「正直な話……私たちも、あの子がどこから来た何者なのか、よくわかっていないの。
というのも、あの子の保護者が、自分の身の上を話したがらなかったから。
ここって長閑な田舎町でしょ。療養や、家庭の事情で、引っ越してくる人自体は珍しくなかったわ。
でもあんな風に……説明の一切を拒絶されたのは、初めての経験だったわ。だから、私も『あの人』も、自分の持つ総力を結集して、その身の上をどうにかして調べようとしたの。
でも出てこなかった。不自然なくらい、何も出てこなかった。まるであの子が存在している事実が、この世界から丸ごとぽっかり抜け落ちてしまっているみたいに……
それでも、それでも、お子さんを預かる以上、私たちには、最低限それを知る権利があるわ。わかるでしょう? 人間というのは、よくわからないモノを理由なく怖がってしまうものなの。
だから、根気よく保護者さんを訪問して……話を聞こうとしたわ。その末に、彼はこれだけ話してくれたの。
あの子に今必要なのは、『敵』のいない環境です、とね。
それ以上は話してくれなかったわ。『敵』というのが、一体何を指すのかもわからなかった。踏み込むことは出来たけれど……顰蹙を買って、気まずい関係性になるわけにもいかなかった。だから……調査はそこで一旦は終わったわ。
全てを忘れて……とにかく捨て去って……あの子を、一人の、一介のウマ娘と見て、誠心誠意、指導したわ……もしかしたら、そんな恐怖を拭い去りたいから、というのもあったのかもしれないわね。
そうして、あの子が在学した三年間は、あっという間に過ぎていった。何もわからないまま、何も解明出来ないまま……あの子たちは去って、しばらく胸にしこりは残ったけれど。それも時が解決してくれるだろうと、私も『あの人』もそう思っていたの。……あの『事件』が起きるまではね。
……新聞紙にも、全国ニュースにもなったから、よく覚えているわ。██県の、強盗殺人致傷。いつもなら、痛々しい遠い地の凄惨な事件か、で終わるのだけれどね。私たちには、それをそれだけで終わらせることが出来なかった。……なぜなら。
なぜなら、その事件の唯一の犠牲者が――他ならない、その、コハクさんの保護者だったからよ。
私たちはすぐに、その事件の生き残りの方たちに連絡を取って、コハクさんがどうなったのか、無事なのか今どこにいるのか何をしているのか、聞いて回ったわ。負傷者の欄にいなかったからね、無事なのは確かだったんだけれど……なんだかとても、とても、嫌な予感がしたものだから。
……でも、無駄だった。彼らは知らない、見たことがない、の一点張りで、ろくな情報も無かった。声が震えていたから……知らないなんてことはない、というのはすぐにわかったわ。そして……何かに怯え切っているのも、同時に。
彼らが何に怯えていたのか、どうして知らない振りをしたのかは、わからない。ただ私たちの力じゃ、それ以上はどうにもならなくて……あの子の行方がわからないまま、また数年の月日が流れたわ。
そして……今日。
あなたがここにやってきて……その話をしてくれた、という感じよ。……」
……木々のざわめきは止まない。
一連の話を聞いて。
私は、いや、きっと、私たちは。その話に、違和感を覚えていた。
「さて、ミザールさん。ここで問題です」
それを見抜いたかのように。
教頭先生は、言う。
「突然こちらに越してきた、コハクさん。そしてその唯一の保護者。突如として発生した凄惨な強盗殺人事件。彼はその事件の唯一の被害者となった……関係者は、知らない、わからない、の一点張り。有り触れた色々な理由で、何とでも説明は付けられるけれど……
果たして……『これ』は、本当に偶然でしょうか」
「……」
……ひと言も、まともに話すことの出来ない、コハクちゃん。
そんな彼女に付き添っていた、保護者。
突然起きた強盗殺人事件。
その人は――事件の、唯一の犠牲者だった。
事実は小説より奇なり。
偶然、と言われれば、それまでだけれど。
「……出来過ぎやな」
タマちゃん先輩も、同じように感じたようで、そう呟いていた。
……そう。
出来過ぎている。
偶然にしては――
あまりにも、一致し過ぎている……
「……私から言えるのは、それくらいよ」
教頭先生のその言葉を、しかし、と紡ぐことは出来る。
でも今まで、手掛かりなど何もない状態だったのだ。
その事実そのものが何を指し示すか、まではわからずとも。
見つかったのなら。それは――大きな前進、と言えた。
「ごめんなさいね。もっとこう、真相に近付けるようなことがあればよかったんだけど」
「い、いやいや。何を言うんですか。これだけでも、全然十分です!」
「せやな。藁にも縋る気持ちで来たんやし、こっちは」
申し訳なさそうにする教頭先生に、私たちは、慌てて対応する。
とんでもない。こちらとしては――
「なので、あの。先生」
だから。
最後に、と、彼女に問いかける。
「教えてもらえませんか。その……保護者さんの、お名前」
「……、そうね」
もしかしたら、意図的に伏せていたんだろうか。
教頭先生は、どこか暗い顔をする。
瞳は、翳った色を灯し。
そこに、深淵を見ているかのようにも見えた。
「どうせ調べれば、すぐにわかること。包み隠す理由もないわね」
でも。
自分に言い聞かせるように、彼女は言って。
「『彼』の名前は――」
私たちに。
とうとう、その、最も重要と言える情報を、口にした――
「――」
……
その直後だった。
『――あ~♪ ボクはテイオ~♪ テイオ~♪』
「……!」
……辺りに響き渡る、呑気な歌声。
それが何を示すか……は。私しか、知らない。
「や、やば……!!」
「なんや自分。テイオーの『鼻歌』着信音にしとるんか?」
「いえあの、いや、そうなんですけど! ごめんなさい、これオフレコでお願いします……!!」
「え~? いいじゃない。可愛らしくて。ママ友たちに広めとくわねっ」
「全力でやめてください!!」
「えぇからはよ出ぇよ。電話とちゃうんかそれ?」
「~っ、ぜ、絶対オフレコですからね……!?」
あぁもう、顔が、顔が熱い。なんだよもう。あんだけ神妙な空気だったのに。テイオーさんめ。ぶち壊しにしてくれちゃって……!!
帰ったら盛大に文句言ってやる……!!
「……え」
と。
筋違いな怒りを抱いたのも、つかの間。
「トレーナーさんだ」
「? トレーナー?」
その画面に表示された名前を見て。
呟いた言葉に、タマちゃん先輩が応じる。
私はそれに頷いて――
通話開始のボタンをタップした。
「……もしもし」
『バカウマか!? 今どこにいる!!』
「え――へ?」
それは――
その声は。
私が今まで、聞いたことのない類の声だった。いつも落ち着き払っていて、朴訥としている彼の――
珍しく、逼迫しているような、声。
「いや……その、昔の教頭先生の家にいますけど。な……」
それに、凄まじく嫌な予感を覚えながらも。
私は、慎重に踏みしめるみたいに、恐る恐る、訊く。
「何か、あったんですか?」
『今すぐ学園に戻れ!!』
「へ……!?」
予想だにしないその指示に。
頓狂な声を上げるけれど。
『コハクダブルスターが――』
それにも構わず。
彼は、言っていた。
『――『暴走』してる……!!』