窓の外の景色が、高速で流れていく。
見覚えのある長い髪が、『通路』を駆け抜けていく。
ハッとなってその後ろ姿を目で追うけれど。それは見ず知らずの子供で、その子は親御さんと思われる女性に抱き着くと、何事かを楽しそうに語っていた。
胸をチクリと刺されたような感覚がして、視線を再び窓へと移す。
その時、どこか気だるげな車内放送が、周囲を満たす耳障りな騒音を縫って通り抜けていた。
「……自分がそないにブルーになってもしゃあないやろ」
向かい側。
唐突に話し掛けられて目を向けると、何かを差し出される。
その小さな手には、一粒の包装された飴玉があった。
「これ舐めて元気出し?」
「……」
もうすっかり見慣れた『彼女』に言われて、私は思わず微笑み、飴玉を受け取る。で……それから。彼女の心配りに感謝しながらも、思ったことを言ってみることにした。
「……なんか、たまに大阪のおばちゃんみたいですよね。タマちゃん先輩って」
「ちょ――はぁ!? 元気づけた先輩に言うことかいなそれが! はぁー! 心配して損したわ!」
それでも、その声に本気の不快の色はない。むしろ、先の子供に負けず劣らずの楽しげな色に、思わずこちらも微笑んでいた。
……トレーナーさんに、『地元』への帰省を言いつけられ、今日。
揺れる電車の中。本来ならその重要な旅は、私の一人旅になるはずだった。
でも、心配に思われたんだろうか。彼は言ってくれたのだ。不安なら誰かに同行を頼んでもいいぞ――と。
それこそカペラちゃんとヒスイちゃんに頼もうと思ったけれど、大事な調整期間に、二人を駆り出すわけにもいかない。
そういうわけでその対象は、手が空いてそうで、かつ付き合ってくれそうな人へと限定され――
果たして――頼んだわけである。
彼女へと――タマちゃん先輩へと。
「ま、ちょっとは元気が出たみたいで良かったわ」
私の顔を見て、彼女もまた微笑む。タマちゃん先輩も現役だ。もしかしたら断られるかもな、なんて思ったけど、なんと、二つ返事で承諾してくれた。
可愛い後輩の頼みを断るわけないやろ――と、男前に笑った彼女には、感謝してもし切れなかった。
「それで……そろそろ話してくれへんか?」
そんな彼女は、やや唐突に私に言う。私はその真意を汲み取りかねて、小首を傾げていた。
「コハクちゃんのことですか?」
「いやいや。そないなこと、もう散々『あっち』で話したやろ。ウチは自分の地元のことを知りたいねん」
「話すったって……」
それは彼女なりの気配りだったのかもしれない。それ自体はありがたいものだったんだけれど、いかんせん……
「な……無いですよ……? 話せるようなこと……」
「そないなことないやろ! なんや? 更地にでも住んどったんか自分?」
「いやそういうわけじゃ……ってかそれ極論じゃあ……」
「極論でも、論は論や!」
滅茶苦茶な理論だった。いやでも、そうか。ここで私が話せることない、なんて言ったら、そこで終わっちゃうからな。そうだ。ここは、私のプロデュース力の見せ所……!!
「えーっと……」
「おう!」
「え、えーっと……!」
「うんうん!」
「え、駅前に、おいしい牛丼屋さんが……!!」
「おぉ! その村にしかないローカル店やな!」
「いえ、普通にチェーン店です!」
「ってなんでやねん! もうええわ! はいありがとうございましたー」
「ありがとうございましたー」
「……」
「……」
「……ぶっ、っはははははっ!」
「……あはははっ」
……まぁ、そんな感じで。
すっかり和気藹々とした空気の中。電車は、目的地へと向かって、進んでいく。
コハクダブルスターの一時的な居室から、駿川たづなが退室する。
扉を閉め、ため息を吐くと。こちらへと近付く影があることに気が付いた。
長い橙色の髪に、白と青色の映えるハット、小柄な体躯に、頭上には猫。
「……相変わらずか?」
秋川やよいは、愛用の扇子を開き、口元を隠すと、たづなへ向けて言葉を紡いだ。
対し、彼女は残念そうに頷く。
「話し掛けてはいるのですが……反応がありません。ただ、耳が全く動いていないわけではないので、聞こえていないわけではないとは思うのですが……」
「ふーむ……今まで口下手なウマ娘とは会ってきたが、ここまでコミュニケーションの難しいウマ娘は初めてだな」
何事かを思案する素振りを見せた彼女は、その末に扇子を畳むと、たづなと目を合わせていた。
「よし。私が直接見よう」
「は!? い、いいのですか!?」
「なんだ。私が会ってはならない理由があるのか?」
「いえ……ありませんけれど……」
「ならいいだろう。何。会ったらくたばるわけじゃない。少し様子見をするだけだ」
「……しかし」
「ん?」
「……」
小首を傾げる秋川のその仕草は、見た目相応の少女のような、愛嬌溢れるもののように思える。しかしたづなは、それに気圧されたように冷汗を垂らすと、観念したように息を吐いていた。
「……わかりました」
「うむ」
たづなは、居室のドアを開ける。秋川は、導かれるようにその中へと入った。
「……」
コハクダブルスターは、相変わらず顔を上げない。微動だにせず、視線を落としている。
その得体の知れない雰囲気に、秋川も、思わず眉を顰めていた。
何人かは見てきた。
暗い雰囲気の生徒。自信を持てない生徒。恥ずかしがりやな生徒。敵対的な生徒。
話さない理由、話せない理由。十人十色で、誰もが相応のバックボーンを持っている。
だが、同じように誰もが、寄り添い、根気よく話すことで、いずれは心を開いてくれていた。
しかし、今目の前にしている少女のそれは――そのどれとも違う、と秋川は感じた。
なんだこれは、と思わず疑問に思ってしまうほど。
特に――彼女の、その瞳。
そこには、およそ光と言えるものは、一切見られず。
まるでその顔に――そういう形の穴ぼこが。
虚空が。
ぽっかりと開いているかのように、思われた。
「――はーっはっはっはっは!」
秋川は。
とりあえず、笑っていた。
「歓迎ッ!! すまんな! 昨日は執務が忙しくてな! 会うことが出来なんだ!」
とにかく、彼女の警戒心を解くしかない、という考えのもとで。明るく話し掛ける。
「学園は気に入ってもらえたかな!! 何、そう怯えることはない。ここに君の敵はいないし、設備も充実している! 何か不自由があったら、遠慮なく申し付けることだ!」
壁を打ち砕くように。門戸をこじ開けるように。
暴力的なまでに、呼び掛ける。
「頼りになる先輩もいる! 競い合える同輩もいる! 存分に遺憾なく、自由に生きるのがいいぞ!!」
太陽のような、光芒のような。
その、神々しいまでの言葉の数々に――
「……」
コハクダブルスターは。
顔を、上げていた。
その真っ黒な瞳で。
秋川を、真っ直ぐに、見つめる。
「……」
秋川もまた、その目を真っ直ぐに見つめるが。
そこから産まれる、暖かさなどはなく。
「……」
「……」
ただただ、不気味なまでの静寂が。
居室の中を満たした。
「……さ、行くぞたづな! 私も忙しいからな!」
「……はい。仰せのままに」
そんな静寂に追い立てられるように、秋川とたづなは部屋から退室する。
ドアを閉め――
秋川は、扇子を開き、口元を隠していた。
「……たづな」
そして、優秀な秘書の名を呼ぶ。
「拘束を解いてやれ」
「――は!?」
続けられた命令に――
たづなは、素っ頓狂な声を上げていた。
「り、理事長! いくらなんでもそれは……!!」
「なんだ。お前はあの傲慢な説明に従うというのか?」
「い、いえ。そうではありませんが……!!」
たづなは狼狽しながらも、自らの長へと進言する。
「……拘束服は、何かを抑え込むために着せるものです。もしあれを解いて、何かこう……暴れ出したりでもしたら……」
「約███ニュートン」
「へ……?」
そんな彼女に、秋川は唐突、かつ無関係と思える返事をしていた。
「激昂状態のウマ娘が発揮すると言われている膂力だ」
「それが、何か……?」
「対して、一般的な服の引き裂き強度は、7ニュートンから10ニュートンでしかない。そして、手の付けられないウマ娘の鎮圧方法は、何らかの方法による薬剤投与くらいだ。わかるか? あんな拘束服はな、もとより気休めにもならんのだ」
「それなら……自由にしてあげた方がいい、と?」
「かかるストレスは、少ない方がいいだろう」
秋川は、先の彼女の反応を思う。自分のことを静々と見つめた、あの反応を。あれをそうと分類していいものかどうかは議論の余地があったが、とにかく彼女が、外界の刺激の全てを遮断しているわけではないことは確認出来た。
それならばまずは――極力リラックスさせることだ、と彼女は考えていた。
「ただ私も、皆の懸念をよく理解している。部屋からは決して出さず、監視員を一人は付けるように。あまり軟禁のようなことはしたくないのだがな、仕方がない」
「……それで、何かが起きたら?」
「その時はその時だ。……クラスA鎮静剤を用意しておけ。いつ、どんな時でも鎮圧出来るように」
「……、わかりました」
よろしい、と秋川は扇子を畳んだ。
「では、何か動きがあったらまた伝えてくれ。私は理事長室に戻る」
「はい」
たづなは、その小さくも大きな背中を見送り、コハクダブルスターの居室を振り返る。
彼女自身、そのような命令に従うことは、不安と恐怖でしかなかったが。
理事長の考え、信念を尊重することを選んでいた。
――また、自分も。
あのような痛々しい姿を見ることに、限界を感じ始めていた。
「……もしもし」
だから彼女は、携帯電話を取り出し、職員へ連絡する。
理事長の指示した、有事に備えた『厳戒態勢』を、整えるために。