「はあっ、はあっ、はあっ……!」
息を荒くした昌也が葵を見上げる。
「どうした昌也? もう終わりか?」
葵が縦横にシザーズを入れながら昌也を海面へと追い込もうとしてくる。
葵の動きに隙と言う隙は見当たらない。
このままでは昌也が下方向へ押し込まれ窮地に陥ってしまうという場面、葵が最後の仕上げに取り掛かろうとした瞬間だった。
本当に一瞬。
その一瞬で昌也が葵のシザーズを強行突破しサードブイに突進していく。
そうしてセカンドラインを疾走していく昌也の後ろを少し遅れて葵が追いかける。
ソニックブーストの一瞬の加速によって葵を抜く事は出来たがそれも一瞬。
「随分と強引な抜け方だ、昌也の言う沙希なら今の止められたんじゃないのか?」
葵も昌也と同じくソニックブーストを使い追ってくる。初期位置の関係上昌也がソニックブーストの加速によって得た距離を詰め切られてしまうだろう。
葵が手を伸ばし昌也の背中にタッチをしようとした瞬間、昌也ががくんと下降する。
「その手には掛からんぞ」
葵が昌也の下方向へ引き込まんとするフェイントを無視し目標を背中からサードブイへと切り替えたことを目視した昌也が崩した飛行姿勢を一気に戻し加速、葵の背中からポイントする。
「変則コブラ……昌也もやるようになったなぁ」
コブラとは、エアキックターンと同様に急停止急加速なのは変わらないがエアキックターンが逆方向や別方向に速度を保ったままターンする技術なのと比べコブラは同一方向に再び急加速する技である。
これによって相手の背後をとり背中からポイントを得る技なのだが昌也はこのコブラの急停止を自由落下にも思えるような急停止かつ下降に変化させすぐ後ろの葵の背中を取ることに成功したのだ。
基本的なリバーサルのための下方向へ引き込むフェイントに合わせた強烈な得点手段だ。
「葵さん! 今の、どうでしたか?」
昌也が10セット目の下ポジションからの得点の練習が終了したことを確認し葵に声を掛ける。
「そうだな、引き込みからの変則コブラは良かったと思うがその前の強引なソニックブーストは良くなかったな。初手は通用するかもしれないが昌也がソニックブーストを使えるとわかってしまったら起こりを捉えられて対策を取られることもあるだろう……。が、レパートリー的にはこんなもんで充分だろう。タイミングを見誤るなよ」
そう言って葵がにやりと笑ったのを見てようやく昌也が一息つく。
「じゃあ……!」
「ああ、この調子なら夏の大会に優勝できる。私が保障するよ」
「よしっ!」
夏の大会が残り3日後に迫ったこの日、遂に昌也の練習は終了した。
「3日間、練習はコントレくらいに止めて英気を養っておけよ」
「はい、また3日後!」
昌也が崖から去っていく葵の背中にそう声を掛けると葵が苦笑しながら振り返った。
「昌也、今からこんなんじゃ大会当日持たないぞ?」
★
次の日の夜、昌也は言いつけられたコンディショントレーニングのために軽めのランニングでアップを終えた後沙希と初めて出会った公園へと向かった。
「そういえばあの時はこの階段を登り切るのにすら勇気が必要だったんだったっけ」
でも沙希と出会って、1日過ぎるごとに空への恐怖は高揚感へと変わって行った。
そう考えながら昌也が階段を登る。
「沙希と会って、話して、空を飛ぶのがただ楽しみになった」
階段を登り切った先に広がる空に緑のコントレイルの軌跡が広がっているのを想像するのが楽しみだった。
「知らないうちに沙希から目が離せなくなってた」
その無表情にも見える沙希の微妙な表情の変化がわかるのが嬉しくて、楽しくて、心地よかった。
練習が終わった後の何気ない空気の中でゆっくりと過ぎて行く時間が堪らなく好きになった。
「きっと、俺はFCとかよりも沙希のことが気になってたからここに通ってたんだろうな」
そう考えるともしかしたら昌也は最初から沙希に恋していたのかもしれない。
きっとみさきの言う通り昌也がこの公園に通った本当の目的は『LOVE』の方だったのだろう。
「もしかして一目惚れだったのかよ、俺」
昌也は少し自分のことをおかしく思いにやついてしまう。
最初は空に戻ってくるために登った階段を途中からは沙希に会うために登っていたのだ。
最期の1段を登る。
そうして空を見上げると何に邪魔されることのない一面の星空が広がっていた。
「ま、居る訳ないよな」
本当は少しだけ、夜空に緑のコントレイルの軌跡が引かれていることを期待していた。
ただ、昌也としてもし沙希が居たとして何を話そうかなんてことはあまり考えてなかった。
全部は沙希に勝って大会を優勝してからでないときっと沙希を困らせるだけになってしまうから。
「……よし、コントレはじめ……」
「なんだ、坊やは案外未練がましくこの公園に通ってると思ってたんだがな」
昌也がテーブルベンチにスポーツバッグを置いてコンディショントレーニングの準備を始めようとした段階で自販機の影に隠れるようにして缶ジュースを飲んでいたルミッキが現れる。
「あてが外れたせいで随分待つことになっちまったよ」
「ルミッキ?!」
「ああ、沙希と昌也の恋のキューピッドのルミッキ様だ。坊やに伝えないといけないことがある」
ルミッキがそう言って炭酸飲料を飲み続ける。
「あの日、私が昌也と喫茶店で密会したことをどうやらイリーナに知られちまったみたいで私は沙希の練習パートナーから外されちまったんだが……」
昌也がどう答えたらいいかわからず口をついて出ようとする色々な言葉を飲み込んで何を言うべきか悩んでいるとルミッキが手を振る。
「あの、えっと……どう言ったらいいか……すいません……」
「あー! いい、いい! 謝罪は要らないよ! 私だってそうなるだろうって理解した上で坊やに味方しようって思ったんだし」
「でも……」
昌也がそれでも続けようとするとルミッキが再び制止する。
「いいんだ! そんな話をするためにこんな所で何日も待ってた訳じゃないんだよ」
「じゃあ、一体……?」
「こんな時期で意味があるかわからないが……まぁ、知らないよりもマシか……」
ルミッキがやたらと渋りながらも口を開く。
「私が沙希の練習パートナーから外されたというのは事実だがそれでも流石に私レベルのスカイウォーカーは世界的にみても少ない。流石にイリーナも余所からいきなり引っ張って来るのは無理なんだよ。だから今も沙希の基礎練習なんかでは私が引っ張り出されるんだが、唯一私が外される練習日がある」
ルミッキは喉が渇いたのか炭酸飲料の缶を持ち上げるが中身はもう殆ど入っていなかったらしく諦めて続けた。
「何か私に隠さないといけない奥の手があると読んで警備の穴を突いてその練習を盗み見ることができたんだが……別次元。沙希の新しい奥の手は別次元だった」
「別次元……具体的には?」
「具体的に? 難しいな……。有り体に言えば……」
そこでルミッキがスマートフォンを操作し何らかの動画ファイルを開こうとした時だった。
ルミッキのスマートフォンがけたたましい音でがなり立てる。
画面にはイリーナの文字。
このタイミングでイリーナからの着信、現状との関係を疑わない方が無理だ。
昌也は今この時もどこかでイリーナが自分達のことを監視していることを半ば確信した。
ルミッキは少し強張った表情で応答のボタンをタッチする。
「……はい、はい……」
何か1つ2つ会話したルミッキが昌也にスマートフォンを突き出す。
「昌也、お前にだ」
昌也が恐る恐るルミッキからスマートフォンを受け取る。
「……はい」
『オー! 昌也サン! お久しぶりデス!』
「えぇ……それで用件は……」
『沙希の次はルミッキですか? 昌也サンは随分女性を誑し込むのがオジョーズなんですね』
昌也はその言葉を聞いても不思議なくらい冷静だった。
こう言った相手を逆撫でするような話術はイリーナの十八番。
こちらがそれに乗ってやる必要はない。
「それで、用件は?」
『フフッ、ジョークですよ、ジョーク。昌也サンがこの2ヵ月FCの練習に打ち込んでいたことは知ってます。沙希のことが諦めきれずにこの前の約束がまだ有効だと信じて昌也サンが汗を流す姿に私、笑いが込み上げて来てしまって』
くすくすと嘲るようなイリーナの笑い声がスマートフォンから響く。
「イリーナさんがどう言うつもりかはわかりませんが、俺は貴方が言う『本当のFC』で沙希を倒して貴方を認めさせて沙希にもう一度告白します」
昌也の気丈な返事にイリーナは息を整え応えた。
『ええ、ええ。沙希のストーカーである所の昌也サンはそう言うと思っていました。本来なら沙希を付け回す変質者の要求を飲む必要は無いのですがそれでは昌也サンも張り合いが無いでしょう? なのでもし万が一、昌也さんが沙希に勝つようなことがあれば交際を認めていいです。2人の時間を作れるようにスケジュールも調整もします。その代わり昌也さんが沙希に負けてもアヴァロンと契約して選手になって貰います。勿論負けた場合沙希との交際は許可できませんが練習時間に沙希を盗み見るくらいの事は見逃してあげれますし、待遇も保障します。ドウデスカ? 昌也サンにとって1つの損もないイイ提案デショウ? 勿論受けてくれますね?』
イリーナが一息の内に言い切る。
その内容を精査してみると確かに、昌也にとって損のない提案。
と言うよりも、断ることの出来ない提案だった。
「ええ……。その提案受けます。受けた上で勝って沙希に告白します」
『フフッ、沙希に負けても気落ちしないでくださいね? 昌也さんが強さを求め続けるなら次のチャンスを用意するのは私としてもやぶさかではないですから……では、夏の大会でまた会いましょう』
イリーナはそう言うと通話を切り、公園が一気に静かになる。
昌也もルミッキも言葉を発さないせいで自販機のモーター音がやけに耳につく。
「……坊や、すまないがスマートフォンを返してくれないか?」
「あ、ああ! すみません」
そう言って呆然としたままの昌也がルミッキにスマートフォンを手渡す。
「ありがとね、いや、まさかイリーナの監視がこんな所にまで及んでるとは思わなかった私の落ち度だ。迷惑かけたね」
「迷惑なんて、そんな……」
「そう言ってくれるのはありがたいが、イリーナに釘を刺されちまったせいで沙希の動画は見せる訳にはいかなくなったよ」
それは昌也もある程度予期できていた。
あのタイミングでの電話、もし完璧にルミッキの行動を把握できているとするのなら沙希の新しい奥の手を昌也に見せる訳にはいかなかったからだろう。
「いえ、俺のせいでルミッキに危険な橋を渡るような真似をさせちゃって、本当になんて言っていいか……」
「気にすんな気にすんな! 私が好きでやってることだしね」
「本当にありがとうございます」
昌也がそう言って頭を下げると少し悩んだルミッキが頭をポリポリと掻いてから言った。
「……残り2分。なんのことだかわかんないだろうけど、恐らくそれくらいからが正念場だ」
ルミッキは再びがなり立てるスマートフォンを摘まみ上げ、公園の階段を下っていく。
「気張れよ、坊や」
★
澄み渡る青い空に大きく横たわる真っ白な入道雲。
暑い日差しと波の音が今が夏であると主張する。
砂浜には幾つもの白色のタープテントが林立していて浜辺が普段通りではないことがわかる。
遂に始まるのだ、夏の大会が。
「昌也、私は大会参加の手続きとかしてくるから変に暴れたりしないようにな」
そう言って葵がひと際多くの人が群がるタープテントの中に入っていく。
どうやらあのタープテントで大会の受付をやっているようだ。
昌也は他のタープテントに何が入っているのかを軽く見て行く。
夏のFCの学生大会は軽いお祭りのような扱いなのか歩きながら摘まめる軽食の屋台が出ていたり、他にもスカイスポーツの出店など様々だ。
そうやって何の気なしに歩いて居ると大仰な撮影機器を構えた人間が居ることに気づく。どうやらテレビ局の人間らしくこの夏の大会を放送するようだった。
そうこうブラブラとしていると葵が戻って来る。
「こら、昌也。暴れるなって言っただろ。探したぞ」
暴れるなと言うのはその場を動くなと言う意味が含まれていただろうか? と昌也は思わず思案してしまったが気を取り直して応える。
「いや、別に暴れてないですけど、探させてしまったみたいですいません」
「まぁいい。トーナメント表を見に行くぞ」
トーナメント表は当日発表なので誰とあたるのかは今の所わからない。
しかし昌也は誰と当たろうとも全ての敵をなぎ倒し、沙希を倒さなければならないことに代わりはない。
出来ることなら体力に余裕があるトーナメント序盤……大会1日目の1回戦か2日目の2回戦、3回戦で沙希と当たりたいと言った所だろうか。
しかしそう都合良く話が進むことはなく、沙希と昌也はトーナメントの別の山で、昌也が沙希と当たるとすれば決勝戦という事になってしまった。
「沙希とは決勝戦か……」
そう昌也がぼやくと隣で同じくトーナメント表を眺める葵が窘める。
「昌也、敵はその沙希ばかりとは限らないぞ」
「勿論わかってます」
「……油断するなよ? 第1試合は四島水産の2年我如古繭だ。この選手は相手の嫌がることを的確にできるタイプで、実力もある。油断して勝てる相手じゃないぞ」
「じゃあ葵さん任せましたよ」
「初戦から行くんだな……?」
「ええ、全く未知の相手、実力もあるなら丁度いい。試合での鳥籠がどれだけの効果を発揮して、どれだけ精神と体力を削られるのか試すにはうってつけです」
★
久奈浜学院2年の日向昌也対四島水産2年の我如古繭の試合は13対0と言う圧倒的な点差で幕を閉じた。
別段我如古繭が弱かった訳ではない。
彼女はFCの大会でもベスト4常連の強者。
そんな彼女が赤子の手をひねるように倒されてしまった。
「……神様」
その日向昌也と我如古繭の試合の一部始終を目に収めた彼、真藤一成は知らず呟いていた。
「神様が……日向昌也が空に帰って来た」