扉を閉めて、背中をそこに預けたヒシアマゾンは、ルドルフと相対する。
薄暗いエントランスで。彼女は、困ったように笑っていた。
「……何笑ってるんだい。これで何か『事』にでもなったらどうするんだい」
「そうだな。私の権力の全てを使ってでも、助ける気概だ」
「……頭のネジでも外れたのかい? 一体何が……」
「――外れたのは、ネジじゃなくてタガだろ」
そんな会話に、またひとつ、介入する声。
二人が振り向くと同時――
物陰から現れるのは、長い暗めの茶髪。
「シリウス!? どうしてあんたまで……」
「嗅ぎ付けてくると思ったよ。シリウス」
「は。『皇帝』サマが直々に動くってのに、おちおち寝てられるかよ」
困惑するヒシアマゾンをよそに、シリウスは二人の元――をも、通り過ぎ、扉を開け、外へと出た。
顔を見合わせたヒシアマゾンとルドルフは、その背に着いていき、外へと出る。彼女はどこかへ行った……わけでもなく。少し歩いたところで、空を見上げていた。
けたたましいサイレンの音が、はるか遠くで響いている。
「……シリウス」
「あ?」
「皮肉らないのか?」
「どうしてだ」
ルドルフの問いかけに、シリウスは、どこか穏やかな声色で、答えていた。
「ただ――『娘』を送っただけだろ」
「……はは」
そんな彼女の言葉に。
ルドルフもまた、穏やかに笑っていた。
「粋なことを言う」
『その情報』をくれたトレーナーさんによれば、出来るだけ早く正門付近に来い、とのことだった。
出来得る限り急いだつもりでそこに来たのだけれど、そこには何もないし、誰もいない。
もしかしてどこか行っちゃったんだろうか、と不安になる。
……電話を受けて。
飛び起きて、ここまで来たはいいけど。
肝心のこれからの行動は、明確には思い描けていない。
今から現場に向かうには遅すぎるだろうし、かと言って先回りするにも、最終目的地が分からない。
私ひとりの力じゃ……現状は、どうにもできない。
……トレーナーさんの力が必要なのに。それなのに……
「……どこ行っちゃったんだよぉ……」
口にした声は、信じられないくらい弱々しかった。
とにかく、と携帯電話を取り出す。
LANEにて、今どこにいるんですか、と呼びかけようとした時。
「――?」
横から。
暗闇を切り裂くように、ライトが照る。
次いで響くクラクションに。
そちらへと振り向くと。
「――!?」
そこから、黒塗りのワゴン車が現れ。
通り抜けざま。
後部座席の辺りから出てきた、がっしりとした腕に、身体を掴まれていた。
「きゃあっ!?」
そのまま車は一回転、二回転。
開け放たれていた後部座席の扉が閉まると同時、
前方へと、疾走し始める。
「――っ、は、はなしてっ!!」
私は――
がっちりと掴まれながら、ばたばたともがく。
「はなして、はなして!! お願い!! 離してよっ!!」
何に捕まったのか。何をされるのか。
わからないけれど。解放を目的に、ただただ乱暴に、もがいて、もがいて――!!
「離してぇっ!!」
「――ミザルサン」
……果たして。
聞こえた声に、暴れるのをやめ、見上げる。
そこには――
「オチツイテ」
「……あ」
見慣れた、って程じゃないけど。
見たことのある顔が、あった。
そう、あの時。ブラックレースの会場を初めて訪れた時、見た。
あの、黒人の、大男。
「あなたは……」
「――悪いなバカウマ」
ついで、運転席から聞こえるのは。
もうすっかり、聞き慣れた声。
「停まる時間も惜しかった」
「――……ト」
ホームミラー越しに。
その人と、目が合う。
「トレーナーさん……かぁ……」
「俺以外に誰がいるんだこんなことするやつ」
「いや、そうなんですけど……」
いや、そうなんですけどね?
最近、やっべー人たちと会っちゃったもんですから。
「とにかく、時間がねーから一気に説明するぞ」
そんな私が本当に落ち着く暇も与えず、彼は――トレーナーさんは。説明を始める。
「まず今から向かうのは、██ICだ」
「██IC……?」
それって確か……最近出来たICだよね。府中駅の南側の……
「例のレースは西調布駅から始まった。連中はそこから北上し、調布料金所から高速道路に入場するつもりだ」
「え……!!」
「ハシル。ダメ。イホウ」
「あぁそうだ。でも今、そんなのは関係がねぇ」
いつかのゴルシさんの話を思い出す。ブラックレース、高速道路――そういえば、過去にそこでレースが開催されていた、とか言っていたような。
で、でも、そんなとこ、私たちが簡単に入場出来るとは思えない。彼は一体何を根拠に……!
「それもそうだ。入場は出来ないし、走れもしない」
私の疑問に、トレーナーさんは答える。
「――でもな。入場出来るし、走れもするんだよ、今日限定で」
「は……? ど、どうして……」
「さっき速報で情報が入った。どうやら連中――」
すると彼は、言う。
「――料金所に、車でバリケードを敷いてるらしい」
ガーネットカペラは、目の前に広がる光景を信じられなかった。
「おい! いい加減大人しくしろ!!」
「あんだコラポリ公がぁ!! 嘗めてんじゃねーぞコラァ!!」
「こ、これは公務執行妨害を越えているぞ!! 今すぐ車を退けなさい!!」
「あァ!? やってみろやコラァ!! ぶっ█すぞォ!!」
「……」
な、
なんだこれは、と。
無数の車両が料金所前を埋め尽くし、一切の車の入場を拒んでいる。
そんな車両を上回る数の、ガラの悪そうな男たちが、束になって警察官に抵抗しており、そこはもう、
ひと言で言うならば。
無茶苦茶だった。
「――、――!!」
「――、――……!!」
怒号と騒音が入り混じる様は、喧々諤々という言葉でも生温い。
もはや地獄。もはや悪夢。現実のこととは信じられないような地獄絵図。阿鼻叫喚。
これらが全て、何に起因するものなのかを。
カペラは理解していた。
「そうすることで、車両の進入と介入を防ぎながら、参加者を高速道路に送り込むって寸法だ」
「で、でもそれって、とんでもない数の車と人が必要なんじゃないんですか? そんなの……!」
「出来るんだよ、それが」
「え……?」
「出来る。……
「――っ!!」
果たしてカペラは。
覚悟を決め、その地獄の中に飛び込む。
人との接触を最小限にするため――
車両の上を、器用に飛び移りながら、進む。
「おい、フードじゃねーか!?」
そのうちに――男の声が聞こえる。
興奮し切った、歓喜に満ちた――いかにも楽しげな、声。
「間違いねぇ、フードだ!」
――うるせえ。
「今日もトップ独走かぁ!? その意気だフード!!」
――うるせえ――!
「フード!」「フード!!」「フード――!!」
うるせえ、うるせえ、うるせえ!!
その名を呼ぶな、その名で呼ぶな。馴れ馴れしく、自分を語るな。
何も知らねぇくせに。
何も、わかってねぇくせに――!!
「――っ……!!」
心の中で毒づきながら、彼女は進む。
やがてその身体は、ゲートを潜り抜け。
なおも脈々と連なる車列を走り抜けた。
「――!」
その末。
彼女は見る。車両のバリケードが、料金所入り口のみならず――
『本線まで、塞いでいる光景を』。
きっと東京方面から下ってきたのだろう、車両がずらっと列を為しており、不機嫌そうにクラクションを鳴らしている。
「――!!」
「――!?」
それを不愉快に思ったからなのか何なのか。『手下』の男たちは、何事かを叫び、ここでも乱痴気騒ぎを引き起こしている。
無関係の一般車を巻き込んでいる、という意味では――ある意味、入口よりも混沌としていた。
「――くそ……!!」
滅茶苦茶だ。
滅茶苦茶すぎる、と、カペラは、ともかく走る。
そこから逃げるように。
一刻も早く、全てを、終わらせるために。