レクリエーションルームのソファに腰を下ろし、コーヒーを飲みながら一息を吐くシン。先程まで格納庫で機体の整備をしていた彼は、作業が一段落してここで休息をとっていた。コーヒーを呷り、飲み干してから息を吐きつつシンはすでに慣れてしまった艦の
ミネルバはすでにカーペンタリアを出港しており、護衛のボズゴロフ級戦艦ニーラゴンゴと共に針路をユーラシア西部へと向けている。これからシン達が向かうのは現在内乱が起きて状況が複雑化している地域だ。ジブラルタルの鼻先にあるスエズ─────そこでは地球軍が対ジブラルタル基地用の拠点を構えており、その攻略にミネルバが駆り出されたのだ。
てっきり宇宙へと戻るとばかり考えていたシンは、ミネルバへと下りた命令を耳にして驚きを隠せなかった。といっても、シンが驚かされたのはその命令だけではないのだが─────。
再び缶を呷るシンだったが、中のコーヒーが殆どなく口の中に少しの物足りなさを感じる。
「あら」
中身が空になった缶を捨てるべく立ち上がろうとしたシンは、扉が開かれる音がして振り返る。そしてレクリエーションルームへ入って来たルナマリアと目が合い、立ち上がるのを取りやめた。彼女はシンがいた事に目を丸くしながら、手元の財布を弄びつつ自販機の前へと立つ。
「こんな所にいたのね。
「え?」
ルナマリアがシンの姿に驚いた後は、シンがルナマリアの口から出て来た名前に驚く番だった。
まあ、突然現れたぽっと出のFAITHがタリアを超えて上に立たれるというのも複雑だったしその辺は安心したが、しかしシンはルナマリアの先程の台詞に内心首を傾げる。探してた、とは一体何なのだろう?何か用事でもあったのだろうか。
「パイロット組の中でシンとはあまりちゃんと話せてないから、って」
「…そう」
何か戦闘中のフォーメーションやら、何か大切な話でもあるのかと思えば単に自身とコミュニケーションをとりたかっただけらしい。気にして損したとばかりにシンは興味なさげに溜め息を吐いた。
「なーに?ハイネの事、気に入らない?」
「気に入らないっていうか…、いきなり現れた奴の事をそんな簡単に受け入れられるルナの方がおかしいんだよ。名前で呼んじゃってるし…」
「アンタねぇ…、今更何言ってるのよ?来ちゃったものは来ちゃったんだから、そんなものどうしようもないでしょ?それとも次の出撃でろくに連携取れずに死にたいの?」
「そんなんじゃないけどさ…」
突然現れたあのFAITHの男にマイナスの感情を抱いている訳ではない。確かにいきなり艦に配属されて、その上いきなり自分達を率いる隊長となった事への戸惑いがない訳ではないが…。
ハイネという男がいい人なのだろうというのは、顔合わせというほんの短い間の中でも感じ取れた。だが、どうも苦手だ。シン側から避けていたのもあるが、知らない間にルナマリアはハイネと呼び捨てにするまでに打ち解けている。レイも流石にそこまでではないだろうが、顔合わせ時の反応を見る限りハイネに対して好印象を抱いている様に思える。
まだ数日も経たずにハイネはミネルバクルーに溶け込んでいる。それはハイネの持つ明るい性格とコミュニケーション能力が成せる業なのだろうが─────シンはどうもそれが受け入れ難かった。油断していると、自分にとって触れてほしくない内側にまで踏み込んできそうだから。
「…ハイネ、良い人よ?」
「…分かってるよ、それは」
そう、そのくらいはシンとて分かっているのだ。ハイネがどういう人なのか─────悪意を以て自分達に関わりに来ている訳ではない事くらい。
しかし、あの人に慣れるまでは少々時間が掛かりそうだと、シンは溜息を吐きながら内心鬱々と感じるのだった。
大小の島影が散らばるインド洋上に、巨大な艦影が浮かんでいる。地球連合軍空母J.P.ジョーンズだ。艦内には第一戦闘配備発令による艦内アナウンスが響き渡り、クルーが慌ただしく動き回っていた。
『当部隊のウィンダムを全機出せだと!?何をふざけた事を!』
艦橋でも出航への準備が進められる中、仮面の少女が受話器を握りそこから聞こえて来る怒り心頭といった男の怒鳴り声に対して何ら怯む事もなく言い返していた。
「相手はボズゴロフ級とあのミネルバよ。この間のオーブ沖海戦のデータは送った筈だけれど?正直、貴方の所の戦力を足したとしても、墜とせるかどうかわからないのに」
少女─────ネオ・ロアノークはJ.P.ジョーンズが駐留していた基地の管理者と交渉をしていた。交渉というより、ネオと相手の立場の違いから最早命令という方が近いかもしれない。
『そういう事を言っているのではない!我々はここに、対カーペンタリア前線基地を造る為に派遣された部隊だ!その任務もままならないまま、貴下にモビルスーツ等…!』
そちらの事情などネオにとっては知った事ではない─────が、彼の言う任務の為というご立派な理由の裏で何が行われているのか…それを知っている彼女には笑い話にしか聞こえず堪える事が出来なかった。
『何が可笑しい!?』
当然、交渉相手は笑われた事に激昂する。いけない、と思いつつも中々収められない笑いに悪戦苦闘しつつ、ネオは口を開いた。
「いいえ、ごめんなさい…。自分達は
『ッ─────!?』
受話器から聞こえる動揺の声。次の返答が聞こえて来るまでの数秒、ネオは黙ったまま待つ。
『そ、それは…!基地建設へ大規模に動けばザフトの目に留まる!だから─────』
「理由なんてどうでもいいのよ。重要なのは事実─────これを公表すればどうなるかしらね?上はちゃんと貴方を守ってくれるのかしら?自分達が命令した事だから、貴方を許してやってほしい…って」
静かに問い掛ければ、男が息を呑む音がした。理由などどうでもいい。たった今ネオが言ったように重要なのは事実─────基地建設の為に現地に住む人達に強制労働を課し、非人道的な扱いをしているという事実だけ。それが明るみになればどうなるか、あまり良くはないお頭でもすぐに分かったらしい。
「ここの防衛にはガイアを置いていくわ。時間もあまりないし、急いでね」
『…分かり、ました─────っ』
これ以上の反論はできず、指示に渋々従うしかない男の苦渋に満ちた声など気にもせずネオは通信を切ってモニターを見下ろす。眼下のモニターには特徴ある熱紋がハッキリとターゲットを─────ミネルバの名を指し示していた。
「ジョーンズは所定の場所を動かないで」
艦長に命じてネオは身軽な動作で艦橋を後にする。今回は初めから指揮官としてではなく、パイロットとして出撃するつもりだった。こちらにある艦は現状空母のみ。基地の建設は機密事項故、当然戦艦などは置いておけない。こちらが取れる手は、モビルスーツの数で敵を包囲し押し潰す事のみ。
「それで一度負けてるってのに、それしかできないなんてね…」
ミネルバの位置を掴めたのはいいが、如何せんこちらの戦力が整っていない。というより、ミネルバは一度宇宙へと戻ると予測していたネオはそちらへと戦力を整えようとしていたのだ。モビルスーツは一先ず現地調達で帳尻を合わせる事ができたが、ネオ自身の機体はこの場にない。この場はウィンダムに乗り込むしかないだろう。
パイロットスーツも纏わず格納庫へとやって来たネオは、すでに準備を終えて三機立ち並ぶカオス、ガイア、アビスの足下で何やら話している三人を見つけた。一人の少女は悲し気に表情を染めており、それを二人が慰めている。こんな状況だが心温まる光景に仮面の下で微笑みが浮かんだ。
「何を話してるのかしら?」
「っ、ネオッ!」
彼らに歩み寄って声を掛ければ、ネオに気付いた三人。その内の一人、
ネオはステラを抱き留めながら一回転して勢いを逃がしてから、頬すりをするステラを優しき引き剥がす。
「こらステラ、危ないでしょ?これから出撃なのに怪我したらどうするの」
「…でもステラ、皆と一緒に行けない」
ステラの行為を優しく諭すと、彼女は不満げに唇を尖らせながらそんな事を言った。それを聞いてネオはなるほど、と思う。どうしたのだろうと思ってはいたが、ステラが悲しそうだったのは
今回の戦場は海上となる。カオスは大気圏内での飛行能力を持ち、アビスは言わずもがな水中戦用のモビルスーツだ。だがガイアはそのどちらも持ち得ない。今回、ガイアは戦闘に参加する事が出来ず、それがステラにとって不満だったらしい。
「仕方ないでしょう?でも、いざって時は貴女に頼らせて貰うからね」
「本当?」
「えぇ。だから、絶対に戦場から目を逸らさないで。敵の動きをしっかりと見ていなさい」
「…うん」
まだ納得し切れてはいなそうだが、先程よりも表情は晴れている。最後にステラの頭をくしゃり、と撫でてからネオは残りの二人─────アウルとスティングに向き直った。
「行くわよ」
「あぁ」
「ヘヘッ!」
ネオに言われた二人は嬉しそうに破顔しながら頷き、機体へと乗り込んでいく。遅れてステラも機体へと乗り込んだ事を確認してから、ネオもまた急ピッチでカラーリングされた赤紫のウィンダムへと搭乗した。
ハッチが開かれ、最初にカオスとアビスが飛び出して行く。それに続いてネオのウィンダムが開かれたハッチの前へと立つ。
「ネオ・ロアノーク、出るわよ!」
針路の先でネオ達が動き始めたのと同じ頃、ミネルバでも緊迫した状況を掴んでいた。
「艦長!接近する熱紋あり!─────ウィンダムです、数三十!」
熱源探知モニターが捉えた光点を照合したバートが声を上げる。思わず彼を見上げて聞き返しそうになった口を閉じ、状況を整理する。
三十等という数のモビルスーツが偶然付近を哨戒している、なんてあり得ない。これは必勝の構えでこちらを攻撃しようとしている敵で間違いないとタリアは判断する。
その時、バートの顔が更に強張った事に彼女は気が付かなかった。
「うち一機は、カオスです!」
タリアの背後でバートが発した報告に、彼女の肌が一瞬粟立った。
まさか─────
「…バート、付近に母艦は?」
「いいえ、確認できません」
どういう経緯であれ、立ちはだかるのならそれを打ち破るしかない。そう思考を切り替えてタリアがバートに問い掛けるも、返って来たのは彼女が期待した答えではなかった。
三十機ものモビルスーツを搭載しているというなら、敵艦隊はかなりの規模の筈。だが近くに戦艦は見当たらないという。ならば、一体どこからそれだけのモビルスーツを持ち出したというのか。モビルスーツ隊が出撃した後、こちらのセンサーに掛からない距離まで後退したのか。或いは、こちらが掴んでいない基地がどこかにあるのか─────。
「─────艦橋遮蔽。対モビルスーツ戦闘用意。ニーラゴンゴとの回線固定」
考えるのもいいが、それよりもこちらの体制を整えなければならない。艦内に警報が鳴り響き、艦橋が戦闘ステータスへ移行する。まずは向かってくるモビルスーツ隊に対して迎撃態勢を取らなければ話にもならないのだから。
『グラディス艦長』
その時、手元のモニターが起動して相手の顔が映し出される。その顔を目にしたタリアは内心、僅かに緊張した。
『地球軍ですか?』
「えぇ。どうやら待ち伏せされたようだわ」
この艦にいるタリアと同格の指揮権を持つハイネに問われ、彼女は頷いて答えた。
「すでに回避は不可能よ。本艦は戦闘に入ります。─────貴方は?」
タリアは状況を告げてから、戦闘に入る前にハイネへ確認しなければならない事を問い掛ける。
「私には、貴方への命令権はないわ」
一つの艦に二人の指揮官。タリアはハイネへ命令する事はできず、仮に彼が今回の戦闘に対し出撃を拒んだ場合それを跳ね退ける事はできない。
タリア・グラディスとハイネ・ヴェステンフルス─────二人の関係性は確かな緊張を孕んで致し方ないものだ。しかしそれを感じさせない柔らかな笑みを以て、モニターの中のハイネは口を開いた。
『ミネルバの艦長は貴女でしょう。ならば私は、貴女の指揮下に入ります』
「…いいの?」
『今の私はこの艦の一搭乗員です。なら、グラディス艦長の指揮に従います』
タリアの表情が和らぐ。ここでもしハイネから拒まれれば、と不安が過っていたがそうはならなずに心の底から安堵する。自身の半分ほどしか生きていない少年の冷静さに内心感謝をしながら、タリアは飽くまでも同格の者として、先程より親しみを含んだ口調で尋ねる。
「なら、発進後のモビルスーツの指揮をお任せしたいわ。いい?」
『了解』
ハイネは頼もし気に頷いた。モビルスーツの事なら彼の方が心得ているだろう。彼が来てからのクルー達の評判を聞く限り、シン達を上手く導いてくれる筈だ。
先延ばしにしていればこれから先、ずっと付き纏っていたであろう艦内の問題を早めに解決できた事に安堵しながら、タリアは通信を切った。
『インパルス、
メイリンの声が通信を通して響き渡る中でシンは発進シークエンスに従ってコアスプレンダーを起動していた。
ザクにはフライトユニットがなく空中戦には参加できない。よって、先んじてこれから発進するのはインパルス、そして新しくこの艦に搭載された
ZGMF-X2000グフ・イグナイテッド─────ハイネのパーソナルカラーであるオレンジ色に染められたこの機体はルナマリア、レイが乗るザクの後継機としてつい最近にロールアウトされた機体だ。このグフには大気圏内飛行可能なフライトユニットが搭載されており、インパルスと同じく空中戦を可能とする。
インパルスやザク同様装備の換装を可能とした機体だが、グフの場合は両腕と両脚を換装できる機体構造を有しており、これらの機体とは異なる武装換装案が採用されている。といっても、ハイネの場合は現在のグフの形を気に入っているらしく、その他の形式の武装はこの艦にはない。一度他のグフの武装とやらも見てみたいが、暫くの間はそれは叶わないだろう。
コアスプレンダーの起動を終えると、並行してグフがカタパルトへ運ばれていく。その時、通信回線が開いてハイネの顔がモニターに映った。
『シン・アスカ』
いきなり呼び掛けられて、シンは反射的にどきっとした。こちらの勝手な苦手意識で避け続けて、いつかはちゃんと腰を据えて話すべきだとルナマリアとのレクリエーションルームでの会話を機に考えていた矢先の今回の戦闘。
「はい」
苦手意識を未だ拭えない相手からの呼び掛けに狼狽しながらもそれを押し隠して答える。するとそんなシンの緊張を察したのか、流石にその理由までは悟られていないと思うが、ハイネが優しく声を掛けて来た。
『そう固くなるなよ。お前の力なら大丈夫だ。…それと、発進後の戦闘指揮は俺が執る事になった』
今回の出撃に対しての緊張、そう思ってくれるのなら有り難い。それに戦闘指揮についても、ハイネがFAITHな以上それは当然の事だろう。
「了解」
『頼むぞ、当てにしてる』
そうやってハイネが自身の上に立つという事を素直に受け入れられるのは、やはりハイネの人柄故だろうか。今もこうして聞いていてむず痒くなるような事をサラッと言ってのける彼を苦手に感じるなんて、とシンは微かな罪悪感を抱きながら操縦桿を握った。
「シン・アスカ!コアスプレンダー、行きます!」
しかし今はハイネと話をしたり、謝罪をするべき時ではない。それはこの戦いを生き延びた後にならばいくらでも時間はある。
続いて射出されたパーツとの合体を熟し、右舷ハッチから飛び出して来たハイネのグフと共に、徐々に近付いてくるウィンダムの編隊へと向かっていく。
すでに敵の部隊は肉眼で確認出来る程に近く、分と経たずに接敵する所にまで近付いていた─────。