ちなみに飴玉は……
滅茶苦茶不味かった。
(包装には塩辛わさび味とか書いてあった。どんなだよ……)
それから……
私は、彼女の部屋に通い始めた。
「そしたらさー、その人とその子でまた喧嘩始めちゃってさ。もう参っちゃうよねー」
学園のこと。日常のこと。
それを、扉に向かって、語り始めたのだ。
「学園ってさ、ちゃんとテストもあるんだよ。走るだけじゃないってわかった時は絶望したなぁ。私、そこまで成績良くなかったから……」
毎日、トレーニング終わりにやってきて。話して聞かせた。
「私ね、『みんな』で有マ出るのが夢なんだ! カペラちゃんも協力してくれるといいなぁ、なんて……」
彼女は返事をしない。いるかいないかも、その状態じゃわからない。
けれど私にとって、そんなのは些事でしかなかった。
「またトレーナーに小言言われちゃったよ。あの人さー、本当揚げ足ばっかり取ってさ。事あるごとに人のことバカバカ言って……ひどくない? そっちの方がバカでしょ、みたいなさー」
……根気よく。
粘り強く。
通って、話して、向かって、語り掛け続けた。
そんな日々が。
また、一週間ほど続いた、その日。
「――って感じだったかな。今日は。本当色んな人いるから、毎日毎日話すネタには困らないよー。困っちゃうよねー、逆に。あはは……」
……相変わらず。
中からの、返事はなくて。
「……、」
ちくり、と胸が痛む感覚を覚えながらも、諦めよう、とまでは思わない。
今日も駄目だったな――と思いながらも。頑張ろう、と思う。
明日こそは、引きずり出してやるぞ! と。決心が揺るがないのを、確認して。
「……じゃあ、帰るね。また明日……」
いつものように。
そう告げて、扉に背を向けた。
「――なぁ」
――その時だった。
扉の奥から――確かに、彼女の声が聞こえてきていた。
「!」
私は、慌てて扉の方へと舞い戻る。一時は、気のせいか聞き間違いかと思ったけれど。
「……なんで、」
……そうではなかった。
扉の向こうに……
カペラちゃんは、確かにいて。
そこから、確かに。口にしていた。
「なんで、ここまで、するんだよ」
「……」
その声に、いつもの威圧感はない。ただただ純粋に、それを知りたいと言いたげな声に、私は、自分の想いを確かめながら、答えた。
「……カペラちゃんは、『本格化』って知ってる?」
「……トレーナーに見出された後に訪れるっていう、アレだろ。超成長期みたいな」
「うん。そう。あれってね。平均して三年くらいで終わっちゃうんだって」
授業で習った内容。教えてもらった事実。
避けようのない――現実。
「それを過ぎると……みんな、衰えていっちゃうの。全盛期ほどの力は、出せなくなっちゃう……わかる? 私たちの勝負って、三年くらいしかないの」
そう。
長いようで――短い。私たちの、全盛期。
「今じゃないと……駄目なんだよ」
つまりは。
私の夢は。私たちの夢は。
今しかない。
今、叶えなくてはいけないのだ――そうでなくては。
「きっと今を逃したら……もう二度と、叶わなくなる」
最高の状態で。競い合う、なんてこと。
……きっと、叶わなくなって、しまうから。
「覚えてる? 北部校で、よくかけっこしたこと」
思い出す。大昔のあの日々を。あの時、自分たちが何をしていたのかを。
あの、ブラックレースの会場を見たからだろうか。そんなありふれたかつての光景も、今や、宝石のようにきらきらしているように感じられた。
「私、思うんだ」
言う。
「ウマ娘のレース界の中でも、屈指の大舞台! ……ね。想像してみてよ。私たちがみんなで、そこに立っているところを。そこで、全力で、競い合ってるところを」
それは、ちょっと前にも言ったことで。
その時とほとんど変わらないけれど。
あの時は、勇気がなくて、尻切れトンボになっちゃったけど。
今、ここで。
改めて、口にする。
「……きっと」
きっと。
「すっごく、楽しいよ」
すっごく。
楽しいよ、って。
「……」
無言が漂う。
重苦しいそれが、しばらくその場に居座った後。
「……お前は」
彼女は、言う。
「なら、こうは考えないのか? あたしがとうに、あのおっさんたちに身も心も売って、落ち切っちまってるって」
「思わないよ」
「そうだろ――あ?」
あ。動揺した。
どうやら彼女は、私が言い淀むと考えたらしい。
でも残念――私は。
「……思わないよ」
そうは。
思わない。
「あなたが、」
だってあなたは。
だって、あなたは――
「そんなに、残酷になれるわけないでしょ」
とても、とても優しい子だって。
私は、知ってるから。
「……」
……でも。
でも、思う。
確かにそれって。結局は、私の価値観の押し付けなのかも。
最初に突き放されたことを思い出す――知った顔で踏み込むな、と私を拒絶した彼女。
それが、私に本気で苛立って、突き放そうとした結果だったというのなら。
彼女の言うとおり、現状に満足していて、あそこを、居心地のいい場所だと考えているのなら。
それを尊重しないと。
駄目だよな、とも、思った。
「……でも、いいよ。カペラちゃんが、言うとおり、本当に、学園が嫌なら」
自分の生きる場所が。居るべき場所が。学園じゃないというのなら。
助けも、救いも、要らない、というのなら。
それでも、いい。
「その……ブラックレースこそが、自分にとっての、一番いい場所だって言うなら……それでも、いい」
あなたが幸せなら。
それで……いい。
「カペラちゃんの想いを……尊重するよ」
まぁ。
こうまで通い詰めておいて今更、でもあるけどね。
夢も、理想も……高望みなのかもな、と、冷めて見る自分がいるのも、また事実だった。
こうして、話せるのなら。
叶わなくても……それも悪くないな、なんて、思うのも。
また。
本心だった。
……
だから。
「……だから」
せめて。
「いつか……答えを、聞かせてね」
あなたの本心を。
教えてね。
「……じゃあね」
それだけ伝えて。
今日もまた、歩き去る。
やはり、見送ってくれるのは、無言だけで。
でも気持ちは、少しだけ軽くなったような、気がした。
とっぷりと暮れた夜に沈むその峠は、不穏な薄明かりに照らされている。
ガラの悪そうな男たちが集い、今日も今日とてがやがやと、怒号に罵声、雑言に下世話な世間話を交わす中で、サングラスの男は、愛車である改造スポーツカーのバンパーに腰かけていた。
目の前には、真っ赤なパーカーを着た一人の少女。
その瞳は真剣そのもので、男を貫き通さんばかりの気迫を纏っている。
「……あ?」
男が威圧的に言ったのは。
彼女が、直前、その瞳で、彼に告げたことによる。
だが、一切たじろがない少女に、男は深めのため息を吐き。
身を乗り出していた。
「悪いな。……よく聞こえなかったみてーだ」
「だから」
あからさまに聞き返す男に。
少女もまた、怖気付かずに、応じた。
「――ブラックレースから、降ろしてほしい」
男は何も言わなかった。
サングラスから覗く瞳が、少女――ガーネットカペラを貫く。
彼女は身体を強張らせたようだが、そこから逃げ出さず。
また――撤回もしなかった。
「……冗談きついぜ」
そんな彼女に。
男は、つらつらと言う。
「なんだ。あのお嬢ちゃんに毒されたのか」
「……馴れ馴れしく言うな」
「まーまーそう怒んなよ。俺だって戦争したいわけじゃねーんだわ」
そこで、男の手が、虚空に差し出される。
すると、近くにいた別の男が、彼の手に何かを握らせた。
目の前に向けて。
それは投げられる。
ばらばらと宙を舞い、地面に落ちたそれらは。
数枚の写真だった。
「――!」
どくん、と。
その時、カペラの胸が高鳴る。
そこに、様々な角度、様々な表情で――
写っていた。
よく見知った、『親友』が。
「……サファイアミザールだったか。まさかこんな有名人と知り合いだなんてなぁ」
男は、悪意に満ちた声で続ける。
「いやーきっと面白くなるだろ。今をときめく有名人が……
――いきなり、失踪でもしたら」
「――テメェ」
カペラは、荒々しく一歩を踏み出す。
だが、傍に控えていた男たちが目の前に立ちはだかったことで、止まる。
彼女は怒りを抑えきれていないが。
それを見て、無理やり、抑え込む。
「……」
男は、手を振る。
それを合図としたように、彼らは再び傍らに退く。
「……で? もう一度言ってみな」
そして、彼女に、言う。
「ブラックレースが……なんだって?」
「……」
……彼女は揺らぐ。
言葉にではなく、自身の感情に。
このまま力任せに解決してしまおうとするのを、必死に、必死で、堪える。
堪えて、何かないか、打開策はないのか、と、思考を目いっぱいに巡らせ――
「……、」
ふと、浮かんできた単語を。
我儘に、掴んでいた。
「……ま、若いうちには、一度や二度、失言ってのをするもんだ」
それも構わず。
男は続ける。
「今のは聞かなかったことにしといてやる。とにかく今日は――」
「――言うぞ」
それに。
カペラは、ぴしゃりと告げていた。
「あ?」
「……『テメーと俺しか知らねー爆弾』」
「――……」
刹那。
彼女の瞳は、彼に負けず劣らずの、鋭い眼光を灯していた。
「『アイツ』に連絡して……『爆発』させるぞ」
「…………」
……男は黙る。
その瞳の悪意は、ひときわ深くなったように見えた。
負けじとカペラも、それに対抗する。あらゆる衝動を抑え、彼と、真っ向から対立する。
彼を。
その考えを。
真正面から、否定する。
「……」
「……」
無言の時間が。
そうして、しばらく続いたのち。
「……、わかったよ」
「……!」
男は。
そう言っていた。
「降ろしてやるよ、レースから」
「ほ、本当か――」
「ただし」
カペラが喜びかけたのも、束の間。
続けざま放たれた言葉に、気を取り直す。
「条件がある」
「……なんだよ」
「まーそう肩肘張るなよ。オメーの門出を盛大に祝ってやろうってんだからよ」
男の言葉は軽くなる。
だが、雰囲気は重苦しいままだった。
「最後のブラックレースだ。そこで一着を取ったら降ろしてやる。それも普通のじゃねぇ。わかるだろ? オメーも……
数年前に一度だけ開催され、あんまり危ねーもんだから、誰もやらなくなった。幻のレース」
「――……」
ぼかされても、カペラは覚えがあった。
ただでさえ普通でない、ブラックレース。その中でも、普通でない類のもの。
今でも鮮烈に思い出される。
テレビ画面上での衝撃。
こんなものが、そんなものが。
許されるのか、という絶望――
絶句が。
「そう」
それを察したように。汲み取ったように。男は笑みを深める。
そして。
言っていた。
「――