「……それならそうと先に言えっての……」
ヒスイグループ本社ビル、正門前にて。
ガーネットカペラは、憔悴した声で言っていた。
「ごめんね。時間が惜しかったから」
「それでもひと言くらい言う暇あったろ! 何も肩に担いでえっさほいさすることねーだろうが!」
「うわー、顔青くなってるよ。もしかして酔っちゃった?」
「心配するくらいなら最初からやらねーでほしいんだけどな……!!」
「あはは。キミ面白いね」
「面白がってんじゃねーよ! こちとら軽く生死の境彷徨ったんだぞ!!」
カペラの必死の訴えかけにも、シービーはどこ吹く風、といった様子だった。軽快に飄々と笑いながら、ビルの入り口を観察する。
昨日見た、彼女の姿はない。さて、果たして順当に来てくれたところで、まともに話してくれるのか――不安半分期待半分、でシービーは待ち構える。
「……なんてったってまた『アイツ』を助けてんだよ」
そんな彼女に、カペラは訊ねた。
アイツが誰なのか、など、問い返すまでもなかった。
「別にあんたら、特別親しいわけじゃねーだろ? こうまでして付き合う理由なんて……」
「うん。ないね。でもさ。理論や理屈を超越するものって、やっぱあるよね」
「……?」
「
カペラは、彼女が何を言いたいのか、測り兼ねていたようだったが。そう言われて思い至る。
『あの時』、何があったのかに。
『あの時』、彼女が何をしたかに。
「あの子ってさ。跳ねっかえりで、結構おバカなとこもあって、危なっかしいんだけどさ。……なんか、手を貸したくなるんだよね」
その瞳には――
慈愛の暖かさが滲んでいた。
「仕方ない、手を貸してあげるか……みたいな。他人にそう思わせて、動かさせる、不思議な魅力があるっていうか。うん……なんか、放っておけないんだよね」
「……まぁ、わかるよ。あたしも、あいつの根性に根負けしたし」
「昔から『ああ』なの? あの子って」
「……だいたいな。特に、あたしたちが怪我とかしそうなもんなら、無理矢理にでも助けに来てたよ」
カペラは思い出す。遠い過去の出来事を。
同時に――つい最近の出来事をも。
「それで自分が怪我することもあるんだから、笑えるんだけどな」
「そっか。……いい友だちを持ったね」
「けっ、余計なお世話だってんだ」
「その割に嬉しそうだけど?」
「気のせいだっての」
「……あ」
などと。やり取りするさなかで。
シービーは、声を漏らす。
弾かれるように、カペラも視線を辿ると。
『それ』は――そこにいた。
「……ヒスイ」
「……」
シービーは、正門の陰から出て、彼女からも見える位置に立つ。
カペラもまた、その隣に並ぶ。
当のヒスイレグルスはというと――
ほどなく、そんな二人の姿を視認し。
「……」
しばし、その場に立ち止まり。
「……、」
再び歩き出す。
その視線は伏せられており。
彼女らの傍を通っても――
歩く速度は、緩まなかった。
「――ヒスイちゃん」
そんな彼女に、シービーは呼びかける。
「昨日はごめんね。酷いこと言っちゃって」
ヒスイは止まらない。
止まらずに、家路を行く。
それに、シービーとカペラは追い縋る。
「あのさ。キミのお友だちが、今度レースを企画するんだって」
「……」
「今日来たのは、それへのお誘いでさ」
「……」
「もしキミがいいなら、一緒にレースしてほしいなって思うんだけど」
「……」
「……駄目かな?」
「……」
ヒスイは答えない。
答えないまま、まるで逃げるように――
歩き続ける。
「……きっと楽しいよ」
それでも。
シービーは、続ける。
「キミに、投げ出せない使命があるのは、よく理解してる」
続ける。
「でも、まだアタシたち、洟垂れのガキなんだから。もっと楽しいことを考えてもいいんじゃないかな」
続ける。
「きっといい経験になる。思い出になるよ。ね。一度でいいから。騙されたと思って……」
続ける……
「……お願い」
「……」
頑なに。
頑なに、ヒスイは口を開かない。
振り返りもせず。
完全に関わりを拒絶している彼女に。
「……」
さすがのシービーも。
少し、気を落とした。
「――ホントに変わらねぇなオメーも」
その時。
口を開いたのは――カペラだった。
「……」
ぴくり、と反応したヒスイは。
とうとう、その場に立ち止まる。
「ここに来てまだ責任がどうとか、仕事がどうとか、ごちゃごちゃ考えてんのか? おいおい、天下の三冠ウマ娘様が、直々に交渉しに来てんだぞ? こんな経験、したくても出来ねーだろうが」
ヒスイは――振り返らない。
「オメーの事情を汲み取ってねーのは問題かもしれねぇ。けどよ。それならそれで、一言くらい何か言ったらどうだ? それとも口縫い合わされでもしてんのかよ。あ?」
ヒスイは。
振り返らない。
「……なんとなく想像つくぜ。お前がそうして、色んなことを拒む理由」
振り返らない――
「……怖いんだろ。どうせ」
振り返らない――が。
その長い耳が。
ぴくり、と反応する。
「自分が何かを言うことで。関わりを持つことで。想定外の方向に物事が運ぶのが怖いんだろ。敷かれたレールから外れて、一寸先も闇の道を走ってくのが怖いんだろ。そうして『わからない未来』に辿り着いて、こうしなきゃよかった、ああしなきゃよかった、って思うのが嫌なんだろ。
……あぁいいさ。別にお前がそれならそれでいい。でも、蜘蛛の糸がいつでも目の前にあると思うなよ。拒んで、拒んで、拒み続けて……あとで思い直しても、それはもうねぇかもしれねぇ」
カペラは思う。かつての自分の姿を。目の前の少女に重ねる。それは――彼女なりの、最大限の、優しさでもあった。
「なぁ。もう一度冷静に考えてみな」
だから、言う。
「取らなくていいのか?」
――言った。
「この糸を」
「……」
ヒスイは、なおも立ち止まっているが。
振り返らない。
返事もしない。
それに、カペラもとうとう、愛想を尽かしたかのように息を吐いていた。
「……まぁいいや。それがいいってんなら勝手にしろ。ずっと未来に怯えて、部屋の隅でガタガタ震えてやがれ」
そして。
最後通牒のように。
「――この」
それを。
告げた。
「――臆病者」
「――ッ!!」
――刹那だった。
それまで、微動だにしていなかったヒスイレグルスが。
突然に振り返り――
ガーネットカペラの胸ぐらを、荒々しく掴んでいた。
「――!」
その出来事に、シービーは目を見開く。
対するカペラもまた、目を見開いたが。
すぐに戻っていた。
なぜなら。
「……」
彼女が。
目の前の、幼馴染が。
その瞳に。明らかな感情を灯していたからだ――
『大昔』のような。
――憤怒という、激情を。
「――じゃない」
そして。
ヒスイは、ぶつけるように、言っていた。
「私はっ……臆病じゃないッ……!!」
「……なんだよ」
それを受けて。
カペラは、恐れもしない。怯えもしない。
それに駆り立てられるように――
口端を上げていた。
「まだ出来んじゃねぇか……そういう目!」
一触即発――というより。
既に手遅れと言うべきその状況に。
だがシービーは、安堵したように笑う。
何はともあれ、これにて。
全ては、上手くいきそうだ――と。