16年度の卒業生   作:Ray May

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強攻策 p5

-◆◇◆-

 

 

 

 線香の香りがあたりに漂い。

 上品な『りん』の音が鳴る。

 サファイアミザールは、仏壇の前に正座をし。

 そこに置かれている、優しげな表情を浮かべている男性の遺影に、恭しく目を閉じ、手を合わせていた。

 その傍ら、ちゃぶ台の前に座ったタマモクロスは、横目でその様子を観察する。

 胸が締め付けられるような、心臓を握られているかのような息苦しさの中、ちゃぶ台に、三人分の湯飲みとちょっとした茶菓子が置かれていた。

 

「つまらないものですけれど……」

「あ……いや。全然」

 

 同じように落ち着いた教頭に、タマモクロスは慌てて手を振る。それから、慎重に言葉を選びながら、言う。

 

「亡くなられ……とったんやな。その、校長先生……」

「えぇ。つい数年前にね」

 

 言葉を受けた教頭は、視線を落とし、郷愁に近い情念の灯る瞳で答えていた。

 

「持病でね……ある日突然倒れたの。すぐに救急車を呼んで、緊急手術を受けたんだけど。時既に遅しで……」

「そう……やったんやな」

「――もー、あの人ったらね。だからお酒も煙草もほどほどにしなさいって言ってたのに」

 

 漂い始めた、薄暗い空気を追い払うかのように、教頭は気丈に振舞う。

 

「あと……あと数年、生きていれば。こんなに立派に育ったあの子を、見られたのに」

「……それは」

「買い被り過ぎですよ、教頭先生」

 

 答えに窮し始めたタマモクロスの傍に、サファイアミザールが座る。

 

「私はまだ……何にも出来てません。レースだって、重賞は勝ててますけど、それだけです。まだまだ立派には、程遠いですよ」

「もー、謙遜しちゃって。観たんだからね? かの『皇帝』と渡り合ったところ。凄かったんだから、こっちの盛り上がりも」

「げ……あれ、全国ネットで流れたんですか」

「そりゃもちろん。あの『皇帝』が一年ぶりに走ったのよ? 流さないわけないじゃない!」

 

 恥ずかしそうに頬を掻くミザールに、教頭は慈愛の表情を浮かべていた。

 

「まさか、発端になったあの人から……指導を受けてるなんてね」

「な、なんでそんなことまで知ってんですか……」

「おばちゃんの情報網、あんまり嘗めない方がいいわよ?」

「……えと」

 

 サファイアミザールは、言葉を探す。彼はかつて、あれだけのことをしでかしたのだ。世間の心象は十人十色。

 でも、あの人も、根っからの悪人ではないことがわかった。信頼に値する人物だと分かった。それを証明するための、説得力ある言葉を、自分の語彙の棚から必死に探す。

 

「大丈夫よ、私も信じてるから」

 

 が、そんな彼女の心情を見抜いたかのように、教頭は言っていた。

 

「信じ続けたあなたは裏切られたかもしれないけど、それも乗り越えて信じる道を選んだ。それならその信頼は、何よりも確固たるものになるでしょう」

「……だといいですね」

「次裏切ったりしたら、私がとっちめてやるわ」

 

 怖い、と思うミザールの傍ら、タマモクロスも、思わず苦笑いしていた。

 

「さて、それで――」

 

 と。そこで、教頭は改めて話の口火を切ろうとする。

 いよいよ、と気を取り直す二人――だったが。

 

「?」

 

 居間と繋がる障子が、唐突に開いていた。

 

「――お袋ー、誰かいるの……」

 

 そこから顔を出したのは。

 黒髪を短く切り揃えた、見知らぬ青年。

 

「あら、あんた起きてたの? それなら言いなさいよ、お客様も来てるのに」

「あ、あ、えっと……」

「あー……は、はじめまして?」

「――っ」

 

 彼は。

 ミザールとタマモクロスの顔を、交互に見ると。

 見る見るうちに、その顔を赤くし。

 

「――ごめんっ、用事思い出した! 行ってくる!」

「あ、ちょっと!」

 

 教頭の呼びかけも虚しく。

 そそくさと、その場から立ち去ってしまっていた。

 瞬時、かつ慌ただしいその行動に、一同は、残された寂しげな静寂に包み込まれる。

 

「――もう、あの子ったら」

「……息子さんですか?」

 

 呆れたように息を吐く教頭に、ミザールが問いかけると。彼女は、えぇ、と頷いていた。

 

「ははは……あないにバケモン見るような反応せんでもえぇやんなぁ」

「驚いた、っていうより、恥ずかしがってた感じですけどね」

「そりゃそうよ。あの子、あなたのファンだもの」

「タマちゃん先輩のですか?」

 

 ミザールがそう問いかけると、教頭は、しかし首を横に振っていた。

 

「あなたのよ、ミザールさん」

「――え?」

 

 予想外の答えに。

 今度は、ミザールが動揺する番だった。

 

「え……え? わ、私のファン……?」

「そ。あの子、最近までずーっと大学行くの行かないので燻ってたんだけどね。例の『皇帝』とのレースを見てから、なんだか吹っ切れたみたいでね。結局近所の大学に入って、今はばりばり頑張ってるのよ」

「そ……そうなんですか……?」

 

 そんなミザールに、教頭は、可笑しそうに笑いながら続ける。

 

「……あなたは、自分が大した存在じゃないって思ってるかもしれないけれど。あなたのその走りは、姿は。確かに観ている人に変化をもたらしているわ」

 

 未だ納得いかなげな彼女に。

 言い聞かせるように。

 

「もっと、自信を持っていいのよ」

「……え、えーっと……」

「こういう時くらい、素直に受け取っとき」

 

 おどおどしているミザールの背中を、タマモクロスは強めに叩いていた。

 

「ウチを差し置いてファンになられとるんや。誇らへんとウチが怒るで」

「……」

 

 驚いてタマモクロスを見るミザールだったが。

 その頭の中に、ある一つの推測が浮かんでいた。

 

「……タマちゃん先輩」

「ん?」

「嫉妬してます?」

 

「しとるわ! 後輩に先越されてんねんぞ! ウチこれでもシニア級やっちゅうのに! なーんか釈然とせぇへんわぁ!」

「大丈夫よタマモクロスさん!! 私がその分応援するから!!」

「おう! おおきにな!!」

 

 あ、そこは素直に感謝するんだ、と、勢いのままに感謝を述べたタマモクロスに、ミザールは笑っていた。

 

「……さ、じゃ、気を取り直して」

 

 そして。

 その一連のやり取りを終えて。教頭は、姿勢を整える。

 

「そろそろ、本題に入りましょうか。……コハクさんのことについて」

 

 刹那、ざわざわと、中庭の木々が揺れ動く。ミザールは、固唾を呑む。

 

「しかし……何から話すべきかしらね」

「何でもいいんです。どんな些細なことでも……今は、手掛かりも何一つない状況なので」

「そう。それなら……最初から、順を追って話すわね」

 

 教頭は、そこで目を閉じる。中庭に響く木々のざわめきに耳を澄ますように、しばらく間を置いた彼女は。

 

「……正直な話ね」

 

 目を開け。

 ぽつりぽつりと、話し始めていた。……

 

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