「……」
「……」
二人、何も言わない。タマちゃん先輩は木を見上げているので、私も釣られるようにして、見上げる。今日……桜が咲いていれば、良かったんだけどな。
まぁ、そればっかりは仕方がない。元々、来る予定もなかったのだし。そこまで木に求めるのは酷というものだ。
また。
落ち着いたら。ここに来たいな。
……みんなで。
きっと――『みんな』で。
「……さて」
やがて、タマちゃん先輩は言う。
「ほんならそろそろ……もう一つの『本命』、行こか?」
「……、はい」
促され、木に一礼する。タマちゃん先輩も、それに倣って礼をしてくれた。そして……私たちは、そこから歩き出す。
もうひとつの『本命』。それは、電車の中で既に話していた。
現状で、コハクちゃんのことを知っていそうな――
私の知る、今のところ残っている、唯一の伝手。
ここからは、そう離れていない。北の方へ数分ほど、歩いたところ。
朧げな記憶を頼りに、その道筋をたどる――
「……!」
果たして。
それは、そこにあった。
塀に囲まれた、平屋の一軒家。
表札を確認するけれど――うん。確かに、変わっている様子もなかった。
「……ここか」
「はい」
タマちゃん先輩に、私は答えた。
「『教頭先生』の、住まいです」
「空き家、なんちゅうことはないよな?」
「もうその時は……その時ですね」
ともあれ、躊躇っていても仕方がない。敷地内に恐る恐る入り、一軒家の玄関の前に立つ。
昔ながらの引き戸。壁にはインターホン。擦り切れたベルのマークの印字されたそれを、ゆっくりと押した。
ぽーん……と、古風な音が聞こえ。
「――はーい」
「……!」
中から。
聞き覚えのある女性の声が、聞こえてくる……
どたどたという、床を速足で駆けた音の末。
目の前の引き戸が開き。
「――はい、」
その人は。
顔を出していた。
総白髪の頭に、薄縁の眼鏡。顔には皺が目立つが、活力までもは失われていない。
そのお陰か――その人が、『その人』だということは、すぐにわかっていた。
だからこそ。自然、身体が強張る……
「――……」
目が合い。
その目が見開かれる。
私は、姿勢を正し。
口を開く。
「あ、あの」
とりあえず、と。
当たり障りのない、言葉を――
「お久しぶり――」
「ミザールさん……?」
が。
そこで彼女は、そう声を漏らしたか、と思うと。
「っ!?」
私の両頬に、手を添え。
ぐいっと、自分の方へと引き寄せていた。
「――ミザールさんよね!?」
そして。
小さかったはずの声は、瞬時に、心底嬉しそうな、浮ついたものへと変わっていた。
「へ、あ、あの……」
「間違いない、間違いないわ! この栗毛にポニーテール! えぇ、嘘! どうして!? どうしてここにいるの!?」
「いえ、あの、ちょっと、用事があってですね……」
まるで子供みたいにはしゃぐ彼女だけれど、この状態、ちょっと。いやかなり、喋り辛い。出来れば、落ち着いて、お放し頂けると、助かるんですけども……
「え、嘘、嘘ー!? やだっ、来るなら来るって言ってくれればいいのにっ!!」
「ご、ごめんなさい、連絡先がどうしてもわかんなくてですね……」
そんな私の意図を汲んでくれたのか、彼女は手を離してくれた。改めて……改めて、その姿を見る。
顔をぱあっと明るくした彼女は、目尻に涙を浮かべ、まるで有名人の凱旋を目の当たりにしてるみたいだった。
……教頭先生。北部校の無くなった今じゃ、厳密には先生ではないけれど。
私にとっては、永遠の先生、偉大な『先達』だ。お元気そうで……何よりです。
「あらそうなの? 最後に会ったのは五年……六年だったかしら? でも久しぶりねぇ本当!」
そう、元気そうに……本当に元気そうに、矢継ぎ早に、彼女は言う。
「あっ、テレビで観てるわよ、あなたの活躍! ちょっと遅いけど、弥生賞一着おめでとう! 次にレース出るのはいつなの? クラシック三冠とかは……!」
「あ、あの、先生、ちょっと、落ち着いてもらって……」
「……、本当に」
困惑する私の頬に、彼女は手を当てる。それから続く、そこを撫でる動きは。大切なものを撫でるかのような、優しく、暖かなものだった。
「本当に……立派になって……」
「……」
その、実の母のような眼差しに。
私も思わず、目元が熱くなる。
「……えっと」
さなかで。
気まずそうに聞こえたタマちゃん先輩の声が――そんな、軽い夢の心地に浸った私を、ぐいっと引き戻していた。
「とりあえず……再会喜ぶのは、その辺でえぇか……?」
「え?」
同じように現実に引き戻されたらしい教頭先生は、声に応じると。
「……!!」
タマちゃん先輩を見て――
再び、目を見開いていた。
「あ――あなたっ!! もしかして、タマモクロスさん!?」
「えっ、あ、せ、せやけど……」
「わぁー!! 嘘っ!! 夢みたい!! 私、あなたのことも追ってるのよ実は!! なになになに!? こんな有名人まで連れてきて!! もしかしておめでた!? おめでたなの!? やだっ、お赤飯炊かなくちゃっ!!」
「あ、あのー……先生? 落ち着いてください本当に」
話が進まない。頼むからもう少しこちらの話をちゃんと聞いてほしい……
「あ……やだ、ごめんなさい、私ったら。も~、困るわよね。おばちゃんはいっつもマシンガントークしちゃうから……」
「あはは……そ、そうですね……」
「それで……」
と、そこで教頭先生は、首を傾げていた。
「どうしてまた、ここに来たの?」
「……実は、お聞きしたいことがあって来たんです」
ようやく本題に入り――
私は、一連の流れを説明する。
先生は、最初こそ不思議そうだったけれど、話の全貌を把握するにつれ、その顔を深刻そうなそれに変えていた。
「そう……コハクさんが」
聞き切って――彼女は、哀しそうに言う。ふと、携帯電話を確認してみるけれど、新しいメッセージは、特に受信していなかった。
「……何も連絡がないので、たぶん、進展はないんだと思います」
「それで、何か手掛かりがないか、こんな田舎くんだりまで来たのね……」
「あの、本当に、些細なことでいいんです」
私は、縋るように言った。
「お願いします! 何か、知っていることとかあったら、教えてください!」
「……」
先生は、視線を下げる。その顔には、何か、葛藤のようなものが見え隠れする。
何かを教えるべきか、教えないべきか――と、迷っているように、見える。
「……、」
片手を頬に当てると、彼女は眉を顰めていた。
「知らない、と言うと嘘になるわ」
「――!」
答えに――思わず、目を見開く。
その勢いに押されるまま、一歩を踏み出すけれど。彼女は、でも、と続けていた。
「立ち話も何でしょ」
そして、老健な笑みを浮かべると、家の中を示してみせた。
「……どうぞ、上がってちょうだい。その方が、『あの人』も喜ぶわ」