『入港完了。各員速やかに点検、チェック作業を開始との事』
僚艦を失い、更なる襲撃を常に警戒しながらの航行が続いたが無事に目的地に辿り着く事ができた。それを報せる艦内放送を、シンは自室のベッドで横になりながらぼんやりと聞いていた。殆ど聞き流していたシンだったが、作業の指示だけは耳に入れており、ゆっくりと体を起こす。だがシンは少ししてから、起こした体を再び布団の上に投げ出してしまった。
身体が重く、どれだけ休んでも疲労感が抜けない。つい先程までインパルスの整備を行っていたが、殆どスタッフに丸投げしてしまった─────正直申し訳ない事をしたと思っている。後で謝りに行かなければ。
自分がこんな状態になってしまった原因はハッキリしている。インド洋上でのあの戦闘だ─────あの日から、視界にチラつく火の粉が消えてくれない。それは目を閉じようとも関係なく、瞼の裏にこびりついたままシンから離れてくれなかった。どれだけ忘れようと、振り払おうとしても、決して。
「…」
ふと、ベッドライトの傍らに置かれたピンク色の携帯が目に入った。それはシンの手元に唯一残った、家族との繋がり。妹であるマユの携帯だった。マユがこれを落とし、シンがそれを拾いに行った直後にマユ達は─────
─────
「ッ─────!」
胸の奥から急激に込み上げる何かに、堪らずシンは弾かれる様に起き上がり、裸足のまま洗面台へと向かう。
どれだけえずいても、インド洋での戦いから碌に食事を摂っていないシンの口から出てくるのは少量の胃液のみ。少しして、ようやく嘔気が落ち着き顔を上げて鏡を見れば、そこには真っ青の酷い顔をした自身が映し出されていた。
「酷ぇ顔…」
その有様に自嘲の笑みを浮かべながらシンが呟く。我ながら本当に酷い顔だ。確認作業をしなければいけないが、これでは皆の前に顔を出す訳にはいかない。ただでさえ時折、周囲の同僚が気遣わし気な様子を見せている─────特にルナマリアは、シンの体調に微妙に気付いている節さえある。
とにかく休まなければ。先程の嘔吐もあって気分は最悪、心なしか頭痛もしてきた。寝返りを打ち、小さく体を縮こませながら布団に頭まで籠もる。シン自身、意識していた訳ではない。外部から身を隠したいが故の無意識の行動だった。
眠りに落ちるのは意外と簡単で、気付いた時には機体の整備と確認作業を終えたレイが部屋に戻って来ており、シンは彼に起こされた。寝始めてから二時間が経っており、すでにシン以外の全員が入港時の作業を終えたと聞いて慌てて体を飛び起こす。少し眠れたお陰か、気分は少し晴れ、体の重さも多少はマシになっていた。
赤い軍服の上着を身に纏い、部屋を飛び出したシンはすぐに作業を行った。マハムール基地の職員に叱られる覚悟で行ったのだが、職員の人柄が良かったのか、或いは艦の誰かが気を回してくれていたのか─────恐らく両方だろうが、特に何か嫌な事を言われもせず作業を終えたシンは、複雑な気分を抱きながら甲板へ来た。
夕日に染められた岩壁は燃え立つように輝き、くっきりと陰影が際立って見える。一瞬、視界で燃え盛る炎が見え隠れした気がして、反射的に目を閉じた。次に目を開けた時にはそんなものは見えず、夕焼け色に綺麗に染まった岩壁が視界に広がるだけ。
我ながら女々しいというか何というか。早く切り替えなければ、とシン自身意識はしていた。だがそんな簡単に切り替えられるのならば苦労はしない。二年という時が経っても色褪せず、シンの記憶にこびりついた炎は未だに燻り続けている。今ではその炎がまた、勢いを増している─────シンの身を内側から焼き尽くせと言わんばかりに激しく炎が燃え盛る。
「…俺は、何をしてるんだ─────」
天を仰いだシンの自問の声が、潮風に流れていく。空を飛び行くカモメを見上げて、自分もどこかへ飛んで行ってしまいたいとふと思う。
─────誰も、シンを責めないのだ。あの日、シンが何をしでかしたのか皆が知っている筈なのに、誰も責めないどころか苦しむシンを気遣う。気遣われるのも、苦しむ資格すらもない癖に皆の優しさを一心に受けている─────それが逆にシンを辛くさせていた。
いっそ一思いに貶してほしかった。人殺しだと。お前があの地獄を生んだのだと。その方がどれほど楽だったか─────そうであったなら、迷わずシンは諦める事ができた。自分には無理だったのだと…、理不尽に奪われるしかない人達をなくしたいが為に手に取った剣を翳して、理不尽に奪う側へと回った分際で、何を為す事が出来るのだろう、と。
しかし仲間達はそれを許してはくれなかった。いや、それこそが自分に課せられた罰なのか。戦い続けろと、その命が尽きるまで足掻き続けろと─────立ち止まる事は決して許さないという神託だとでもいうのだろうか。
「…どうすればいいんですか。教えてくださいよ…、
自分を救い、この道を進むのだという決意に至る切っ掛けをくれた仮面の男を思い出す。あの人は今の自分を見て何を思うのだろう─────今の自分に何と声を掛けるのだろう。あの全てを見透かしたかのような顔で、今の自分に何を語ってくれるのだろう─────。
そんな事を考えた時、背後のドアが開き、誰かが甲板に出て来る気配を感じてシンは振り返った。そこに赤服を着た橙色の髪の青年を認めて、彼は狼狽えた。ハイネ・ヴェステンフルス─────彼もまた、シンを見て足を止める。
ハイネの出現に驚くシンに対し、ハイネはシンを見つけると頬を緩めて穏やかな笑みを浮かべた。
「どうしたんだ、一人でこんな所で?」
こちらに歩み寄りながら、柔らかく声を掛けてくるハイネ。
「別に…どうも…」
この人はどうしてこんな風に優しく話し掛けて来るのだろう。インド洋での戦闘から帰艦した時には、てっきり殴られるものだと思っていた。現にグフから降りて来たハイネは、怒り心頭といった表情で肩を怒らせながらこちらへ早足で向かって来ていたのだから。それがこちらの顔を見た途端にその勢いは削がれ、ただ一言『お疲れさん』と声を掛けるだけに止まった。
この人も、他の仲間達と同じで底抜けに人が好いらしい─────。こんな自分等、殴ってくれて良かったというのに。
「あなたこそ、こんな所でいいんですか?フェイスって、色々と忙しいんじゃないですか?」
「ん…、なんだ?俺とは話したくないってか?」
純粋な気遣いの気持ちで言ったつもりが、曲解してとられて慌てるシン。だが何を言い返す事も出来なかった。慌てて、改めてハイネの言葉を咀嚼して、事実その通りだと自覚したからだ。
誰とも話したくない。誰にも話し掛けられたくない。あぁ、そうか─────だから自分は一人でこんな甲板に出ているのだ。何をする事もなく、自室に戻って休んだり、仲間と談笑したりすればいいものを…自分は。
「まあ、君が俺を苦手にしてるって事は何となく分かってるし…、だから俺と二人でいて気まずく思うのも分かるんだけどな」
「え─────」
突如、奥底に秘めていたシン自身の本音を言い当てられ、思わず勢いよく振り向いてしまう。それこそがハイネの言った事が正しいのだという証明になってしまうと自覚して、シンはすぐに前へと向き直る。だがそんなものは無駄な抵抗な上、ハイネも元から確信していたのだろう。彼は笑みを崩さないまま続けた。
「でも、不本意だろうが俺は上司の立場上、君と話をしなくちゃいけない」
「…」
「何故、あんな事をした?」
上司として、部下を預かる隊長として話を聞きに来た─────それは理解できるし、当然の行動だとも思う。ただハイネの要求には応えられそうになかった。その問いに答えるという事は、ほんの一部だとしても語らなければならないからだ。ハイネだからという訳ではなく、例え誰であろうとも語るつもりはない。シンの戦う理由を─────彼の願いの根本を。
「すみません。言えません」
先程までの気まずそうな顔ではなく、真っ直ぐと手摺に両腕を乗せて体重を預けながらこちらを見遣るハイネを真っ直ぐに見据えながら、きっぱりとシンは拒絶の返答を返すのだった。
そんな簡単に話が進むなんて思っていなかったが、こうも強い拒絶をされるとはこちらもハイネにとって予想外だった。先程の気まずそうな表情はどこへやら、真っ直ぐにこちらを見据えるシンの表情を見て、ハイネは自身の失態を自覚すると同時に、シンが自身を避けているその理由を悟った。
誰にだって他人に触れられたくないものがある─────だからシンはハイネを遠ざけようとしていたのだ。何を見て、感じて、そう思ったのかは分からないが、ハイネが自分の触れられたくないものに触れてきそうに思ったから。それは嫌悪から来るものではなく、それとは一線を画す警戒。現にシンは先の戦闘でも、建設途中の地球軍基地を見つけるまでは素直にハイネの命令を聞いていた。
─────不味ったな…。
ハイネは自分が怖いものなしな性格をしているという自覚があった。初対面の人間に対しても物怖じせずに話し掛け、コミュニケーションを取り、いち早く相手との親交を繋げる事が出来る。ハイネにはそんな才能を持っていた。
だがそれがシンに対しては災いしてしまった。他人との距離の置き方は人それぞれであり、一気に距離を詰めようとする人物を苦手に思う者もいるのだと分かっていた筈なのに。シンの他クルー達との接し方、特にルナマリアやレイとのやり取りを見ていていつも通りでも問題ないと判断してしまった。ゆっくりと時間を掛けて、次第に今の様な関係値に至ったのだという可能性を何故考慮しなかったのか。
こんな事であれば、予めルナマリアからシンと初めて会った時はどんな感じだったのか、どういうやり取りをして、どれくらいの時間が掛かって今の様な気の置けない仲間になれたのかを聞いておけばよかった。
「…だが俺も、はいそうですかって引き下がる訳にもいかないんだよな」
それらの事情、自身の失態を鑑みてもここでハイネも引き下がる訳にはいかなかった。部下達の命を預かる上司として、二度と同じ事態を起こさない為にもシンから話を聞かなければならない。何故シンがあんな事をしたのか─────いや、シンが思う心境の奥底までは読み取れなくとも、上辺の理由だけならばハイネでも悟る事はできていた。
「あそこで働かされていた民間人を救いたかったか?」
そう問い掛ければ、シンは分かりやすく表情を固まらせた。
あの時、ハイネの目にも地球軍の兵士とは思えない、恐らくは元々現地に住んでいたと思われる民間人の姿は確認できていた。地球軍に強制的に働かされていたのだろうが、それをシンが先に見つけ、救わんとしたが為に施設の破壊活動を行ったのだろうと容易に予想はできた。
しかし分からない。あの時のシンの様子は尋常ではなかった。こちらの制止の声は届かず、只管に破壊活動を続けるあれは、最早虐殺に近かった。虐殺、と明確に断言しないのは民間人に被害が出なかったが故だが─────それを差し引いてもあの行動を見過ごす事はできない。シンがその事に後悔の念を抱いているのは分かった上で、一つのけじめをつけさせるべきだとハイネは考えていた。
「あの時の君の行動は正しかったと─────そう思っているのか?」
シンに問い掛けながらも、そんな筈はないというのは分かっている。それを確かめた上で、それなら良かったと、違反行為の罰として艦の全トイレ掃除でも課して話を終わらせようと、そう流れを企てていた。
「…正しい筈がないでしょう、あんなもの─────!」
両拳を力強く握り、声を震わせながら答えるシン。それを見たハイネは、またしても自分は間違えたのだと自覚した。
「シン─────」
「俺は…、俺は、救いたかった!あそこで働かせられてる人達を─────理不尽に戦火に巻き込まれてる人達を、助けたかった!だけど、俺は…ッ!」
精神的に弱っている故か、或いはいつものシンならばこうも簡単に取り乱さなかっただろうか。いや…、これもまたこの少年の一つの側面なのかもしれない。表向きは強い戦士でありながら、その裏で簡単に乱される脆い心を持っている─────ハイネはこの時ようやく、本当のシン・アスカの姿を垣間見た気がした。
「俺は…、パイロットになんてなる資格はなかったんですかね─────。力を手に入れて強くなった筈なのに、俺がしたのはただ不必要に犠牲者を増やして、地獄を広げただけなんですから…」
きっとシンは、自分の非力さに泣いた事があったのだろう。そして、もう二度と失わない為の、守れる力がほしいと願ったに違いない。その思いがどれほど強いものなのか、こうしてシンの奥底を垣間見ている今でさえ計り知れない。それ程に強い思いだったからこそ、シンはこれ程までに傷つき、打ちひしがれているのだ。それ程までに望み、欲していた力を自ら手離そうとすらしているシンはもう、壊れる寸前なのかもしれない。
「…確かにお前は間違えたな。それは誰にも曲げられない事実だ」
「─────だったら」
「だが、お前の救いたいって気持ちは間違っていない。それだけは絶対に、他の誰でもないシンが否定しちゃいけねぇ」
自分が間違えたと宣告され、虚ろな表情になりかけたシンが続くハイネの言葉に目を見開きながら振り向く。
そう、確かにあの時のシンの行動は間違いだ。しかしあそこの民間人を助けようとした、その思いは果たして間違いなのか?ハイネはそうは思わない。戦いに巻き込まれただけの弱い人達─────そこにコーディネイターもナチュラルも関係ない。戦争にルールなど存在し得ないが、越えてはいけない一線はある。
ハイネは拳を握り、こちらを呆然と見つめるシンの胸に軽く突いた。
「逃げられると思うなよ、シン。例えパイロットを止めたって、お前の感じてる傷は絶対に癒えやしねぇ。…だから、割り切れ。割り切って戦え。間違えた事から…、お前の戦う理由から逃げるんじゃねぇ」
「ッ─────」
グッ、とシンの胸を突いた拳に力を込めてから、ハイネは腕を引いて踵を返す。
酷な事を言っただろうか。何も知らない癖に、こんな踏み込んだ事を言うべきではなかっただろうか。パイロットを止める─────それがシンの心の底からの本心であるのなら、それはそれで構わない。戦う事を本心から諦めた者を引き留めて戦わせる程ハイネは鬼ではないし、そんな者は戦力になりやしない。
しかし、シンはそうではない気がした。後悔の念を抱いていても、その目が絶望に染まっているように見えても、彼の言葉と瞳の奥底ではまだ、力が籠もっている様な気がしたのだ。
「あぁ…。命令違反の罰は一週間艦内全部のトイレ掃除な。流石に可哀想だから、女子トイレは勘弁してやるよ」
ハイネは最後にそう言い残し、まだ立ち去る自身の背中を見つめたままのシンを見遣ってから甲板を出る。
シンがこれからどういう選択をとるのか。ハイネのシンに対する見立ては果たして正しいのか、それとも間違っているのか─────その答えは、明日にでも分かるだろう。