ヨーロッパ北部に位置する、スカンジナビア王国─────現在こそ世界安全保障条約機構に加盟しているが、それ以前は長らく中立を保ち続け、オーブとも親交の深い国だ。オーブを出立したアークエンジェルは今、国内にあるフィヨルドの底に身を隠していた。予めカガリが秘密裏にスカンジナビアへコンタクトを取り、アークエンジェルを匿ってもらえるよう計らってくれたのだ。
キラ達がオーブを発ってから一週間が経つ。その間、ラクス直轄の諜報機関ターミナルの協力を受けながら情報収集に徹していた。現在も艦橋のモニターを全て起動し、各放送局のニュースを流して目ぼしい情報はないかと耳を傾けている所だった。
「いやぁ~、毎日毎日気の滅入るニュースばかりだねぇ」
カップを片手にそれを眺めながら、バルトフェルドがやれやれと息を吐いた。今回の開戦を受けて、市民感情の爆発によるデモ等のニュースも流れており、赤道連合にあるとある国では死傷者千人にものぼる大規模なデモが起こっているらしい。
まさにバルトフェルドの言った通り、気の滅入るニュースばかりが流れる日々の中で、キラ達の間に漂う空気も重苦しいものとなっていた。
「もっとこう、気分の明るくなるニュースはないもんかね?」
「水族館で白イルカが赤ちゃんを産んだ、とか?」
「いや、そこまでは言わんが…」
しみじみと呟くバルトフェルドをアイシャが茶化した。それまで黙ってニュースとバルトフェルド、アイシャの会話を聞いていたムウが口を開く。
「しかし、プラントとの戦闘については全く流れないな。ニュースでやってるのは連合の混乱の事ばかりだ」
ここの所伝えられるのは地上の内戦やデモ、紛争に関するニュースが殆どだった。ターミナルが収集した情報を通して、ある程度戦況について把握できているからいいものの、現状流れているニュースに違和感を覚えるのは致し方ない事であった。
「プラントはプラントで、ずっとこんな調子ですしね」
ラクスが言うと、マルチモニターの内の一つをフルスクリーンに切り替える。そこでは派手なコンサート風景が広がっていた。たくさんのスポットライトに照らされて、少々露出が激しい衣装に身を包んだラクス─────いや、ラクスにそっくりな少女が観客の歓声を一心に受けて、楽し気に歌っている。
『勇敢なるザフト軍兵士の皆さぁーん!平和の為、わたくし達も頑張りまあす!皆さんもお気をつけてぇーっ!』
どうやら軍の慰問ライブらしい。歓声に応えて手を振る彼女の姿は一見それらしいが、本人であれば間違いなく言わないような事を口にして兵士達を鼓舞している。
果たしてそれが、国民の戦意を煽っている様に見えるのは考え過ぎだろうか─────。
「皆さん、元気で楽しそうですわ」
「…ラクス、怒ってない?」
「怒っていません」
にっこり微笑みながらも冷ややかなラクスの声を聞き、キラが苦笑を浮かべながら声を掛ける。彼女からの返答が嘘であると、この場の誰もが即座に悟った。
「しかし、誰もこの子の違和感に気付かないもんかね?こんな事、ラクスは言わんだろうに…。ほら、この子の胸だって、本物はここまで─────「お義兄様?」─────ヒュッ」
下世話な言葉を口にしたムウへ、ラクスから氷点下の視線が突き刺さる。彼の傍らではマリューが、やや遠くに立っていたキラとマユからもまた、同種の視線が向けられる。
「ムウさん、最低です」
「…ごめんなさい」
視線だけでなく、マユから冷たく言い放たれたムウがその場で頭を下げながら謝罪した。彼自身、秘密裏に身内を巻き込む形で行われている詐欺行為に腹を立てていたが故の発言だったが、流石にデリカシーがなさ過ぎた。
「…でも、何とかしなくていいんですか?これ」
ムウがラクスを貶める意図を以てした発言ではなく、それと彼の心からの反省を察したラクスからはそれ以上何かを言う事はなかった。だが彼のように目の前で流れている映像に少なくない憤りを覚える者は他にもいた。
マユがうんざり顔した顔でモニターの中の少女を見遣りながら問い掛けた。
「そりゃ、何とか出来るもんならしたいけどねぇ…。だが、下手に動けばこちらの居所が知れるだけだ。そいつは現状、あまりうまくないだろ?匿ってくれてるスカンジナビア王国に対しても」
止めさせられるものなら止めさせたい、というのは全員が共通する本音だ。だがバルトフェルドの言う通り、無暗に動けば彼らの居場所を知られる危険性がある以上、まだ息を潜めるべきだ。
「でも、いつまでもこうして潜ってばかりではいられませんよ」
オーブを出たのは良いが、それ以降何もする事ができていない現状に焦りが出るのもまた事実。特にそれが顕著なのが、この中で最も幼いマユだった。
「だが今はまだ動けない。まだ何も分からないんだからな」
「…そうね」
そんなマユを諭したのはムウだった。それにマリューもまた同意する。
「ユーラシア西側のような状況を見ていると、どうしてもザフトに味方して地球軍を討ちたくなっちゃうけど…」
「そういう訳にもいかないわよね。…ラクスの事を考えると余計に」
マリューから引き継いでアイシャが言う。
ブレイク・ザ・ワールド後のプラントの姿勢は真摯であり、デュランダルの現在までの対応も理性的だった。市民、議会を宥めて最小限の防衛戦のみを行い、決してプラント側から地球側への侵攻は行わない。そして防衛戦と並行して対話での解決を目指す─────どう見ても良い指導者であり、悪い人ではない。その部分だけを見れば。
「これだって、知らない筈がないもの」
アスハ家別邸の襲撃、そしてラクスそっくりの少女─────断じて知らない筈がない。デュランダルが命じているのか、それとも知った上で見逃しているのか、どちらにしても彼らが疑念を抱くには充分な材料だ。
「…あの、ユウさんは?」
「ダメだな。
思うように情報収集が進まない上、頼みの綱である少年が今どこで何をしているのか、その行方も不明なままの現状。しかし彼らはほんの少しだとしても、確実に前へと進んでいる。
「やっぱり、ユウ君は
「だろうな。たまたまにしちゃ出来過ぎてる」
ターミナルから情報が入って来たのはつい先程。彼らが艦橋に集まったのは、その情報を共有する為でもあった。
それは即ち、彼らが探し求めているユウの行方─────彼は先日、コーディネイターの特殊部隊の襲撃を受けたあの日、オーブ領海線付近にまで来ていたという情報だ。アメノミハシラでの停泊記録から、ユウが搭乗していると思われる戦艦の外観を特定し、ターミナルが必死に探った。
結果、ユウはあの日、彼らのすぐ傍にいたのだと知る。理由は言うまでもなく、ラクスを狙った襲撃を予期していたから─────そして。
「私とラクスが感じた感覚─────それが遠ざかったのもきっと、ユウがいたから」
「…」
目線を交わし、頷き合うキラとラクスが感じたという不思議な感覚。キラは強烈な敵意を、ラクスは誘い惑わせるような甘い感覚を─────二人が各々真反対の感情を掴んだという点も気にはなるが、それよりも気になるのは二人が感じた気配が遠ざかっていったという事。その理由はつい先程、ターミナルから送られてきたユウがオーブ付近に来ていたという情報から予測できる。
「キラさんとラクスさんが言っていた気配の主を、ユウ君が追っている─────そういう事なのかしら」
「なら、ウズミ様が言っていた開戦までの流れの中で糸を引いている人物っていうのは…」
マリューとアイシャが目を見合わせ、艦橋に沈黙が流れる。
「…ダメだな。まだ情報がなさ過ぎて確証に至らん。ユウの居場所も特定できていないってのに、やはりまだ動く訳にはいかんな」
仮定を重ねていけば話は繋げていける、が、それが真実であるのかはたまた虚像であるのか、まだ彼らには何も分からない。分からないが故に、まだこの場から動く訳にはいかない─────それをバルトフェルドはマユへ向けて目線で言い聞かせる。
「ユウは
「えぇ。正確にどこへ向かったのかまでは掴めていませんが…」
「どこにいてどこを目指してるのか、全部さっぱり分からんよりも確実に進歩してるんだ。…心配なのは分かるがな」
目を伏せるラクスに歩み寄り、彼女の肩へ優しく手を乗せるムウ。
そう、繰り返すが彼らは着実に前へ進めているのだ。ゆっくりと、着実に─────
「…我々が真実に辿り着く前に、動かざるを得ない事態にならないといいがな」
だがそう時間は多く残されていないのもまた事実。こうして自分達がここに留まり、情報収集に徹している間にも世界情勢は急速に進んでいる。ニュースに流れている通り、内戦で連合内は混乱し、それと並行に戦況も刻々と変化している。つい先日には、ミネルバがカーペンタリアを出港してユーラシア方面へと向かったという。
戦争が歩みを進めている─────この場に二年前を思い出さない者はいなかった。一軍人として戦いに身を投じていた者は特に。今回の戦争が仮に、二年前と同じ道を辿るのであれば、いずれ互いを憎み合い、見境なく相手を殺し合う為の絶滅戦争になりかねない。
そうはさせない為にも、皆戦う覚悟はあった。例えそれが彼らが国を発った目的であるユウに繋がる道ではなかったとしても、そうすべきだと感じたのならすぐにでもその手に銃を取る覚悟が。
─────そうはならないよう祈る裏腹に、無意識に予感していたのかもしれない。いずれ遠くない内に、戦火の渦は更に大きく、銃を手に取らざるを得なくなるのだろうという予感が。
バルトフェルドの小さな呟きは嫌に響き渡り、誰もそれに言葉を返す事ができず、暫しの間沈黙が流れるのだった。
護衛艦をなくし、一隻となったミネルバだったがインド洋以降は襲撃に遭う事はなくペルシャ湾へと入り、ゆっくりとマハムールへと入ろうとしていた。そこにスエズ方面司令本部が置かれており、ミネルバは当面そこに腰を据える事となる。
同じ頃、格納庫では各モビルスーツのチェック作業に追われていた。
「注文通り、センサーの帯域を変えてみた。確認してくれ」
エイブスがハイネへと言い、ハイネが身軽な動作でリフトに飛び乗りコックピットへ入る。手早く作業を済まし、自身の要求通りに仕上がっている事を確認すると、ハイネはコックピットから身を乗り出しながら下のエイブスへと向けて親指を立てた。
「バッチリだ!」
ハイネが声を張り上げそう言えば、エイブスは声にこそ出さないものの手を上げて返す。次の仕事へと移る仕事人の背中を短く見送ってから、ハイネもコックピットから降り、リフトで下階層へと下がる。
「でもいいよなぁ、軍本部の奴らー。ラクス・クラインのライブなんて、ほんっと久し振りだもん!俺も生で見たかったぁー!」
楽し気に話す声が聞こえて来たのはその時だった。赤いルナマリアのザクのメンテナンスマシンの前で、ヴィーノとヨウランが丁度今日の事だ─────プラントで行われたラクス・クラインの慰問ライブについて話していた。
「けど、だいぶ歌の感じ変わったよな。俺、前々から今みたいな方がいいんじゃないかと思ってたんだけどさ…。可愛いよなぁ、最近」
ラクス・クライン─────ハイネ自身特段興味を持っていた訳ではないのだが、彼女の人気は凄まじく、普通に過ごしていても勝手に彼女の歌、ライブ映像というものは目に入って来た。そして同時に、ハイネもまた歌の感じが変わったという、一部ヨウランと同じ感想を抱いていた。二年前はもっと静かで、落ち着いていて、どこか神秘的な印象を抱く歌を歌っていた彼女は、一体どういう心境の変化があったのだろう。
「それに今度の衣装もなぁんかバリバリッ!」
「そーそー!そしたらさ、胸、結構あんのなー!」
思春期少年二人の会話に更に熱が籠っていく。しかしそれ以上はいけないのではないか、とハイネは彼らの背後に立つルナマリアの姿を見て咄嗟に感じた。ヨウランとヴィーノは背後のルナマリアに気付かないまま鼻息を荒くしている。どうも二人はヒートアップしている様子で、周囲の作業員も白い目で見始めている。
そろそろ止めるべきか、とハイネが割って入ろうとするが─────
「今度のあの衣装のポスター、俺、絶対欲し─────」
「ザクの整備ログ、欲しいんだけど」
それよりも先に、冷たくルナマリアが二人へ向けて言い放つのだった。至近距離からその声を聞いた二人は、その一瞬だけ氷点下の如き寒さを覚えた事だろう。やや距離が離れ、声も微かに耳に届く程度だったハイネですら身震いを禁じ得ない程だったのだから。
先程までの熱狂ぶりはどこへやら。顔を青くさせたヴィーノがモニターにデータを表示する。ルナマリアは無言で二人の間に割って入り、手元のチェックボードとデータを照らし合わせている。二人はその顔を恐る恐る窺うが、ルナマリアはチェックが終わると何も言わないまま立ち去ってしまった。何を言われるかと戦々恐々していたらしい二人は、何も言われなかった事にホッと安堵の息を吐いていたが、それは恐らく勘違いだ。ルナマリアの二人に対する評価は急降下している事だろう。
─────まあ、艦の士気に関わる事にならない限りは介入するつもりはハイネにはなかった。個人の親密度については個人でどうにかしてほしいし、それは自身にも当て嵌まる事だとハイネは割り切っていた。
それよりもルナマリアには個人的に話したい事があった。
「ルナマリア!」
呼び掛ければ、ルナマリアはやや不機嫌な様子で振り向く。あんな事があったばかりで仕方ないとはいえ、有無を言わさぬ迫力を眼前に、歴戦の戦士であるハイネですら内心たじろぐ程であった。
「シンの様子はどうだ?」
「─────」
内心の怯みをおくびにも出さず問い掛ける。するとルナマリアの表情から不機嫌さが霧散して、代わりに悲し気な陰のある表情が浮かぶ。それを見たハイネはやはり、と目を伏せる。
「…一見、普段通りには見えるんです。けど、やっぱり気にしてるみたいで」
「…そう、か」
ハイネがルナマリアと個人的に話したかった事とは、シンについてだった。先日インド洋での戦闘中、シンは退却命令を無視して単身で建設途中の地球軍基地と思われる施設に攻め入り、破壊行動を行った。そこでは現地の民間人と思われる者達が強制的に労働を課せられており、それを見つけたシンが正義感を働かせて助けに入った、という経緯だ─────と、初めハイネは考えていた。
施設を破壊し尽くし、家族を隔てていたフェンスを取り除き、艦へと戻って来たシン。卑劣な地球軍人から弱い民間人を救い出し、さぞ気持ち良くなっている事だろうと、怒りに満ち満ちていたハイネの前に現れたのは、彼の想像とは真逆の恐怖に震えるシンだった。
自分は立派な事をしたと胸を張っていれば簡単な話だった。叱責し、それでも分からなければ一発殴って説教をして終わる。その程度の事だと考えていたハイネは、哀れな民間人を救ったヒーローとは到底思えないシンの姿に面を喰らった。誰とも目を合わせようとしない─────いや、誰かと目を合わせるのを恐れているようだった。
何に怯えているのかが分からない。そもそも、何故シンはあの施設をああも過激に破壊し尽くしたのか─────それが疑問だ。戦争という以上、ああいった事は別に珍しくはない。それをシンが割り切れなかったから、と言われればその通りなのだろうが、どうもそんな単純な問題ではない気がする。
「シンの事、ルナマリアから気に掛けてやってくれ。俺の方でも、時間が空いたら話し掛けてみようと思う」
ルナマリアの言う通り、注意深く見ていなければ普段通りに振舞っている様に思える程度には回復しているらしいが、ルナマリアと話してやはりまだシンの中で歯車は噛み合っていないのだと確信したハイネは、改めて時間を見つけてシンと話してみようと決意する。どうもシンは自分に苦手意識を持っているようだが、構っていられない。
自分が関わる事で刺激するのであれば話は変わるが、そうでないのなら話をするべきだと判断したハイネがルナマリアへ言う。すると、ルナマリアの顔が上がり口を開いた。
「あの─────」
「ん?」
別方向へ踏み出そうとした足を止め、ルナマリアへと向き直る。ルナマリアはハイネの方へおずおずと、言葉を吟味しながら話し出す。
「シンは…、理由なくあんな事をする人じゃないんです。あいつ、過去に色々あったみたいで─────私も、あいつから何か聞いた訳でもないから、何も知らないんですけど…、でも…」
「…なぁ、ルナマリア。勘違いしてるみたいだが、別に俺はシンを叱りつけようとしてるんじゃないぞ?」
「─────え?」
いきなりシンを擁護する事を話し始めたルナマリアに一瞬戸惑ったが、やはり勘違いをさせてしまっていたらしい。
「まだ殆ど話せてないけど、俺だって分かってるつもりだよ。シンが好き好んであんな事をするような人じゃない事くらい─────でなきゃ、ルナマリアがこんな心配をする訳ないもんな」
「なっ…、私は別に─────」
頬を染め、照れ臭そうに目を背けるルナマリアに思わず笑みが零れる。
ルナマリアだけではない。同じパイロットであるレイも、表情こそ変わらないものの格納庫に姿を現したシンに度々視線をやっていた。先程馬鹿をやってルナマリアの評価を落としていたヨウランとヴィーノも、シンの様子が可笑しい事に薄々勘付いていたし、何よりこの艦の責任者であるタリアやアーサーもシンについて気を揉んでいた。
破壊活動を好み、自ら進んで行う様な奴がここまでの高評価を受ける筈がない─────シンと未だ殆ど交流のないハイネから見ても一目瞭然だった。
「だから大丈夫さ。解決できる、なんて約束はできないけど、力は尽くす」
「…お願い、します」
「あぁ」
任せろ、とは言えない。何とかできるなんて自信もない。ただ、最初の自己紹介以降、挨拶以外で言葉を交わした事のない少年の為に一肌脱いでやろうなんて今のハイネは考えている─────どうもむず痒く、不思議な感覚だった。