16年度の卒業生   作:Ray May

69 / 163
雨の日◎ p3

-◆◇◆-

 

 

「……」

 

 ……目が覚めると、そこは『社長室』だった。

 頭が、ぼんやりとするのも束の間。

 

「――っ!!」

 

 急速に意識が鮮明になり、今、自分の置かれている状況を理解する。

 悪寒と共に立ち上がると、身体から毛布がずり落ちていた。

 それが何よりも、私の脳裏をよぎった推測を確かなものにしていた。

 

 ……しまった。

 私としたことが。

 よもや、社長室の椅子で……寝落ちするなんて。

 なぜこんなことになったのか――なんて、わざわざ確かめるまでもない。私はいつものように、社長をここまで呼びに来て。でも再三の呼びかけにも応じないものだから、またエルボーをかまそうとして……

 ……さすがに連日の暴力はまずいだろうから。まだ時間もあるから、ということで、椅子でぎりぎりまで待とうとしたら……

 自分が、寝てしまったのだ。

 

「……、」

 

 思わず、頭を片手で抱え、ため息を吐く。自分への恥ずかしさと、軽い後悔――に苛まれたと同時、足元に、手紙らしきものが落ちる。

 それはどうやら、お父様による直筆のメッセージのようであり――

 内容は。

 

 

『やっほ~☆ 起きたかな? あんまり気持ちよさそうに寝てたから、お父さん自力で起きちゃったよ☆ 今日は仕事のことは忘れてゆっくりやすみなさい! なんならそのまま泊まってくれちゃってもいいよ☆ おやすみ~』

 

 

「……」

 

 ……いつもなら苛立ちを募らせる文面だけれど、今の私に、そんな風に振舞う権利はない。

 肩が落ちるのを自覚しながら、椅子から立ち上がる。軽く伸びをすると、身体からぽきぽきと小気味い音が鳴った。……本当に、疲労で寝落ちしてしまったらしい。

 

「……、」

 

 口から漏れ出るのは、ため息。

 義務と責任を負いながらも、それを投げ出してしまった、負い目からのもの。

 特段緊急の連絡も来ていないから、きっと私がいなくても、仕事の方は何とかなったのだろう。

 ただそれでも、申し訳なさという情念は、胸の内に汚れのようにこびりついている。

 

 ……もやもやと。

 漂い。憂鬱な気分にさせる。

 このままここに留まって、お父様に謝罪するのもいいだろう。

 けれど、自分のミスのために、彼の私生活を侵害するわけにはいかない。

 何より。

『一人暮らし』を選択したのは、自分なのだ。そのように……甘えたくもない。

 ……明日。

 明日、改めて謝罪しよう。名誉の挽回も、汚名の返上も、それからでいい。……

 ……

 

「……」

 

 もう……

 疲れた。

 

「……、」

 

 翳った気持ちを小さく吐きながら、社長室から出る。

 エレベーターへ向かう足取りも、いつもより重い。

 その原因がどこにあるか……は……

 なんだかもう。

 わかりそうになかった。

 ……エントランスには、もう日中ほどの社員はいない。

 定時を過ぎているのだから、残っているのは残業の社員と宿直だけ。

 いつもと変わらぬその景色に、いつもなら特別な感情は抱かないというのに。

 今日は違っていた。

 先日の――出来事が。記憶が。

 望んでもいないのに、目の前に、蜃気楼のように、立ち込める。

 

『本当に、本当にもう、レースに興味が無いの?』

 

「……」

 

『学園生活にも、誰かと過ごすことにも、意味がないって思ってるの?』

 

「…………」

 

『私たちと一緒に、昔みたいに、バカみたいなことしたいって。もう、思ってないの?』

 

「………………」

「……ヒスイさん?」

「!」

 

 声が聞こえて。

 ハッとなって振り向くと、そこには、社員の一人がいた。

 受付を担当している女性社員だ。いつもならその顔は、見る者を安心させる優しげな笑顔に綻んでいるが。

 今の表情は、それとは遠い、心配そうなそれになっていた。

 

「……なんでしょうか」

「あぁ、いえ。なんだか、悩んでるように見えたので……大丈夫ですか?」

「……えぇ。問題ありません。お仕事、お疲れ様です。私はこれで……」

「あ、ちょっと……」

 

 呼び止める声を振り払い。

 ビルの外へと出る。

 寒いとも暖かいとも言えない風が、盛大に出迎えてくれるけれど。

 解放感も清涼感も、覚えることはなかった。

 心も頭も――閉塞感を、拭えない。

 外に出たのに。

 監獄にでも、足を踏み入れたみたいだった。

 

「……」

 

 それでも、突っ立ってるわけにもいかない。

 正門――出口へと、歩いていく。

 そうしてちょうど、敷地外へと足を踏み出した時。

 

「――お」

 

 その声は。

 聞こえてきていた。

 

「……?」

 

 出所は、横の方。

 そちらへと、目を向けると。

 

「来た来た」

 

 ちょうど――見覚えのない誰かが。

 こちらへ、パタパタと駆け寄ってきていた。

 

「……ヒスイレグルスちゃん、だよね?」

 

 そして、目前に辿り着くなり。そんなことを言い出す。

 突然すぎる出来事に――私は呆然とするしかなかったが。

 

「……そう、ですが」

 

 不用意にも、そう答えていた。

 

「あはは。よかった。外れてたらどうしようかと思ってたよ」

 

 するとその人は――女性は。

 より厳密には――『ウマ娘』は。

 

「――あのさ、」

 

 嬉しそうに笑いながら。

 言っていた。

 

「ラーメン、

 

 食べに行かない?」

 

 ……その。

 あまりに唐突で、不可思議な申し出に。

 

「は……?」

 

 頓狂に、言葉を漏らした。

 私の視線の先、彼女の頭部には――

 “CB”という装飾の輝く、白いミニハットがあった。

 

 

-◆◇◆-

 

 

 男らしい威勢のいい声が響き渡る中で、ミスターシービーは手を合わせていた。

 

「――じゃ。いただきます」

「……はぁ」

 

 彼女らが着くテーブル席には、二人分のラーメンのどんぶりがあり。

 シービーは、割り箸で中を軽くかき混ぜる。

 

「世の中には色んな味のラーメンがあるけど、ここのは昔からずーっと変わってないんだよね。シンプルな醤油ラーメン一筋。言う人に言わせれば物足りないかもしれないけど、このシンプルさこそがいいんだよ」

 

 それから、スープの中から麺を掬い上げると。一息に口に含み、咀嚼し、心底幸せそうに顔を綻ばせていた。

 

「ん~! これこれ! こういうのでいいんだよ~」

「そうですか……」

「ん?」

 

 子供のようにはしゃぐ彼女を――対面。

 ヒスイレグルスは、呆然と見守っており。それを見たシービーは、少し残念そうに眉を下げていた。

 

「あれ。もしかして、ラーメン好きじゃなかった?」

「いえ……そういうわけではないですが」

「じゃあ早く食べちゃいなよ。冷めないうちにさ」

「……はぁ」

 

 実際、それは嘘ではない。脂っこいものを避ける自分ではあるが、食べられないわけではないのだから。差し出されればもちろん食べるのだが。

 それでもヒスイは、目の前のラーメンを覗き込みながら、こう思わずにはいられなかった。

 ……なんで。

 見ず知らずの人と、ラーメン食ってんだろうか、と。

 ともかく、と彼女も、言われるがままにラーメンを口にする。

 確かに、味はシンプルなもので、雑味も、しつこさもなかった。

 故に、すぐに食べ終わる。

 

「――よし、ごちそうさまでしたっ」

「……ごちそうさまでした」

 

 終始困惑しながらも、ヒスイは腕時計を確認する。時間は、六時を回ろうとしていた。

 

「……あの」

「ん?」

「よろしいでしょうか」

「あー、そうだね」

 

 シービーの返事に、ヒスイは胸を撫で下ろす。このよくわからない、拉致とも誘拐ともとれる行動から、一刻も早く解放されたかった――その一心だった。

 

「――じゃ、『次』行こっか!」

「……は?」

 

 が。

 続けられた言葉に、彼女は、素っ頓狂な声を上げていた。

 

「おやっさん、ごちそうさまー!」

「おう、毎度! また来てくれなー!」

「あ、あの、ちょっと……」

「さ、次はこっちだよ!」

「あ、あの……!?」

 

 店外へと出たシービーは、戸惑うヒスイの手を引き、どこかへと走り出す。

 混乱に塗れたヒスイは、それを振り払うことも出来ず。ただただ引かれるまま、彼女の言う『次』の店へと連行される。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。