「――いっやぁー、しかしいいレースだったよなぁ!!」
街中のとある居酒屋。
がやがやと楽しげな騒ぎの中で、ひときわ大きな男声が響いた。
「期待の新鋭同士のデッドヒート! 久々にスタンディングオベーションをかましたくなったぜ~! な、お前の担当も、さぞ喜んでたことだろ!?」
「いや、結構複雑そうな顔してたっすよ」
「くぅ~! ストイックだねぇ! 青春だねぇ~!! だがそれがいいってなぁ!!」
「そっすね~」
ミザールの担当は、ちびちびと麦茶を飲みながら、ジョッキを片手に絡んでくる男に対応する。
その男はいつものように、茶色がかった髪を短いポニーテールにしていたが。様子はいつもとは異なっていた。
声は大きくなり、気さくに絡んできており、何より背を叩く、と言った、男らしいスキンシップがよく見られていた。
「――すみませんね。嫌だったら突き放しちゃっていいんですよ」
それを、別の男性が傍らから見守る。軽くウェーブのかかった長めの前髪から覗く瞳は優しげだったが。言葉には、最低限度の優しさしか感じられなかった。
「おーいおい南坂ぁ! コイツにあんま良くねーこと吹き込むんじゃねぇよ~。どうせ例の俺が痴漢だっつぅ話もお前が吹き込んだんだろ~!?」
「いやいや、良くないことじゃなくて事実で……それに痴漢っていうのもある意味事実でしょう西崎さん」
「あぁ~ん!? なんだよぉ、揃いも揃って人を犯罪者扱いしやがってぇ~!!」
ポニーテールの男――西崎は不満げに言い。
優しげな男――南坂は、それに苦笑いで応じる。
担当は――ちょうどその真ん中に挟まれる形だが。彼は特に気に掛けず、ちびちびと麦茶を口にしていた。
先日の弥生賞の、祝勝会。
今回の飲み会は、名目上はそのようになっている。
だが実際、件のサクラチヨノオーやサファイアミザールとは繫がりの薄いトレーナーや職員が呼ばれている辺り、それは正しく名目であり――
要は単に、誰もが騒いで飲みたい、というだけの話だった。
「おい、なんか言ってやれよ担当クンよぉ。こいつどうせ腹ん中で良からぬこと考えてんだぜ~!?」
「ちょ、ちょっとちょっと! 変なこと入れ知恵しないでくださいよ! 後ろめたいことなんて一度もしたことないんですから!!」
「そーう言って一年……あれ二年か? とにかくそれくらい前には、テイオーの引退ライブをジャックしたじゃねーかぁ!!」
「いやいやいや! あれも正式に否定したじゃないですか! 人聞きが悪いなー!!」
「けっ、けっ! いーですよいーですよ、俺みてーなオッサンは若い衆には要らんってことだろ! いーよいーよ、オッサンは一人寂しく飲んでますよ……あっ、おハナさん酔いつぶれてんのー!? 大丈夫ー!?」
「……はぁ、やれやれ」
まるでハチドリだな、と嘆息しながらも、南坂はようやく席に落ち着き、困ったように笑っていた。
「……すみませんね。こんなとこに無理矢理引っ張ってきちゃって」
「構わないっすよ。嫌いじゃないんで。自主的に来たから無理矢理でもないし」
「素面であのテンションについていけるのはすごいですよ」
「まぁ、素でもっとやべー奴相手にしてきてるんで」
「はは……心中お察しします」
南坂はそれに苦笑いを浮かべると、それで、と閑話休題した。
「どうです? 例の作戦とやら」
「あー」
例の作戦。それが何なのかは、もはや確認しない。西崎が新たに瓶ビールを頼んだのを見届けつつ、彼は答えた。
「三人目をどう篭絡するかって話にはなってます」
「篭絡て……あれですよね。確か、ヒスイグループのご令嬢の」
「そっすね」
既に酔いつぶれている別のトレーナーにヘッドロックをかました西崎は、彼に無理矢理にビールを飲まそうとしている。そんな彼の頭を、また別の女性トレーナーは強めに引っ叩いていた。
「すっごい子と繫がりがあるものですね。でもそう簡単に接触出来るんでしょうか」
「アポ取るのも難しそうっすよね。やってみるつもりではありますけど」
「しかもお父様が、とんでもないほどの親バカだとか。そうそう手放すのですかね」
「まぁ、嫁に行くわけじゃないですし」
なんとかはなるんじゃないか、とは考える。それでも確信を持てるか、と言われたら、それは違っていた。
現ヒスイグループ総裁――
三代目にして、当時落ち目だった会社を、現在の大企業にまで建て直した手腕の持ち主。
人柄も良く、社内外からの評判も上々とのことだが――
こうして全く関係のない一般人の耳にも入る程度には、件の人の親バカ具合は極まっているとのこと。
実際――社名も、娘が産まれた時、その名に因んで変えたとかなんとか。
「この間のガーネットカペラみたいな騒ぎにならなきゃいいですよ。もうあんな経験はごめんだ」
「とかいって、結構ノリノリだったって聞きましたけど」
「俺はただ車走らせただけっすよ」
「え? でも本人がドローンとか飛ばしてたって」
「……あのバカとっちめてやる」
自分の与り知らないところで、許可していない情報が流布されるのはたまらない。そう思うと同時、西崎があらぬ嫌疑をかけられるのも、こんな気分なのかもしれないな、などと彼は考えた。
「あはは……まぁそう怒らずに。あの子、すっごく楽しそうに話してたんですよ。それだけ感謝してたってことですね」
「やってる側は寿命縮まりましたよ。何せ車のルーフに掴まってドライブしたんすから」
「本当に命があってよかったですよ」
がちゃん、と派手なガラスの音が響く。西崎が、コップ一杯のお冷を盛大にテーブルに零していた。それに合わせ、残念そうな絶叫が盛大に響く。
「……『もう一人』の方はどうです? 確かコハク……」
「コハクダブルスター。どうせいつか相手にするわけですから。一応下調べはしてるんすけどね」
「何も出てこない、と?」
「びっくりするほど。いよいよ妄想なんじゃないかって疑ってるっすよ。なーんであいつの同級生は、揃いも揃ってこう……変わってるのか」
「何かの運命かもしれませんね?」
「迷惑っすね」
「――二人ともー! ちょっと手伝ってー!」
「はーい」
――コップを倒したのは偶然ではなかったらしい。
酔い潰れた西崎を抱え起こすのを手伝った時、担当は冷静にそう思った。
「――じゃ、今日はどうもありがとうございました」
「お互い様っす」
店の外、タクシーに西崎を乗せ、南坂は彼に言っていた。
「また何かあったら協力させてください。件の作戦、聞いてる限りじゃ面白そうです」
「聞いてるだけでしたらね。……実際、あのじゃじゃウマに振り回されるのは疲れますよ」
「退屈よりかはマシです」
にこり、と南坂は笑った。
「……例のヒスイグループも、大企業だからと敬遠していたら、届くか届かないかもわからない。駄目元で一度連絡してみてはどうですか? 案外応じてくれるかもしれませんよ」
「……そっすね」
「それじゃ、また明日」
「はい。お疲れ様っす」
駄目元。
走り去るタクシーを見送りつつ、彼は考える。
担当はどちらかというと、様々な物ごとに対して事前に準備し、計画的に運ぶ方を好むが。それに囚われずに変わったものをいくつも見てきた。
それを抜きにしても、事は、きっかけがなければ。動き出す要因が無ければ、いつまで経っても変わらない。
届くか届かないかもわからない。
それがわかることは、確かに大きな一歩ではあった。
「……試してみる、か……」
スマートホンを取り出し、視線を落としながら。
彼は誰にともなく、そう呟いていた。