「――え」
で。グラウンドにて。
告げられた言葉に、私は、呆然と声を漏らしていた。
「あ、アポ取れたんですか!?」
「……しかも昨日の話だ」
昨日……昨日って確か、トレーナーさん飲み会に連行されたって言ってなかったっけ。その前に頼んだのかな。でもそんな雰囲気は……いやまぁ、とにかくなんでもいい!
「――ありがとうございます!! ど、どうやってアポ取ればいいのかなって、実は私も、昨日遅くまで悩んでて……!」
「今日ちょっと眠そうなのはそのせいか」
そうです。ちょっと眠いです。まぁ、正直、眠い上に……
「ついでにちょっと頭もくらついてるんですけど。今日は早めに寝るので大丈夫です!」
「そうか。まぁーそれならそれでいいんだが。あー……」
「?」
意味深な声に、思わず小首を傾げると。彼は複雑そうな表情を浮かべた。
「……先方が、時間を指定してきたんだよ」
それから、答える。
「お前が言ってた通り、スケジュールがぎちぎちらしい。直近で空いてるのはそこしかないと」
「いつ、なんですか? それって」
「……明日の16時20分から、16時30分」
「――!?」
続けられた言葉に。
思わず絶句してしまった。……聞き間違いでも、勘違いでもないだろう。
ちょっと待ってくれ。
16時20分から30分って……それって、つまり。
「そうだ」
私の内心を汲み取ったみたいに、トレーナーさんは言った。
「あいつと話せる時間は――10分だけだ」
「……」
「場所はヒスイグループ本社ビルの、ロビー休憩所。まぁ授業終わってすぐに向かえば間に合うだろう」
「た……たった10分で、説得しろってことですか」
「用件は伝えてない。ただ話がしたいってだけ言っておいた――向こうは説得しに来るとすら思ってないだろうな」
説得、って言葉を無暗に使ったら、警戒されると考えてのことだろう。きっと。で、でも……
それにしたって、10分だけ? それだけあれば、カップラーメン三個は作れるけどさ。
人とお話して、納得させて、決心させるのに、それだけじゃ足りない。足りるわけがない。
交渉に慣れたビジネスマンならともかく、私みたいなちんちくりんじゃ……
「幸い、人数の指定はしてこなかったし、こっちもしなかった。不安なら誰かに付き添ってもらうといい」
「……ネゴシエーターみたいな生徒って、ここにいないんですかね」
「頭の回転が速いやつはいるが。説得に向いてるかどうかは別だな」
「いるだけで思わずこちらに着いて来たくなる魔性の生徒とか……!!」
「本来の目的からズレるだろ」
……どうやら搦め手は使えなさそうだった。真っ向勝負で、なんとか引き入れるしか……ないのか。
「……まぁ、今回限りの交渉ってわけでもない」
肩を落とした私を見かねてか、トレーナーさんは言ってくれた。
「無理だったら、また次の約束を取り付けて話せばいい。どっちにしろ、人の心を傾かせるのには、長い時間がかかる。お前もよくわかってるだろ」
「……」
カペラちゃんの一件を思い出す。あの時も、何日もあの子の家に通い詰めて、辛抱強く説得した。
確かに。あの時と同じことをやれれば……
「……潜入技術、習得しますか……!!」
「そういう意味じゃねーよ」
またも呆れられてしまった。まぁ、そうだよね。そういうことが出来れば、一番いいんだけど。さすがに犯罪すれすれなことをする勇気は、私にはない……
……
まぁ、それこそカペラちゃんの一件で、結構やらかしてるけど。
「さ、休憩はここまでだ」
そこで、トレーナーさんは言う。
「とりあえずもう一周外周。さっきも言ったけど、ペースを意識した走り方でな」
「……わかりました」
ともあれ、そういうのを考えるのは、全部が終わったあとか。
そういうわけで、トレーナーさんに言われた通り、もう一度、グラウンドを走り始める。……
バベルの塔。
人間が神様に手を届かせるため、大昔に作っただか作られてないだか言われている、それはそれはどでかい塔のこと。
神話上のお話だそうなので……実在していたかどうかの議論はともかく。実際にそれに相応しいくらいのどでかい建物を見てみたい! という人がいるのなら、是非ともその人に見せてあげたいものである。
……私『たち』が目の前にしている、この建物を。
「うっひゃあー!!」
いかにも驚いたというか、もはや楽しそうですらある声が、そこで響き渡る。
「前々からめっちゃ大きい建物思てたけど、実際見てみると想像以上やなぁ!」
特徴的な関西弁に。
「メジロのお屋敷とは、また違った迫力がありますわね……」
優雅なお嬢様言葉。
どちらも――私が、もうすっかり聞き慣れた声。
「……本当にこんなところに勤めていますの? ご友人は」
「……はい。間違いないです」
片方――マックイーンさんに訊ねられて、私は答える。
もう片方――タマちゃん先輩は、まるで遊園地に来た子供みたいに、爛々と目を輝かせていた。
誰かに付き添ってもらうといい――トレーナーさんの言葉に甘えて、声を掛けたのはこのお二人。
傍にいてくれれば安心出来そうなタマちゃん先輩と、オブザーバーになってくれそうなマックイーンさん。
二人も二人で忙しいだろうに、付き合ってくれたことには感謝してもし切れない。
その優しさを無駄にしないためにも、少なくとも、何かしらきっかけを――収穫を得なくてはな、と、それを改めて見上げる。
ヒスイグループ本社ビル。
私たちが立っているのは、正確には、その手前の正門付近。
ビジネススーツに身を包んだ男女やら、高級そうな乗用車やらが、先ほどからひっきりなしに出入りしており、ただのそれだけで、超一流企業だということをこちらに感じさせる。
マックイーンさんが、先にあんな風に訊ねてしまったのも無理はない。
およそ、私たちと同年代の女の子が、見習いと言えど――働いているとは思えない。
そういう雰囲気。
「なぁなぁ。でもこれどうやって入るんや? 普通に入ってえぇんか?」
「えっと……確か守衛所で手続きしろって言ってました」
こちらに来る直前、トレーナーさんに言われたことを思い出す。手続き、って言われても、具体的に何をすればいいかわかんないんだけど。とりあえず話せばいいのかな……
「私にお任せください」
なんて、ちょっと躊躇っていると。前に出ていたのは、マックイーンさんだった。
タマちゃん先輩と顔を見合わせてから、その背に着いていく。マックイーンさんは、正門横の守衛所に辿り着くと、こんにちは、と、中で座っている守衛さんに話しかけていた。
「16時20分から、ヒスイレグルスさんとの面会の約束をしております、サファイアミザール以下二名です。入場の許可をいただきたいのですが」
「――少々お待ちください」
守衛さんは、近くの電話機を手に取ると、何事かを確認し始める。数秒の間の後、受話器を置き、何やらガサゴソとやった末、一枚の紙の取り付けられたクリップボードと、三人分の、ネックストラップの着いたカードケースとをこちらに差し出していた。
「こちらにお名前の記入をお願いします。ID番号の欄にはゲストとお書きください。構内では必ずそちらの来客証を提げていただきますように」
「わかりましたわ」
流れるように返事をし、記入を始めるマックイーンさん。私とタマちゃん先輩は、思わず顔を見合わせたけど、それに倣って、記入とカードの受け取りを済ませる。
「入場後は正面受付にて、改めて用件をお伝え下さい。その後は係員の指示に従ってください」
「わかりましたわ。ありがとうございます」
で……そのまま入場と相成った。なんともなしに先頭を歩くマックイーンさんだけど、私は、あるいは私たちは、呆気にとられるしかなかった。
「……手慣れてますね」
「これくらい、淑女の嗜みとして当然ですのよ?」
「なんや、ここ最近のあれこれで忘れとったけど、そういえば名家のお嬢様やったな自分……」
「褒め言葉として、受け取っておきますわね?」
肩越しに、にこりと笑うマックイーンさん。面会を申し込んだのは私なので、本当なら私が先頭に立たなきゃならないんだけど。なんか下手に矢面に立っても大失敗する予感しかしないので、そのまま彼女に任せてしまうことにした。
構内に敷設された横断歩道を渡り、ビルの自動ドアを通る。
外観に違わず、内部も高級そのもので……見た目はまるでホテルのフロントだった。その中を、また何人ものスーツ姿の男女が行き交っている。
ある人は、携帯電話で通話をし。
ある人は、何事かを談笑し。
ある人は、書類を確認している……
すごい。
これが……日本屈指の大企業の内部……か……!