居住区を通り過ぎ、艦の後部へと赤い髪を揺らしながらフレイは向かう。途中、開かれたドアからオルガとシャニが自分達の本や音楽に集中しているのが見えたが、気にも留めずにその前を通り過ぎる。
今日は作戦が成功したからか、
これまではずっと、あの忌々しいモビルスーツ達に邪魔をされて思うような戦果を挙げる事ができなかった。それでもフレイは彼らと違い、
…だが、戦闘が終わった彼らのあの苦しみ様は一体何だったのだろう。普段から粗雑で、暴力的で、戦闘中も冷静とは程遠い立ち回りで只管に暴れ回る、まるで獣のような彼らをフレイはこれっぽっちも好んではいない。しかし凶暴な彼らだからこそ、あの苦しみ方は逆にフレイの気を留めた。
「…何を考えてるんだか」
彼らの事について考えようとした所で、頭を振って思考を止める。
あんな人達の事を考えて何になるというのか。別に親しくもなく、互いに求めるのは戦場で足手纏いにならない立ち回りだけ。そんな相手の為に割く時間とリソースが勿体ないというものだ。ただでさえ一人撃墜され、モビルスーツという点においての戦力は他陣営と比べて不利だというのに。
ザフト陣営にはレイダーをまるで子供のように扱い、瞬殺したガンバレルを独自に発展させたと思われる武装を操る機体に、先日交戦した赤い機体─────どちらも核動力を搭載していると考えていい。他にも同様の最新鋭機を備えていても可笑しくないだろう。
そしてオーブ陣営にも言うまでもなく、厄介な機体が揃っている。フリーダムとハイペリオン─────これらと比べて一段性能こそ劣るが二機のストライクにスピリットも油断はならない。何より─────ゼノス。
ボアズでの戦いには姿を現さなかったが、次は果たしてどうか。このまま黙って、プラントが宇宙の藻屑になるのを見ているだけという事はないだろう。必ずどこかで、自分達の戦いに介入してくる筈だ。
無重力ブロックへ入り、展望デッキに辿り着く。ガラスの外へ広がる無限の宙を眺めながら、フレイはふと違和感を覚える。
─────あれ…、私、なんで…───
「こんな所にいたのか」
ドアが開いた音も耳に入らず、自身の後に誰かが展望デッキへと入って来た事に気付いたのは背後から声を掛けられた後だった。
驚き振り返り、そこに立っているのが自身の上司だと気付いた彼女の胸の内に広がるのは、暗く冷たい虚ろな闇。フレイから向けられる目に冷たさが宿っている事に気付かず、
「機体の整備は済んでいるのか?」
「私の手が必要な箇所は済んでいます。後は整備士に任せても問題ないと判断しました」
「そうか。次の戦いの勝利にお前の力は必須だ。…抜かるなよ」
ジブリールから向けられる視線に気付きながら、フレイはそれを見返そうとはしない。
フレイ自身、この男に良い印象などこれっぽっちも抱いていない。どこまでも身勝手で、横暴で、どんな時でも引き返す事も弱音を吐く事すらも許さず、常にフレイを追い込み続けて来たこの男─────ジブリールを上司として仰ぎながらも、敬意の念など微塵も持っていなかった。
ただ復讐を達する為にこの男についていくのが手っ取り早かった。この男と共にいるのが最も早く力を手に入れる事ができた。フレイにとって、ロード・ジブリールという男はその程度の存在に過ぎない。
だが、当のジブリールは違った。彼はフレイに対してただならぬ感情を抱いている。
「次の戦いで戦争は終わる。だがお前はこれからも、私の傍らに居続けるんだ。総てを制する覇者の隣に立つのは、
「…」
その手で赤い髪を一房掬い、自身の鼻に擦りつける。これが想いを通わせている男女同士だったのならさぞ絵になる光景だったのだろうが─────生憎、フレイからすれば怖気が奔るだけだ。それでもジブリールに悟られないよう震えを押さえ込んでいる所は流石というべきか。
「そう、お前に敗北は許されん。その相手が例えゼノスでも」
「─────」
無気力にジブリールの言葉を聞き流すだけだったフレイだったが、彼の口からその一言が発せられた瞬間、彼女の瞳に色が灯る。
「えぇ。必ず勝ってみせる」
「あぁ─────それでいい」
自分に酔っているのか、似合わない微笑みを浮かべながらジブリールは片腕でフレイの身体を抱き寄せる。
ジブリールはフレイに好意を寄せている─────自意識過剰でも何でもないだろう。フレイはそれに気付きながら、決定的な一線を超える事以外はジブリールの好きにさせていた。こうして抱き締められるのも、両手の指で数えきれないくらいにはやられている。
こんな事を好きでされている訳ではない。しかし、反抗して機嫌を損ねられても面倒なだけ。衝動的に抵抗しそうになる全身を、理性で縛り付ける事でジブリールにその身を委ねる。
─────フレイ。
「っ─────」
そう、こんな事は日常茶飯事。いつも通り、一線を超える事だけは躱しつつ、この男が満足するまで耐えれば良いだけだった。それなのに─────あの
「…どういうつもりだ?」
初めは何が起こったか分からず、目を丸くして驚いているだけだったジブリールが目尻を吊り上げ、冷たく問い掛ける。
だがむしろ、何が起こったのか─────自分が何をしたのか理解できずにいるのはフレイの方だ。
とっくに慣れた筈だった。一回り年上の相手にべたべた身体を触られる嫌悪感など飲み干せる筈だった。
それなのに─────どうして?
「申し訳ありません。…まだ少し疲れているので、部屋で休んで来ます」
「…そうか。最後の戦いに影響が出ないよう、しっかりと休息をとるんだぞ」
「…お気遣い感謝します」
我ながら酷い言い訳だ。ジブリールも決して納得などしていないだろうが、素直に行かせてくれるのならばそれに甘えさせてもらうとしよう。
ジブリールの横を通り過ぎ、開いたドアを抜けて展望デッキを出る。デッキへ来る時と同じように、先程も通り過ぎたパイロット達の休憩スペースの前を抜け、居住区内の自室へ駆け込む。
部屋の中へ入り、ドアが閉まる音を聞いたフレイは大きく息を吐きながら、閉まったドアに背中を預けてずるずると座り込んだ。部屋の明かりも点けず、天井を仰ぎながら呆然と先程の自身の行動と、それ以前に覚えた違和感について思い直す。
「どうして…」
それは先程も内心で呟いた一言そのもの。フレイ自身、理由などさっぱり分からない。だが、心当たりはある。
突然脳裏を過った、ゼノスのパイロットの声のせいだ。あの声を思い出した途端、何かを考える前にフレイはジブリールを突き飛ばしていた。
その時の光景、手の感触を思い出しながら、ふらふらと立ち上がったフレイはベッドへと身体を投げ出す。
「わたし…、なんで─────」
ベッドに横たえた身体を両手で抱える。さっきから嫌悪感が止まらない。まるで彼女の身体が、全霊を以てジブリールに触れられた事への拒否反応を示しているかのようだった。
繰り返すが、決してフレイ自身が望んでジブリールの好きにやられている訳ではない。許されるのならば、突き飛ばすだけに留まらず、あの気色の悪い顔面をこの手で、物理的に更に歪ませてやりたいくらいだ。
その嫌悪感と衝動を理性で留めていたのが、あの声を思い出した瞬間それが出来なくなった。
現象自体も不思議で仕方ないのだが、今のフレイにとってそれ以上に疑問な事があった。
今、フレイはその現象について
復讐を成す為にフレイはジブリールの下に就く事を選択し、自身で定めた一線を超えない限りは彼の好きにさせようと決めたのもフレイだ。その選択を、ゼノスのパイロットの声によって捻じ曲げられた─────なのに、フレイはそれに嫌悪を覚えていない。
「─────」
あのゼノスと戦って─────違う。あのパイロットと言葉を交わしてからだ、色々と可笑しくなったのは。
知ろう筈のない相手の声に惑わされ、挙句の果てに展望デッキに来た時にフレイは思ってしまった。
─────どうして私は一人なんだろう?
昔は周りに誰かがいた気がした。これと似た景色を、心赦せる誰かと見た事がある気がした。
いつも晴れやかに、誰かと笑い合って、時には喧嘩もして、そして─────。
─────フレイ。
まただ。戦場で初めてその声を聞いた時、フレイは復讐を求める衝動で内心から生まれるある感情を捻じ伏せていた。戦闘中に湧き出すアドレナリンもあり、それを気にする事はなかったが今は違う。
フレイの中から湧き上がり、身を包み込もうとする安心感を留める事ができない。
「貴方は、誰?」
もう一度会わなければならない。もう一度言葉を交わさなければならない。勝つ負ける以前に、そうしなければ前に進めない─────フレイはそう直感した。
ゼノスのパイロットが何者なのか…、自身のこの感情が一体何なのか。それを確かめる為にも、フレイはゼノスとの再戦を渇望する。
地球軍艦隊は補給を終え、再び進撃を開始した。次の目標は当然、プラント本国だ。
一方のプラント本国の前面に築かれた軍司令本部からは、モビルスーツ隊が続々と飛び立っていき、また戦艦がその周囲にずらりと並んで幾重の防衛線を形成している。
『ナチュラル共の野蛮な核など、もうただの一発とて我らの頭上に落とさせてはならない!』
敵の襲撃に備える兵士達に向けて、エザリア・ジュールが演説を行っていた。
『血のバレンタインの折、核で報復しなかった我々の思いを、ナチュラル共は再び裏切ったのだ!最早、奴らを許す事はできない!』
地球軍による再度の核使用は、プラントのコーディネイター達に大きな危機感と更なる憎しみを掻き立てていた。
この演説に同調し、声を上げる兵達も多くいる。その声をイーラのコックピット内で聞いていたロイが、静かにほくそ笑んでいた。
「何が核で報復しなかった我々の思い、だ。億の人間を殺したのを棚に上げてよく言うぜ。流石の俺でもここまでの恥知らずにはなれねぇってもんよ」
他の誰かに聞かれないようイーラ側の通信は切っておき、嘲りの感情を隠さないままロイは吐き捨てた。
エザリアの言う通り、血のバレンタインの報復としてプラント側は核を使う事はなかった。その結果、どうなったかといえば、地球上で死者は十億にまで上り、その中にはプラントに移住せず残っていた同胞も含まれている。
対して血のバレンタインにて犠牲になった人数は二十四万三七二一人─────桁が違うにも程がある。
ロイですら驚いた事ではあるが、何とプラントに住んでいる者達はこの二つの事件によって生じた死者数の差を知らない。軍人ですら知らない─────プラント上層部はこの情報を秘匿しているのだ。これを思い知った時が、ロイが生きてきた中で最も笑った瞬間といっていいだろう。
そんな奴らが上を仕切っているのだから、こんな愉快に素敵な展開になるのも頷けるというものだ。
『ザフトの勇敢なる兵士達よ!今こそ、その力を示せ!奴らに思い知らせてやるのだ─────この世界の新たな担い手が誰かという事を!』
よくもまあここまで傲慢になれると呆れながらも、それは自分も同類だと思い直して自嘲の笑みを浮かべる。
悪い癖とは自覚している。だが、どうしても面白いと感じたものに対して抑えが利かない─────今もそうだ。
エザリアの演説などどうでもいい。プラントを守るとか、核を撃たせないとか、心底興味がない。むしろ核の一発でもプラントに当たって、この演説をしている奴の発狂する姿が見たいとか、そちらの方に興味があるくらいだ。
ロイが望むのは、狂乱。もっともっと、憎悪に満ちろ、そして狂い踊る様を見せて欲しい。
その中で─────
「もしあの方が出しゃばってきたら─────
ロイは死そのものを恐れてはいない。自身の全てが満ち足りてさえいれば、むしろ満ち足りた瞬間に死ぬ事ができればどれ程幸せだろう。
「…浸ってる場合じゃねぇな」
先の幸福よりも、目の前の快楽。後にどれだけの幸せが待っていたとしても、ロイはそれを捨て去ってでも目の前の楽しさを選ぶ。
宇宙空間に浮かんだ巨大なリング型の軍事衛星周囲の宙域が、艦隊とモビルスーツで埋め尽くされていく。プラントにある全ての兵力が集結し、そしてそれらは同一方向に視線を向ける─────地球軍艦隊が進撃してくる方向だ。
ロイもまたそちらに目を向けて、そして獰猛に笑みを浮かべる。
もうすぐ大量の得物が来る。さあ、今日はどれだけ喰らう事ができるだろう─────自分の欲望を、ほんの少しでも満たしてくれるだろうか?
目前に迫る戦闘を前に、ロイはまるでプレゼントを待つ子供の様な心持ちでその時を待つのだった。
地球軍艦隊の進撃と、プラントの全戦力投入─────そして彼らもまたプラントへの航路を一心に進んでいた。
アークエンジェル、エターナル、ドミニオン、クサナギ、各艦のカタパルトデッキではモビルスーツが発進準備を整えて、パイロット達もコックピットの中で息を殺し、出撃の時を待っている。
「核を…たとえ一つでも、プラントに落としてはなりません」
ラクスの透き通った声が、回線を通して同盟軍に属する全ての者達に届けられる。
「撃たれる謂われなき人々の上に、その光の刃が突き刺されば、それはまた果てしない涙と憎しみを呼ぶでしょう」
他の機体に先んじて、エターナルからフリーダムが、アークエンジェルからハイペリオンが発進する。
「わたくし達は、間に合わなかったのかもしれません…」
艦橋でそれを見ていたラクスが通信を切り、ふと呟く。彼女の白い顔には、微かな悲しみが刻まれていた。
際限なく戦い続ける未来が嫌で、その果てに待つ滅びの結末を認められず集結し、戦う事を選んだにも関わらず、彼女達は地球軍に核を撃たせてしまった─────間に合わせる事ができなかった。この行動も、何もかも手遅れになるかもしれない。
その不安が彼女の中に過る。
『ラクス』
艦橋に映像と共に通信が入ったのは、その時だった。
俯いていた顔が、耳に入って来た声に反応してパッと上げられる。その声をラクスが聞き間違う筈もない─────愛しいユウの顔だった。
ユウは映像越しにラクスの顔を見て、そして微笑みながら言う。
『何を全部手遅れだったみたいな顔してるんだよ。…まだ何も終わっちゃいないだろ?』
「ユウ…」
『だからそんな顔をするな。大丈夫、まだ間に合うから』
「─────」
まるで自身の心情を見通しているかのように、ユウはラクスへ慰めの言葉を掛ける。
─────今すぐユウに会いたい。会って、この腕で抱き締めて、彼の存在を感じたい。
そんな衝動は今は抑えて、ラクスは自然と浮かんだ笑顔をユウへと向けて頷き返すのだった。
『もう大丈夫だな』
「えぇ。…ユウ、ご武運を」
『あぁ』
このやり取りを最後に通信は切られる。
そこにもう、躊躇いに揺れていたラクス・クラインはいなかった。
「ミーティア、リフト・オフ!」
ユウと言葉を交わすラクスの変化を見守っていたバルトフェルドが、小さく笑みを零しながら号令を発した。
それと共に、エターナルの艦首側部に備えられた砲台のカバーが外れ、船体から静かに離れていく。
ミーティアと呼ばれた二つの砲台は、自動制御で変形しながらフリーダムとハイペリオンを迎え入れる。
Mobilesuit Embedded Tactical Enforcer─────エターナルの艦砲として運用する事ができると同時に、ザフトの核エンジン搭載型モビルスーツ用のアームドモジュールだ。
これを装着する事で、本来ならば望みえない程の火力、推進力をモビルスーツは得る事ができる。
最早過剰にさえ思える火力を身に着けた二機のモビルスーツが凄まじい加速で飛び出し、その後にエターナルを初めとした四隻もまた続く。
─────まだ何も終わっていない。まだ間に合う。
自分達が望む未来はまだ、憎悪の闇に呑まれていないのだと信じて、彼らはこれ以上の悲劇を繰り返さない為に発進するのだった。
昨日投稿出来なかったので、出来たら今日中にもう一話投稿したいと思っています…。