「どうですか? コハクちゃんは……」
……そう。
私がここに来た理由。それは、今日、コハクちゃんが――コハクダブルスターが、ここにやって来たからだ。
どうやら朝早い時間帯に送られてきたらしく、私がトレーナーさんからのLANEを受けたのはなんと朝7時。大阪への長旅の疲れもあり、盛大に眠りこけていた私は、その連絡を二時間遅れでキャッチ。
慌てて支度を済ませ、ここまでやって来た次第。
「……」
その上での、先の問いかけだったわけだけれど。
三人は、顔を見合わせるばかりで、答えを口にはしてくれなかった。
「あ、あの……?」
「サファイアミザール」
もどかしくなって、というよりかは不安になって。声を掛け直してみると、口を開いていたのは会長さんだった。
「……面会は今すぐにでも叶う。だがその……私たちにも、これから何が起きるのか、いまいち断言出来ない」
「へ……?」
「だから、何を目にしても、決して過度に騒ぎ立てないことを約束してくれ。もちろん、私たちは、全力で君を守るが……」
「……」
……い。
一体、何を話されているのだろうか、私は。
あれ? 私、今から、旧来の友達とお話するんだよね。どうしてそんな、不穏極まりない警告をされているのだろうか。
それではまるで……
それではまるで。
彼女が、普通の状態ではない、みたいじゃないか。
「……、」
正直。
その前置きで、少し躊躇ってしまった。
会うのを。目の当たりにするのを。やっぱり止めておこうかという考えすらも浮かんだ。
ただ――それでも私は。思ったじゃないか。誓ったじゃないか。絶対に果たすって。途方もないあの夢を。必ず、叶えるんだって。
会長さんは、ただの脅しをしているのではない。みんなから送られるただならぬ空気で、何が起きてもおかしくないということは、しっかりと理解出来ていた。だけど、だけど……
だけど。
それでもやると、決めたんだ。それでも進むと、決めたんだ。ここで諦めたら、何のために今までやって来たんだ……
「……」
大丈夫。
きっと、大丈夫。
何を目にしても。きっと、約束は、守れる……
「……わかりました」
だから。そう返すと。会長さんは、トレーナーさんへと頷き、扉を開いていた。
中へと入っていく。
私も、それに続く。トレーナーさんとたづなさんは、続かずに、外に留まっていた。
……私は。
入室を果たし。五年以上ぶりに会う、親友の姿を目の当たりにした――
「――……」
……それに。
私は、言葉を失っていた。
「……送られてきた時点で『こう』だった。私たちにも、理由はわからん」
会長さんは、その中で、声を潜めて言う。
「もちろん送り手もいたが、何も答えてくれなかったそうだ。『それにはお答え出来ません』の一点張りで……結局、このままここに連れてきてもらったのだが……」
「……」
私は。
会長さんの言葉に、何も返すことが出来ない。
なぜなら――目の前の彼女は。親友は。
……コハクちゃんは。
白い衣服に、胸の下あたりで組まれた腕を、揃えられた脚を、ベルトで縛られていたから。
いわゆる――
『拘束服』、と呼ばれる服を着て。
車椅子に、固定されていたからだ。
「…………」
……体格はほとんど変わっていない。
昔と変わらず、小柄で、髪は長い芦毛。
ただ、その俯かせている瞳は、真っ暗で――
私たちが目の前にいる、という事実すらも、認識していなさそうだった。
……様々な疑問が、浮かび上がっては消える。
なぜこんな服を着ているのか、という、既に答えのないもの。
今まで、一体どこにいたのか。何をしていたのか、という真に迫るもの。
……なぜ、そんな瞳をしているのか。こちらを見向きもしないのか。
という、単純なもの――
「……たづなさんによると、送り手は、こんなものを渡してきたらしい」
会長さんが、私に何かを手放してくる。それは……一冊の、小さな手帳だった。
表紙には……
「……取り扱い方……?」
「私も中身を確認したが、正直……虫唾の走る内容だったよ」
「読んでも……?」
会長さんは、浅く頷く。その顔には、普段ではあまり見られない、不愉快という感情を凝縮したかのような、しかめっ面が浮かんでいた。
「……」
その許諾の上で、手帳を開いてみる。
どうやら正式な物ではないらしく、市販の手帳に自ら書き記したものらしい。
そして、その内容は……
拝啓
トレセン学園 理事長 秋川やよい様
この度は、貴女の大赦の元、当個体をお引き取りいただきまして、誠にありがとうございます。
それに当たりまして、いくつか取り扱い上の注意点がございますので、以下に列挙させていただきます。
一、個体には一日三食の食事を与えてください。困難な場合は二食でも問題はありません。個体は口元から最低5cmの距離からの食器での経口摂取で摂食が可能です。摂食量は標準的な十代のウマ娘の同等の量となりますが、半分を満たした状態でも問題がないことが確認されております。
一、個体は排泄の際に言葉によるコミュニケーションを試みます。実行する際は必然的に拘束服を解くことになりますが、この際、日本国ウマ娘鎮静基準においてAランク以上の評点を獲得している各種鎮静剤を装填した対ウマ娘用鎮圧装備を携行した人物を最低二人同行させるようにしてください。行為を終了した場合は、個体を速やかに再度拘束するようにしてください。
一、個体とのコミュニケーションは最低限にしてください。個体は上記排泄の際にのみ能動的なコミュニケーションを試みます。それ以外の場合で対象がコミュニケーションを試みた場合、それらのコミュニケーションは無視することが望ましいです。
上記の注意点をお守りいただけない場合、対象は暴走状態に陥る可能性がございますので、くれぐれもご注意ください。どのような原因であれ、個体によってもたらされたいかなる損害も、当方では責任を負いかねます。
よろしくお願いいたします。
「……」
……
……なんだこれ、というのが、率直な感想だった。
「……まるでモノを扱うかのようだろう」
苦虫を噛み潰したように、会長さんは言っていた。
「私も、趣味で様々な本を嗜んできたが……ここまで不愉快になる文面もそうない。それで……一応の確認なんだが」
その声色を変えないまま、彼女は続ける。
「その……『暴走』というのに、覚えは?」
「……いえ。全く……」
暴走……?
なんだそれ。
確かにコハクちゃんは不思議ちゃんで、周囲がすぐには理解出来ないような行動を、何度も取ってきた。
けれどそのどれも、こちらがちょっと困ったり、時に笑っちゃったりするものばかりで。
そんな、物騒な単語が。
似合うようなことなんて……ひとつも。
「……授業中に眠りこけたり、授業中に抜け出したり、授業中に全く別のことやり出したりすることを、暴走と定義するなら……別ですけど」
「授業中限定か……」
「……」
苦笑いで答える会長さんをよそに、私は前に出る。
未だ、顔を俯かせ、目を合わせようとしない彼女の目の前に――しゃがみ込む。
「……コハクちゃん」
「……」
彼女は、答えない。
「ねぇ、私だよ。わかる? 私。サファイアミザール。五年くらい前、北部校で一緒だった……」
「……」
彼女は。
答えない。
「覚えてないの? 覚えてないならそれでいいよ。そう言ってくれればいい。私、傷つかないから。気にしないから。それならそれで、またここから友達になるだけだから……だから」
「……」
彼女は。
彼女は。
答えない……
「……コハクちゃん。返事を、して」
「……」
……耳も動かない。
何の反応もしない。
こちらの声が――
一切、届いてないみたいだった。
「……」
「……」
「……」
重苦しい沈黙が漂う。何をするべきなのか。何を言うべきなのか。困惑と疑問に塗れた頭で、なんとか考えようとしたけれど。
「……一旦出よう」
会長さんに促され。
その場に立ち上がる。
後ろ髪引かれながらも、外へと出ると。たづなさんとトレーナーさんが、同時にこちらを見ていた。