I’ll lock you up and eat the key.
The monster in the dark is me.
眠れる獅子 p1
遊びにかまけている人たちをバカにしていたわけじゃない。
自分には自分のやらなくてはならないことがあるから、それに必死になっていただけだ。
みんなそうだろう。目の前のことに必死になっている。遊びにしろ、勉強にしろ――そこに優劣なんてないのだ。
傾ける情熱に、差異などないのだ。
だからこそ、心の中に衝立を建てる。自分の果たすべきことのために、上手く『折り合いをつける』。
そうやって大人になっていく。そうやって成長していく。そうやって進んでいく。そうやって――
嘘が上手くなっていく。
自分を黙らせるのが、上手くなっていく。
大丈夫、苦しくない。
大丈夫、辛くない。
大丈夫、これが私の為すべきことだもの。何も、何も、哀しくも、ない。
大丈夫。
大丈夫。
……
大丈夫……
三月初頭の中山競技場は、僅かに残された冬の気配を叩き出すかのような熱気に包まれていた。
『レースは最後のコーナーに差し掛かり、未だ先頭をひた走るのは、3番、サクラチヨノオー!』
弥生賞。
これから待ち受けるウマ娘三冠――クラシック三冠に向けての前哨戦とも呼ばれるそのレースで、期待の新鋭、サクラチヨノオーは、いつかと同じように先頭を走る。
背後との距離は2バ身ほどであり、近いとは言えないが、遠いとも言えない。
ただ、安定して先団を引っ張る姿に、彼女の支援者たちの盛り上がりは最高潮に達し、中には勝利をほとんど確信する者さえあった。
だが――全体を冷静に見渡せている実況者は、最後までどうなるかわからない、と手に汗を握っているし。
当の本人――サクラチヨノオーも、また。
悲観はしていなかったものの――楽観もまた、していなかった。
もちろん、このまま自分がぶっちぎって終わるのが理想だ。
この調子のまま走り続け――一着で終えるのが、最も望ましい形だ。
だが、と、そんな考えを振り払う。
このままでは、終わらない。
否――終わるはずがない。
そう、それは、彼女が、年末の歯痒い敗北からマークし始めた、もう一人の新鋭。
その紆余曲折ありすぎる活動から、変則的ながらも、確かに支持を得続けている、友人であり――
好敵手。
「――っ」
それでも――はいそうですか、と負けるわけにはいかない。
第4コーナーに入り。息を入れ直すチヨノオーだが、脚は限界を迎え始めている。
上がり始めた息に応じて。速度もまた、若干ながら落ち始めた。
「――!」
刹那だった。
『――あーっと!! 来た! 来ました!!』
歓声がひときわ盛り上がり。
実況の熱も、更に高まる。
『6番、サファイアミザール! サクラチヨノオーの減速を見逃さず、冷徹に追い上げる!!』
「っ……!!」
すぐ傍、1バ身もない距離に、栗色のポニーテールが揺れる。
サファイアミザールは。
チヨノオーが疲労し始めたタイミングで、冷酷に前に出てきていた。
そう――いつかのように。
まるでそれが、わかっていたかのように。
「――ご苦労様ですッ、ハイエナさんッ……!!」
「ははッ、軽口叩く余裕はあるんだッ……」
「まだまだこんなもんじゃッ――ないですよッ!」
第4コーナーを終え、勝負は最終直線。
チヨノオーは、抜かせてなるものか、と最後の力を振り絞る。
しかし――しかし。身体の限界はそうそう越えられず、速度は思うように上がらない。
脚が悲鳴を上げ、これ以上はいけない、と訴えかけてくる。
それでも――それでも、と、彼女は、一心不乱に走り続けるが。
「――ッ!」
無情にも――サファイアミザールは、そんな彼女との距離を詰める。
いつものように――『あの体勢』で。
冷徹に、冷酷に、加速し――果たして。
「――……」
その身体が。
ほんの少しだけ、チヨノオーより先行した。
『――決めたぁー!!』
実況の、絶叫に似た声が上がる。
『今後の三冠戦線を占う弥生賞、制したのは――6番、サファイアミザール!!』
それに呼応したように――会場もまた、歓声に包まれる。
『なんとクビ差――!! ほんの僅かな差ながら、サクラチヨノオーを再び差し切ってみせました!!』
「……、……」
膝に手を突き、息を整えるチヨノオーは、再びの悔しさと歯痒さで、顔を顰める。一方のミザールはというと、観衆に笑顔で手を振ったかと思うと、そんなチヨノオーに視線を向けていた。
見下ろすその目は――決して侮蔑的ではなく。
「……」
どこか満足げに、彼女へと手を伸ばす。
悔しいながらも。
「……、」
チヨノオーもまた、その手を取り、笑っていた。
「――今度は、どこ見てたんですか?」
地下バ場道にて、サクラチヨノオーは、早速とばかりに、サファイアミザールに問いかけていた。
「……」
問いかけを受けたミザールは、口を開きかけるが。中空に視線をやると、しばし間を置いて、
「……どこだったと思う?」
「うわッ……勝者の余裕! ムカつくなぁ……!!」
照れ隠しのように笑いながら、頬を掻くミザールに、チヨノオーもまた苦笑しつつ、考える。一時はわかるわけがない、と思ったものの、思い返してみれば、答えは明らかだった。
「……なるほど。脚ですか」
言葉に。ミザールは頷いていた。
「第3、4コーナーあたり……結構ガタ来てたでしょ。最初と比べて、脚運びが辛そうだったから。仕掛けるならそこしかないなって思ってた」
「それまで脚を温存して、最後の最後にぶち抜いたってわけですね……」
チヨノオーは納得するも。疑問は消えないわけではない。
「でも……それも、あなたの推測ですよね。もしそれが作戦だったりしたら……」
「その時は――……」
ぶつけたその疑問に、ミザールは最後まで答えない。答えずに、曖昧に笑うだけだ。ただ、チヨノオーもまた、追及しない。完全に言わずとも、その先にある結論を、二人はよく知っていた。
勝負というものは――結局、元来、そういうものなのである。
「……、」
チヨノオーは、視線を下げる。
凄いな、と。尊敬する反面で。
自分の力の及ばなさに、自然、目頭が熱くなってしまった。
「――っ」
「――え」
それは容易には止められず。
遂には、涙となって、堰を切ったように、溢れ出す。
「ち――ちょちょちょちょ!! べ、別に泣かなくたって……!!」
「な、泣いてないですっ!! 泣いてなんか、ないですもんっ……!!」
困惑するミザールの目の前で、チヨノオーは乱暴に涙を拭う。それから、赤い目のまま、彼女を正面から見つめて、
「次は!! 次こそは絶対!! 私が!! 勝ちますからね!!」
「う……うん。おっけい。いつでも待ってるよ……」
ぶつけた熱意に、ミザールは若干後ずさりしていた。それにチヨノオーは、泣きながらも微笑みながら、頷く。
「ではっ!! また学園でっ!!」
「う、うん。またね……」
そして、力強く言葉を投げかけて、その場から立ち去った。
未だ止まらない涙を拭いながら、控室へ向かう道中――
チヨノオーは、分析する。
彼女と正式なレースを戦ったのは二回目。少ないが、それでわかったことはある。
栗毛の怪物、などと世間様に呼ばれ始めている彼女だが。確かに、単純な能力値という点でも、ここ最近の成長ぶりは驚異的だ。
最初は自分の方が、僅かながら上回っていたはずなのに。今では逼迫するか、若干追い越されているような気もする。
それらはひとえに。
それだけ大きな目標を持っているから、に他ならない。
「……」
――かつての仲間と、有マ記念へ。
年に一度、年末の総決算となる大舞台へ。
並大抵の覚悟では果たせない――壮大で途方もない、夢。
それを見据えているからこそ。それを見ているからこそ。
こんな爆発的な成長が出来たのだろう――そう思う。
「…………」
対する自分の目標を。
小さいものと見積もるわけはない。
日本ダービーの制覇。
それだって、外すことの出来ない、無視出来るはずもない、自分の悲願ではある。
しかし、彼女を。
傍で走っているはずの彼女のことを、考えた時。
自分は。
チヨノオーは――
「――お嬢。お疲れ様です」
控室に戻ると。そこで待っていたのは、黒いサングラスにオールバックの黒髪、シックな黒いスーツを身に纏った男性。
カタギには見えないが――正真正銘の、チヨノオーのトレーナー。
「二着に終わってしめぇましたが、素晴らしいれぇすでした。すぐに研究してふぃぃどばっくいたしやす。あっしが思うに、やはりすたみなの底上げをする練習を――」
「……トレーナーさん」
「押忍!」
相変わらず変な方向に仰々しいな、と思いながらも、チヨノオーは指摘しない。もはや何回と繰り返されたやり取りだからだ――それよりも。
それよりも、と、彼女は、言う。
「……実は、お願いがあるの」
「押忍! なんでございやしょう」
「……」
胸の辺りで、手を握り。目を閉じ。
心に居座る、僅かな躊躇いを。迷いを。振り払い。
「私――……」
『それ』を。口にしていた。