食堂で、紙パックのオレンジジュースを吸う私が。
ちょっとこう、不満げというか、納得いかない感じなのには、理由があった。
視線の先のスマホの画面。
開いているのはとあるネットニュースの記事であり、そこにはこうでかでかと書かれている。
『『怪物』の再来か!? 注目の新人来る!』
『その走法があまりにも酷似しており――』
『今後の躍進に期待がかかる!』
「……」
……お。
恐れ、多いなぁ……
怪物。言うまでもなく……オグリキャップさんのことだ。
かつて『芦毛の怪物』とまで呼ばれ、一世を風靡。今やドリームトロフィーリーグへ移籍し、その伝説を紡ぎ続けているウマ娘。
芦毛のウマ娘は走らない、という当時の常識を覆した、張本人のうちの一人でもある。
……確かに私、オグリキャップさんのことは結構前から見入っていて。
それに似ている、みたいなことを言われるのはありがたい話ではあるけどさ……
プレッシャーになるっていうか……なんていうか。
「……『栗毛の怪物』、とか言われんのかなぁ最終的に」
不本意だ……やっぱり、思い付きで『あの走法』をしなきゃ良かったかも。
自分に似た走法の新人なんて、本人からしてもいい迷惑だろう。
なお悪いことに……私、本当に当の本人の走り方をまんま真似しちゃってるからなぁ。
なんか妙なゴシップのネタになったりして……
「……でも、楽しかったからなぁ」
ぶっちゃけ。
あの時のことは、冷静になった今、ほとんど忘れてしまっている。
いや――正確には、『覚えていない』というべきか。
何か色々、ごちゃごちゃ考えていたことは覚えている。ただ、思い出そうとしても、浮かんでくるのは、ふわふわした『楽しかった』という感情だけ。
それ以外何にもない。
感想文を書け、とか言われても、簡素な一文だけで終わることだろう。
『楽しかったです!!』
……居残り確実だ、うん。
「……せめて、レースの記憶くらいは忘れないようにしないとな」
トランス状態、ってやつかもしれない。でもそれ、正気を失ってるってことでもあるからな。
せめてそれくらいは制御できるようにはなりたいものだ。
レースだけならいいけど。
日常生活にまで侵食されたら、たまったもんじゃないからな……
「……」
ただ、ここの食堂はいつもどおり。
無暗に囃し立てる子も、矢鱈に話しかけてくる子もいない。
人気者や有名人の気持ちは、ちょっとは憧れはするけれど、当事者になりかけると恐怖でもある。
この騒ぎも、早いところ。
ここの食堂くらい、収まってくれるといいけどな……
「――おっす」
「――?」
なんて、考えた時。
突然、そんな声が聞こえて。
「――っ!?」
がちゃん、と。
やや乱雑に、目の前にトレーが置かれていた。
その上には、いくつかの料理の盛られた食器が置かれている。
置き方が乱雑なものだから、ちょっと零れちゃっていた。
「……」
上を見る。
そこには、こちらを見下ろす、柔らかめな視線があった。
「前、えぇか?」
「あ……ど、どぞ……」
「ありがとうな~♪」
で、私が許可するなり。
その人は、目の前に座り、いただきまーすと料理を食べ始める……
……
……びっくりした。
びっくりするくらいナチュラルに接触してきたから、反応するのが遅れたけど。
知ってるぞ、この人。この白い長髪に、赤と青の特徴的な髪飾りは……
「……タマモクロスさん」
「んぉ」
料理を嚥下した彼女は――タマモクロスさんは、にかっと男前な笑顔を浮かべてみせていた。
「なんや、よーやく名前出てきたんか? このまま食べ終わってもうたら、全力のツッコミかまさなあかんとこやったわ」
「……私、タマモクロスさんにツッコまれるのが夢だったんです! って言うべきですか?」
「いや別にそこまでせんでえぇねん! 大御所の芸人やあるまいし!」
おぉ……すごい。完璧な返しに、思わず感動すら覚えた。
タマモクロスさん。芦毛のウマ娘は……の常識を覆した、もう一人の張本人。
小柄な体躯ながら、その荒々しく、他を寄せ付けない走りで、『白い稲妻』とかいうカッコよすぎる異名を賜っている。
テレビ画面上のレースでも何度も見たから……こう、ものすっごい怖い人なんじゃないか、と勝手に思っていたんだけれど。
……まさか、ここまで気さくだったとは。
「はぁ。仮にも先輩にこんなこと言わすなんて、なんや将来有望やもわからんなぁ」
「……えっと、それで、何かご用ですか。その、タマモクロス先輩」
そんな、息を吐くタマモクロスさんに、問いかけてみる。すると何故だか、彼女は不満そうな顔をしてみせた。
……え。あれ? 何か、失礼なこと言ったかな。私。
「なんや堅っ苦しいなぁ。もっと砕けて呼んでえぇんやで? タマちゃんとか」
「ど、はぁ!? そんないつぞやに川沿いに現れたアザラシみたいな仇名で呼べませんよ先輩を!」
「妙に解像度高いのなんやねん……」
正直愛くるしい、って意味では似通ってるけど。さすがに先輩のことをそんな風に呼べなかった。
「でもなぁ。あんたもいちいちタマモクロス先輩なんて呼ぶの疲れるやろ? ウチならタマモク辺りで力尽きる自信あるわ」
「ロスくらい言ってあげてください……」
「とにかく! その堅苦しい呼び方変えんと、ウチもう返事せぇへんからな。百歩譲ってさん付けでどや!」
「な、なんで取引になってんですか……」
い、意味が分からない。あぁでも、確かに言うことに一理あるにはあるからな……(※超失礼)
仕方ない。このまま会話なしにさようならっていうのも哀しいし。意を決して、呼んでみることにしようか……
「……じ、じゃあ、タ……」
「タ?」
「タ……タマちゃん、先輩……」
「――~~~!!」
というわけで。力を振り絞って、呼んでみると。
彼女は、何やら感激したように身体を震わせて、
「――!?」
わしゃわしゃと。
身を乗り出して、私の頭を、撫で始めたではないか!
「なんやなんやなんやー!! 可愛いとこあるやないかぁ自分ー!! うんうん!! これからよろしゅうなー!!」
「……」
ま、まぁ。
喜んでくれたなら、それで、いっか。もう……
「……あ、あのー、それで、ご用は……」
「ん? あー、せやったせやった」
ともあれ、と、改めて用件を聞いてみると。タマモク……じゃなくて、タマちゃん先輩は、横の椅子に置いていたバッグを何やらごそごそとやる。
そこから取り出されたのは……なんだこれ。靴墨?
「蹄鉄用のコーティング剤や。もう持っとるなら予備として持っとき。どうせある分には困らんさかい」
「あ……そ、そーですねー」
「メーカー違ぉても使い心地とか結構変わるんやで。ウチのは個人的にオススメやさかい、一度試してみたらえぇで」
「あ、は、はい。あ、ありがとう、ございます……」
「……」
「……」
……じーっと、瞳を覗き見られる。あ、やばい。これ、たぶんバレてる……
「……なぁ自分。まさか蹄鉄の手入れ、したことないとか言わんよな?」
「あー……えー……あははは……」
……えっと。
ごめんなさい、タマモク先輩。
「――なんっ、やねんもー!! どや顔で渡したウチが恥ずかしいやん!!」
「ごめんなさいごめんなさい!! あの、だ、大事に!! 大事にしますので!!」
「いや使え!! ちゃんと使えや!! ……あ~、もう、自分、今まで蹄鉄どないしてたんや……誰かに手入れしてもろてたんか?」
「ま、まぁ、そんなとこで……傍からボーっと見るくらいはしてたんですけど」
「これからは自分で手入れせなあかんからな。今からでも調べとき……ここ中央校じゃ、自分の蹄鉄は自分で手入れするんが基本や!」
タマちゃん先輩、すごい熱意の入りようだった。
蹄鉄。言うまでもなくウマ娘の必須アイテムだ。
それぞれが使用する靴の裏に装着する……まぁ、走りやすくするためのアイテムだ、平たく言えば。
もちろん消耗品なので、これらは定期的にメンテナンスが必要なんだけど。どうやらここトレセン学園では、自分で手入れするのが普通らしい。
今までずーっとお父さんに任せっきりしていた……彼女の熱意を無駄にしないためにも、ちゃんと方法、調べないとな……
「……」
しかし、と。
その、靴墨に似たそれを見つめると、また新たな疑問が湧いてくる。
「……タマちゃん先輩」
「うん?」
「どうして私に?」
「あ~……」
その疑問をぶつけてみると。
タマちゃん先輩は、くつくつと笑っていた。
自然……ぞくり、と悪寒を覚える。
「……見たで、デビュー戦」
「あ……」
「なんや、おもろい走りするやないか、自分……本当は流し見するつもりやったんやけどな。あんたの走り観てたら……
昔のライバル。
それが誰なのかを、わざわざ口にするまでもない。
「そ、そう、なんですか」
「うん。でな? まぁそのよしみやないけど、ちょっと気に掛けるんもおもろいかなぁ思てな」
……自分とは縁遠いはずの人の連れて来た縁。
それは実際、ありがたいものではあったけど。
びりびりと身体が強張るのは、醸し出されるその雰囲気のためだろうか。
「……自分、ジュニア級やろ?」
「え……あ、はい」
「残念やなぁ。あと二年待たなあかんのかぁ。ウチまだ走ってるかなぁその時」
「ど……どうして、そんなこと、訊くんですかねぇ……」
「敢えて言うことやないやん?」
その瞳が、私を貫く。いや、本人としては、ただ目を向けただけかもしれない。
私は。
蛇に睨まれた蛙のように、動くことが、出来ない。
「……せやなぁ。あと二年後……もしまだウチが走ってたら……」
にも関わらず。
タマちゃん先輩は――タマモクロスさんは。
言うのだ。
「……あんたと、
「……」
ごくり、と固唾を呑むことすら、ひどく辛かった。
今目の前にいるこの人は、本当にさっきと同じ人なんだろうか。
まるで別人が降臨したみたいに、別の誰かが乗り移ったみたいに。
彼女の雰囲気は、眼光は。鋭く、不穏で、闘争心に溢れるものに変わっていた。
闘志が。
ひしひしと、伝わってきていた。
「……、」
私は、動けなくて。
何も出来なくて。
ただそれを、見つめるしか出来なくて。
「――また新人いびって遊んでるんですか?」
その時。
別の声が、そこに介入してきていた。
美麗な花のような、いかにも優雅なその声に、場の雰囲気は、一気に『普通』へと引き戻される。
まるで異界から帰ってきたかのように――我に返る。
「――ちょ、マック! 誤解招くようなこと言うなや! 別に新人いびんの趣味とちゃうで!」
「あらあら、ごめんなさい。新人さんが随分委縮しているように見えましたので」
「……」
見ると、そこに立っていたのは、薄紫の長髪が目を引くウマ娘がいる。誰……なんて、冗談でも言えるはずない。その人にだって、私はちゃんと見覚えがあったから。
「お隣、よろしくて?」
「あ、え! ど、どうぞ……!!」
所作の一つ一つから気品が溢れ出ている。この人もこの人で、色んな意味で次元の違いを感じた。
……メジロマックイーンさん。
主に長距離において部類の強さを誇り、
世に有名な『メジロ家』の出で、そのお嬢様然とした立ち居振る舞いと端麗な容姿は見る者全てを惹きつけてやまないが、その体型維持に並々ならぬ努力を重ねてる……とかなんとか。
「大丈夫でしたか? 先輩方にいじめられたなら、すぐに言ってくださいませ。私が上申してあげますので」
「は、はぁ」
「いやだからなんでそうなるねん! ウチがナチュラルに新人いじめてるみたいに言うのやめてくれへん!? 風評被害もいいとこやで! 傷つくわ~!」
「では本人に訊いてみましょうか。いじめられてませんでしたか? サファイアミザールさん?」
「……いいえ」
「いやそこは即答してくれへん!? ウチの信用問題に関わるんやけど!?」
ごめんなさい。ノらなきゃいけないと思ったのが五割、マックイーンさんも当たり前のように私を知っていたことに驚いたことに五割、で即答に躊躇ってしまった。
「はぁ、もうええわ! 話題変えよ話題! こんなん話しててもウチの心象悪くなるだけやわ!」
「わかりました。では昨今の為替事情についてお話ししましょうか」
「お、えぇな! うーん、せやなぁ。ウチの勝負勘によればその、ユーロとドルがなんちゃらで……ってなんでやねん! なんでここに来て為替の話せなあかんねん! 乏しい知識で対応せなあかん身にもなれや!」
「……」
……や。やばい。どうしよう。この空間にいたら、喋ってなくてもMP枯渇するような気がする。とっとと退散した方がいいのかな……