それから数日後。
「――あぁーもう! 思い出せば思い出すほどもやもやするっ!!」
件の喫茶店に、タマモクロスの不満そうな声が響いていた。
「そもそもなんやねんゴルシもあの立ち回り! 最後まで粘りに粘ってから追い抜くんがウチら『追込』のセオリーやろ!?」
「いやぁー、すまんすまん。ミザールとライスが競り合ってるの観てたらアツくなっちまってよー」
「それで12着に甘んじてちゃ世話ないわ! もぉー! こちとら今月もかつかつやのにー!」
「あははは……」
そんなタマモクロスとゴールドシップのやり取りを見ていたサイレンススズカは、困ったように微笑み、
「な、なんかごめんね? 私だけ無料で……」
「あーっ! 勝者の余裕!! ホンッ、マ腹立つわぁー!!」
そんな彼女らとは別のテーブル。
「……だからね。『差し』は一途でいるのが重要なの」
ライスシャワーは、目の前のサファイアミザールに話す。
「あなたの敗因は、やっぱりマックイーンさんから目を離しちゃったこと。マックイーンさんはそういうとこ、本当に敏感だから……前に出られたら、じゃなくて、そもそも前に出させないようにしなくちゃ」
「なるほどです……」
「……あなたがもっとちゃんとマークしてくれてたら」
「へ」
「ライスも、もう少し上に行けてたはずなのに……!!」
「ご、ごめんなさいです……」
黒いオーラをまとい始めるライスシャワーに、ミザールは縮こまりながら謝罪する。が、そのオーラも、一瞬で霧散していた。
「なんて、冗談だけどね。えへへ……ライス、あなたのこと、気に入っちゃったかも」
「え、えー……そうなんですか……?」
「な、なんで嫌そうな顔するの……?」
「い、いやいやいや嫌なわけじゃないですよ!? ただライバルとしてですね!? そのー……!!」
わたわたと慌てふためくミザールたちとは、また別のテーブルでは。
「……それで、その『クソ』みたいなコースとは、具体的にどんなだったのですか?」
「あー」
メジロマックイーンが、ガーネットカペラに問いかけたところだった。
「そりゃーもう色々あったぜ。急峻な坂道は序の口だろ。舗装されてない山林、落差5mくらいの崖、今にも落ちそうな……で実際落ちた吊り橋、果ては車のルーフ……」
「確認なんだけど、レースやってんだよね?」
苦笑いで言うのはトウカイテイオーだ。そんな反応も仕方ないか、とカペラも苦笑いで応じる。
「そのお陰で、芝コースは随分走りやすかったぜ。この分じゃ、ダートコースも簡単に走れそうだな」
「その割に、最後は逆噴射してませんでした?」
「あ、あれはペース配分間違えただけだ! いけっかなーっていうお試しみたいなもんでな!?」
「まぁまぁ。飽くまで模擬だったんだしね。挑戦は重要だよ」
そしてまた、別のテーブル。
「でも残念ですね。スペちゃん、調整中で来れないなんて」
「まぁ~、洒落にならないことになっちゃいそうだからね。シニア級の初っ端から大コケするわけにもいかないし」
「シー! その分エルたちが食べてあげマショウッ!」
「いやいや。私たちも食べ過ぎるのはまずいですよ……」
エルコンドルパサーに、せっかくだからと同行してきたグラスワンダー、そしてセイウンスカイ。
いつもならまず同席しているであろう親友の不在に、三人は少しばかりの寂しさを感じていた。
「それでどうだったのエル? そのレースは」
「もー! どうだったも何もないデスよー! 最後の最後で常識破り過ぎる走り方されマシてデスね!?」
「あ、でも私、遠目からその場面、観てましたよ。何かこう……咆哮みたいなのを上げてましたね。あの子」
「咆哮て」
「いやいや! それが誇張とかじゃないんデスよセイちゃん! とにかく聞いてくだサーイ!!」
盛り上がりを見せる彼女らとは、更にまた別のテーブル。
「――ですから! ターボはスタミナ増強のための予備タンクを搭載すべきです!」
「いーや! ターボはエンジン追加とーさいの方がいいね!」
イクノディクタスとツインターボが、何事かで張り合う。
「ターボが負けたのは速さが原因なの! だからもっと、もっともっと速くなって、誰にも追い付けないくらい先に行くんだ! そうすれば体力とかも関係なくなるでしょ!」
「わかっていませんねターボは! それを使う人の体力が無くなっては元も子もないと言っているのです! いいから私の言うとおり、予備タンクの搭載を検討するべきです!」
「う、うぅー! マチタン! マチタンはどう思うんだ!?」
「ん~」
悔しがるツインターボの視線は、傍のマチカネタンホイザへ。
「そこは敢えてのグリップ強化で、ハンドリング性能向上、かなぁ」
『そ、その発想はなかった!?』
「……さっきから何の話してんですかね皆様方」
ナイスネイチャの、至極真っ当な意見が上がる中――
そんな喧騒から、少し離れた位置のテーブルにて。
「――あはは。そっかそっか」
ミスターシービーは、一連の話を聞き、軽快に笑っていた。
「結局、二つ返事でオッケーしてくれたんだ」
「はい……」
その対面。
ヒスイレグルスは、しかし事実とは裏腹に、がっくりと肩を落としていた。
「入念に準備して損しました……『ようやく素直になったな』とか言われて……こっちは『離縁状』まで用意したんですよ!? どうしても許してくれなかった時の最終手段として……!!」
「重いなぁ」
「それだけ覚悟を持っていたと思ってほしいです」
苦笑いするシービーに、ヒスイは飽くまで胸を張っていた。
「……あの時」
「ん?」
そして。
シービーが直々に自分をレースに誘ってくれた時のことを思い出しながら、彼女は言う。
「カペラさんが、私のことを怖がりだとか、お……臆病者、だとか言いましたけれど。あれは……あれは、違うのです。負け惜しみとかではなく、私は……別に、怖がっていたわけでも、怯えていたわけでもないのです」
その目は、別のテーブルのガーネットカペラの方へと向く。カペラは、マックイーンらシニア級の先輩たちとすっかり打ち解けたようで、何事かを談笑していた。
「……私は、全てが大事でした」
視線を下げ、彼女は続ける。
「お父様から与えられた義務や責任は、もちろん大事でしたが……繫がりや、自分の欲求も、大事でした。最初はその比率は……無視できるほどでしたが。時間を経るごとに、徐々に増していきました。
……私には、課せられた義務や責任を投げ出すことは出来ない。でも、本能は、もっと自由に生きたい、気ままに遊びたいバカを――したい、という風にも叫んでいて……その想いが、限界まで肥大化していって……わ、私は……
いつか……わからなくなっていました。自分が、どうしたいのか。自分が、何をすれば、いいのか……」
「……そして、一番わかりやすい、義務と責任という名のレールに縋っていた」
結論、とばかりに言ったシービーに、ヒスイは無言で応えていた。
「……思ったのです」
それから、続ける。
「私が……一体いつから、『こう』なってしまったのか。
素直になれなくなってしまったのか。やりたいようにやれないように、なってしまったのか。『自由』で……なくなってしまったのか。
ずっと、ずっと自問自答していましたが……あの時。
全てをかなぐり捨てて走って、ようやく、わかりました。……それは、
妙な知恵のために、
バカを止めたからです。
……ですから。少なくとも在学中は、全力で、バカをやろうと思います。
自分のしたいこと。目指したいものに、全力を尽くしてみようと思います。色々なものを見て、聞いて、触れて、感じて……その果てに、どんな自分を見るのか。
私は……それが知りたい」
「……」
シービーの目元が、柔らかに綻ぶ。
実の娘を見るかのような、慈愛に溢れる瞳を浮かべ――
おもむろに、自身の傍に置いてあった、紙袋を手に取った。
「それじゃ、」
そして。
それを、ヒスイに示した。
「今日なら、受け取ってくれるかな? ……これ」
「……あ」
それが――何なのかなど、言うまでもない。
あの日。
シービーに連れ回された、あの時。
降り頻る雨の中、弾き飛ばしてしまった――服の入った紙袋、だった。
「……」
ヒスイは、それを受け取ることを、一瞬だけ躊躇う。
それを見て、シービーは、悪戯っぽく笑った。
「大丈夫だよ、ちゃんとクリーニングに出したから。体型も変わってなさそうだし。ちゃんと着れるよ」
「……」
ヒスイは。
その言葉を受け、シービーと目を合わせた。
「……あの時は、ごめんなさい」
それから、決心したように、言葉を紡ぐ。
「私……私は。別に、あなたに怒っていたわけじゃありません。怒っていたのは……自分に対してだったんだと思います。私はきっと……
羨ましかったんだと思います。あなたが……」
義務も責任も。
常識も普通も。
鎖も束縛も。
何もかもとも無縁に、自由気ままに振舞う彼女。
最終的に八つ当たりのように怒ってしまったが、その理由は単純で。
ただ――羨ましかったのだ。そんな彼女が。
何者にも縛られず、何者のせいにもしない。
自分の思うまま、自分のやりたいまま、ただただ生きる、自由の申し子――
あの姿に。
憧れを、抱いていたのだ。
今の自分は。
それとは未だ、離れている、とヒスイは思う。
それでも――
少しは近付けたかな、とも、自負していた。
――だから。
「……」
彼女は。
差し出された紙袋を受け取り。
強く、抱き締めていた。
「……ありがとう、ございます……」
「どういたしまして」
シービーは笑い。
ヒスイは、一筋の涙を流す。
それが流れ切った時。
彼女は、改めてシービーの瞳を見ていた。
「……それで。あの」
「ん? どしたの?」
「……」
ヒスイは、それだけ言うと、一瞬、視線を逸らし。
再び、目を合わせた。
「……私は、ヒスイグループ社長専属秘書を務めていた、ヒスイレグルスと言います」
「ん……ん? うん。承知の上だけど……」
「はい。それで……その」
もじもじと。
どこか恥ずかしそうに、言っていた。
「……あ」
「?」
「あなたの……お名前は……?」
「…………」
……果たして、続けられた質問に。
シービーは、大きく目を見開いていた。
「え――ちょ、えぇ!?」
そして。
彼女にしては珍しく、分かりやすく狼狽する。
「え、う、嘘!? 嘘でしょ!? アタシのこと、誰かわかってなかったの!?」
「だ、だって、自己紹介、してなかったじゃないですか……」
「い、いやそうだけど、いやそうだけどさ! い、一応これでもアタシ、三冠ウマ娘なんだけど!?」
「ごめんなさい。その……競技シーンには疎く……」
「う……は、恥ずかしい……!! アタシが一方的に恥ずかしいやつじゃんこれ~……!!」
赤面したシービーは、両手で顔を覆う。しばらくそうして悶えていた彼女だったが、やがて落ち着いたのか、大きめに息を吐くと、改めてヒスイと相対していた。
「……わかった。まぁ、知らないなら仕方ない! 自己紹介しなきゃだね」
そして。
彼女に、自身の手を差し出す。
「……こちらこそ、始めまして」
言う。
今も昔も変わらぬ――自身の名を。
「トレセン学園五年生――もとい、高等部専門課程二年生、ミスターシービーです」
誇らしげに。
「よろしくね」
「……はい」
それを聞いて。
ヒスイもまた、自信ありげに微笑み。
「よろしくお願いします」
その手を。握っていた。