ミスターシービーは、少し遅れてその『会場』を訪れていた。
客席には、既に数えきれないほどの生徒がいる。それでも、グラウンドが見渡せないほどではない。
レースは始まる直前のようで――西崎が、参加者に説明を始めている。
彼女は――それを、どこか不安そうな瞳で見つめる。
まるで先が見えているかのように。先が見えていて、それを恐れているかのように。
しかし、今更になって、後戻りさせるわけにもいかないと。
とにかく、とにかく。来るその時を、待つ。
全てがうまくいくようにと――願いながら、待つ。
「そういうわけで、みんな。今日はこの模擬レースのために集まってくれて、感謝する」
全員が目の前に集ったところで、西崎は呼びかけていた。
「それじゃ、まずは発起人の担当クン。よろしく」
「あいっす」
発起人は厳密には自分ではないが、と思いながらも、彼は前に出た。
「えー、本日は、うちの担当のバカでかい夢のために集まってくれて感謝する。今回のレースだが、定点カメラから模様を録画するつもりだ。データが欲しいやつは後で連絡してくれ。個別で共有する」
言う彼の背後、客席の最前列に、三脚に固定されたカメラがある。それを確認した一部のウマ娘は、小さく感嘆の声を上げていた。
「模擬レースだから肩の力を抜いて……と言いたいところだが、勝負である以上、手を抜きたくない奴もいるだろう。止めはしないけど、それのために公式試合に影響が出たら元も子もない。各々、適度に力をセーブするように。……じゃ、俺は最終調整してきます」
「おう、サンキューな」
彼は、そこまで言い終えると、カメラの元へと歩いていく。言葉のバトンを受け取った西崎は、咳払いして続けた。
「さて、じゃあここからは俺から、今回の試合のルール説明をする。
まずコースだが、見ての通りトレセン学園第一グランドだ。初見の子もいるから一応説明しておくと、一周が1,000m。高低差もほぼない芝コースだ。
ここの生徒に最もよく使われるグラウンドで、初心者でも走りやすい素直なコースだが――逆に言えば、小細工が効きづらく、各々の実力が如実に表れやすいコースということでもある。くれぐれも嘗めてかからないように。
今回は、このコースで3,000m……つまり三周を走る。ゲートはないから、スタートラインで一列に並んで、空砲の合図で走るトリガースタート方式だ。いつもと違うスタート方法だから、それぞれしっかりイメージしておいてくれ。
番号はこっちで抽選した。今から呼ぶから、点呼がてら返事をしてくれ――
じゃ、まず一番。ツインターボ」
「おぉ! ターボが一番か!」
「二番。エルコンドルパサー」
「はい! いマスよー!」
「三番。トウカイテイオー」
「はいよー」
「四番。サファイアミザール」
「あっ、はい!」
「五番。ゴールドシップ」
「おう、いるぜ!」
「六番。メジロマックイーン」
「ゴルシさんの隣ですか……」
「え、なんでそんな顔すんの? さすがのゴルシちゃんも傷つくぜ?」
「七番。マチカネタンホイザ」
「はーい、いまーすっ」
「八番。ライスシャワー」
「は、はい!」
「九番。ガーネットカペラ」
「おう」
「十番。ヒスイレグルス」
「はい」
「十一番。イクノディクタス」
「はい。います」
「十二番。サイレンススズカ」
「えぇ」
「十三番。ナイスネイチャ」
「はいはい、いますよ~」
「十四番。タマモクロス」
「げっ、ビリッケツかいな……」
「以上、十四名だ。呼ばれてない生徒はいないな?」
西崎の締めの言葉に、出走者たちは各々顔を見合わせる。特に漏れがないことを確認し、彼はひとつ頷いた。
「よし。それじゃあ改めて。今日は模擬レースだから。一着でも賞金やトロフィーはない……良くも悪くも『経験』の手に入る、貴重な体験……と言えば触りはいいけど。それだけじゃ、お前らも燃えないだろ?」
そして、そう言うと。彼はくつくつと笑っていた。
「――というわけで」
それからその手は。
彼の着ているベストの内側に入る。
「今日は――こんなものを用意した!」
次いで、戻った手の先端。
指の間に、挟まっていたのは――
「――? なんやあれ」
「何かの券かしら」
「ご明察!」
タマモクロスとサイレンススズカが言うと、西崎は、その笑みを自信満々なそれに変えていた。
「――なんと! あの『スイーツ・ショコラティエ』の、ビュッフェ一日無料券だ!!」
「い――一日無料券やと!?」
告げられた言葉に、タマモクロスが驚愕の声を上げていた。
それに気を良くしたように、西崎はにやりと笑う。
「ははは! そうだ! 皆ご存じの通り、週に一度ビュッフェ形式でスイーツを振舞っている、あのお店のな!」
そしてそのまま、続けた。
「そう! 今日の模擬レースで一着を取った出走者には、こちらを進呈しようと思う!」
『お~!!』
黄色い歓声は、観客たちから。
「どうだお前ら! これで少しはやる気が――」
西崎は――
心底楽しそうに。
なおも朗々と演説するが。
「出る……」
止まっていた。
なぜなら。
出走者たちの瞳が――
明らかに。
「…………」
変わっていたからだ。