「あ……ど、どうでしたか?」
「いや。駄目だ。実の友人の呼びかけにも、全く反応しない」
後ろ手で扉を閉めながら、会長さんが、たづなさんの質問に答える。トレーナーさんは、それに残念そうに息を吐いていた。
「お前で駄目、ってんなら、いよいよ詰みだな」
「あ、あの。カペラちゃんとヒスイちゃんは……?」
「あの状態だ。下手に他人と接触させたら、何が起きるのか読めん。だからお前に様子見してもらおうと思ったんだが……」
……ご覧のあり様、ってことだ。でも、しょうがない。呼びかけていた時、カペラちゃんに呼びかけていた時のことを思い出したけれど。あの時とは状況が違い過ぎる。
暗闇の中に石を投げ込むみたいに――
まるで、手応えがなかった。
「かといって、あの胸糞悪い『説明書』の通りにあの子を『管理』するのもな」
「申し訳ないが、我々としても、あのような不愉快な『手順』に従うつもりはない」
「そうですね……あの子も確かに生きているのですから、それではモノと変わりません」
「……何が」
三人が各々話す中。私の声は、呆然とした声色を伴っていた。
「あったんでしょうか。あの子に……」
「……もう少しアイツのことを話してもらえねーか」
すると、トレーナーさんは言う。
「ほんの少しでいい。手がかりでなくても、考えるきっかけが欲しい」
「……なら」
「待て。そうするには、ここは不適だ」
と、話そうとした時。会長さんが止める。
「場所を替えよう。たづなさん。あとはお願いしていいでしょうか」
「えぇ。お任せください」
たづなさんは、その言葉ににこりと応じてくれる。その気品ある笑みも、いつもより苦しそうに見えた。
食堂はほとんどガラガラで、広大な空間内に、数えるくらいの人影しかない。
その隅の方、あまり目立たないテーブル席に、私たちは落ち着いていた。
「……あの子は、私たちの中では、最後に知り合いました」
目の前のコップの、凪いだ水面を見つめながら、私はゆっくりと二人に話し出した。
「カペラちゃんやヒスイちゃんとは、私が北部校に入学した時から一緒だったんですけど、コハクちゃんは一年遅れて入学してきたんです。あの時、あの子が引っ越ししてきたんだっていうのは誰の目にも明らかでした……まぁ、結局カペラちゃんもヒスイちゃんも引っ越してきてたわけですから、境遇自体は同じだったかもしれませんけど」
終わってみれば、あの村で生まれ育ったのは私だけ。つくづく奇妙な縁だな、と思う。
「ただあの子は……最初の頃は、あんまり喋らない子でした。私たちからしたら、引っ越してくる人自体が珍しかったから、みんなで質問責めにしたんですけど。それでも、あうあうあーって感じで、ろくに答えられなくって」
「じゃあ、入学したての頃は、あんな感じだったってことか?」
「……コミュニケーションは取り辛かったですけど。それでも、何の反応も返さないことはなかったです」
思い出す。入学からまだ日が浅かったころを。あの頃のあの子は……矢継ぎ早の質問に、戸惑うことはあっても。コミュニケーションそのものを遮断することはなかった。
「それに……みんなと過ごすうちに、心も開いてくれて、色々話してくれるようになって……」
「過去のこととかは話さなかったのか?」
「……言いたくない、の一点張りでしたね」
「何かがあったことは確定的なようだね」
会長さんの言う通りではあった。確かに、言いたくない、という言葉が、何よりも雄弁に語っている。
そう言うということは――言いたくないような何かがあったことの、何よりの証拠だ。
「ふむ……ご家族のことは?」
「いえ……ほとんど何も」
「授業参観などはなかったのかい? 高等部ならまだしも、初等部ならそういうものがありそうだけれど」
「……あ」
そういえば……そうだ。授業参観。
あの、廃校寸前の学校でも確かにあった。そして……確かに、私は見ていた。
彼女の親御さんと思しき人物が、訪れていたのを。
「いました……いました! そういえば! あの子の親御さんみたいな人……!」
「どんな奴だった?」
「えと……実際に話したわけじゃないですけど、眼鏡をかけた、凄い優しそうな見た目の方でした。コハクちゃんも、あの人に対しては、不思議ちゃんっぽい感じじゃなくて……ごく普通の女の子、って感じで、受け答えしてました」
「……それなのに、過去のことは話したがらない?」
「人前では仲良く振舞おう……なんて、口裏合わせてたわけじゃないだろうな」
「さ、さすがにないと思いますけど……」
コハクちゃんのことを侮ってるわけじゃないけど、彼女はそういうタイプの嘘を吐けるような子じゃないと思う。嘘を吐こうとして、バ脚を現しちゃうタイプなような気がする。
「何にしても、その人が何か鍵を握っていそうだね。……ちなみに、彼の行方については……」
「ごめんなさい。全く……」
「まぁ、そうか」
会長さんは、残念そうに肩を落とす。申し訳ないけど、それに関して嘘を吐いてもしょうがない。家に遊びに行ったこともなかったので、当然、プライベートで関わることもなかった。
彼が当時何をしていて、今、何をしているのか。私には……知る由もない。
「……そうだね。あとは……普段何をしていた子なのか、思い出せるかい?」
「う、うーん……私生活は謎そのものですけれど、少なくとも、私たちの前にいる分には、変なことばっかりしてる子でした」
「例えば?」
「……蝶を追いかけて、ドブに嵌まるのは日常茶飯事でしたね」
「なんだか聞いたような話だね……」
苦笑いをする会長さん。私の脳裏にも、桃色のポニーテールが浮かび上がっていた。まぁ、あっちはドブには嵌まってないみたいだけども。
「わかった。その子の行動を、思い出せる限りでいいから、言ってもらえるかな。どんな些細なものでもいい」
「え? でも、ほとんど意味不明な奇行ですよ……?」
「こういう問題は、何が鍵になるのかわからない。情報が多いに越したことはない」
「……じゃあ」
会長さんの言われるまま、思いつく限りの彼女の行動を羅列した。会長さんは、取り出したメモ帳にそれらを書き連ねていたけれど、それら全て、彼女の思わぬ笑いを誘うものばかりで、少しばかり場の空気は和んでいた。
が、その間、トレーナーさんは何も言わなかった。取り出した携帯電話の画面とにらめっこし、何事かを思案している。
かつてない真剣な表情に気圧されながらも、やがて一連の行動の列挙が終わる。
会長さんは、メモ帳を見つめると、可笑しそうに笑っていた。
「これだけ見ると、私がそれを真似しようとしているみたいだね」
「……真似してもいいですよ。だいぶ空気も和らぎそうです」
「あはは。まぁ、あの子の名誉を毀損しそうだからね。さすがにやめておくよ」
「そうですね」
そんな風に、お互いに笑い合った時だった。
「バカウマ」
「あ……はい」
トレーナーさんが、ようやく口を開く。数年ぶりに聞いたみたいな彼の声に反応すると、彼は携帯電話の画面を見つめながら――
言っていた。
「……お前、帰省しろ」
「……」
一瞬。
思考が止まって。
「……は?」
もう一瞬で、呆然と声を漏らしていた。
はい?
帰省?
「い、いやいや、ちょっと待ってくださいよ」
それが自分の捉えたまんまの意味だと理解して、慌ててその言葉に反論する。
「き、帰省してどうすんですか。何もないと思いますよ。私のお父さんが何か知ってるわけでも……」
「バカ、お前の今の実家に帰省しろってんじゃねーよ」
が。どうやら彼は、そういう意味で言ったわけじゃなかったらしい。
「……お前の、『生まれ故郷』に行けっつってんだよ」
続けられた言葉で。
私は――彼の言わんとしていることを理解していた。
「北部校のあったその町に行って――出来る限り集めてこい。
なんでもいい。コハクダブルスターの身の上を解き明かすための――断片をな」
緑豊かな田舎町に、一陣の風が吹く。
それは、昔ながらの、大きな平屋の一軒家の前。
竹箒で地面を掃いていた、壮年の女性の頬を、乱暴に撫でていく。
短めの白髪を靡かせた彼女は、それに目を細めながら、手を止め、空を見上げていた。
「……嫌な風ねぇ」
そして――誰にともなく、呟いていた。
「何か……起きるのかしらねぇ……」