「もー、参っちゃうよねー、みんな」
ミスターシービーは、既に憔悴しきった顔のヒスイレグルスに、軽快に笑いかける。
「たかがスイーツなんぞに、あんなに必死になっちゃって。ほら見て。先団なんか。親の仇でも見るような顔してんじゃん」
「……」
周囲が、スローモーションになったような感覚。
そんな錯覚の中で。
ミスターシービーの声だけが、妙にはっきりと、響いていく。
「不思議だよね。こんなに必死になるなんて」
それは、言葉こそはやや棘があったが。
「本当に、バカみたいに本気になって……」
声色までには。
棘はなかった。
「……どうしてだろうね?」
「……知りません」
ヒスイは。
もはや、取り合おうとも思わなかった。
もはや全てが気怠く、どうでもいいと、世捨て人のように考える。
「皆……何も背負うものがないから、あんなにも必死になれるのですよ」
「自分は、それとは比較にならないでかいものを背負ってるって? おぉ、女王様思考。すごいね」
けらけらと笑ったシービーは。
そこで、真剣な瞳をする。
「……でも、背負ってるのは、みんな同じだよ」
吐き捨てるように言ったヒスイに。
諭すように、言う。
「その性質が、微妙に違うだけ。それは夢であったりすれば、使命であったりする。純粋な欲望もあれば、ただただ楽しいって感情だったりもする……
そこに優劣なんてない。ただ大小があるだけ。ここの子たちは……少なくともみんな、拮抗するほど大きいってだけ」
その瞳が。
ヒスイの瞳を、真っ直ぐに見つめた。
「ねぇヒスイちゃん」
そして、言うのだ。
「あなたのそれは――本当に、背負うべきものなのかな」
「――……」
それに。
ヒスイは、目を見開く。
「本当はあなただって――」
シービーは。
容赦なく、しかし優しく、言う。
「――走りたいんでしょ?」
「……」
心臓を、直接掴まれたように。
ヒスイは、息を呑む。
「別にさ、」
シービーは続ける。
「キミの責任や義務がちっぽけだなんて言わない。むしろ、キミのそれは、普通の人よりずっと、ずーっと大きいって思ってる。だからアタシは、キミがそれを背負おうとしてるの、本当にすごいと思ってるよ。
でもさ……それって、キミの本心を無視してでも、叶えなくちゃいけないものかな?」
「……そ、れは……」
「『関係がない』。うんうん。そうだよね。でもさ――それって逃げ口上じゃない?」
「……っ」
逃げ道を塞がれるように。
ひとつひとつ、紐解かれる本心。
「言ったでしょ、ヒスイちゃん」
シービーは。
彼女は。
言う。
「キミは、何にも縛られていない。親にも、他人にも、友だちにも、神にすらも、縛られていない。あなたを縛っているのは、他でもないあなた。わかるでしょ? 道は既に開かれてるんだよ。あとは、キミが行くだけ。キミが選ぶだけ。
いいと思うよ。少しくらい、レールを外れたってさ。確かに、そんなの間違ってるかもしれないけど。でも……そんなに無理して、自分を追い込むこと、ないんじゃない?」
「……わ」
動悸がうるさい。
息が上がる。
ヒスイは。
ヒスイは、言おうとする。
「わたし、は――」
「いいんだよ、自由になって」
そんな彼女に。
シービーは、続けた。
「少なくとも、アタシたちは――ターフの上じゃ、自由なんだ」
「――……」
「そこに小難しい理論も、遠回しな理屈も必要ない!」
その末に。
ヒスイの背中を、そっと押した。
「行ってきなっ」
言う。
「負けたくないなら。勝ちたいなら。走りたいなら。楽しみたいなら――」
ただただ。
簡単な、結論を――
「――バカになれ!」
言った。
「理論も理屈も論理も、面倒臭いもん全部全部脱ぎ捨てて――
バカに、
なっちゃえ――!
応援、してるよ!」
――どれだけ時間が経ったのか。
気が付けば、ヒスイレグルスは、シービーの姿を追っていた。
彼女は今やコースを外れ。
突然コース内を走り始めたことについて、トレーナーから呆れられる。
それを、飄々と笑う彼女を見届けて。
……前を見た。
「……」
そこで思い出されるのは。
あの、校長先生の言葉。
未来に『先行』なさい。
叡智を発揮し。
皆を引っ張れ。
時代を。
世界を。
自分が、掴む――なのに。
それなのに、今はどうだ。
前を走られている。
皆に、引っ張られている。
自分は、その遥か後ろで、燻って――
「――……るな」
ふざけるな。
「ふざけるな……!!」
ぎりぎりと。
歯ぎしりをした、彼女は。
「――私のッ、」
込み上がってきた感情に、身を任せるまま――
叫んでいた。
「――私の前をッ、走るなぁぁぁぁぁッ!!」
それは。
少女の絶叫というよりも。
獣の咆哮に――似ていた。
喰らってやる。
コイツら全員――
喰らってやる、と。