16年度の卒業生   作:Ray May

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ウママニア p1

-◆◇◆-

 

 

 

 サファイアミザールは、グラウンドで柔軟体操をしていた。

 気だるげな風ではなく、むしろやる気と元気に溢れているように見えるが、額には冷えピタシートを貼り付けている。

 少し遅れてやって来た担当は、その姿を見て、複雑な心境になった。

 果たしてこれは――どう捉えるべきなのかと。

 一応、事前に連絡は取っていた。今日はトレーニングは出来そうなのかと。彼女は、LANE上では大丈夫です、と答えていた。

 しかし実際に見た姿は――どうにも判断に困るそれ。

 本当に体調は万全なのか。

 それとも、無理を押してきているのか。

 

「……なぁ」

 

 声を掛けると、ミザールは彼に目を向ける。

 

「大丈夫なのか?」

「……」

 

 続けられた彼の問いかけに。

 彼女は不敵に笑う。

 それから、冷えピタシートを剥がし、ぐちゃぐちゃに丸めると。

 それを――担当に投げつけていた。

 

 

「――全快ッ!」

 

 

 そして。

 腰に両手を当て、どーん……とばかりに、胸を張り、宣言していた。

 

「……」

 

 誇らしげな彼女だったが。

 担当は、地面に落ちた、丸められた冷えピタシートを拾い上げると。

 

「――これ投げる必要はねーだろ!」

 

 既に砂に塗れてしまったそれを、ミザールに投げ返していた。

 受けたミザールは、それを拾ってポケットにしまう。その表情には、困ったような笑いが浮かんでいた。

 

「ごめんなさい……なんかこういう感覚、久々で」

「つっても一日ぶっ倒れてただけだろうが」

「体感一年経ったような気がしてる!」

「タイムマシンかよ」

 

 ともあれ――一日、しっかり休んだことで、体調がすっかり戻ったことを確認し、担当は一安心する。

 ならば――と、今日のトレーニング方針を伝えようとするが。

 

「それで、あの……」

 

 目の前にやって来たミザールは、先に声を掛けてきていた。

 

「ちょっと相談があるんですけど」

「なんだ。お友だち作戦のことか?」

「えっと……それもなんだけど。あの……」

 

 彼が答えると、ミザールは、やや視線を伏せて言っていた。

 

「……私、」

 

 躊躇いがちに。

 しかし――明確に、意を決して。

 

「三冠――諦める」

 

 

 

-◆◇◆-

 

 

 

 諦める。

 冷静に考えた時、それは私には『逃げ』のように映ったけれど。

 あの時――シービーさんが言ったことにも、一理あった。

 有マは簡単に出られるものじゃない。

 その足掛かりとして……と三冠路線を考えた私たちだけど、その大きさを侮っていた。

 

 それは足掛かりじゃない。

 通過点でもない――れっきとした目的だ。

 

 だからといって手を抜くつもりはなかった――でも、手を抜くつもりがなかったからこそ。

 

 自分のキャパシティを越えてしまった。

 自分が許容できる範囲を、完全に見誤ってしまった。

 

 これまでいろんなことがあって……

 その全てが、なんだかんだでどうにかなってきたから。

 自分が、無敵の英雄か何かと勘違いしていたのかもしれない。

 

 ……私は無敵じゃない。

 

 今までは、みんなの支えがあったから、たまたまうまくいっていただけ。

 その本質は……一人で無理に抱え込めば、許容量を超えてしまえば、必然、もろくも崩れ落ちてしまう。

 ありふれた――どこにでもいる。一人のウマ娘。

 一人の、少女なのだ。

 

「……」

 

 ……それを思い知った。

 昨日、朦朧とする頭で。

 歯痒さと悔しさ。でも、納得感と、諦観。

 

 そういう色々の感情が、行き交って、ぶつかり合って、綯交ぜになって、混沌とした色合いを呈し。

 でもしっかり噛み締めて、飲み下して、考え直した――結果として。

 

 その結論に。

 至っていた。

 

「……」

 

 トレーナーさんにとって、その話は予想外だったのだろう。 

 意外そうに目を丸くし、しばし無言でいたけれど。

 

「……いいのか?」

 

 試すように、言う。

 

「今からやれば、まだ間に合うかもしれん。間に合わないにしても、いい経験になると思うぞ」

「……うん。私も、そう思う。でも思ったの。やっぱり……無理して、全部を台無しにしたくない。ちゃんと自分のやりたいこと、叶えたいことに……狙いを澄まそうって」

 

 そして、そう考えた時。

 私の中で、絶対に叶えたい、と望む夢は……やっぱり、ひとつだけだった。

 

「でも……」

 

 でも、かといって。

 それのために、だらだらやるつもりもない。

 

「でも、時間は有限。私たちが挑むとしたら、来年の有マしかないと思う。そのために……今年の『あの子たち』のメイクデビューには、なんとかして間に合わせなくちゃ」

 

 だから……

 だから。

 

「……六月の頭」

 

 考えに考え、悩みに悩んだ、その結論を。

 彼に、言った。

 

「それまでに集まったメンバーで……有マに行く」

「――つまり」

 

 トレーナーさんは、その真意を瞬時に汲み取ったみたいだった。その声色は、なおも真剣で、試しているかのようなそれ。

 

「全員集まらなくてもいい、と」

「……」

 

 ……それは。

 諦めじゃない。

 手を尽くして、尽くし切って、私がもぎ取った結果なのであれば。

 私はそれを――甘んじて受け入れよう。

 自分の出来る、限界だと。

 納得しよう。

 

「――はい」

 

 それもまた。

 勇気、でしょう?

 

「大丈夫」

 

 そう。

 それに、大丈夫だ。

 

「今生の別れってわけじゃないもの。会いたくなったら……また会いに行けばいい。それにレースだけなら、いつでも出来るしね」

 

 そう、ただ走るだけなら、バカやるだけなら、いつだってできる。

 舞台が小さくなるのは、残念だけれど。ただそれだけだ。

 会おうと思えば――きっと。

 いつでも、また。……会えるんだから。

 

「……うん。大丈夫!」

「……そうか」

 

 トレーナーさんは、それで納得してくれたのか。微笑みを以って応じてくれる。

 何気に、レアな表情だった。

 

「わかった。じゃあそれまでは、公式のレースも見送ろう」

「はい。ありがとうございます!」

「ただ当然、トレーニングは欠かさないし、その分、レースも『観る』からな。そのつもりで」

「はい!」

「よし」

 

 一段落して。

 彼は、先の真剣な表情に戻ると。それで、と言葉を繋いでいた。

 

「ヒスイはどうする。そうは言っても、足掻くつもりではあるんだろ」

「……はい。手段は考えてあります」

 

 私は、それに答える。手段。それもまた、決心と共に、考えてはきた。

 

「あの子を――表舞台(レース)に引きずり出します」

「一緒に走る……ってことか?」

「はい。それで……思い出させてあげるんです。楽しいことを」

 

 ――私たちは。

 

「私たちは……それに従っていいんだ、ってことを」

「……けど、本当に参加するのか?」

 

 ただトレーナーさんは、それに関しては納得し切れないようで、怪訝そうに問いかけてきていた。

 

「頑固者なんだろ。簡単に来てくれるとは思えないが」

「来ますよ。……きっと来ます」

 

 それに応じながら思い出すのは、過去のこと。

 あの田舎町で、散々繰り返した、『スポーツ』のこと。

 

『かけっこ』のこと。

 ……『遊び』のこと。

 

 そして、それにムキになって、何度も何度もやり直しを要求することもあった、ヒスイちゃんのこと――

 

「……あの子は……」

「――負けず嫌いだから、でしょ?」

 

 その先を言っていたのは。

 私ではなかった。

 言葉と共に。

 ガッ、と、肩を組まれる。

 

「――! シービーさん!」

「ごめんね。『楽しそうな』話が聞こえてきたから、来ちゃった」

「……俺も認識出来なかったんだが。どういう近づき方だよ」

 

 確かに。トレーナーさんも、一言も彼女の存在に触れなかった。私はともかく、私の周囲が見えていた彼でさえ、欺くとは。一体どういう走り――もとい歩きなのか……

 いや、というか。

 それよりも。

 

「……なんで、わかったんですか。負けず嫌いって」

「ん? んー、まぁ」

 

 離れたシービーさんは、私の問いかけに、しばし意味深に黙り込んだ。

 

「……昨日会ったから」

「へ!? 会ったんですか!?」

「うん。まぁ個人的に、色々思うとこあってね」

 

 驚く傍ら、ただ、と彼女は言葉を繋いでいた。

 

「ちょっと、酷いこと言っちゃったから。謝りたい気持ちがあるんだよね」

「……ってことは」

「うん。あの子を誘う役目――アタシに任せてくれない?」

 

 どういう目的で、どうやって会って、何があって、謝らないといけないようなことになったのか……

 色々訊きたいけど。根掘り葉掘り訊ねたいけど。どうやら今は、そのタイミングじゃない。

 

「でも昨日の感じだと、アタシじゃ、ちょっと押しが足りなそうなんだよねぇ」

 

 と、そこできょろきょろと辺りを見回すシービーさん。

 

「誰かいい感じの子は――」

「――おっし! 一番乗りー!」

 

 その時、グラウンドに、威勢のいい声が響いていた。見ると斜面の上、短めに切り揃えられた茶髪に、ボーイッシュな笑顔が見える。

 ウオッカさんだった。

 

「おーい、早くしろよ新人ー! 間に合わなくなっても知らねぇぞー!」

「――す、すいません! 靴紐がほどけて……!」

 

 ウオッカさんは、そのまま背後へと振り返って、誰かへと呼びかけ。

 それに、もう聞き慣れた、綺麗な声が答える。

 

「っていうか速過ぎっすよ……廊下は走らないルールとか無いんすか?」

「うちの校則は、『静かに走る』だからな。走っちゃいけないなんて誰も決めてないぜ!」

「屁理屈じゃないっすかねそれ……」

「――ちょうどよかった」

 

 ウオッカさんの背後――

 現れたのは、赤髪。

 カペラちゃんの姿を見て――

 シービーさんは、素早く動いていた。

 

「みんな来るまで、まだ時間かかりそうだな。おし、じゃあウォームアップに――」

「ごめんねウオッカ」

 

 彼女は、斜面を上がったかと思うと。

 ガッ、と、今度は、カペラちゃんと肩を組み。

 

「この子、ちょっと借りるね!」

「――は? え!?」

「あ、シービーさん……」

 

 ……なんて。声を掛けようとしても。

 時すでに遅し、だった。

 

 

「――なぁんなんだよぉぉぉぉぉっ……!?」

 

 

 カペラちゃんの、哀愁漂う絶叫が。遠ざかっていた。

 

「……」

「……」

「……」

 

 正しく、嵐のようで。

 取り残された私たちは、呆然と立ち尽くすしかなかった。

 

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