「三冠路線? あー……」
放課後。トレーナー室にて。
相談してみると、彼は答えていた。
「いいんじゃねーか。割とアリだと思うぞ」
「え――本当ですか!?」
「声がでけぇよ」
ちょっと苛立たしげに息を吐いたトレーナーさんは、言う。
「今年の有マは見送るにしても、出走を確実にしておくに越したことはない。そのための地固めとして、三冠路線はアリだ。よしんば達成出来なくとも、上位に入賞出来れば十分名声になる。……なんだよその顔は」
「い、いや。だって、てっきり反対されるかと」
「反対する理由がねーだろバカ」
「ば、バカって……」
も、もう。褒めるのか貶すのかどっちかにしてよ……
「ただどっちにしろ、簡単な話じゃねーぞ。特にトリプルティアラなんかは――同期のダイワスカーレットや、ウオッカなんかも出てくるだろうからな」
「承知の上です。……チヨノオーさんも、出てくるかもしれませんよね。場合によっては」
「いや。どうだろうな」
「……その心は?」
「あいつは日本ダービーを目標にしてるって聞く。それに長距離に適性が無いはずだから、三冠路線は見送るんじゃないか」
なるほど。じゃあ、三冠路線を目指す場合は、あの子を意識する必要はないか。
「……で、どうする」
思案する私に、トレーナーさんは改めて問いかけてきていた。
「本当に挑戦するか? 別にしなくても、足掛かりは――」
「――いえ」
試すように言うトレーナーさんに、私は。
口端が吊り上がる感覚を覚えながら――答えた。
「行きましょうよ、三冠!」
そう。
行こうよ――そっちに!
少しでも――『面白そうな』方へ!
「名だたるみんなから、もぎ取ってやりましょう、勝利を!」
「……お前、さっきまでのアンニュイな感じはどこ行ったんだよ」
「へ!? あ、あー……で、でも、ほら! ま、まだ勝てるか、わかんないですし? あはは……」
……彼の言う通りかもしれない。さっきまで私、結構あの、複雑な感情を引きずっていたんだけどな。すぐそこに『楽しいこと』が見えたら、すっかり吹き飛んでしまった。
結局は……そういうことなんだろうな。勝利によって、そんな気持ちになったとしても。それを投げ出すほどじゃない。
楽しいことが第一で……なんというか。
勝負バカ、なんだなぁ……
「けどまぁ、わかってると思うが、お前に関しちゃ、特別忙しくなるぞ」
トレーナーさんは、言う。
「ただでさえ期間が短いのに……例の『お友だち作戦』もやってかなきゃいけないんだからな。気を引き締めておけ」
「……バカにしてます?」
「してます」
「うがー!!」
淀みない答えに、思わず嘶きを上げてしまった。この人は。褒めるのか貶すのか、応援するのかしないのか、どっちかにしてってば。
「まぁー、お前の距離適性を考えたら、目指すとしたらクラシック三冠の方か」
そんな私の苦情をよそに、トレーナーさんは言う。
「まずは直近の皐月賞だな。幸い、弥生賞と会場は同じだが――」
言う。
「どっちかという日本ダービーのが問題だな。あっちはバランスのいい能力が求められるからな。小細工の利かない真っ向勝負に――」
言う……
「――さっき言ったように、サクラチヨノオーが標榜する目標でもある。まず確実に出てくるだろうな。それでなくとも、有望株が入り乱れる混戦になるだろう。今からでも情報収集して……」
「……」
「……だから、なんだよその顔は」
「――あ、えと……」
……さっきは、ぽかーんと口を開けてしまったけれど。
今度は、口元を綻ばせていた。
トレーナーさんは怪訝そうというか……不愉快そうですらある顔をしていたけれど。
私は、それを引っ込めなかった。
「……だって」
そう、だって……
「つい三ヶ月くらい前までは……私のこと、道具みたいに扱ってたのに。こうしてちゃんと考えてくれるのが……なんか、嬉しくて」
「……」
答えると。
彼は、その表情を崩さないまま、浅く息を吐いた。
「……バカウマ」
「へ?」
「そこの雑誌取れ。あー、出来るだけ薄いやつ」
「……これ?」
言われるまま、近くにあった薄い雑誌を取る。彼はそれを受け取り、くるくると丸めたかと思うと――
「――っ!?」
――ぱこーん、と。
私の頭を、思い切り殴っていた。
「――ちょ、え!?」
頭頂部に走る控えめな痛みに――湧き上がるのは、困惑だった。
「な、なんで!? なんで殴られたの今!?」
「いや、なんかムカついたから」
「さすがに理不尽過ぎない!?」
……やっぱり、答えなきゃよかったかも。
心を許さなきゃよかったかも!! あぁー、もう! この天邪鬼!!
「そんなことより、『あいつ』はまだ来ないのか」
「いや話題転換雑すぎでしょ!! もうちょっとやりようあったよね!?」
「もう約束の時間から十分くらい経つぞ」
「っ……!!」
……これ以上取り合う気は無いらしい。特大のため息を吐いて、私はそれに応じた。
「……もうちょっとで来るんじゃないですか。『あの子』、時間にルーズだから――あ」
と。
その瞬間だった。
どこか遠くから、荒々しい靴音が聞こえてきて。
トレーナー室の前で、止まったのは。
「――すんませんっ!!」
で。
それから、荒々しく扉が開かれた。
飛び込んできたのは――綺麗な、赤色の髪。
「遅れましたッ!!」
「おー」
それを認めたトレーナーさんは、特に動じることなく応じる。見るからに怒っても無いわけだけど、その子の顔は……
……カペラちゃんは。
心底申し訳なさそうに落ち込んでいた。
「別にいいぞ。このバカを指導してただけだから」
「で、でも、さすがに初日から遅れるのは……!」
「……っ」
そんな彼女に――
私は思わず、くすりと笑ってしまうけれど。
「……あぁ?」
それまで、拾ってきた猫みたいな態度だった彼女は、急に眉を吊り上げて、ずい、と私の前に歩み出ていた。
「なんだお前。人のこと見て笑ってんじゃねーよ。何がそんなおかしいんだ?」
「いや……だって」
改めて、カペラちゃんの見た目を確認する。
彼女と言えば、いつもパンツルックで。
ボーイッシュな服装が、板についていた。
……その服装は。
今の出で立ちは……
「スカート――ガチで似合ってないなって」
そう。
彼女には、スカートルックは……あまりにも、似合っていなかった。
「は、はぁ!?」
すると彼女は、熟れた果実にみたいに顔を赤らめて、言うのだ。
「開口一番言うのがそれかよ!? 別にいいだろ!! あたしだって着たくて着てるわけじゃねーんだよ!! こんなスースーする服!!」
「えー? 本当かなぁ。実は結構落ち着いてるんじゃないのー?」
「無茶苦茶言うな!! 慣れてたまるかこんな服!! ちっくしょう、こんだけでけぇ学園だから、指定の制服はあると思ってたけどさ……!!」
「駄目だよー、制服以外着ちゃ。見つかったら先生に絞られるからね?」
「なんでもいいけどテメーそのムカつく顔やめろよ!! あたしが苦しんでんのがそんな楽しいか!?」
「え~? まさかまさか。楽しんでなんかないよー。ちょっと面白いだけで」
「それを楽しんでるっつーんだよ!!」
年月を経ても、大して変わらない。
子供みたいなやり取りに、楽しさも笑いも、収められそうになかった。
そういうわけで――カペラちゃんは。例の一件から、正式にこの学園の生徒として迎え入れられた。
最後のブラックレースが、あんまりにも常識外れの規模だったから。庇い切れるのかどうか不安なとこはあったんだけど、そこは理事長さんの超権力でお咎めなしに。
転入試験を含む諸々の手続きを終えて、登校を始めたのがついこの前。
上手く馴染めるかどうか、ちょっと心配だったけど……見たところ、上手くやれているようである。
「はぁ……早く家に帰りたいぜ」
ただ、まぁ。
その慣れない服装は、今のところの彼女の、最大の不満点らしかった。
「こんなの、いい公開処刑だろ……」
「大丈夫大丈夫、そのうち私服もきゃるんってしたスカートになるから」
「絶っっっ対ごめんだ!!」
彼女はあらん限りの力で拒絶するけど、どうだろう。ここの生徒の皆様方の手にかかったら、そうなっちゃってもおかしくない気がする。
そういう方面の趣味に、目覚めちゃっても、不思議じゃない気がする……