「昌也、今週の土曜日、朝から会える?」
「も……特に予定は入ってないな」
おためし期間の終わり、昌也の告白への沙希の返事の日。
勿論大丈夫だ、と答えようとしてなんだか少しがっついてるみたいだなと思って言い直す昌也。
「そう、土曜日わたしの大切な人が日本に来るからできれば昌也にも紹介したくて。だからもし昌也が良かったら一緒にパーティの準備を手伝ってくれないかなって」
__そうか、明日沙希の大切な人が……。大切な人?
「そっか、それは別に大丈夫だけど大切な人って誰?」
「イリーナ。ほら、昌也も少し話したことあるでしょ?」
「あっ、あー……イリーナさんね。若くしてアヴァロンのCEOだっていうあの」
「うん。わたしの大切な人……。久しぶりに会うから小さなホームパーティだけどお出迎えしてあげようと思うの」
なるほど、イリーナさんか。そう言う事ならと昌也も気合を入れる。
「そう言うことなら任せてくれ。微力だが手伝うぞ」
★
昌也は『大切な人』という言葉に気を取られてあまり考えてなかったが、パーティと言っても沙希の借りているというマンションの一室でやるささやかなもので、つまり沙希の家に招かれるということなのだ。
そんなことに気づいたのは沙希と停留所で待ち合わせして近所のスーパーで今日のパーティの料理を作るための材料の買い出しをしている最中だった。
「昌也、必要な材料はこれで揃った。後は何か四島の名産とかがあれば嬉しいんだけど」
昌也は一体こんなに何に使うのかというジャガイモとチーズの入ったショッピングカートを押しながら少し考える。
「四島は海の幸が豊富だし調理の手間も考えると刺身とかどうかな? イリーナさんは生魚大丈夫そう?」
「じゃあお刺身をカルパッチョにしようかな」
「ならそれにしよう」
そう言って昌也は新鮮な刺身の盛り合わせをカートに入れ、レジへと進む。
「ありがとうございましたー!」
店員の挨拶を背中に受けながら昌也がジャガイモや玉ねぎなどの野菜、生ものなどの生鮮食品の入った買い物袋を両手に持つ。
「わたしもそっちの袋、1つ持とうか?」
沙希がそう聞いて来る。
「いや、沙希はそっちの袋持っててくれたらそれでいいから」
何よりそこまで重くない。
「わかった。じゃ、行こっか」
そうやっていつもの停留所に戻ってから少し坂を上って、一本筋に入った所ある最近できたばかりのマンションの前で沙希が足を止める。
「ここ」
そう言って沙希が操作盤を操作しオートロックを解除する。
開いたドアを通ってラウンジを抜けエレベーターに乗る。
沙希が押したボタンは7階、最上階だ。
そうして通路を通り着いた703号室がどうやら沙希の部屋らしい。
「どうぞ」
そう言って通された部屋は必要充分以上な家具が整っていた。
「お邪魔します」
そう言って昌也は廊下を抜け、リビングに入り、両手に抱えた買い物袋を黒いアイランドキッチンに置いて、不躾とは思いながら部屋を眺める。
恐らくこのマンションはデザイナーズマンションという奴で初めから家具が備え付けてあったのだろうと昌也は考えた。
その証拠にこの部屋の洗練されたインテリアとは調和しない大きな猫のぬいぐるみが1匹寂しそうにスカスカな棚に鎮座していた。
「よし、この後俺はどうすればいい?」
「座ってていいよ」
まぁ、昌也は料理という料理は出来ないしそうなるのもおかしくないのだがいざ沙希が1人キッチンで動いていると少しそわそわしてしまう。
買い物袋から食材を出し終わってキッチンに掛けてあるエプロンを身に着けた段階でそんな昌也を見かねて沙希が言う。
「……やっぱり手伝ってくれる?」
そう言って昌也が任されたのは2袋分のジャガイモを洗ってフォークで穴を開けたり、皮を剥いたりすることだった。
なんでもイギリスでよく食べられているフィッシュ&チップスとジャケットポテト、パニーニ、野菜スティック、そして刺身でカルパッチョ、この5種類の軽食を今日買いだしたもので少しづつ作るらしい。
沙希は昌也がジャガイモにフォークを指している間魚の下処理をしている。
そうしてカルパッチョ、野菜スティック、パニーニの順番で料理が出来上がった。ジャケットポテトとフィッシュ&チップスも、もう殆ど完成していてイリーナが来てから仕上げるようだ。
そうこうしていると沙希が言う。
「もうイリーナが来てるって。わたし、迎えに行ってくる」
どうやら主賓が到着したようだ。
「俺も行くよ」
そう言って昌也がソファから腰を上げる。後半出番がなくなってしまったためソファに座ることしかできなかったのだ。
「すぐだから待ってていいけど」
女子の部屋で1人は流石に手持無沙汰すぎるため昌也は断固、固辞した。
「いや、行くよ」
「そう? じゃあ一緒に行こっか」
そう言ってエプロンを付けたまま玄関に向かう沙希の後を追って行くとそのままの姿で扉を開けてしまった。
__あれ? 多分駅とかまで迎えに行くんだよな? エプロン付けたまま行くんだな。
そう考えていると扉の先からイリーナが現れた。
昌也としてはてっきりまだイリーナがこのマンションに着いてないものだと思ったので心の準備が出来ていなかった。
「久しぶりね、沙希」
「いらっしゃいイリーナ」
そうやって2人が軽くハグをする。
「貴方が昌也さんですね? 沙希のこと本当にありがとうございます」
あれ? イリーナさんってもっと変なイントネーションじゃなかったっけ? なんて少し失礼なことを思いながら昌也も答える。
「いえ、当然のことをしたまでです。イリーナさん、対面では初めましてですね。日向昌也です」
そう言って右手を差し出そうとするとそれより先にイリーナさんが軽くハグをして部屋の中に入っていく。
「昌也サン、私は貴方とビジネスをしにきた訳ではないデスよ? もっと、ンムー……? そう! 肩の力を抜いてくだサーイ! これ、あってマスカ?」
再び戻ってしまった変なイントネーションに面食らいながらもそれもそうかと昌也も思う。
「は、はい。あってると思います」
そう言うとイリーナはにこりと昌也に微笑みかけてから準備された料理に大きな仕草でリアクションする。
「ワ―! 沙希! 随分沢山作ってくれたんですね! さぞ大変だったでショウ?」
沙希がジャケットポテトをオーブンに入れ、準備していた魚とポテトを適温になっている油の中に放り込む。
「昌也も手伝ってくれたからそんなに大変じゃなかった。今フィッシュ&チップスとジャケットポテトを仕上げちゃうね」
「じゃあこの料理は沙希と昌也さんのキョードーサギョーで作ってくれたんデスね」
間違ってないけれどあまり日常的に使わない表現に昌也は少しせき込む。
「話をしやすいように軽く食べれるものを選んで用意した。良ければ先に食べてて」
テーブルには沙希が作ったカルパッチョや野菜スティック、パニーニ以外にもクラッカーや人数分あるケーキ(どうやら昨日のうちに用意していたようだ)などが並んでいて結構本格的にパーティのように見える。
ピッチャーに用意されているオレンジティーをイリーナさんと自分に注いで乾杯をする。
「えーっと、日本へようこそ?」
また肩の力を抜けと言われてしまいそうな台詞だなと思いながらも他に言葉も思いつかなかったためそう言って昌也はイリーナとコップを打ち合わせた。
「ふふっ、ありがとうございます」
「そう言えばイリーナさん、グラシュ、ありがとうございます」
「そういえばそうデシター! 昌也さん、ランスロットの使い心地の方、いかがですカー?」
「いや、本当に凄いですね……。上級者モデルと言えばインベイドの印象がありましたがこれ程に繊細な入力に反応してくれるグラシュは初めてです。それにバランサーの設定幅の広さもミズキと遜色ない……実に高性能で使いやすいグラシュだと思います」
「イヤー! 昌也さん口が、オジョウズ? デスネー! インベイドやミズキと比べても遜色ない、スゴイ誉め言葉デス」
「いえ、決してお世辞……嘘じゃなくて、本当にインベイドやミズキと遜色ない、いや、もしかしたら上回ってるかもしれないと思っています」
「オー! それを聞いたらきっとアヴァロンの開発者も喜びマース! ランスロット、存分に使ってあげてくださいね」
「勿論です」
そうこう話をしていると料理が終わったのか沙希が揚げたてのフィッシュ&チップスとジャケットポテトを持ってくる。
温め直したらしいジャケットポテトの上にはひき肉やコールスロー、ベイクドビーンズなど1つ1つ違うトッピングがされていて目に鮮やかだ。
「ジャケットポテト! 私の好物です、1つ頂きますね」
そういってイリーナがコールスローがトッピングされたジャケットポテトを1つ皿に取りフォークで1口切り分ける。
「うん、美味しく出来てマス。昌也さんもいかがデスカ?」
「じゃあ俺も1つ貰おうかな」
昌也は一番味の予想ができそうなひき肉がトッピングされたジャケットポテトを選ぶ。
皮つきのほぐされたジャガイモにしっかり絡んだチーズとひき肉は予想を裏切らない美味しさで安心感がある。
「うん、美味しい。沙希は料理が上手いんだな」
「……別に難しいことはしてない」
そういって沙希が否定する。
「そういうことじゃなくって、えーっと、なんていうか。下処理とか、味付けとか、温め直したりとか、真心が籠ってるっていうのかな? 難しいとか簡単とかじゃなくてそう言うのがちゃんと出来てるのが料理が上手ってことだと思うんだ」
確かに沙希の作った料理はどれもそう難しくないものばかりだが、どれもひと手間加えてあり、食べる人の事が考えられていて凄く美味しいのだ。
「ふふっ、沙希。殿方の誉め言葉は素直に受け取るものですよ」
イリーナさんが冗談めかしてそんな風に言う。
「……わかった。昌也、ありがとう」
なんだか言わせたみたいになってしまったな、と少し反省する昌也だがそれでもやはり美味しい。と思いながらジャケットポテトを完食する。
「沙希、わたしの居なかった間のお話、聞かせてクダサイ」
「いいよ、まずこっちに来てすぐのことなんだけど……」
沙希が話し始める、昌也は合いの手に応じながらも基本聞きの態勢だ。
スティック状に切られた人参にソースをディップしながら齧る。
__やっぱり、沙希も女の子なんだな。
沙希がイリーナと談笑に花を咲かせるようすを昌也は眺める。
イリーナが沙希の話の途中ちゃちゃを入れるようにくすぐったり、それの意趣返しに沙希がくすぐりかえしたりと猫のじゃれ合いのようになってしまい、すぐに昌也は会話の中に入れなくなってしまった。
今も微笑ましい女の子たちのじゃれ合いを肴に野菜スティックを齧っているというわけだ。
__沙希ってやっぱり可愛いよな……。
「……で、そこで昌也が……」
「沙希、昌也さんのことが本当に好きなんですね」
そこで少し沙希が言葉に詰まる。
「……ねぇ、イリーナ、実はわたし昌也と交、」
昌也は息を止める。
沙希が昌也の告白への答えを出そうとしていると空気で感じ取ったのだ。
「男女の交際をしようと誘われているらしいですね」
イリーナが沙希の機先を制する。
「……っ、なんで……」
沙希が動揺したような表情を見せる。
普通に考えれば沙希がイリーナに予め昌也とのことを伝えていたと考えるのが普通だが沙希の様子を見るにどうもそう言う事ではないらしい。
「大事な大事な沙希のことですもの、知らない訳ないじゃないですか?」
イリーナが能面のような笑顔を沙希に向ける。
__なんだか雲行きが怪しくなってきたな。
「だから、わたし昌也と、」
「お断りするんですよね?」
__は?
昌也はイリーナがなんの話をしているのか一瞬理解できなかった。
「沙希、あなたは最近練習をおろそかにして随分昌也さんと遊び歩いてるみたいですね」
イリーナがカップに入れたオレンジティーを1口含む。
「確かに昌也さんは良い人で、好ましい。けれども交際を続けながらFCにも力をいれるのは難しい」
イリーナが持ち上げたカップをソーサーに戻し、続ける。
「だからお断りするんですよね?」
「……イリーナ」
沙希が驚いたような傷ついたような顔をする。
「わたしとの約束を守るためには彼との交際は重荷にしかなりませんもの、当然、ですよね?」
イリーナが沙希の髪の毛に触れる。
何か後ろめたいことでもあるように俯いてしまった沙希は吹けば飛びそうなほどに弱々しい。
彼女のために昌也は何かしてあげたかった。
それに、沙希とのことを勝手に決めつけられるのは昌也にとっても納得いかなかった。
「イリーナさん、失礼ですがそれを決めるのはあなたじゃなくて沙希だ」
「あら、昌也さんはわたしと沙希の約束を知りませんものね? わたしたちは約束したんです。わたしたちの『本当のFC』を世界に見せつけると、FCを変えると」
「……っ」
その言葉に沙希は一段と疲弊した様子だ。
「そのためには色恋なんかに現を抜かしている暇はない、ソウデショウ?」
沙希は昌也から目線を切る。
時間をかけて、なんとか飲み込めない何かを飲み込んで沙希は声を絞り出した。
「……はい、イリーナ」
昌也にはそれが、本心からの言葉にはとてもじゃないけど見えなかった。
そんなことを言うイリーナが許せなくて昌也は知らず立ち上がっていた。
「沙希! もし本当に沙希が俺なんかのこと好きじゃないって言うならそれでいい! でもそうじゃないなら……!」
沙希がうつ向いたまま苦しそうに昌也の名前を呼ぶ。
「……昌也」
イリーナは昌也の言葉を鼻で笑いつつも良いことを思いついたと柏手を打つ。
「昌也サン! イイ提案がありマス。わたしたちの『本当のFC』、ホントウは沙希によって世界にシラシメ? たかったデスガ、昌也サン。どうしてもと言うならあなたが沙希に変わって力をシメシテくれればイイデース」
昌也はイリーナの言葉に煩わしそうに言う。
「俺は今FCの話はしてない、沙希との……」
「もし、昌也さんが沙希より強いのなら沙希である必要はない、この意味、ワカリマスか?」
イリーナが昌也が言葉に被せるようにして喋る。
「……つまり俺が沙希の代わりにFCをやるなら沙希には干渉しない、ってことか?」
「ええ、ソウデスー! 昌也さん、モノワカリが早くてタスカリマス!」
昌也はイリーナのをせせら笑うような笑顔が気にかかったが、答える
「なら、俺が……!」
「でも、そのためにはまず越えなければならないハードル、ありますよね?」
「……イリーナ、それは」
沙希が言葉の続きを言わないでくれと祈るようにイリーナを見る。
しかしイリーナは無慈悲にも沙希に命令する。
「沙希、日向昌也に『本当のFC』がどういうものか教えて差し上げなさい」
★
昌也たちは海陵学園の体育館に来ていた。
昌也のフライングスーツやセコンドを用意するためだ。
「今日はFC、練習がお休みなのでセコンドを用意するのにも一苦労シマシタ」
「イリーナ、これも仕事なら否はないけど休日にいきなり呼び出すのは勘弁してほしいね」
「オー、ルミッキ! このお礼はまた後日しっかりさせてイタダキマス」
__ルミッキ……? まさかルミッキ・ヨハンソンか?!
昌也は最初見慣れない私服のルミッキに気づけなかったがよく見れば明らかにそうだ。
彼女はフィンランドの女性選手で欧州学生選手権での優勝経験もある通称『北欧の風』の異名をもつスカイウォーカーだ。
「やぁ、坊や。私は今回のあんたのセコンドをするルミッキだ。と言ってもあっちもこっちも対戦相手の位置を伝えるだけの約束だしそこまで私のことは気にしないでいいよ」
「ええ……今日はお願いします」
昌也は若干の困惑を消しスタートラインへ移動する。
「沙希、わかってますね?」
スタートラインへ向かう沙希へイリーナが問う。
「……はい」
その返事を聞いてイリーナは満足そうに頷く。
そうして昌也の隣に沙希が到着する。
今回セコンドによる作戦の助けがない昌也は改めて今回の作戦を確認する。
FC、フライングサーカスは300m四方にあるファーストブイ、セカンドブイ、サードブイ、フォースブイそれらを一直線でつないだファーストライン、セカンドライン、サードライン、フォースラインで試合が行われる。
得点方法はそのラインで相手より先にブイにタッチすることか、相手の背中にタッチすることにより1点。
その他にもスタート直後のラインでは接触禁止やラインをショートカットし相手を待ち伏せできるなど色々なルールによりいくつものスタイルや戦略が存在するスポーツだ。
その中でも昌也のスタイルは相手の弱点を突いて得点を狙うオールラウンダー。
最高速度の上限が高いが立ち上がりの遅いスピーダーにはドッグファイト(背中を狙う戦略)、立ち上がりが早いが最高速度の遅いファイターにはブイタッチ(速度を生かした戦略)で得点するスピーダーとファイターの中間のようなスタイルだ。
今回、昌也の作戦はスピードで勝るスピーダーの沙希にファーストラインを譲り、セカンドラインの中間に移動しセカンドブイで得点して直進してくるであろう沙希の頭を抑えドッグファイトに持ち込むことだ。
メンブレンの斥力によりセカンドブイ側にはじき返して沙希の勢いを殺してしまえば初速に劣るスピーダーではオールラウンダーに敵わずかなりの不利を背負うため得点を取られやすくなってしまうのだ。
__そう、スピーダー対オールラウンダーの定石だ。幾ら沙希がスピーダー用のグラシュで器用に動くと言っても初速の差は埋められない。俺の方が有利になる。
ただ、ショートカットした場合、接触するか線上で交差するまでそのラインのブイタッチを禁じられるのでもしもフェイントなどで昌也の後ろに抜けられてしまった場合は少々面倒なことになるだろう。
気を引き締めなければならない。
「にしても、一体どうしたら沙希が出張るような状況になるのやら……」
昌也のヘッドセットからルミッキのそうぼやくような声が聞こえて来た。
「セット!」
ルミッキがそう言って手を上げ、試合開始のホーンを鳴らす。
昌也はホーンの音と同時にセカンドラインへのショートカット、沙希は初速を稼ぐためのローヨーヨーでセカンドブイを狙いに行く。
順当な試合展開だ。
『本当のFC』と言うのが何を指すのかはわからないが力を示せばいい。ブランクで体力的には昌也の方が不利を背負っているが展開を調節すれば10分間、なんとか凌げる程度の体力はある筈だった。
__俺が気を付けるのは無駄な体力の消耗……! 沙希をスピーダーの得意なスピード勝負から引きずり降ろしてドッグファイトに持ち込めさえすれば勝機はある。
昌也がセカンドラインの中間に到達。
昌也は今までの速度を殺さないよう円を描くように旋回して待ち受ける。
時をほぼ同じくして沙希もセカンドブイにタッチして0対1。
「え?」
一瞬昌也の視界から沙希が消える。
その昌也の動揺を聞きつけたルミッキがぼそりと呟くように昌也に伝える。
「上だ。セカンドブイのずっと上に沙希は居る」
__高速90度ターン? エアキックターンの応用か? いや、今はそんなことはどうでもいいんだ。
沙希が高い位置から昌也を見下ろす。サードブイを狙うでもサードラインにショートカットするまでもなくずっと高空で立ち止まったままだ。
__一体、沙希は何を狙っているんだ? いや、大丈夫だ、ただ上を取られただけだ。
昌也は現在の状況を再確認する。
沙希はセカンドブイの数メートル上空で待機。
昌也はショートカットしたので沙希と接触するかすれ違うまではサードブイにタッチできない。
得点は0対1。
このまま膠着状態が続けば勝つのは沙希だ。
本気で勝つつもりなら有利な側がその状況を崩す必要はない。
__この勝利にストイックな姿勢が『本当のFC』なのか?
疑問は尽きないが、この膠着状態は昌也にとっても僥倖だった。
10分という試合時間の内、沙希がファーストラインを走り切るのに約30秒、この硬直で更に10秒消費することができたからだ。
おかげで試合中に関わらず完全に息を整えることができた。
__下から斜め上に向かって飛んでいってドッグファイトを仕掛けに来いってことだろ。
沙希やイリーナが想定するような展開は避けたい。
昌也は覚悟を決める。
__態々この状況に付き合ってやる必要はない。沙希が降りてこないならこっちから下側で交差してやればいい。交差さえすれば高さの分だけ俺がサードブイに近い! タッチして1対1になれば沙希も膠着を解くほかない筈!
「沙希が動いたら教えて下さい」
昌也はルミッキにそう言葉を投げかけ覚悟を決める。
「あいよ」
そのルミッキの返事と共に昌也は沙希ではなくセカンドブイに向かって全力で飛び始める。
__どこでそこから降りてくる? 重力を使って加速するつもりなんだろうけど、俺ならその予想を上回るスピードで反転が出来る筈だ。
スーッと滑るように沙希が斜め下に飛ぶ。
その動きはまるで屋根に積もった雪が自分の重みで滑り落ちている時のような、見ているのに瞬間気づけない予備動作のほとんどない自然な動きで昌也に迫る。
「降りて来るぞ」
ルミッキからの事務的な連絡が入る。
__まだ沙希にはこれは見せてない。
昌也はその言葉を聞いた瞬間くるりと身体を丸めるように反転させ空中を蹴り、逆方向に今までのスピードをのせ発揮させる。
エアキックターン。
フライングサーカスにおける技の中でも相当の熟練と身体能力、何よりもメンブレンへの感性を問われる技だ。
速度を保ったままの反転。昌也は自分の有利を確信していたが重力を利用して加速していく沙希にあと一歩追いつけない。
__くそ、一瞬反転するのが遅れたのか? いや、でもこれでいい。ブイで得点できなかったとしてもこれで沙希とイリーナの思惑を外すことができた。足でもなんでも触れて当初の予定通りドッグファイトに持ち込むだけだ。
しかし想像するよりも沙希は昌也よりも前に出ており、触れることは難しそうだった。
そのままブイにタッチするかと思われた沙希だったがブイの手前で半回転し昌也の方に向いた。
__ブイが目の前にあるこのタイミングでドッグファイト? どういう意図が……いや、躊躇するな!
「うおおおおお!」
この状況は本来昌也の望む展開、拒否する理由はどこにもない。
そう結論付けて昌也が伸ばした手を沙希が下に軽く弾く。
昌也はバランスを崩しながらも前に出る。
昌也が前に出て、沙希が弾く。
そんな攻防が幾度も繰り返される。
__なんだ、この違和感は……。
斜め上に構える沙希を見上げながら昌也は背筋に冷たい物を感じる。
__どうして、違う方法で攻撃しているのに気付いたら斜め上に沙希がいる。
ドッグファイトとは本来ぐるぐると動き回るものだ。だから互いの位置はどんどん変わっていく……これが普通だ。
なのに、まるでそうなることが決まっているように昌也と沙希の位置関係は変わらない。
__くそっ、そういうことか!
沙希が昌也を弾く角度が毎回同じなのだ。だから気付くと昌也は斜め下に飛ばされてしまっている。
__ダメだ、これの繰り返しじゃ疲労するだけだ。一旦距離を……。
そうやって距離を取るために沙希から視線を外さずに斜め下に距離を取ろうとした時だった。
「坊や、それ以上下がるともう地面だよ」
ルミッキからの忠告が入る。
__え?
昌也は驚愕する、声に弾かれるようにして視線を下に向けると随分下方向に押し込まれてしまっている。
沙希はそれまでのように下がる昌也をかいくぐって背中を狙おうと縦横のシザーズを入れた動きで昌也を翻弄してくる。
__なんだ? 俺は、沙希の頭を抑えないといけないから徐々に下降してくる沙希に先回りして下がらないといけない。その状況を嫌ってドッグファイトを挑んでも斜め下に弾かれて下に押し込められる。するとどうなる? 何が……。
昌也はもうこれ以上下がれないという場所まで押し込められてようやく気付く。
__そうか、逃げ場がなくなるんだ。
そう気付いた時には既に逃げ場のなくなった昌也の背中を沙希は悠々と取ることができていた。
「2点」
軽快な音と共に昌也の背中にポイントフィールドが広がる。
0対2。
昌也の態勢が崩れた所を追い打ちするように沙希が連続得点を狙って上からさらに圧し潰すように昌也を狙う。
__くそっ! 手遅れになる前に!
「3点」
再び昌也の背中にポイントフィールドが広がる。
しかし今度は昌也は態勢を崩さない。沙希がポイントする瞬間の斥力を上手に推進力に変えてサードラインへとショートカットする。
__クソ、スピーダーの沙希にはスピードで敵わない。上を取られると下に押し込められて逃げ場がなくなって圧倒的に不利になる!
昌也がサードラインへショートカットしたことを確認した沙希がゆっくりとサードブイにタッチ。
0対4。
__上だ、とりあえず上に!
昌也は本来さっき押し出された時点でサードブイを目指すことも可能だった。
成功率は低かったが得点の可能性もあった。
何故それをしなかったのか? それは薄い希望に賭けて沙希に再び上を取られることを嫌ったからだ。
でもショートカットさえすれば次のラインでは昌也の方が沙希よりも上を取れる。
そう、上さえ取れれば沙希にあのように押し込まれ不利を強いられることはない……。
サードラインに入って来た沙希が昌也から上の位置を取るために上へと加速するのに合わせて昌也もショートカットで稼いだ高度を維持し沙希よりも高い位置を維持するために上へ。
2人で螺旋を描くように牽制しあいながら上へ上へと昇っていく。
__どうして?
昌也の頭をふとそんな疑問が過る。
上を取られると試合をコントロールされてしまうからだと結論付ける。
そうなってしまうとまたさっきの展開の焼き増しになる。
だから上の位置をキープされてしまうのが嫌で、試合をコントロールされるのが嫌で昌也も沙希も上を目指す。
相手の背中も、ブイも無視してただ相手より上へ……。
そう、相手をコントロールするために。
__コントロール?
昌也の心臓がキリッと痛む。
試合をコントロールするのが重要なのか?
昌也は無限に続くかのような上昇の螺旋を描きながらも朦朧とし始めた頭で必死に考える。
__もしかして沙希はスピーダーもオールラウンダーもファイターも、そういうものは関係ないと、FCというのは、ドッグファイトのうまさやスピードを競うものではなく……相手をコントロールするものだと、そう言っているのか?
昌也は歯噛みする。
沙希とイリーナは今まで昌也たちがやって来たドッグファイトやスピードを否定している。そんなものよりも大事なものがあると言っているのだ。
昌也は疲労により沙希よりも充分なマージンのあった筈の高度を越され上を取られてしまった。
そしてまた同じように昌也が下の位置になって地面に追い詰められる。
頭を抑えないと詰む。だというのに下からのドッグファイトは全部下に弾かれて展開がない。
沙希は苦し紛れに上に出ようとする昌也のリバーサルの動きを的確に潰していく。
このままじゃセカンドラインと同じ展開。
__これが『本当のFC』?
確かに、凄い。FCの歴史を塗り替える新しい戦略だ。
でも、認める訳にはいかない。
__例え俺が沙希より弱くても、『本当のFC』に敵わなくても、この試合は勝たないといけないんだ。沙希の、本心からの言葉を聞くために。今勝たないと……。
もう昌也に逃げ場は無かった。
上からのプレッシャーを強める沙希とサードラインを並走し、タイミングを見計らい昌也が手足をグッと縮めメンブレンの動きを操作する。
__別にまぐれでもいい。今だけでいい! 沙希を倒す!
昌也が縮めた手足を一気に伸ばし綺麗な飛行姿勢を取る。
横から上へスピードを維持した高速ターン。
それは確かに成功した。
しかし沙希は大きく弧を描いてカーブしてから上へ向かった。
咄嗟の反応ではなかった。昌也の動きをしっかり確認してから昌也より上の位置を取ったのだ。
「__強い」
ただその言葉しか出なかった。
エアキックターンは急速ターンできるけどそのままスピードを維持することはできない。
確かに一瞬昌也の方が沙希より上の位置へは出た。でも、結局はしっかりと基本に忠実に移動した沙希が昌也より上の位置をキープした。
そしてまたシザーズ。沙希はまた同じ展開を繰り返すつもりなのだ。
__どうすればいい? どうすべきなんだ!
体力は、もうない。
ゆったりと距離を取ってジリジリと攻めて来る沙希は昌也を逃げ場のない地面に追い込むまで決して深追いしてこない。
だから、無理なのだ。
あんなに練習した技と技を繋ぐテクニックも、最小限で動くテクニックも、今の衰えた昌也ではねじ込めない。
全部警戒されて上に余裕をもって逃げられる。
沙希は決して油断しない。
__くそ、こんなことなら追いかけっこであんなに技、見せなきゃよかったな。
もしも体力が万全なら、無理やりにでも接近して技をねじ込める隙を作ることもできただろう。
もしもあの時FCをやめてなかったら、きっともっと沢山の技を覚えて現状にだって対応できたかもしれない。
もしも……。
永遠に続く昌也の思考にホーンが試合終了を告げる。
0対4。
「なんだよ、これ」
絶望的な思いで空を見上げた。
緑を基調として黒のアクセントの入った競泳水着のようなフライングスーツを着た沙希が汗ひとつかいていないような様子で昌也を見つめている。
「……じゃあね、昌也」
昌也の目の前は真っ暗になった。