「……なるほど」
生徒会室にて。
会長さんに呼び出された私は、その日起きた一連の出来事を報告していた。
「それはなんというか……とんでもない体験をしたな」
「えぇもう……生きた心地がしませんでした……」
会長さんは、苦笑いを浮かべる。私もまた、そんな風に答えるしかない。もうなんか、それ以外に、適当な言葉が見つからなかった。
今思い出してみても、自分を褒め称えたいほどだ。あんな……あんな、戦場を。よくもまぁ、気合いと勇気だけで走り抜けたなぁ……
「……件の『サングラスの男』。今回の件に加えて余罪多数で、すぐに訴追されるとのことだ。ここら一帯のブラックレースを取り仕切っていたのも彼だったようでね。それに関連する噂もめっきり消えた……実際、どのような判決になるかはわからないが。まぁ、もう、私たちの前に現れることはないだろう」
「……あの人は」
続けられた報告に、安堵するも。疑問までもは消えない。
「結局、何者だったんでしょうか」
「さぁね。ただ、そんじょそこらの犯罪者とは、明確に違うことだけは確かだ。悪木盗泉……『彼女』にも事情はあったろうが、やはり『真っ当に』生きることだけは忘れないようにしないといけない。藪をつついて、竜が出ることもある」
「……肝に銘じます」
まぁ、ここいらのブラックレースそのものが消えたとなれば、その筋の人と関わることも自ずとなくなる。きっと『あの子』も……もう、闇に身を投じることはなくなるだろう。
あんな掃き溜めに。
行くことは……なくなるだろう。きっと。
「……本当に凄いよ、君は」
と、思っていると、会長さんは言っていた。
その瞳は……あの時。寮から出ていく時と、同じ色をしていた。
「私もシリウスも、こういった道を踏み外したウマ娘を、出来る限り導いてきたつもりだった。それでも……私たちの手はあまりに小さく、取りこぼしは絶対に出てくる」
「……」
それは。
いつかに、シリウスさんの言っていたことと、同じだった。
「そういった彼女らの最後は悲惨なもので、堕ちて、堕ちて、堕ち続けて、誰からも救われないまま……闇の中で、ひっそりと消えていくしか、なかったのに。
君は、そんな闇に溺れていたご友人を、見事に連れ戻してみせた。これは誰にでも……出来ることじゃない」
そこで、彼女は立ち上がり。
「……私からも、礼を言う。ありがとう」
「そ……そんな」
仰々しく、一礼する彼女に――
私は、慌てて手を振った。
「顔上げてください! わ、私はただ、自分にやれることをやっただけで……!!」
それは、会長さんともあろうものが、頭を下げないでくれ、というのもあったけど。……同時に。
「……私ひとりじゃ、出来なかったことです」
そう。
ひとりじゃ……出来なかった、ことだから。
「会長さんが……みんなが。助けてくれたからです。私だけじゃ、絶対に、助けられませんでした。だから、だからその、この成功は、えーっと」
言葉を選んで、吟味して、なんとか紡ぎ出す。
「――みんなのものです!」
そう――みんなのもの、だった。
「ですからその、会長さんも、胸張ってください! ね! あ、いや、これじゃ明るすぎかな……」
「……ははは」
会長さんは、優雅に笑うって。
顔を上げる。
それにつられて、私も、笑ってしまった。
「そうだな。これは……みんなの功績だ。ゆめゆめ……忘れないようにしよう」
「そ、そうですよ。そうすればみんな幸せです!」
「――だがそれはそれとして」
……が。
会長さんの目は、そこで、威厳あるものに変わる。
次いで腕を組んだのも見て、感じる。これから――説教を。
小言を言われる、と。
「……今後。あのような危険な場所へ赴くことは、絶対にしないように。いいな?」
「……はぁい……」
まぁ、言われなくとも、行くことはないとは思うけど。
それでも、全部は一筋縄じゃいかないな、と思うと。出てきた声は、自然と、申し訳なさで、縮こまってしまった。
しょりしょりと、林檎の皮を剥く音が響く。
静謐なその病室に響く音はそれだけであり、他には何もない。
強いて言えば、時折廊下を通りがかる人の靴音くらいだ。
ならばそこには誰もいないのか、と言われると、そういうわけではなく。
そこの住人は、ベッドから上半身を起こし、窓の外を見つめていて。
もう一人が、その傍らの丸椅子に腰かけ、チェストに置いた皿の真上で、林檎を剥いている、というだけの話だった。
林檎を剥くその人物は――長さを増していく皮を見つめて、自分の髪の色に似ているな、などと、冗談半分に考える。
「……」
「……」
会話はない。
お互い、存在を認知していないかのようだ。
林檎の皮が途切れ。皿にぽとりと落ちる。
「……なんで生きてんだ、って思ってんだろうな」
そこで、ベッドの人物が――
少女が。
特徴的な耳を頭部から生やした、ミディアムロングの茶髪の彼女が――口を開く。
「……」
それに、林檎を剥く少女も――
赤髪に、同じような耳を頭部から生やした、彼女も応じる。
「どうしてそう思うんだ」
「どうしてそう思わないって思うんだ」
それを聞いて。
弾かれたように、ベッドの少女が振り向いた。
片目を覆い隠すように包帯が巻かれている、痛々しい見た目ではあったが。
隠されていないもう片方の目からは、鋭い眼光が放たれていた。
「……」
赤髪の少女は。
ガーネットカペラは。
思わず林檎の皮を剝く手を止めていたが、それに怖気付いたわけではない。
一瞥して。
再び、視線を林檎に向ける。
「……ちっ」
少女は忌々しげに舌打ちし、再びその目を、窓の方へと向けた。
「情けねえ話だぜ。追いついたはずなのに……追い越したはずなのによ」
「お前は昔から前しか見なさ過ぎなんだよ。あと浮かれすぎ。もっと冷静になったらどうだ」
「けっ。勝者の余裕かよ」
「勝者」
再び。
林檎の皮が、更に落ちる。
「……何の?」
「あ? 決まってんだろ。ブラック――」
「レースは中止になった」
カペラは、当時のことを思い出す。
「おっさんもその仲間も、片っ端からお縄についた。トロフィーも、賞金もない。……無効試合だ」
彼女は、そう言いながら、林檎の皮を剝き終える。
「でもだからっつって、全てが無かったことになるわけじゃない」
続けて、林檎の実を、器用に切り捌いていく。
「あの日あったことは……全部事実だ」
「はっ……そうだな。アタシが無様に負けたのも、お前がみんなを置いてったのも、全部――」
「それだけじゃない」
精一杯の皮肉を込めて。
投げかけられた言葉にも、カペラは動じない。
事実だ。
全部事実だ。無かったことになど出来ない。
だからこそ。
だからこそ――
「あの日……あの時。お前があたしを追い越したのも……事実だ」
一瞬でも。
ほんの少しでも、自分を追い抜いたのも――また、事実だった。
少女は何も言わない。
カペラに背を向けたままだったが。
カペラは、それを気にせず、林檎を切り揃え終えると、使用していた十徳ナイフをポケットに仕舞った。
そして。
丸椅子から立ち上がる。
「……待てよ
それを肌で感じたのか、ベッドの少女は、病室から退室しようとするカペラに振り向く。
「アタシは諦めねえぞ。逃げるお前に絶対に追いついて、追い抜いてやる」
忌々しく。
親の仇であるかのように、言う。
「絶対に――」
「……フード?」
だが。
カペラは、振り返らずに、言うのだ。
「誰だそれ」
「は? 何言って――」
「
怪訝そうに返す彼女に、彼女は言う。
「あの日……あそこで死んだ。ここにいるのは、フードじゃない」
もはや揺るがない、決意と共に。
「――あたしはカペラ。ガーネットカペラ」
もはや――
変わることのない、事実を。
「他の誰でもない……ガーネットカペラだ」
「……」
凛然とした言葉に、ベッドの少女は言葉に詰まる。それでも、カペラは振り向かない。
目線を、扉に向けたまま。
「……あたしは逃げてねえ」
彼女に、背中で、語る。
「自分のぶち当たったクソみたいな現実から、逃げた覚えなんて一度もねえ。これまでも、これからもだ」
悲痛な過去。
「あたしは走ってる。いつでも。お前のほんの数歩先を」
悲惨な記憶。
「だから……またいつか。追い抜いてみせろ」
それらに、思いを馳せながら。
「……今度は」
――噛み締めながら。
「真っ当なやり方で」
――カペラは。
少女からの返事を、待たなかった。
「じゃあな」
「……」
彼女はそのまま、病室から立ち去る。
硬い靴音が遠ざかる中で。
少女は、ひとり、自虐的に笑った。
「……真っ当なやり方で、だ?」
落とした視線の先。
あまりにも小さな、自分の掌を見つめ。
「そんなの……」
それでも、そこに伺えた感情は。
諦めではなく。
「……言われなくても、だ」
真っ直ぐな色が、見て取れた。
校長の言葉が、ふと脳裏を過ぎっていた。
未来を追い込め。
研鑽を積み。
追い付け。……彼はそう言ってくれた。
結果としてあたしは、その言葉通りに生きていた。
自分の思うがままに走って。
研鑽と努力を積んで、追い付いた未来を掴もうとしていた。
……でも危うく。
掴んじゃいけないものまで、掴むところだった。
「……」
……本当に。
面倒な友達を持ったものだ。
あんだけ拒絶したのに。あんだけ突き放したのに。何度も、何度も、諦めずに、関わってきやがって。
あんなに来られたら。
あんなに迫られたら。
「……断り切れねえよなぁ」
いいだろう。
付き合ってやる。
これから振り回すだろうし、面倒も起こすかもしれない。
でももう――さんざん振り回されたし、面倒にも巻き込まれたんだ。
――少しくらい、いいだろ?
「……あ」
なんて思った、足の向かう先。
自分の、ボロの住処の前に、あたしは、見知った人影を見ていた。
女性にしては長身のその人物が、竹箒で地面を掃いている。
「……大家さん」
声を掛けると。
彼女は、こちらに振り向いていた。
「あら、カペラちゃん……お帰りなさい」
妖艶で、なぜだかどこか安心しているように聞こえる、その声に。
「……ん」
あたしも、照れ臭いながらも、返した。
「……ただいま」