「
『Grrrrr······』
少女の声と獣の唸り声が聞こえて目を覚ました。
まだ霧がかかっているように頭の中はぼんやりとしていた。
「
少女が何やら叫ぶ声が聞こえる。
そして、風を切るような音が聞こえ───
『!?Gya──ザンッ!
獣が上げた一瞬の断末魔、水気を帯びたものが鋭く切断される音。
その音ではっと我に返って、現状を理解しようと霧がかかっていた頭が回りだす。
最初に考えたのは何らかの事件が起こっていることで、自分はそれに巻き込まれている可能性があるという誰でも考えそうなありきたりなものだった。
それならば、今自分が人気のない路地裏に倒れているのはそれが原因と考えるべきか。
自分が置かれている状況がいずれにせよ、幸い意識を取り戻すことができたのだ、とにかくここから離れなくては。
サラサラと砂が崩れて行くような心地良さも感じさせる音を聞きながら、そう考えた。
まずは立ち上がろうと、手を地面につける───筈だった。
しかし、起き上がるための腕、立つための脚も存在しなかった。
一瞬パニックに陥りそうになるが、なんとか踏みとどまって自身の冷静さを保った。
そして、自分の現状を理解しようと少しの間思案する。
すると、手脚が無いだけでなく自分の視界が妙に広いことに気がついた。
自分の前方から後方まで、360°死角なく見えている。
さらに、俯瞰視点で自分を見ているかのように、自分の全身の様子まで手に取るように把握することができていて、水銀をベースに、水面に張った油の膜のような虹色の光を放つ流体状の自分の身体が見えていた。
鏡を見ているわけでもなく、俯瞰視点のようなもので自分を見ている上に、そこから見える自分の身体が原型をとどめていない状態であるということを信じられる人はいないだろう。
けれど、自分にはなんとなくそんな確信があった。
変わり果てた自分の身体を動かしてみる。
すると、流体状の身体が波打ち、虹色が揺らぎ、コンクリートの上を、撥水性の素材の上を転がる水滴のようにコロコロと動きだした。
どうやら流体のような見た目なだけでなく、流体のようにも動くようだ。
ひとまず、どうにか身動きがとれそうだということに少しだけ安心した。
身体を動かし、望んだ方へ動こうと地面を転がる。
右に、左に、前に進んだり、下がったり、色々な動きをしながら、身体の動きに想像以上に早く慣れていく。
少し繰り返していると、だんだんと思った方向に進めるようになってきて、千鳥足のような動きになるものの、移動のコツをつかんできた。
「
ふと、先程聞いた声が聞こえた。
言語が違うのか、何を言っているのかはわからないが、その声はひどく冷え切っているように思えた。
声がした方には、白と黒のシルクのフリルのついたメイド服に、箒を模った銀色の飾りが胸元にある黒髪の少女がいた。
いつの間にやら、近くまで来ていたようだ。
その淡い緑色の目は険しく、こちらを見下ろしている。
嫌な予感がし、少女からすぐさま逃げ出すことにした。
「
「
少女が何かさけんだ後に、少女の手からネットが発射される。
それは真っ直ぐ展開しながら、こちらの身体を絡め取ろうとする。
出来る限り急いで少女から逃げるものの、その速さはたいして速くなく、あっという間に身体にネットが覆い被さった。
そして、ネットが完全に自分を包み込むと同時に、ネットと少女の手のひらを繋ぐ一本の糸を強く引く。
しかし、ネットはこちらの身体を捕えて少女の下に引き寄せることはなかった。
スッ、と水を切るかのように流体状の身体をすり抜け、虚しく少女の手元に戻ったのだ。
「
少女は目を見開き、動揺している。
捕まえられると思っていたのだろう。
だが、よく考えてみると、こちらが網をすり抜けそうだと、なんとなく、見た目でわかるような気もする。
こちらもそうだが、彼女はあまり冷静ではないのかもしれない。
少女が動揺した隙を逃さず、すぐさま近くにあった排水溝に向かう。
さっきので、自分の機動力が低くても、彼女から逃げ切る方法を思いついていた。
道路の側溝の金網の上に乗ると、思った通り、身体は金網をすり抜け、水の中に落ちる。
「
そのまま側溝を流れる水に身を任せる。
その間に、この身体に慣れてきたことで、自分がなんとなく出来る気がしていたことを試してみる。
身体が水に溶け込み、外からの水との判別が不可能になる。
そう、この身体は、擬態も可能としているようなのだ。
人型でないことを除けば、ずいぶんと便利な身体になってしまった。
「ッ!」
ガシャン!
少女は側溝の金網を叩き壊し、こちらを見つけ出そうとする。
しかし、ただ水が飛び散るだけに終わる。
無事、彼女から逃げることに成功した。
とりあえず、側溝に繋がっているであろう近くの川に出ることにした。
そのまま排水溝の水の流れに従い流されていった。
◇
しばらく流されているうちに、側溝から雨水管を通って川へ出た。
自らを流してきた水と共に川へと浸かる。
川の水は綺麗で、川に降り注ぐ光がゆらゆらと川底を照らしていた。
その光を小魚の群れやそれを追う魚の鱗が反射し、輝く。
また、川に茂る鮮やかな黄緑色の水草の中には、エビなどの小さな生物が隠れていた。
ずいぶんと自然が豊かな場所に思える。
それならば、ここは田舎よりの場所なのであろうか。
水に流されていた時にできるようになった水中の移動で川の水真ん中辺りまで行き、辺りを見渡す。
その考えとは裏腹に、岸から少し離れた所には、護岸ブロックが見え、その護岸ブロックの上には大きな車の通れる大きな橋や、高いビル群、住宅街などが見えた。
まさに都市という感じであった。
それなのに川が非常に綺麗なのは、この都市が川の保護にでも熱心なのだろうか、そんなことを考えながら、都市を見ていると、ふと、人間の肉眼では見えない程の距離と大きさであったが、高いビル群を軽々と越えて空を飛ぶ少女の姿が見えた。
緑色の髪色に、服装はフリルが付いた可愛らしい感じのものであり、その光景は魔法少女を彷彿とさせた。
そう言えば、と思い出す。
さっき、自分を襲ってきた少女もフリルの付いたメイド服をしていて、糸を手から出したり、金属を破壊する身体能力を発揮していた。
多分、これも魔法的な何かなのだろう。
そこで、なんとなく自分の状況を理解した。
どうやら、自分は流体状の謎生物となって、元いた世界の文明と似通った、魔法少女的な存在のいる別世界に来てしまったらしい。
主人公が逃げ切れた理由はこの魔法少女ちゃんの経験不足が大きいです。