ユーラシアによる核攻撃から一日が経過したミレニアムの食堂。最新鋭故にまだ綺麗ながら他の艦と比較しても特徴的な箇所はない普通の区画。
しかしそれが今やキラ、ハインライン、メイリンによる三重の盗聴対策が施され、一国の軍司令部もかくやという強固なセキュリティーになっていた。
そこに集まったコンパスの主要メンバー──具体的にはミレニアムとアークエンジェルのブリッジクルー、ムラサメ隊以外のMSパイロット達──に対してキラは核攻撃がファウンデーションの自作自演だとオルフェ本人が暴露した事を告げた。そして最終的な目的がデスティニープランだとも。
デスティニープランはともかくフリーダム強奪事件の時からファウンデーションに疑念を持っていた佐官クラスの人間はさもありなんという態度だが──アーサーだけは「えぇー!?」と驚く──パイロット達は困惑が勝る。シンがいざこざを起こしたとはいえ、それ以外では特に交流がなかったので当然と言えよう。
続けてアスランから女王のアウラは元メンデルの研究者であり、オルフェをはじめとするファウンデーションの上層部はアコードと呼ばれる特殊なコーディネイターの可能性がある事、キラの誤射も彼らの関与が疑われる事を明かされると戸惑いはより強くなる。
異なる反応を示すのはただ一人。
「シュラの奴、私を弄んだの!?」
「アグネス、今はそういう話はしてないから……」
「じゃあどういう話よ! あいつ私の事を美しいって言ったのよ!?」
「知らないわよ……」
「っていうか、もしかしてレオナードがああなったのも連中のせい!?」
姦しいアグネスと世話係と化した姉をスルーしたメイリンは手元のパソコンを操作して食堂のモニターにこれまでの調査内容を表示。
誰もが大人の姿のアウラの写真に注目するが、キラだけは一緒に映る桃色の髪の女性に目が行く。
直接会った事はない。ただ、ラクスが大事にしていたアルバムの中にこの女性の姿があった。
──自分が幼い頃に亡くなった母だと、彼女は教えてくれた。
思い起こせば最初に会った際にオルフェはラクスもメンデル出身だと匂わせていた。妹のようなものという発言もそういう意味かと一人で納得。
「本来は核で焼き払うつもりだった……ファウンデーションの生産力や軍事力を失っても構わないとなると他の勢力と密約があるのか?」
「核を撃たれた被害者だからってデスティニープランを強制出来る立場じゃないしね。嫌な予感しかしないよ」
ノイマンが顎に手を当てながら考察すると隣にいたチャンドラが肩を竦める。
「コンパスが動くべき案件だが、現状では自作自演にしろキラの誤射にしろ明確な物証はない」
「時間との勝負になるな」そうアスランが締め括ると室内に沈黙が生まれる。
コンパスは常に受け身の行動を強いられている。「疑わしきは罰せよ」を許してしまえば設立の理念は失われ、世界の秩序を乱す存在に成り下がってしまうからだ。
しかしながらコンパスの面々の心の内にあるのは動けないもどかしさだけではなく、急かされるような焦りもある。
デュランダル議長が「祖国を攻撃された被害者」から「他国の主権を侵害しようとする加害者」に転じたようにファウンデーションもいずれ一線を越えてくるだろう。強引な手段で大義名分を得た以上はなおさらだ。
その兆候を見逃さず迅速に対処する。そういったシビアな状況判断を要求されていた。
「こうなるとラクス様が向こうの手の内にあるのが心配だね」
沈黙を破ったのはヒルダだ。ラクスを敬愛、というより崇拝している彼女にとってはラクスが不審な一団の元にいるというシチュエーションは気が気ではないのだろう。
ヒルダの個人的な思慕はともかく総裁であるラクスがファウンデーションに囚われれば大きな枷になるというのはこの場にいる全員の共通認識だった。
「クライン総裁なら数時間前に通信で顔を拝見した際は元気そうだったが。監禁されているような様子も特になく」
「……それ、本当に本物のラクス様かい?」
コノエの言葉にヒルダはその真偽を疑う。
普通なら疑心暗鬼と一笑されそうだが、ラクスの偽者によって民意が誘導された過去があるので安易に排除出来ない危惧だった。
コノエも偽者の可能性を失念していた訳ではないが……
「……こちらの符丁はご存じだったから本人だと判断したが、連中が心を読めるとなると根拠にはならんか」
「なら本人確認はヤマト隊長にやってもらうという事で。本当に心が読めたとしても日常的な出来事を探ったり細かい所作の模倣は困難でしょうから。最悪の場合は三国の首脳に総裁の権限を停止してもらいましょう」
「最悪の場合」──すなわちラクスが既に死亡している場合──の辺りで席を立ってハインラインに殴りかかろうとしたヒルダをマーズとヘルベルトが両側から必死に制止。当のハインラインは涼しげな態度でキラに「ではそのように」と目線を送る。
そんなキラはハインラインの発言を聞いてようやく「客観的に見るとラクスはピンチだったんだ」と気付く。
ラクスに手荒な真似はしないというオルフェの言葉にはなんの保証もなかったのに、不思議と彼がそう言うのなら大丈夫なのだろうと信じ込んでいた。
それは今も変わらない。キラが案じていたのはむしろオルフェの方だ。
コンパスの面々がいれば彼を止める自信はある。だがこの場合の止めるとはこれ以上罪を重ねないようにする──有り体に言えば殺す事を意味する。
世界の混乱は避けられるしコンパスの隊長としてはそれで十分役目を果たしたと言える。
けれど……オルフェは自分の生に絶望したまま死ぬ。キラ・ヤマトという個人としては彼を救いたい欲求がある。
──でも……
それは果てしなく困難な道だ。
最終的には彼の心を救いたいがその前段階である命を助ける時点で多くの障害が立ちはだかる。
外野はこう言うだろう。「自国に核を撃ち込むような危険人物相手に悠長な事をして仲間が死んだらどうする?」と。
第三者の立場だったらキラも同意していたかもしれない。実際、一歩間違えればシンは死んでいただろう。
オルフェ相手に意気高らかに宣言した時の高揚はミレニアムに戻り無事を喜び合うクルーの姿を見た時に霧散した。
一人ではないという心強さと心苦しさ。
ちらりと食堂の中を見渡す。コンパスには立派な人間が揃っている。
協力を仰げばみんなは手を貸してくれるだろう。自己評価の低いキラであってもそれなりの関係を築いてきた自覚はある。
けれど「助けてほしい」の一言がなかなか口に出来ない。
相手を殺さずに済ます事の大変さを一番理解しているのはキラだ。「殺さない」という選択肢があるだけでパフォーマンスは大きく低下する。
みんなを頼れるようになりたい。だが過去の傷は容易には癒えない。
作戦行動の一環であったなら話は違っただろうが、これはキラの我儘にすぎない。大事な彼らを私欲で危険に晒したくないのだ。
──トール……フレイ……
苦悶の表情を浮かべるキラ。
コンパスからの比較的付き合いの浅いメンバーはそれをラクスを心配しているのだと解釈。しかしアスランやアークエンジェルのクルーは朧気にキラの内心を察した。
「キラ君はオルフェ閣下を助けたいのね?」
「……っ」
代表してマリューが尋ねるとキラは顕著な反応を示した。
何故分かったのかという疑問が顔に浮かぶが、マリューはずっと知っていた。
目の前の心優しい青年が最初にストライクに乗った時から誰も殺したくないと願っていた事を。そしてその願いを踏み躙ってきたのが自分である事も。
だから、機会があればずっと恩返しがしたいと思ってきた。それが今なのかもしれない。
ノイマンやチャンドラにアイコンタクトを取ると二人は頷きで返してくれる。
「キラ君の話を聞いてアコード……だったかしら、私も思う所があります。クルーの命を預かる艦長として全面的に協力という訳にはいかないけれど出来る限りの事はするわ」
「マリューさん……」
キラにとってその申し出は嬉しくない筈がない。だが純粋な厚意であればあるほど受け取るのを躊躇ってしまう。
他のみんなはどう思っているのだろうと首を横に振るとむすっとしたアスランと視線が交錯。
ここに来る前に話す時間があったが、核の使用と並んでシンが死にかけた事実が彼の逆鱗に触れているらしかった。
「これから先、どれだけご高尚な大義を掲げようと民間人に核を撃ち込む奴らは許せないが……まともな環境で育った訳ではないだろうし、そこは同情している」
義憤を押し殺して呟かれたアスランの言葉に「そうだな」と普段より微かに沈んだ声色のムウが頭を掻きながら相槌。
「ブラックナイツの奴ら、まともな軍人には見えなかったがあれだ。スティング達もあんな感じだった」
「連合の生体CPU……」
誰にともなく呟いてシンは表情を曇らせ、ルナマリアが気遣わしげに肩に手を置く。
「アコード、でしたか。あの七人以外にもいるかもしれませんし、全容解明の為にも生かして捕縛するというのは意味があるのでは? 嵌められたユーラシアもこのままではどうなるか分かりませんし」
慎重派のコノエからも肯定的な意見が出た。出てしまった。
オルフェを救いたいというキラ個人の欲求を押し通すのに都合の良い状況が出来上がりつつある事に危機感のようなものを抱く。
みんなの善意に甘えていいのだろうか。後悔はしないだろうか。オルフェを救いたいのではなく「オルフェを救えない無力な自分」になりたくないだけではないのか。
「なんだいなんだい。ラクス様を浚ったクソ野郎どもを助けるって流れかい?」
「殺すなって命令されたら可能な限りは努力するが」
「あくまで可能な限り、だな」
面白くなさそうなヒルダとニヒルに笑うマーズとヘルベルト。
キラからするとこれくらいのスタンスの方がありがたかった(あるいは、こちらの心情を慮ってわざとそういった振る舞いをしてくれたのかもしれない)
背負う命の重さに悩むキラはふと、根本的な問題に気付く。オルフェの気持ちだ。
自分と彼は似ている所がある。故にオルフェの心情をある程度は類推可能だ。
──迷惑だよね、オルフェ。
キラの中でやるべき事が明瞭になり始めた時、アグネスが勢いよく挙手。
「隊長! シュラは私が殺します!」
「アグネスお前、話聞いてたか?」
「はぁ? 私が乗る筈だったジャスティスを壊した山猿は黙っててくれる?」
「こいつ……隊長! 隊長もなんとか言ってやってくださいよ!」
アグネスと口論するシンに水を向けられてキラはふっと微笑む。
「うん。アグネスはそれでいいよ。もちろん軍規に違反しない範囲でならだけど」
「隊長!?」
まさかアグネスの肩を持つとは思わず驚愕するシンをキラは真っ正面から見据える(進言をあっさり受け入れられるとは思っていなかったアグネスも目をぱちくりさせていた)
「シンもまず自分の身を一番に考えてね。君に何かあったらルナマリアだけじゃなくて僕も悲しいから」
続いて他の面々を見渡す。
「確かに僕はオルフェを助けたいと思っているし機会があれば動きます。でもそれは作戦に支障が出ない範囲での話です。みなさんも決して無理はしないでください」
キラの宣言にマリューやムウ、アスランが渋い表情になる。
「キラ、本当にいいんだな? 戦場で連中に会ったら俺はどんな手段を使っても倒すぞ。偶然命拾いした所に追い討ちをかけるつもりはないが、あまり期待するな」
「いいよ。オルフェなら『君の仲間の命まで勝手に背負わせるな!』って怒るだろうし」
望んで得た訳ではない才能に振り回されて両手を血で汚してきた。そんな姿にオルフェは共感した。
だけどもし「君の為に色んなものを犠牲にしたんだ」と血塗られた手を差し出しても彼は拒絶しただろう。
──我が子に最高の才能を与える事が親の愛だとしても、それが数多の犠牲の結果だと知ってしまえばなんの抵抗もなく享受は出来ない。
自分がそうだから彼が厭う事はよく分かるのだ。
……けれども、みんなに被害を出さずにオルフェを救う。そんな夢物語が叶ったなら、この力を与えた相手に少しは感謝してもいいかもしれない。
ラクスは暗い闇の中にいた。目を閉じているのではないかと錯覚してしまうほど底なしの黒。
このまま闇に飲まれて消えてしまいそうな恐ろしさが心を蝕む。不安に押し潰されそうになりながら光を求めて闇の中を進むと見知った金の髪が視界の隅に映る。
──オルフェ?
得体の知れない場所で知人に会えた嬉しさから急いで近付くも、安堵は直後に恐怖に変わり、彼女の口から「ひっ」と悲鳴が零れる。
オルフェの体には夥しい数の胎児が纏わりつき、振り向いた彼の目は虚ろで生気がまるで感じられない。
思わず後退るラクスに一切反応せず、オルフェは闇に沈んでいく……
「……」
開いた瞼の先は未だ闇だったが、先程と比べると曖昧ながら景色が確認出来る。
自分がベッドで眠っていた事に気付いたラクスはゆっくりと体を起こす。噴き出した汗が全身を凍えさせるが心臓だけは激しく脈を打っていた。
ベッドの傍らのテーブルに置かれたハンカチで汗を拭うと徐々に思考がはっきりとしてくる。
ここはL1にある宇宙要塞アルテミスの中。元はユーラシア連邦の拠点だったが民間の実業家に売却された所をファウンデーションが買い取ったのだという。
ファウンデーションが小さな国土に見合わない国力を蓄えているのは周知の事実だが、宇宙要塞まで保有していると最初に知った時は驚きを隠せなかった(「個人でオーブを建て直す額を稼いだヤマト准将ほどではないですよ」とオルフェは笑っていたが)
オルフェがラクスに用意したのは浴室付きの豪奢な部屋だった。
元は将官クラスや国の重鎮が視察に来た時用の部屋なのだろう。居住区には人工的な重力が働いている事もあり、ちょっと気を抜くと宇宙要塞の中だという事を忘れそうになる綺羅びやかさだった。
下着が肌に張り付く感覚が気持ち悪く、冷えた汗が容赦なく体温を奪う。
閉鎖環境での水の大切さをよく知るが故に若干の後ろめたさを覚えつつ湯船にお湯を張って入浴する。
部屋の絢爛華麗さとは打って変わり、着替えは兵士用に大量生産された支給品のみ。
案内された際にイングリットがひたすら申し訳なさそうにしていたのが記憶に残っているが、特段ラクスは気にしていなかった。この状況で着飾る事に意味があるとは思えない。ただ、その時のやり取り……
──私は気にしておりません。ファウンデーションにとっても今回の件は予想外でしょうから。
──……はい。
イングリットが僅かに言葉に詰まった事だけは頭の隅に留めておく。彼女が反応したのが話の前半であれば良い。けれどもし後半であったなら……
床に座ってベッドに上半身を預けつつ、肩に乗るブルーの嘴を人差し指で擦りながら視線だけ扉に向ける。
部屋の外に声をかけてみるが反応はない。これまで何度か部屋を出入りした際には毎回イングリットが付いていた。
ただそれはラクスがアルテミスの構造を知らないので案内役が必要というのが理由であり、一人で出歩くなとは言われていない。
他国の要人に要塞の中をうろちょろされる事を喜ぶ政治家や軍人がいるとはラクスも思っていないが、今のうちに要塞の内部を把握しておいた方がいいかもしれない。単純に部屋に籠るより外に出て気晴らしがしたいという気持ちもあった。
扉を開けたラクスは以前もこんな事があったと懐かしくなる。アークエンジェルに保護され、キラと初めて出会ったあの時。
あの頃はまだ父も健在でアスランと婚約中で“彼女”も純粋に自分の夢を追っていた筈で……
まだ五年も経っていないのに随分と遠い所へ来てしまった気がする。
通路でファウンデーションの人間とすれ違うたびにギョっとした表情を向けられたが咎められる事はなかった。
あてもなく進んでいるとドックに辿り着く。
キャットウォークの上から見下ろすと何隻もの戦艦の整備が行われており、更にMSデッキには白亜の巨体が鎮座。
大型の背部ユニットを窮屈そうに固定されている姿はまるで鳥籠に押し込められた鳥のようで──
「クライン総裁?」
聞き覚えのある声に振り向くとそこにはこちらに向かってくるオルフェの姿。
一瞬夢の内容がフラッシュバックするが、ここにいるオルフェは消える事なく顔つきもしっかりとしていた。その事実に幾らか安堵する。
「何故ここに……お一人ですか?」
「すみません。でも私、声をかけたのですよ。出かけてもいいですか、と。三回も」
「は、はあ……」
あどけなく笑うラクスとは対照的に困惑の表情を浮かべるオルフェ。そんな彼の肩にブルーが飛び移って首を傾げた。
オルフェが情報のすり合わせを行いたいというので貴賓室に移動してソファーに向かい合って座る。
「お疲れでしょうに申し訳ありません」
「いえ。この大変な時に私は何も出来ませんで」
言葉に嘘はない。
核攻撃から一日が経過していたが「ラクス・クライン」の影響力を自覚をしている彼女は事実関係がはっきりするまで大きな行動を控えていた。
やった事といえば精々スポンサーである三国首脳や実働部隊との情報共有とオルフェの要請を受けてのミレニアムとアークエンジェルのファウンデーション駐留の許可を出したくらいだ。
後者に関しては元々ファウンデーションのコンパス加入の調整が終わるまでは滞在予定だったのでラクスの認識では本当に大した事はしていない。
「二隻については私もある程度報告は受けていますが、人員に大きな被害がなかったようでなによりです」
「ええ。みなさんよくやってくれました」
マリュー・ラミアスやアレクセイ・コノエの報告によるとコンパスのフラグシップとも言える二機のうち、イモータルジャスティスは大破。誤射を起こしたライジングフリーダムはアルバート・ハインラインの立ち合いの元で分解して調査予定。アークエンジェル所属のムラサメ隊には少なからず被害が出たものの地上での核攻撃という未曽有の事態にしては損害は軽微だった。
「ユーラシアとの交渉はどうなっていますか?」
「こちらからのアクションに明確な返答はありません。話し合いに応じるつもりがない……というより内部での統制が取れていない印象です」
「……そうですか」
今回の一件、どうしてもラクスは違和感を拭えないでいた。
独立戦争以前からの確執があるとはいえ、いきなりの核攻撃はあまりに乱暴すぎる。民間人を巻き込む大量破壊兵器の使用という観点では類似例はここ数年多い。酷い言い方だがプラントでこのニュースを聞いていたなら絶句はしてもあり得ないとは思わなかっただろう。
しかし彼女は現場にいた。オーブ、大西洋連邦、プラントが共同で創設したコンパスの総裁として。ユーラシアの行動はファウンデーション一国だけでなく複数の勢力を敵に回す暴挙なのだ。
コンパスがこれらの国の尖兵という認識をユーラシアが持っていたとしても自国内からも反発必至な核攻撃を行うメリットがラクスには見い出せない。
損得を超えた感情論が国家の舵取りを行う事もあるだろうが、それなら既に戦端が開かれていなければおかしい。
彼女の疑義をオルフェもまた抱いているようだった。
「ユーラシア上層部の総意ではなく一部の暴走というのが実情なのでしょうが、かといって私意で手心を加えられる立場でない事はご理解いただきたい」
「それは……そうでしょうね」
オルフェの言い分も分かる。
もし彼が甘い対応をすればファウンデーション国内で市民が暴発しかねない事態だ。それだけ核攻撃されたという事実は重い。
ただ、オルフェがこういう言い方をするという事は彼はまだ理性的な証であり、その点はラクスを安心させた。
またカガリから聞いた所では大西洋連邦のフォスター大統領が仲介に積極的だという。恩を売る絶好の機会であるし、かの国にとって仮想敵国のユーラシアの弱体化は嬉しい反面、完全に国家の枠組みが崩壊して無秩序化するのは困るのだろう。
「幸い、コンパスの声望は高まっています。国民も恩人であるコンパスへの反発は少ないでしょう。なので総裁には今すぐにでもプラントに戻っていただき……」
〈タオ閣下、クライン総裁! プラントでクーデターです! 国防委員長のジャガンナートが議会を制圧したと!〉
オルフェの言葉を壁際に備え付けられたモニターからの通信が遮る。
〈クーデター勢力はタオ閣下との会談を求めています!〉
突然の報にオルフェとラクスは互いの顔を見合わせた。
オルフェと通信士の質疑応答を横で聞いていたラクスだが有益な情報はなかった。
首謀者がジャガンナートだということ以外にはクーデター勢力の規模も議員の安否も不明。分かっているのは決起した彼らがユーラシアへの報復を叫んでいる事くらいか。
何度も核攻撃の危機に晒されユニウスセブンやボアズを失ったプラントの核に対する忌避感は地球勢力の比ではない。
元々ナチュラルを敵視していたジャガンナートや彼の支持者が過剰反応するのは理解出来るのだが……
「このタイミング、偶然とは思えませんね」
オルフェの呟きにラクスも同意する。
「国防委員長とは面識が?」
「それなりに。プラント行きを希望する国民の窓口になってもらったり、独立戦争の際にはジブラルタルやディオキアに駐留するザフトからユーラシア軍の動きをリークしてもらった事もあります。……その時からナチュラルに対する敵愾心は把握していましたが」
「付き合う相手は慎重に選ぶべきでした」とオルフェは眉根を寄せる。
「彼の私憤にファウンデーションが利用されるのは癪なので、出来る事なら会談要請は無視して事態が好転するまでアルテミスに籠っていたいのですが、物資が心許ないのですよね……」
腕を組んで俯いたオルフェは右手の人差し指で左腕を小刻みに叩く。
やがて顔を上げると壁際のモニター脇のパネルを操作。
「こちら宰相のオルフェ。これより三時間後に艦隊をL5に向けて発進させる。総員二時間前までに乗艦して各自持ち場につけ。戦闘に発展する恐れもあるので気を引き締めるように」
その指示はつまりオルフェがジャガンナートに会うと決めたという意味。
「私も参ります」
後手に回っている。ラクスの心中は焦りと後悔でいっぱいだった。
ジャガンナートの強硬的な姿勢はよく知っているつもりだったが、心のどこかで派閥を纏める為のパフォーマンスだろうと楽観視していた。
その結果がこれだ。徐々にではあるが世界が平和に近付いていたのにこれでは再びナチュラルとコーディネイターが憎しみ合う時代に逆戻りしてしまう。
なんとしても武力衝突が起きる前に止めなくてはならない。
「……総裁はアルテミスに残ってください」
「しかし!」
「貴女が投降を促せば従う将兵も出てくるでしょうが、それはアルテミスの中からお願いしたい。実際にジャガンナートと対面しては御身を守れる自信がない。貴女に何かあっては私がヤマト准将に会わせる顔がありません」
「……」
ジャガンナートが自分を害するリスク。それをラクスは否定出来ない。
そしてそうなった場合にファウンデーションに責任を負わせようとする人間が現れる事も簡単に想像出来てしまう。
「……分かりました」
ラクスが折れた事に胸を撫で下ろしたオルフェはソファーに深く身を委ね、小さな溜息を漏らす。
「……貴女もキラ・ヤマトも隠棲して世間から忘れられた方が幸せでしたね」
「──」
キラや彼の両親と共に孤児院で子供達の世話をしながらの生活。
想像しただけで胸が温かくなり穏やかな心地になるが、同時に哀愁が込み上げる。もうそんな日々を手にするのは難しいと誰よりもラクス自身が理解しているから。
仕方ないと思う。今の道に進んだ過去の選択に後悔がないとは言わない。けれど、こうしなければそれこそ大きな後悔を抱いていたに違いないのだ。
「確かに。静かな日々を惜しむ気持ちはあります。ですが私はもう決めたのです」
“彼女”のように身勝手な都合で利用されて犠牲になる人を出さない為に。
なんとなく、オルフェはこの決意を称賛すると予想していた。初めて会った日から彼が自分の発言に異を唱えた事はなかったから。
おべっかもあったのだろうが、双方の立場を抜きにしても彼とは相性が良いのではないかと漠然と考えていた。
故に、オルフェの言葉はラクスにとっては思考の埒外だった。
「決めた……決めさせられた、のではなく?」
それは機械が放つ音の羅列のように感情が廃された声。そして表情は夢の中と瓜二つ。
呆然とするラクスだが、それも僅かな時間のみ。ラクスがまばたきをするとオルフェはいつもの顔に戻っていた。
「失礼。つまらない事を言いました。忘れてください。……イングリットを呼びますのでここでお待ちを。彼女もここに残しますので」
オルフェにとっても自分の発言は予想外だったのか、気まずさを誤魔化すように素早く立ち上がって背を向けると退室していく。
一人残されたラクスは先の会話を反芻。
何か大きなミスをしてしまったのではないか。しかし、どうすれば良かったのか。
焦りだけが体の中を空回り、ラクスは動く事が出来なかった。
無重力に任せて通路を進むオルフェは携帯用の通信端末を取り出してプラントにいる協力者から送られてきた報告を確認。
ジャガンナートがクーデターを起こしたのは間違いないが、どうにも手際が良くない。
プラント最高評議会議長のワルター・ド・ラメントをはじめ、エザリア・ジュールやアイリーン・カナーバを取り逃がし、エターナルとその艦長アンドリュー・バルトフェルドの消息も掴めていないらしい。
クーデターに同調しなかったザフト兵士に対しては「ファウンデーションは囮で地球軍の艦隊が再びプラントへの核攻撃を画策している」というデマを流したのでしばらく時間は稼げるだろうが、このままではラクスとラメントが反逆者の鎮圧を命じれば遠からず終息してしまうだろう。
月で再建させた“あれ”を使えばプラントも早々に手出しが出来なくなるが、そうすると今度は地球全土も敵になる。その状況を切り抜ける器がジャガンナートにあるとは到底思えない(もっともそれだけの器の持ち主にはオルフェもこれまでお目にかかった事はないが)
キラ・ヤマトを味方に引き込めていれば違った展望もあっただろうが、ジャガンナートの処遇に関しては早いか遅いかの違いでしかない。
デスティニープランはナチュラルとコーディネイターの垣根を取り払い融和させる可能性を秘めているが、ジャガンナートはそんなものを認めはしないだろう。彼のようなコーディネイター至上主義者は新たな時代を迎える為には排除しなければならない。
『現行の政治体制では戦乱が繰り返される』と民衆に印象付けた時点で最低限の役割は終えている。後は本人の望み通りナチュラルと殺し合って果ててしまえばいい。
「オルフェ」
通路の反対方向からイングリットがやってきた。人一人分の距離を開けて両者は静止。
彼女の長い髪が前方に流れて顔に触れたので振り払うとイングリットは少し恥ずかしそうにした。
「私が留守の間、ラクスから目を離さないように。ただ、コンパスの連中が迎えに来たら大人しく引き渡していい」
「……大丈夫なの?」
イングリットの顔にはありありと躊躇が浮かぶ。
ラクスが計画の要だというアウラの言葉を信じているのか、それとも他のアコードのようにラクスを慕っているからか。
「どうせここにいた所で彼女が我々に賛同する事はない。だったらせめて話が通じる相手だと思わせた方が得だろ?」
「陛下はそうは思っていないようだけど……」
「はっ」
あまりのおかしさに笑ってしまう。
一応、オルフェも実際にラクスと会うまではどんなに儚かろうがアウラの妄執に同調する可能性が0だとは言い切れなかった。
だが今なら絶対の確信を持って有り得ないと言える。まだキラ・ヤマトがブルーコスモスになるとかアスラン・ザラが父の跡を継ぐという方が現実味がある。
「ラクスがそんな人間だったならこんな回りくどい事をしなくても世界は彼女の物だったよ。私も楽が出来た」
いや、逆に心労が増えたかもしれないと思いつつイングリットの肩に手を置く。
「では頼む」
「……ええ」
そのままイングリットの肩を支えにして前に進んですれ違う。
ラクスの世話をさせるのはイングリットが最適、というより他に候補がいなかったのだが、元々迷いが見られるイングリットがラクスと長時間一緒に過ごすと感化されるかもしれない。
そうなった場合、アウラは激怒するだろうがオルフェとしてはそれも良いと思う。なんならラクスと一緒にコンパスに送り出しても構わない。
イシュタリアに核ミサイルが迫る最中にイングリットから漏れた悲痛な思念。あれで彼女はここにいるべきではないと再確認した。
今は彼女の心を読めない。
他のアコードが本心を隠していたのなら相応の対処をしていたが、彼女に限っては大丈夫な筈。
けれど隠す以上はファウンデーションを滅ぼそうとした自分に対して嫌悪感を抱いていても不思議ではない。
寂しさもあるが彼女の反応が人としては正常なのだろう。
──隠棲して世間から忘れられる、か。
脳裏を掠めるのはラクスとのやり取りで己が発した言葉。
いっそ自分も何もかも捨てて……
そんな気の迷いが生じた瞬間、背後から無数の視線がオルフェを射貫く。
そこに込められているのは怒り、憎しみ、そして無念さ。振り向かずとも視線の主達が誰なのかオルフェは心得ている。
「ああ、分かっているとも。逃げたりはしないさ」
返事は、ない。
そもそも最初から背後には誰もいない。それでもオルフェはしばらくその場に立ち尽くしていた。