16年度の卒業生   作:Ray May

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遊びはおしまいっ! p1

-◆◇◆-

 

 

 

 暖色の灯りが包み込む廊下を、少女は硬い靴音を鳴らしながら歩いていく。

 緑がかった長い黒髪と、頭頂部に生えた耳、そして尻尾が、その動きに合わせて上下する。

 リムレス眼鏡の奥、鋭い目が向かう先は前方であり、一寸も揺らぐことはない。

 壁には、扉が長い感覚で備え付けられており、彼女はそのうちの何枚かを通り過ぎる。

 そうして、ちょうど廊下の真ん中あたり、他の扉よりひときわ豪華、かつシックな佇まいのそれの元に辿り着くと、目の前に立ち、上から下へと一瞥した。

 懐から取り出すのは、一枚の銀色のカード。それを扉の隣の壁に備え付けられたカードリーダーに読み込ませると、ピッ、という特徴的な音が響き、カチャン、という小気味いい音が続いた。

 

 少女は、扉を開ける。

 だだっ広い室内は、灯りがついていない。

 レースカーテンを通ったことで、元の気力を失った日光が、静々と照らすばかりで、もし今が夜中であれば、中の様子を満足に確認することも出来なかったであろう。

 そんな部屋の中に――何やら、下品な音が響き渡っている。

 グゴゴゴゴ、ゴガガガガ――擬音にすればそんなところ。

 誰がどう聞いても明らかな、非常に耳障りで不愉快な音――

 いびきだった。

 

「……」

 

 少女は部屋の中を歩き、その音の発信源の傍に立つ。

 それは、大きなベッドの上。

 オールバックの白髪に、しわくちゃの顔。洋風の内装に似つかわしくない、だらしなく着崩された浴衣。目にはへんてこな目隠し。

 その人物――男性は、少女が傍に立とうとも、気付いたそぶりも見せず、いびきをかき続けている。

 つまりは、奔放に眠り続けている。

 

「……」

 

 少女は、しばらくそれを無表情に見下ろしていたが、コキ、コキ、と首を軽く鳴らすと。

 その男性の腹部目がけて、側面から倒れ込みつつ、自身の『肘』を突き立て――

 

「――起きてくださいお父様」

 

 そんな言葉と同時に。

 思いっきり、突き立てた『肘』を、腹部へとぶち込んでいた。

 

「おごぉっ!?」

 

 男性の喉の奥から、この世のものとは思えない奇声が走る。

 それと同時に男性は、それまで眠っていたのが嘘であったかのように、じたばたと腹部を抑えると、やがて悶え、苦しみ、ぷるぷると震え出した。

 

「ちょっ……おまっ……はらっ……だっ……しっ……しぬっ……」

「――二分遅刻です。お父様」

 

 そんな様子にも関わらず。少女は無慈悲に続けていた。

 

「先方は既にお待ちです。さっさと準備を」

「ぇ……あ? も、もうそんな時間?」

「もうそんな時間です。とっとと起きてください。三分遅刻です」

「目の前でタイムキープはやめてくんない? 威圧感すごいよ?」

 

 しかし言いつつも、男性は急ぐそぶりを見せない。やれやれ、とばかりにベッドから体を起こし、目元に装着していた目隠しを外す。

 目尻まで、皺は無情に侵食していたが。

 その顔つきは、活力にあふれていた。

 

「……あれ。でもおかしいな。アラーム付けたはずなんだけど」

「アラームですか」

 

 男性のマイペースなぼやきに、少女は答える。

 

「それならつい先ほどまで、二分おきに三十回ほど鳴り続いていましたが」

「なんでその時点で起こしてくんないの!? そんなに『お父さん』のお腹にエルボーかましたかった!?」

「あれだけ鳴ればきっと起きると信用してのことです。恨むならご自身を恨んでください。十分遅刻です」

「流れるようにタイムキープしないでくんない? 語尾みたいになってるよ?」

「お父様が手早く準備をしてくださるのであれば、語尾にするのも吝かではありません十一分遅刻です」

「あー、もう。わかったわかった」

 

 そこまで来て、男性はようやくベッドから立ち上がる。ただそれは本当に立ち上がっただけであり、それに続く動作は、相変わらず緩慢だった。

 のそのそと、衣装の収められているクローゼットへ向かう。

 

「やれやれ。『ヒスイ』ちゃんは焦り過ぎなんだよ。商談相手は確か『小林君』だろ?」

「えぇ。そうです。小林商事の社長のご子息、かつ副社長の。個人的に親しいということですが」

「大丈夫大丈夫! 彼なら三十分遅れても、笑って許してくれるから!」

「それ許してるんじゃなくて呆れてるんです」

 

 男性は笑いながら、衣服を以って脱衣所へ足を向ける。ほどなく出てくると、その出で立ちは、先ほどのだらしなさとは無縁となる。

 古風な、威厳を感じられる、純和風の着物。

 

「よろしいですか。早く行きますよ」

 

 少女は――ヒスイは。

 ヒスイレグルスは。飽くまで機械的に急かす。

 それにようやくやる気を出したのか、男性はわかったよ、と肩をすくめ、返事をする。

 

「あぁそういえば――」

 

 部屋から出て、歩き始めると同時。

 男性は、ヒスイに目を向けて言った。

 

「昨日の新聞。見たかい?」

「えぇ、見ました」

「どうだった?」

「そうですね……」

 

 男性は何かを期待しているかのように、そわそわとする。

 

「――やはり最近の逼迫した世界情勢は、無視出来ない事象のように思います。我々も国内大企業の草分けとして出来ることを――」

「いやそうじゃなくて。いやそうなんだけどね?」

 

 が、返ってきた感想は男性の期待したものではなかったために、彼は悔しげにため息を吐いた。

 

「もっと、こう、あるだろ? ほら。スポーツ誌とか。……見ないの普段?」

「見ません。見る必要がありませんので」

「あぁ~年頃の女の子がそんなんじゃ、お父さん心配になっちゃうよ……」

「余計なお世話です十八分遅刻です」

「あ、忘れてなかったんだ、語尾」

 

 肩を落としながら、やがて男性はエレベーターに乗る。ヒスイもそれに続き、エレベーターが稼働する。

 

「……ほら。一面に載ってたろ。君のお友達の――ミザールちゃん。弥生賞で一着だって」

「……そうですか」

「そうですかって……それだけ?」

「それだけですが」

「話、終わっちゃうんだけど」

「この移動時間もそろそろ終わりますね」

 

 ヒスイが口にしたと同時、エレベーターが停止する。扉が開くと、目の前には一階のロビーが広がる。

 

「――あ、社長!! お疲れ様です!」

「おはようございますっ」

「うむ。おはよう。……そっか。もうご友人の栄光にも興味はない……か」

「……興味」

 

 返事をする父の背中は、彼女の目には、いつもより小さく感じられた。胸にざわざわとした違和感を覚えながら、彼女はそれをぐっと押し込め、

 

「――、申し訳ありません。私はもう――」

「――いやー、小林君! 長らく待たせたね!」

「あ、社長! いえいえ、とんでもない!」

 

 が、その先の言葉が紡がれることはなかった。

 父は、社長は、ロビーで待っていた一人の男性に声を掛け始める。

 

「……」

 

 まぁ、と彼女は考えた。

 タイミングを逸したところで、こんなことを言ったところで。今更何にもならない。

 ならば何しろ、前のことに集中しよう、と。

 いつもと変わらずに。

 いつも通りに。……

 

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