日曜日、昌也は約束の10時の1時間前の9時に家を出ていた。
今日昌也が目指す場所はいつもの崖の上の公園ではなく最寄りの停留所なので時間がだだ余ってしまうのだが家に居ると髪型が崩れていないか、服がおかしくないかが気になってずっとそわそわして姿見の前をずっとうろうろしてしまうので思い切って家をでて停留所のベンチの前で待つことにしたのだ。
__平常心、平常心。いつも俺は夜にあの公園で沙希と一緒に練習してるじゃないか。
あの130万円するランスロットを受け取った次の日からはさっそく装着して感覚を慣らしている状態だ。
元々昌也が愛用していたミズキの飛燕旧型もバランサーの調整幅の広さを売りにしていたため、殆ど上位互換のような感覚で安心して使えている。
今はまだしっかりと練習を再開してから2日目なので1人でできる練習に終始しているが、そろそろ沙希の対人の練習に付き合えるくらいには感覚が戻ってきていた。
それにしてもこの2日、しっかり観察してわかったことだったが沙希は昌也が当初想像していた以上に上手い。
沙希のスタイルはスピーダーのため、当初はスピーダーとしての彼女を評価していた。
勿論沙希のスピードはプロのスピーダーと遜色ないものだったがそれ以上にそのスピーダー用に調整されたスピーダー用のグラシュで実に巧みに動く。あの調子ならあの設定のままファイター以上のドッグファイトだって可能だろう。
そんな彼女がスピーダーを選択していることに昌也は少し違和感を抱く。
こういう巧みさを売りにする選手は基本的にオールラウンダーやファイターに向くのだ。
と、そんなことを考えていると停留所が見えて来た。
そして停留所の前に備え付けてあるベンチには既に先客が居た。
「……沙希?」
昌也は慌ててスマートフォンを取り出して時間を確認する。
スマートフォンに表示された数字は09:06を示していた。
まだ待ち合わせの時間には54分はある。
__スマートフォンが壊れたのか? いや、待ち合わせの時間を間違えたか?
いいや、それはなかった。
何故なら昌也は髪の毛と服のことを意識していない殆どの時間を朝の情報番組を目の端に置きながらスマートフォンのメッセージを開いて待ち合わせの時間を無駄に確認することに費やしていたらだ。
意を決して昌也はベンチに座る沙希に話しかけた。
「ごめん……待たせた、か?」
すると沙希は少し目を輝かせて言った。
「ううん、今着たところ」
「そっか、それは良かった。それにしても来るのが早すぎないか? 確か待ち合わせは10時じゃなかったか?」
「……1時間前には待ち合わせ場所に来て、後から来た相手に今着たところと言うのが待ち合わせの作法と聞いた」
一体誰がそんなことを教えたんだ。
「……最初は少し疑っていたけどイリーナを信じて良かった。昌也もそのためにこんなに早く着たんでしょ?」
「え? ……あ、ああ! そうだ。まさかイギリスから返って来たばかりの沙希がそんなことを知ってると思わなくて少し油断したんだよ」
昌也は頭を抱えたかった。
思わず話を合わせてしまったせいでもしかしたらより恥ずかしいことになってしまったかもしれない。
まぁ、バレなければいいのだ。例えいつか沙希が本当のことを知る時が来るとしても今バレなければ……。
「……じゃあ、少し早いけど案内してくれる?」
「勿論、じゃあ俺について来てくれ」
これは四島に限ったことではないがグラシュが普及することにより山や海の多い実験都市ではその地形を超えて標識でガイドするという事が難しくなっている。
一応四島では海と陸地の境目の突堤に標識を建てているが空に道路は敷かれていないため全く知らない土地を航空機器も無しにグラシュを使って移動して目的地を目指すのは想像以上に難しい。
飛びながらではスマートフォンを見ながら進むなんてことも出来ないし、あまり陸地から離れすぎると圏外になってしまうためこういう時はその土地の空を飛び慣れている地元民の案内があったほうが優しいのだ。
「で、これが目印の標識、ここをこのまま西に真っすぐ行くと福留島のイロンモールだ」
案内標識を指しながら昌也が言う。
今日は天気も良く、海の向こうの島々まで見渡せるほど空も澄み渡っていた。
『こんな日はグラシュを履いてちょっと遠くまで出かけてみましょう。きっといいことがありますよ』今朝見た情報番組でもそんなことを言っていた。
可愛い女子と一緒にお買い物と考えると確かに最高だ。
「わかった」
そう応える沙希とこれから向かうイロンモールのセレクトショップについて少し会話することにした。
「そう言えば沙希はどういう私服がいいとかあるのか?」
万人向けなら昌也も良く使うユナイテッドガンズで外さないだろうが、沙希も女の子なのでもしかしたらアクシーズパムなんかのガーリーな服が好きかも知れない。
「……可愛いのが好き、かな」
なるほど、と昌也は思った。
クラスメイトのみさきや窓果、葵さんやみなもちゃん、みさきの後輩らしい真白。
昌也の知りえる女子の言う可愛いを思い浮かべてみたがダメだった。千差万別すぎる。
__とりあえず有名どころから順に見て行ってみるか。
昌也はイロンモールを練り歩く覚悟を決めてから扉を開けた。
すると大きく吹き抜けになったホールに出る。
ここ、福留島にあるイロンモールは都心にある大手スーパー、イロンの運営する巨大なショッピングモールだ。
人口が急増してるとはいえ、まだまだ田舎なこの辺にとってはちょっと買い物、となるとこのモールに来ることになる。
例に漏れず昌也も服と聞かれて思い浮かぶ場所はここイロンモールしかなかった。
「じゃあまず2階にあるユナイテッドガンズから見て周ろう」
そう言って沙希を先導するように先にエスカレーターに乗る。
★
「うん」
そう言って昌也の後ろにぴったりとくっついてエスカレータに乗ったセーラー服の女の子をみさきは品定めする。
柔らかそうな銀髪に透き通るような綺麗な顔立ち。
昌也の後ろの誰々ちゃんはみさきも文句なしの美少女判定だ。
「ほっほー。昌也くんもやりますなぁ」
にしても制服を見るにどうも久奈浜の生徒ではなさそうだ。
「……はっはーん? さては噂のうどん工房かぁ?」
昌也の気合の入れようを見るにやはり本当の目的は間借りではなくLOVEの方だったのだろう。
「これは面白くなってきましたにゃー」
みさきは今日の予定を急遽変更、昌也たちの後を追うことにした。
★
結局俺たちはあの後2階に入っているセレクトショップを殆ど全部見て周って、なんとか沙希の服を一式見繕う事が出来た。
実に3時間超の買い物だっが、それだけあってしっかりとした買い物ができたと思う。
まず沙希は猫の足跡がワンポイントになっている黒のアシメスカートに興味を示した。
次いでそれに合う服は何かと相談しブラウンのパーカーと、沙希が好きだと言っていた緑のアイテムを取り入れるため濃緑の丈の短いブルゾンをチョイス。
そして蛇足かもしれないと思いながらも昌也は買い物の途中で沙希が猫が好きだと聞いたのでグラシュのお返し、にしてはちょっと安すぎるがサマンサエンドラで猫のチャームを買ってプレゼントしたのだ。
しかし沙希はそれを痛く気に入ってくれた様子で、買ってすぐに着替えたブルゾンの胸ポケットに付けてくれ、今もブルゾンのワンポイントとして微かに揺れている。
「……猫のチャーム、ありがとう」
沙希が胸の黒猫に指でそっと触れる。
「そう言ってもらえると俺も嬉しいよ」
その後も私服以外の日用品などの細々としたものも買い揃え沙希の自宅へ配送して貰い、そろそろ買うものもなくなった段階。
ちら、と昌也は目立たないようにスマートフォンをポケットから覗かせて時間を確認する。14時25分。
もう昼時をとっくに過ぎてしまっている。
このままイロンモールで遅い昼食を済ませてしまっても良かったが折角なのでいろんな所へ行きたい。
__よし。
そう思って昌也は問いかけた。
「沙希は食事制限とかアレルギーとか、何か食べられないものはある?」
★
沙希に聞いた所、特別厳しく制限されている訳ではないそうで気にしなくてもいいという事だった。
そもそもFCはそこまで厳しい体重管理を求められる訳ではない。
空を飛ぶ以上軽い方がいいのは事実だが10分という試合時間の中、ここぞという時に飛び出す瞬発力や姿勢を維持するための持久力などが重要なためスポーツの中でもそこまで厳しい食事制限は必要ないのだ。
なので他の減量が重要なスポーツよりも球技などのスポーツと食事の内容は近い。
「よし、ここだ」
「ん」
昌也が沙希を連れて来たのは商店街の中にある少し渋い喫茶店だ。
ここは元々洋食店だったのを軽食中心の喫茶店に方向転換した名残でパスタなどをはじめとした軽食をメインに、肉料理や魚料理、パフェなんかもメニューにあるため比較的使いやすい。
「ここなら比較的食べやすい食事も揃ってるし、休日の気分転換なんかに外食するにはいいかもな」
そう言って昌也がメニューを沙希に渡す。
「……ありがとう、じゃあ、私は……この真鱈のムニエルにしようかな」
「じゃあ俺はナポリタンにしようかな」
★
窓果が商店街を歩いていると昌也が今まさに喫茶店の扉を開き、中に入っていくところだった。
「あ、日向くんだ。おーい! ひな、むぐぅ!?」
そう昌也を呼び止めようとした窓果の口が突然後ろから伸びて来た手によって塞がれる。
「むぐっ! ぐむむ、ぐむむむぅぐむむ?! (何? もしかしてこのまま誘拐されちゃう?!)」
人目のある商店街で白昼堂々と誘拐するヤバい人間を想定して震えあがる窓果に声を掛けたのは窓果も良く知る人物だった。
「しーっ! 窓果! 昌也に気づかれちゃうでしょー」
昌也と銀髪の女の子が喫茶店の中に消えていくのを確認してからみさきが窓果の口から手を離す。
窓果の口から手を離した後もう一方の手に持っていたアンパンを1口齧りもぐもぐと咀嚼する。
「誘拐! ねぇ誘拐かと思った!」
すっかり怯えきってまともに会話の成り立たない窓果をみさきが宥める。
「んぐ……。みさきちゃん誘拐しなーい、ね? 誘拐しなーい」
そう言ってみさきは空になったアンパンの袋をひらひらとして見せる。
「そんなのわかってるよ!?」
「ならばよし! それで窓果工作員、状況はわかっているな!」
窓果は思わず敬礼しながら答えてしまう。
「はっ! みさき大尉! 全くわかりません!」
みさきは腰に手を当て胸をはり言う。
「ばっかもーん! さっき昌也が喫茶店に入って行ったのが見えなかったのか!」
「え? 日向くん? 日向くんが喫茶店に入るのってそんなおかしいことかな? というかみさきそのサングラスあんまり似合ってないよ?」
「違う違う、重要なのはそこじゃなくて昌也の後ろに居た謎の銀髪ちゃん。後似合ってないは余計」
みさきが何を言わんとしてるか気付いた窓果の声がワントーン高くなる。
「えっ? 何? もしかしてデート?」
みさきが顎に指を乗せ如何にも本当そうに言う。
「そう、わたしイロンモールからずっと付けて来たけどあれは絶対デートだね」
うへー、という表情で窓果がいう。
「うわー、すっごい付けてる」
「でも、気になるでしょ?」
とみさき。
「すっっごい気になる、今すぐ追いかけるべきだね」
「くっくっくっ、お主も悪よのぉ」
その返事に満足したのかみさきがいたずらっぽい顔でそう問いかける。
「げっへっへ、みさき程じゃないよ」
「じゃ、行こっか。ほら、窓果もこれ付けて」
そう言ってみさきがポーチの中から今みさきが付けているものと同じサングラスを取り出す。
「えっ、何これ? サングラス?」
「そう! 早く窓果も付けて付けて!」
「なんで同じの2つも持ってるの~」
少し訝し気にしながら窓果がみさきからサングラスを受け取る。
「イロンモールで付けてる時気分上がるかなー? って思ってたら買っちゃってた。なんと2つセットで1000円! お得!」
よく見たらみさきのかけているサングラスにはまだ値札が付いていた。定価1000円の文字の横に赤いシールがついている。
「みさき、衝動買いはよくないよ?」
窓果はそう言って渡されたサングラスにつけられていた値札を取って自分も付け、みさきの後を追って喫茶店の中に入った。
★
「おっ、真鱈のムニエルもあっさりしてて美味しいな」
昌也の提案で昌也と沙希は互いの料理をシェアすることにして一口づつ食べ終わってお互いの料理を元の場所に戻した所だった。
「……ナポリタン、懐かしい味がする」
「よかったらもう一口いるか?」
そうやって昌也がナポリタンを巻き付けたフォークを持ち上げる。
「……ううん、大丈夫」
沙希がふるふると首を振るのを確認してから答える。
「そっか、別に遠慮しなくてもいいんだぞ」
(うわっ、日向くん案外大胆)
__ん? 今俺の名前が呼ばれたような……。
まさかな……と気を取り直して昌也は再び食事を再開する。
「そういえば沙希はゲームとかしたりする?」
「……あまり、でも嫌いじゃない」
ならこの後一緒にゲームセンターに行ってみないか?
と昌也が口を開こうとしたところで沙希のスマートフォンが震える。
「沙希、誰かから電話みたいだぞ」
「うん、イリーナからみたい。出るね」
「どうぞ」
『沙希ー! どうです? 今日のデートの方、うまく行ってマスカー?』
どうやらまたスピーカーモードになっていたらしくイリーナさんの声が昌也の所まで聞こえてくる。
(日向くんやっぱりデートだったみたい)
(もう窓果、そんなの見たらわかるでしょ!)
「……うん、イリーナが待ち合わせの作法を教えてくれたおかげで昌也を待たせずに済んだ」
『オー! それはヨカッタデス! 日本のマンガではいつも主人公が待ち合わせの1時間前から待ってマス。きっと昌也さんもそうだと思いまシター!』
(え? もしかして昌也……?)
(そんなまさか、日向くんも中学生じゃないんだし……?)
「……イリーナの言った通り昌也も大体1時間前には待ち合わせ場所に着いてたから時間を有効活用できた」
「昌也……あんたってやつぁ……」
「やだ、純愛……」
__もうこれは完全にあれだ、そう。聞き間違いじゃない。
昌也は聞き覚えのある声の出所に勢いよく振り返る。
するとそこには似合わないサングラスをかけたみさきと窓果が居た。
昌也が突然振り返って驚いたのかみさきが半分程食べ終わってしまったパフェで顔を隠し、窓果が手元のメニュー表で必死に顔を隠そうとしていたが、全くうまく行っていなかった。
『ふふっ、それは良かったデース。ではあまり邪魔してしまっても昌也さんにも悪いですし、このへんでシツレイしますネー』
沈黙。
イリーナとの通話が切れた途端訪れた無音の世界。
確かこういう状況を天使が通ると言うのだったか。
少し不思議そうに首を傾げ沙希が昌也に声をかける。
「どうかした?」
「……いや、なんでもないよ。さ、早く食べちゃおう」
昌也がそう促す。
(うわっ、日向くんわたしたちのこと見なかったことにするつもりだ)
(それはちょっと無理があるよ昌也ー)
明確に存在を把握するとそのひそひそ話ももう意味をなさない。
全部昌也は聞き取れてしまう。
(どうするみさき? 日向くんにばれちゃったよ)
(まぁ、でも昌也の方は気づいてないことにしてくれるみたいだしこのまま尾行は続行でしょ)
「ええっ、みさき、流石にそれは日向くんに悪いよ」
思わず普通の声量になってしまった窓果にひどく同意したい昌也だったがみさきはそんなこと知ったこっちゃないと返す。
(えー、でもこのままもっと昌也のイチャイチャみたいよ~! 月曜日それをネタに昌也で遊びたいんだよ~)
(もう、ダメだよみさき!)
(ヤダヤダ! わたし、窓果が行かなくても絶対このまま尾行するもん!)
喫茶店で会計を終えて外に出ても未だ付いてくる様子の2人に遂に痺れを切らした昌也が沙希の手を取り、耳元で囁く。
(沙希、次の角を右に曲がったら停留所まで走って行ってそのまま空中散歩しないか?)
「……わかった。けど、な、」
「ほら! 沙希! 走って!」
昌也がそのまま沙希の左手を引いて走りだす。
「あっ! 昌也が逃げた!」
みさきががなり立てる。
「みさきちゃん! 流石にもうダメだってば」
すぐに追いかけようとするみさきを窓果が抑える。
その様子を見ていた沙希が昌也に問いかける。
「……追われてた?」
「そんな大層なことじゃないと思うけどクラスメイトが面白がって後を付けてたみたいだ」
「……ガールフレンド?」
「ないない、ただの友達だよ」
「そう」
「でもいきなり走らせちゃってごめん。お詫びといっちゃなんだけど俺のお気に入りの場所に案内するよ」
★
「ここ?」
「そう、ここ」
ここに来るまで少し遠回りをしてしまったのでもう夕暮れ。
空と海を夕陽が真っ赤に染めているそこは昌也がジュニアの頃コーチをしていてくれた葵さんと毎日練習していた場所だった。
なんだか居たたまれなくてFCをやめてからはずっと来れないでいた。
本当は今日も少しだけ足が竦んで中々気が進まなかった。
「ここから東の方を見ると見渡す限り全部空と海だろ? 朝は日の出、夜は月や星が綺麗に見えるんだ、だから子供の頃、朝も夜もずっとここでFCの練習してた」
「……確かに、綺麗な所」
「だろ? こういう所で飛んでると、ああ、飛ぶのって楽しいことなんだなって改めて思わないか?」
昌也が海と空と戯れるように海面ぎりぎりの位置を背面飛行する。
「そうかもね」
沙希も昌也の隣を背面飛行で並走する。
「よし、じゃあこのまま追いかけっこしないか? 俺ももうそろそろランスロットに慣れて来たしちゃんと飛べると思うんだ」
まだ長時間の飛行に耐えられる程身体が出来上がっていないが、感覚の方はもうつかめて来ていた。
「……いいよ。じゃあ捕まったら交代ね。わたしは捕まらないと思うけど」
そう言うや否や沙希は昌也を一気に置き去りにして空へ大きく飛び立っていった。
「ははっ、言うじゃないか!」
__捕まらないだって? それはこっちの台詞だ!
昌也も沙希を追いかけるため急上昇する。
昌也の追跡を躱すように沙希は小さくシザーズやハイヨーヨーを入れて来る。この動きは明らかにFCを意識した、相手の背中を取る動きだ。
だけど、
「沙希! これはFCじゃなくて、追いかけっこ、だ!」
そう言って昌也が全く無警戒だった沙希の足元にタッチする。
互いのメンブレンが触れ、斥力による短い電撃音が鳴り響き互いに飛行姿勢が崩れる。
「……っ! そんなの聞いてない!」
「今言ったからな。じゃあ次の鬼は沙希だ。悔しかったら捕まえてみろよ」
昌也は自分でも大人げないと思いながらも少しむっとした表情で迫って来る沙希の追撃を次々に躱していく。
「絶対……捕まえる……っ!」
スピーダーとは思えない滑らかな軌道で追いかけて来る沙希が昌也の転回の隙を付こうと動いて来るが、昌也は転回を途中でキャンセルし45度に身体を捻り避ける。
「うおっ! 今のは惜しかったぞ!」
昌也はもう鬼を交代なんかするつもりなく本気で飛んでいるのに沙希はその昌也を的確に追い詰めて来る。
「……っ! しぶとい……じゃ、これはどう」
そう言って沙希の死角からの攻撃を昌也は背面飛行を駆使しながら避けて行く。
正に縦横無尽と言うような上下左右の沙希の攻撃に遂に昌也も捕まってしまう。
昌也が弾き飛ばされてメンブレンが海面に衝突し水しぶきが上がる。
「はぁ……っ、はぁ……っ! まけないっ!」
少し息が上がった沙希がなんとか言葉を絞り出した。
「まじか、もう一度も交代しないつもりだったんだけど、な!」
昌也は空気抵抗を極限まで少なくなるような飛行姿勢で一気に加速。
上空の沙希に一気に迫る。
「速い……っ」
再び沙希にタッチする。
「きゃあっ!」
昌也に海面に叩きつけられた沙希がいつもの雰囲気と違う声を出す。
「沙希は凄いんだな、俺が思ってたよりずっともっと凄かった! でももう捕まってやらないからな」
「それはこっちの台詞。次は捕まらない」
姿勢を整えた沙希が昌也に向かってきながら言う。
「まだタッチしてないのにもう次の話か? 沙希は気が早いんだな!」
猛スピードで昌也へ向かってくる沙希を小さな半円を描くように最小限の動きで避け、スピードを落とさずに突き抜ける。
「まだ……っ!」
__そうして俺と沙希の追いかけっこは陽が沈んで、空に月が出てからもしばらく続いた。
「はぁ、はぁ……はぁっ……! 沙希は、っ! 本当に! 凄いんだな……っ! でも、俺の勝ちだ」
崖の上のベンチに腰掛けながら昌也が言う。
「……っ、昌也は……、小学生からやり直した方が……はぁ…っ……いい。……わたしの勝ち」
本当はもうどちらもどっちが何回タッチしてどっちが何回タッチされたかなんて覚えてない。
途中から鬼もなにも関係なく互いが互いを夢中になって追いかけあったせいだ。
それぐらい楽しかった。
そんなことを考えてるとなんだか無性に昌也は笑えて来た。
「くくっ……! にしても負けず嫌いがたたって夜まで追いかけっこって!」
荒い息を吐きながら沙希はいつもの無表情を更にぶすっとさせ言った。
「昌也のせい」
昌也は何が面白いのか、もう多分なんでも面白いのだろう。
腹を抱えながら言った。
「お互い様だろ!」
笑われたのが恥ずかしかったのか沙希が昌也から顔を逸らす。
「……それも、そう、かも」
頬を紅潮させた沙希を訝しがりながらも昌也は沙希をフォローする。
「まぁ、それだけ楽しかったってことなんじゃないか?」
「……確かに、久しぶりに本当に楽しく空を飛べた、気がする」
「なんだよ? 歯切れ悪いな」
「わたし、なんだか最近空を楽しく飛んじゃいけないような気がしてたのかもしれない」
沙希の少し真剣な空気を感じ取った昌也が慎重に言葉を選ぼうとして、やめた。
「……どんなことがあったのかわかんないけど、空を飛ぶことは本来楽しい筈だし、楽しんじゃいけないってことは無いんだって、俺は思う」
沙希はそんな昌也の言葉を受け、いつもの無表情を崩し少し微笑みながら言った。
「そうかもね」
月明りに照らされた沙希の微笑は綺麗で、昌也は少しの間自分の意志で彼女の顔から目が離せなかった。
少しの間そうやって沙希の顔を眺めていると安心してしまったのか、急激に眠気が襲って来た。
__やば、やっぱ、身体……たいりょく……はしりこみ、ふやさないと……。
★
こんなに楽しく飛べたのは久しぶりだった。
本当はもっと長い間空を一緒に飛んでいたかったけれど空の色が鮮烈な紅色から暗い蒼に代わり、月が燦燦と輝く時間になると、昌也の身体がとうに限界を迎えており興奮状態による異常な集中力で飛んでいるのがわかってしまった。
楽しかったけれど、昌也を壊してしまうのは本意じゃなかった。
だからわたしから終わりを提案した。
「昌也、あなたは、きっとあの時の男の子なんだ」
わたしが空に憧れ、強さに憧れるきっかけになった少年はきっと日向昌也だったのだろう。
さら……と、汗が乾いてすっかりサラサラになってしまった昌也の前髪を撫でる。
「……疲れたでしょ」
わたしがはしゃぎすぎてしまったせいでブランクのある昌也には随分と無理をさせてしまった。
疲労から意識が落ちてしまってもそう不思議ではなかった。
「ふぁ……。わたしも……すこし、ねむいかも」
気持ちよさそうに眠る昌也に引きずられて自分も少し眠くなる。
風は凪いでいて、生暖かい春の空気はわたしたちの周りだけ時間をゆっくりとするみたいで、居眠りするにはピッタリだった。
★
ざぁ……と吹いた少し冷たい海風に目が覚める。
咄嗟に状況が理解できない。確か、沙希に四島を案内して……。追いかけっこして……。
__あれ、俺なんで寝てたんだろ?
昌也が視界を確保するために寝起きで霞む目を擦るとだんだんと視界がはっきりとしていき、自分の正面に沙希の寝顔がいっぱいに広がった。
__いや、本当にどういう状況なんだ?
そうやってバキバキになった身体をゆするようにして起こそうとする時、昌也は自分の頭が沙希によって膝枕されていることに気づく。
「いや、本当にどういう……」
「んっ……」
昌也が自分を落ち着かせるために言葉を発そうとすると、昌也が頭を動かした影響で沙希も目を覚ます。
「……おはよ」
「お、おはよう」
ぼーっと夢現な沙希にそう挨拶して昌也はゆっくり身体を横に避け、沙希の膝から頭を外し立ち上がる。
「いっ、ててて……」
身体がバキバキで関節の節々が痛い。
多分地面で寝てしまった影響もあるが主に追いかけっこで無理をし過ぎたせいだろう。
「……ふぁ。よく寝た」
沙希がそう言って座ったまま伸びをする。
__確かによく……ん?
昌也は嫌な予感に従ってスマートフォンを取り出すと時間は既に22時17分。
今すぐ家に帰らないと補導されてしまうような時間になってしまう。
「沙希! 起きたばかりの所申し訳ないけど、急がないと補導される時間帯だ」
そう昌也が少し大きな声で言うと沙希が地面から立とうとするがうまく行かなかった様子だった。
「……ごめん、足が痺れて立てない」
__ああ、膝枕のせいで……。
「じゃあ、ペアリングで飛ぼう。ほら、手を出して」
「……うん」
★
(胸が……ドキドキする)
昌也とのペアリング飛行の後、遅い時間という事で自宅マンションの前まで送って貰い、エレベーターの中で自身の状態を確認する。
沙希の身体は既に昌也との追いかけっこでの疲労を残していない筈だった。
そもそもその程度で疲労が残るような柔なトレーニングをしてはいない。
だと言うのに沙希の心臓はその認識をあざ笑うかのように脈打つ。
なんだか少し顔も暑い気がする。
「……練習のしすぎ、か?」
今日は本来全休の日だったにも関わらず常の自主練習より激しく動いてしまったから、もしかしたらそうなのかもしれない。
そうだとしたら今度からは控えた方がいいのだろう。
けど、
「また、昌也と追いかけっこできるといいな」
本当はよくないんだろうけど、この疲労と満足感は嫌いになれなかった。
自分の左手にほんのりと残った昌也の手の熱の名残を感じながら今日1日のことを沙希は想った。