん――」
それは――いかにも、富豪気取りが装着しそうな、矢鱈にレンズ部分の大きいサングラスであり。
「尾行やん!」
それを掛けながら。
彼女は、高らかに宣言していた。
その日の放課後、商店街にて。
各々サングラスを掛けたゴールドシップ、タマモクロス、サイレンススズカは、名も無き建物の影から、『その姿』を見つめていた。
多くの人の行き交う、その道の真ん中で。
彼女は――サファイアミザールは、一人、『何か』をしていた。
「……あれは」
「……えぇ」
「……せやな」
三人は、それを見ただけで、ある一致した答えに辿り着く。それはひとえに、彼女が、一目見ただけでそれとわかる行動をしていたからだった。
「ビラ配りか」
「ビラ配りね」
「ビラ配りやな」
ただ、それでもわからないことはあった。
「なんであんなことしてんだ? バイトか?」
「でもバイトにしては……ちょっとこう、小さ過ぎない? そもそも、バイトするには許可が必要なはずよ」
「アイツの家が特別貧しい、って話も聞かねーしなー」
「でもそれ以外にビラを配る理由なんて……」
「……人捜し」
その末、タマモクロスの言った推測に、二人は、あー、と感心した声を上げた。
「そっか。アイツ今、友だち捜してんだっけ」
「ガーネットカペラ……だったわよね。結局ブラックレースの……今の一番っていう」
「スズカが興味津々だったのが、記憶に新しいですぞ」
「あ、あれはちょっと気になっただけで……」
「……なっとらんな」
「ん?」
「へ?」
「あんなんで人捜しが終わるかい」
「あ、おい!」
そこまで言うと、タマモクロスは、物陰から飛び出す。残された二人も、慌てて彼女の後を追いかけた。
ぶち当たった壁はあまりに高く、分厚くて、私に、諦めろと執拗に囁いてくる。
実際、それが正しいのだと思う。元々、無謀な夢だったのだ。
ただでさえ難しい目標を、更に難しくているのは私自身。
それぞれの道があって、それぞれの生き方がある。それぞれの居場所があって、それぞれの人生があって……誰もそれを否定できない。侵害もできない。
シリウスさんの言葉が、刃物みたいに胸を突き刺してくる。天秤――そうだと思う。あそこまで入れ込んで、果たしてどうするっていうんだ。
命を無駄にする。
生を棒に振る。
二度とは戻らない時間を無為に過ごさないためにも、私は私の命を生きなくちゃいけない。
私の夢を目指さなきゃいけない。目標を達さないといけない。
全てを、諦めなくちゃいけない――そう思わないといけないと思うし、そうした方がいいとも思う。
けれど――それでも。あの、ブラックレースに潜入した後。
色々考えて、感じて、整理して、噛み締めて……それでも、私の意志は、それをすんなりと受け入れることが出来なかった。
簡単に、諦めることを選べなかった。
……手は届かなかったかもしれない。
けれど、届かせるための場所はわかったのだ。
そこまでわかって、ここまで来て――引き返して、無かったことにするだなんて。
やっぱり私には……出来そうになかった。
「あ、あの、お願いします!」
……お昼。出来る限り似せた、『あの子』の似顔絵を描いて。
それを基にビラを作って。
「え、えと! お願い、します!」
トレーニングの後。そうでもない放課後。何にしても違わず、こうして商店街に繰り出して、情報を集めて、何日か。
未だにビラを受け取ってくれた人は、数えるくらいしかいない。
まるでそれは、世界そのものが、丸ごと私を嘲笑っているみたいに思えた。
無駄なことをするな、無為に時間を過ごすな。早々に投げ出して、元の日常へ戻ってしまえ――そう、迫っているように思われた。
でも……だから。
だからこそ。
「――っ」
簡単に、投げ出そうと、思えなかった。
だからこそ、負けてたまるかと、奮起した。
黙ってろと、立ち上がった。
わかっている、無駄になるかもしれないことも。
わかっている、無為に終わるかもしれないことも。
全部、全部、わかってる。自分のためにならないってこと。もう、重々、承知の上だ。
承知の上で。
私は……この道を選ぶ。
いいでしょ。別に、トレーニングをサボってるわけじゃない。学園から逃げてるわけじゃない。
出来る範囲で、やってるんだから。
文句を言われる筋合いはない。
「――、――!!」
黙ってろ。
負けないよ。
投げ出さない。
あの子は、助けなんて必要としてないかもしれない。救ってほしいなんて、思ってないかもしれない。
でも、それでも、いい。どちらでも、かまわない。私はただ……ただ、話がしたいだけなんだ。
もう一度だけ、チャンスが、欲しいだけなんだ。
あの子の真意を……本当に気持ちを、知りたいだけなんだ。
バカみたいに。
笑いたい、だけなんだ……
「――っ」
だから。
だから。
「――お願いします! どうか……!!」
もう一度、気を入れ直す。
呼びかける。
人ごみの中で――叫ぶように、問いかける。
この子知りませんか。
手掛かりだけでもいいんです。
居場所を。どうか。教えてください。
あの子の元まで、私を。
どうか、連れて行って、ください――
「――あー、あかんあかん、自分!!」
……と。
齷齪と、ビラを配っていた時だった。
人ごみを切り裂くように聞こえてきた、聞き慣れた関西弁。
「そんなんじゃあ止まる人も止まってくれへんで!」
「……え」
見ると。私のすぐ傍に。
あの長い白髪が、踊っていた。
「た――タマちゃん先輩?」
「貸してみ!」
「あ……!」
私が、呆然と――名を呟いたのも束の間。
彼女は――タマちゃん先輩は。私の手から、何枚かのビラをごそっと奪うように取ると、すぐそばを通りかかった一人の男性に近寄る。
「あー、兄ちゃん兄ちゃん! ちょっとえぇか? あんなー、ウチ訊きたいことあんねん!」
「……先輩」
「――ったく、水臭いぜー、ミザールちゃんよっ」
その姿を、見つめるさなかで。また聞いた声が、聞こえてくる。
「ゴルシちゃんたちを差し置いて、こーんな楽しそうなことしてるなんてよー」
「……ゴルシさん」
「……ごめんなさい。あなたが放課後何してるのか、どうしても気になって」
「スズカさん……」
タマちゃん先輩に、ゴルシさんに、スズカさん。冷静に考えてみると、不思議な取り合わせだけれど――そこに感じられた想いは、ひとつだけに感じた。
「ほらっ、ちょっと貸してみな! ゴルシちゃんの集客力、見せてやるよ!」
「あ、あの……」
「あ、おーい! そこのおねーさんたちー!!」
「……」
有無を言わさず、また何枚かのビラを取り上げたゴルシさんは、早速とばかりに、また別の人ごみへ駆け出す……
「……まぁ、私はあの二人ほどじゃないけどね。いないよりはマシでしょう?」
「……で、でも」
いや、嬉しい。
すごく嬉しい。その気遣いは。でも……でも。
私が真っ先に感じたのは。他でもない、申し訳なさで……
「……いいんですか。みんな、自分のことがあるのに……」
「何言ってるのよ。これくらい、迷惑のうちに入らないわ。せっかく、友だちになったんだから……」
それでも。
スズカさんは。タマちゃん先輩と、ゴルシさんの想いを代弁するように、微笑んでいた。
「……少しくらい、助けさせて」
「……」
……胸が熱くなって。
込み上げたものが、瞼に殺到する。
それを必死に抑え込みながら、私は、彼女に深く頭を下げていた
。
「――よろしく、お願いしますっ!」