『すみませんたづなさん! 見つかりました!!』
携帯電話からようやく届けられたその声に、たづなはため息に近い安堵の息を吐いていた。
「……まぁ、見つかったのならよかったです」
『本当にすみません! 『コイツ』を使う機会なんかそうないもので……!!』
「すぐに取り出せる場所に置いておいてくださいね。というか、元からそういう規定になっているはずです」
『わかりました! 気を付けます……!!』
そんな通話を最後に、たづなは通話を切る。それから改めて目の前にするのは、依然として、『彼女』が中にいるトレーナー室だ。
いつもならただの空き室。次なる利用者を待つばかりの、寂しげなドアは。今や異界へと続く禁忌の扉にも感じる。
秋川やよいはああ言ったが――たづなの中には、未だに恐怖に似た躊躇いがあった。
あれは文字通りに封印。解いてはならない禁断の鍵。
破れば――取り返しのつかないことになる。
そう、本能的に感じる。
「……」
だが。
再び入ったその部屋で。
コハクダブルスターの姿を改めて見た時、胸を締め付けられるような感覚がした。
理事長の理念。彼女の願い。それをよく理解しているからこそ――
それと相反する状態に、息苦しさすらも感じた。
「……」
結果的に、その感覚が、彼女の本能を超越していた。
たづなは、理事長が話して以降、また何の反応も示さなくなった彼女に近付き、
彼女を縛っていたベルトを、一つずつ外していた。
腕のものを。脚のものを。胴のものを。外し。
彼女は、自由の身となる。
「……」
コハクダブルスターは、何も言わない。
言わないが、自由になった掌を――袖が塞がれているため、対外的には服を見つめているように見えるのだが――見つめ始めていた。
それ以外に、様子に変わりはないが。
自分の状態に起きた変化に、驚いているように見える。
「……『全てのウマ娘は自由であるべきである』……秋川理事長の信条です」
そんな彼女に、たづなは語り掛ける。
「あの『説明書』の話も気になりますが……やはり、あなたをあのような状態にしておくのは、我々には見過ごせません」
自分の言葉が届いている、と信じて、連ねる。
「……大丈夫です。ここにはそのための設備も装備もあります。少しくらいは――」
「――」
「――?」
刹那。
彼女の口が、動いていた。
それはたづなには聞き取れなかった。だから、その視界に映るために、彼女の前にしゃがみ込む。
「なんですか?」
「――め」
消え入りそうな声で。
か細い声で。
しかし彼女は、確かに言っていた。
「――だめ――……」
駄目、
と。
「え……?」
困惑するたづなに、彼女は両の手を差し出す。
「しばって……」
「……いえ。ですからそれは……」
「だめ……あのこが……でてくる……」
「あの子……?」
かたかたと。
コハクダブルスターは、小刻みに震え出す。
何かに恐怖するかのように。
何かに怯えるかのように――
「ずっと……ずっとしばられてた……あのこ……おこってる……いらだってる……だからだめ……しばって……おねがい――はやくっ……」
「あの子? あの子とは誰です? 誰かお付きの人が――」
「だ――……」
縋るように。
願うように。
彼女はそう言い続けていたが。
「――っ」
びくん、と。
もう一度、大きく震えたかと思うと。
車椅子の背もたれに凭れ掛かり。
そのまま――動かなくなってしまった。
「は……?」
何が起きたのか理解できず、たづなはコハクダブルスターの両肩に手を添える。
「コハクさん? コハクさん!? どうしたのです!? 大丈夫ですか!?」
緩めに揺さぶるも、彼女は反応しない。一体何が――と思い、その手は、携帯電話を取り出す。
画面を素早く開き、番号を、理事長のそれに繋がる番号を打ち――
発信した。
「――!」
その時だった。
凭れていたコハクダブルスターが、身体を動かす。
前のめりになり――
大きく、項垂れる形となる。
「コハクさん!」
携帯電話を放り出し、再びしゃがみ込んだたづなは、その顔を覗き込みながら呼びかける。
「聞こえますか? 大丈夫ですか!? 一体何が――」
「――ちゃん」
「……え?」
瞬間。
聞こえた声は、先ほどまでのそれと、まるで違っていた。
彼女の声は、か細く、消え入りそうな、少女のそれだったが――
今聞こえた声は。
それとは、大きく異なる、低く、男勝りなそれで。
「姉ちゃん」
「は……? 姉ちゃん……?」
「あんた……暇なのか?」
「へ……?」
「なら、」
その声のまま。
困惑するたづなに。
話し掛けた、『彼女』は。
「――」
その顔を。
ゆっくりと。
ゆっくりと。
上げていた。
「……おれと、」
その顔は。
その口元は――
「――遊んでくれよ」
禍々しく。
歪んでいた。