16年度の卒業生   作:Ray May

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遊びはおしまいっ! p5

-◆◇◆-

 

 

 

「そこで、一緒に走りたいの。あなたと」

 

 ヒスイは答えない。

 

「私だけじゃない。カペラちゃんや、コハクちゃん……色んな先輩、仲間と……最高峰の舞台でさ」

 

 ヒスイは答えない。

 

「――有マ記念で。一緒に、走りたいの」

 

 ヒスイは。

 答えない。

 

「だから……どう? 学園に……来てくれない?」

 

 無表情に。無感情に。

 一寸も、揺らぐことなく。

 

「一緒に。夢を、叶えてくれない?」

 

 ミザールを。見つめ続けていた。

 

「……どう?」

「……」

「……ど、どうなの……?」

「……」

 

 相変わらず、エントランスは、人が行き交っている。

 彼女らの会話など、誰もが知る由もない。

 お疲れ様です――そんな声が、にわかに増え始める。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

 

 無言の時間が。

 そこで再び、訪れ。

 

「――おい、どうなんやって訊いとるやろ」

「!」

 

 痺れを切らしたように。

 言ったのは、タマモクロスだった。

 

「何黙っとんねん。時間が限られてんねんぞ! それとも時間稼ぎのつもりか!?」

「ち、ちょっとタマちゃ――」

「――申し訳ありません」

 

 激高しかける彼女を、ミザールが窘める中。

 ヒスイは、唐突に頭を下げていた。

 

「少し……面食らってしまいまして」

「あ……あぁ。そうなんだ」

「えぇ」

 

 頭を上げた彼女に、ミザールは一旦は胸を撫で下ろす。それが、質問への答えかと思ったからだ。

 

「まさかあなたが、」

 

 だが、答えはまだ、終わっておらず。

 

「本当にまだ、」

 

 果たして。

 ヒスイは――

 言っていた。

 

 

「『かけっこ』に精を出しているとは思っていなくて」

 

 

 はっきりと。

 淀みなく。

 そう言った。

 笑うでもなく。

 嘲るでもなく。

 本当にただ――

 無機質に。

 それが。

 ただ一つの真実であるかのように。

 

「……」

「……」

「……」

 

 ぴり――と。

 空気が、張りつめる。

 ミザールの耳には。

 それまで聞こえていた喧騒が、急速に遠のいた気がした。

 冷汗を垂らし。眉を顰める。

 あぁ――変わっていないと。

 本当にこの子は。

 何も変わっていない、と。

 

「……あ」

 

 平静を。

 平静を装い、ミザールは言う。

 

「あ――ははは。そ、そうなんだー。まだ精を出してるの。すごいでしょ」

「そうですね。そのような時間があることは素晴らしいことです」

「う、うん。でね。そのかけっこに、ヒスイちゃんも参加してほしいなって話で……」

「申し訳ありません。出来ません」

 

 食い下がる彼女に――

 ヒスイは、再び頭を下げる。

 

「先ほども申したように、そのような時間はありませんので」

「い――いや。でもさ。そのー……何? 検討くらいはしてほしいっていうか」

「申し訳ありません。これも先ほど申しましたが――私には、果たさなくてはならない『責任』があります」

 

 鉄のように。

 岩のように。

 揺るがずに、ぶれずに。

 

「――『遊び』は」

 

 答えた。

 

「もう、初等部で卒業しましたので」

「――ッ!!」

 

 刹那――

 動いたのは、タマモクロスだった。

 彼女は、ミザールを押しのけ、前に出たかと思うと。

 ヒスイレグルスのスーツの襟首を掴み――

 引き寄せ。

 至近距離から、睨みつけていた。

 食わんばかりの勢いで。

 そのまま、絞殺せんばかりの勢いで。

 

「――ちょ、」

 

 押しのけられたミザールは、ほんのしばし呆然としたが。

 その暴力的な行為に、慌ててタマモクロスに縋りつく。

 

「ちょちょちょちょ!! タマちゃん先輩……!!」

「――今何て言うた」

 

 にも関わらず。

 タマモクロスは、それを意に介さず、言う。

 

 

「今何て言うたッ!! ウチにもっぺん言ってみろやッ!! おいッ!!」

 

 

 彼女の、威圧的で――稲妻のような怒号が、エントランスに響き渡る。

 その異様な光景に、さしもの社員たちも注目する。

 怪訝そうに、あるいは心配そうに、彼女らの様子を、遠巻きに見守る。

 

「だ、駄目ですってば先輩!! さすがにここでそういうのは……!!」

「やかましいわ!! 関係あらへん!! ここまで言われて黙っとれ言うんか!? そないなこと出来っかい!!

「い、いやいや! その、ヒスイちゃんはそういうつもりじゃ……!!」

「タマモさん。落ち着いてくださいませ」

「――っ!」

 

 そんな二人の懇願の末、タマモクロスはようやく離れる。

 猟犬のように息を荒げる彼女を、ミザールが落ち着かせる中。前に出たのは、マックイーンだった。

 

「……申し訳ありません。せっかくのスーツが」

「いえ」

 

 スーツを軽く整えたヒスイは、怒っている風ではない。あのようなことが起きたにも関わらず。あのようなことをされたにも関わらず。その表情は、崩れていなかった。

 相変わらず――無機質な、無表情のままだった。

 

「お気になさらず。『いつものこと』ですので」

「……あなたのお考え。理解出来ないことはありませんが」

 

 そんな彼女に、マックイーンは言う。

 

「もう少し……言葉を選んだ方がいいように思います」

「はい。配慮が足りませんでした。申し訳ありません」

「……」

 

 それに、反論することもなく――

 ヒスイは、再三、頭を下げる。

 マックイーンは、そのあまりに潔い姿勢に、怒りよりも――

 呆れに近い感情を抱いた。

 

「……ヒスイちゃん」

 

 タマモクロスを窘め――

 ミザールが、再び前に出る。

 

「本当に、本当にもう、レースに興味が無いの?」

「……」

 

 ヒスイは答えない。

 

「学園生活にも、誰かと過ごすことにも、意味がないって思ってるの?」

 

 ヒスイは答えない。

 

「私たちと一緒に、昔みたいに、バカみたいなことしたいって。もう、思ってないの?」

 

 ヒスイは……

 答えない。

 

「……」

 

 目を伏せ。

 何事かを思案するように、しばし無言になり。

 

「……先ほども申しましたが」

 

 言った。

 

「私が興味を持っているかどうかは。問題ではありません」

「――、だから、そういうことじゃ――」

 

 と。

 さすがのミザールも、感情をあらわにし。声を荒げかけた。

 

「――!」

 

 その時だった。

 無機質な電子音が、響いていたのは。

 ヒスイの目が、右手に装着した腕時計に落ちる。

 彼女がそれに指を押し当てると、音は鳴り止んでいた。

 

「……時間です」

「……へ」

「では、私はこれで」

「ち――ちょっと待ってよ!」

 

 制限時間――

 彼女と話せる、勝負の10分が終わった。

 ヒスイが、無慈悲に背を向け、歩き出す中――ミザールはしかし、なおも縋るように呼びかける。

 

「ヒスイちゃん!! お願い!! あと少しだけ――!!」

「おいこらッ!! 時間盾にして逃げる気か!?」

 

 それに呼応するように。

 タマモクロスも、叫んでいた。

 

「さっきから触りのいい事ばっか話して、根本的な答えになっとらんやん!! 本当はミザールと正面切って話すのが怖いんやろ!! 言い訳ばっかせんとしっかり話してみぃや!! この――このッ――!!」

 

 遠ざかる背中に。

 自身の想いの、全てを込めて。

 

 

「臆病者ッ!!」

 

 

「……」

 

 ……その時。

 ヒスイは、そこで立ち止まる。

 ゆっくりと。

 彼女らの方に振り返った。

 

「――……」

 

 その瞳は。

 先ほどまでの、無機質なものではなく。

 確かに――憤怒の色に、燃えていた。

 

「……あ」

 

 だが、それも一瞬。

 再び、背を向けると。

 彼女は、自らのやって来た方向へと、歩き去っていた。

 

「……」

「……」

「……」

 

 それを見送ってなお。

 三人はその場で、しばらくの間、立ち尽くしていた。

 

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