窓からさんさんと降り注ぐ陽射しに、シンはゆっくりと目を開けた。戦艦のものではない天井が目に入り、少しの間ボーッと見上げてからそうだったとのろのろした寝起きの思考で思い出す。議長の勧めで昨夜はホテルに泊まる事となったのだ。ルナマリア、ハイネと三人で夕食を摂った後にカーテンも閉めず眠ってしまったらしい。
休暇とはいえ、そろそろ起きなければ。眩しい光に目を細めながら、広いベッドに手を突いて起き上がる。床に足を下ろして立ち上がり、窓の方へと向かったシンは朝日を浴びながら外の景色を見遣った。シンの部屋からは美しく手入れされたホテルの中庭が見える。シンには何の種類かは分からないが、色とりどりの花が咲き誇り、庭の中心では噴水が噴き上がっている。心地の良い朝日に心が洗われるような光景と、ここ最近では最も良い目覚めだ。
健やかな気分のシンの耳にノックの音が入ったのは、その時だった。
「シンー。起きてるー?」
続いて部屋の外から聞こえて来たのはルナマリアの声だ。ドアの方へ振り向いたシンへ、部屋の外からルナマリアが続けて語り掛ける。
「良かったら一緒に朝食でもどう?」
「オッケー…あー─────ちょっと待ってて」
返事を返しながらドアの方へと向かい掛け、アンダーウェアのみの自分の格好を見て立ち止まる。流石にこんな格好でルナマリアの前に出る訳にいかない。親しき仲にも礼儀あり、というより社会的に問題だ。普通に捕まる。というかまだ顔も洗っていない…誘ってくれた所で申し訳ないが、この場は一先ず断らせてもらおう。
「ごめんルナ、今起きたばかりだから先に行っててくれ」
「そうなの?もしかして、起こしちゃった?」
「そうじゃないから、大丈夫。とりあえず顔洗ってから俺はダイニングに向かうよ」
ドアの向こうから分かった、とルナマリアの返事がした後に足音が遠ざかっていく。折角誘ってくれたのだ、せめて途中からでも一緒に食事をしておきたい。少々急ぎ目でシンは顔を洗い、身支度を整えていく。身に着けた制服の襟を直してから、ドアを開けて部屋の外へと出る。
この時、シンは少しではあるが急いでいた。繰り返しになるが、ルナマリアの誘いがあったからだ。時間的に食事は終わっているとは思いづらく、まだ彼女はダイニングにいる可能性が高かった。故に、シンは急いでダイニングに向かおうとした─────そのせいか。シンが部屋を出てすぐ、視界に映った
「うわっ」
「え─────」
突然傍で開かれたドアの音で振り向いた誰かと勢いよくぶつかってしまった。意識せずシンが突進する形となり、更に互いの足が絡まってしまった事で二人は床へ一緒に倒れ込んでしまう。
ただ転んだだけなら受け身をとるなりできただろうが、足が絡んだ事で体勢が思わぬ崩れ方をしてしまい真面に床にぶつかる─────事はなかった。身体が倒れかけ、直後に味わうであろう激痛に備えていたシンは、自分が考えているよりも身体が痛まない事に気付く。というより、シンの身体は何か
シンの目に映るのは赤─────それがザフトの制服の色だと気付いたシンは、自分が何をしでかしたのか、
「す、すみませ─────?」
予期せず他者を押し倒してしまったと気付いたシンが謝罪をしようとして、そしてその相手の顔を見て思わず固まってしまった。シンに押し倒されて真面に背中を打ったのだろう。痛みに顔を顰める
「っつぅ…!」
「あ…!ご、ごめん!大丈夫!?」
「あぁ…、─────っ」
アナンヤの小さな苦悶の声を聞いて、気まずさに固まっていたシンが我に返る。今度はしっかりと謝罪の言葉を口にしたシンをアナンヤが見上げる。そしてアナンヤが何かを言おうと口を開いたその時、彼女は何かに気付いた様にぴくりと動きを止めると、ゆっくりと視線を下へと降ろした。
どうしたのだろう?アナンヤの様子に違和感を覚えたシンも、彼女が見る先へと目を向ける。そこにあったのはシンの右手だった。シンの右手が、制服の上からアナンヤの胸を鷲掴みにしている所だった。
「「─────」」
凍り付く空気。石のように硬直する身体。すぐにその場からどけば良いのに、目の前の光景に衝撃を受ける余り自身の行動と何が起きているかの自覚に余りにも長いタイムラグが発生する。それはシンにとって致命的であった。
次の瞬間、ハッとシンがアナンヤの顔を見遣った時には、彼女の頬には強い羞恥の色が浮かび、ただでさえ鋭い金の瞳はシンを射殺さんばかりに睨み上げていた。
「わ、わざとじゃない」
返すシンの言葉も最低だった。真っ先に彼がすべきはアナンヤへの謝罪とその場からどく事だというのに。未だ混乱から覚めない彼はアナンヤからどく処か、彼女の胸に置かれた手を離す事すらできないでいた。
「まずは、その手を離せ─────ッ!!!」
振りかぶられた彼女の手が、直後に力強く振り切られる。アナンヤの怒声とほぼ同時、目が覚めるような破裂音が響き渡った。気持ちの良い朝の清々しさはどこへやら。是非これが夢であってほしいと、叩かれ力なく床へ倒れ込んだシンは天井の向こうの雲一つない青いお空へと願うのだった。
ダイニングの窓際の席では、四人掛けの席に向かい合って着くハイネとルナマリアがいた。先に朝食のフレンチトーストを食していたハイネが、一人ダイニングへと入って来たルナマリアに声を掛け、この配置に着いたのだ。初めはシンはどうしたのだろうと不思議に思い彼女に尋ねたのだが、丁度今起きた所だったのだという。身支度を整えて、そう時間が経たない内に来るだろうとルナマリアは言っていた。
「…今、何か変な音が聞こえなかったか?」
「え?…聞こえなかったと思うけど。気のせいじゃないですか?」
ルナマリアの分のフレンチトーストが届いた直後、ハイネは微かに聞き慣れない音を耳にした気がした。何かが
「???」
まさか誰かがぶたれたというのか?こんな所にまで音が聞こえて来るくらいに盛大に?そんな馬鹿な事ある筈がない。やはりルナマリアの言う通り、気のせいだったのだろうか。
そう思い直すハイネが間違っていたのだと、少ししてから彼は知る事となる。
まずダイニングに入って来たのは銀髪の少女、昨日も顔を合わせたこれからミネルバの一員となるアナンヤ・シェーシャだった。続いてダイニングに足を踏み入れたシンの姿も見て、ハイネは二人が気が付くように大きく手を振りながら口を開く。
「おーい、お前ら!おは、よ…う…???」
「…シン!?どうしたの、
ハイネが、そして彼に遅れて二人に気付いて振り返ったルナマリアが、各々驚愕の表情を浮かべる。ハイネは呆然と疑問符を浮かべ、ルナマリアがシンの変わり果てた姿に大声を上げる。二人の反応も当然だ。何しろ、シンの
「ルナ…。いや、その…これはぁ─────」
「フンッ」
ルナマリアが問い掛けるが、どうもシンの歯切れが悪い。それだけではなく、彼の視線は恐る恐るアナンヤの方へと向けられる。一瞬、アナンヤと視線が交わるがその直後、勢いよく彼女の方が目を逸らす。何だか分からないが、アナンヤの機嫌は最悪だ。もしかして、シンと何かあったのだろうか─────?
「あれ─────これって、手形…?」
「ギクッ」
シンの頬の腫れの違和感に先に気付いたのはルナマリアだった。席から立ち上がりシンへと歩み寄り心配していた彼女が、改めて近くからシンの頬を見たお陰でその違和感に気付いたのだ。続いてハイネも遠目からルナマリアと同じものに気付く。
赤々と腫れ痕が刻まれているシンの頬だが、どうもそれが何かの形に見える─────そう、たった今ルナマリアが言ったように、それは手形に見えた。
「あ」
それを悟った瞬間、ハイネの脳裏に電流が奔った。シンとアナンヤ─────男女二人。シンの頬の手形─────先程聞こえた気がした張り手の音。
「あー…」
もしかして誰かに叩かれたの?と聞かれて顔を青くさせながらわたわたと手を振って誤魔化そうとするシンの姿を見て、ハイネは推測を確信へと変える。つまり、
「…」
これは、あれだろうか。隊長として話を聞いておくべきなのだろうか。途轍もなく面倒事になる気しかしないのだが。そうして保身を考え逡巡している間に、ハイネの目の前では事態が更に動こうとしていた。
「…ねぇ。もしかしてシンのこれ、貴女がやったの?」
質問の中に込められたルナマリアの微かな敵意。彼女にとってシンは、アカデミー時代から苦楽を共にした掛け替えのない仲間だ。故に、彼女のこの反応も仕方のない事なのかもしれない。今のルナマリアは仲間を傷つけられ、我を失っていた。
「あぁ。私がそいつを殴った」
一方のアナンヤは憂いも躊躇いもなくルナマリアの質問に肯定で返す。それの何が悪いのかと言わんばかりに堂々としたアナンヤの態度を見て、ルナマリアの目に確かな怒りが燃えたのをハイネは見た。
「ふざけないで!なんでそんな事するのよッ!」
そう、重要なのはシンが殴られた理由なのだ。昨日からどうも周囲に冷たい態度をとり続けるアナンヤだが、理由もなく誰かに手を上げる人物には見えない、というのがハイネから見た彼女の印象だ。ルナマリアもそれは分かっている筈なのだが、仲間が傷つけられたという事実が先走ってしまっているのか勢いが止まらない。
ルナマリアとアナンヤの間に挟まれているシンはおたおたしているだけで何の役にも立ちそうもない。というか、ハイネは何となくだがアナンヤがシンを殴った理由を─────シンがアナンヤに何をしでかしたのか、二人の表情と状況を見て察しがついていた。そして恐らく、ルナマリアがそんな事を尋ねればアナンヤはそれを─────
「貴様もその男に自分の胸を鷲掴みにされれば、私の気持ちも分かるだろうよ」
「─────は?」
容赦なく突きつける事も察しがついていたが、面倒事を避けたいが為に一歩引いて事態を見守っていたハイネの介入は及ばず。アナンヤの返答にルナマリアの目が点となり、シンの額からはだらだら滝のように冷や汗が流れている。
「シン?」
「は、はい」
「どういう事?」
「どういう事、と言われても─────あ、ごめんなさい。話します、話しますから」
誤魔化そうという意図からではなく、シン自身説明するのに困っていたのだろう。ルナマリアからの説明の催促に対して言い淀むが、直後に向けられた彼女からの射貫くような視線に無理やり口を開かされてしまう。
曰く、ルナマリアから朝食に誘われたシンは手早く身支度を済ませ急いで部屋を出たのだという。そして部屋を出た直後、丁度前を通りかかったアナンヤとぶつかってしまったのだとか。ぶつかった拍子に足が絡まり、二人で倒れ込み、そのどさくさで胸を触ってしまった─────何だそのラッキースケベは。それもラッキースケベの後にまた別の女の子も合流し、三人で修羅場とか─────お前はどこぞのラブコメ主人公か、と口を突いて出そうになったのをハイネは堪える事に成功した。
一方のルナマリアは、シンの説明が進む毎に顔を険しくさせる。先程、何も知らずに自身がアナンヤへ口走った言葉を思い出しているのだろうか。シンが全てを話し終えてから、ルナマリアはすぐにアナンヤの方へと振り向いて頭を下げた。
「あの、シンが本当にごめんなさい!後で私の方からもきつく言っておきますから…!」
「な、なんだよそれ…。俺からは謝ったし、ていうかわざとじゃないんだし…。ルナが出しゃばる事じゃ─────」
「黙りなさい。そういう問題じゃないの」
「…はい」
両手を合わせ、アナンヤへシンの代わりに謝罪するルナマリア。それを見てシンが不満げに呟くが、ルナマリアの冷たい声と一睨みによって封殺されてしまう。
うん、流石にシンも謝罪はしたらしいがルナマリアの言う通り、謝罪をしたからそれで話は終わり─────とはならないのが悲しくも事実だ。それで終わるならこの世の中に警察はいらない。シンからすればこれはアナンヤと二人の問題で悪いのは自分なのだから、ルナマリアにそれを背負ってほしくないという気持ちなのだろう。
だが今の態度は頂けない。そしてそれもシンは自覚していたのだろう、あっさりと引き下がり事態を見守る立ち位置へと下がっていった。
「…」
「あっ…」
アナンヤは真摯に頭を下げるルナマリアを少しの間見つめた後、端っこで小さくなっているシンを一瞥してから何も言わずにその場から去って行ってしまった。それを見て、ルナマリアが微かに声を漏らしながら追い縋ろうとする。
「ルナマリア」
「…ハイネ」
ハイネが一言声を掛け、それを引き留める。振り返るルナマリアが不安げに見て来るが、アナンヤのあの様子では今これ以上この件について話してもどうにもならないだろう。ハイネは黙って頭を振り、ルナマリアもアナンヤを追うのを諦めてその場で俯いてしまう。
「る、ルナ…」
ルナマリアとアナンヤ、二人のやり取りを見ていたシンが居辛そうに戻って来る。自分を守ろうとしたルナマリアへお礼を言おうとしたのだろうか、しかし彼の口から中々その言葉は出ず、もごもごとしている内にルナマリアの身体がプルプルと震えだす。
「この─────バカァッ!!アンタ…アンタって子は…!ほんっっっとうに、最低ぇッ!」
「う、ぐ…」
「あー…、ルナマリア。シンも分かってるだろうからその辺にしとけ。…そろそろシンが泣く」
そろそろ、というよりシンはすでに涙目だった。何か言い返したいのだろうが、自身が仕出かした事の自覚がある為にそんな資格はない事も分かっている。故にシンの感情がオーバーフローしてしまった。面倒事を避けたいハイネも流石に見ていられず、二人の間に入って仲介を図る。少々行動に出るタイミングは遅いが─────。
「ルナマリア。女として色々と思う所があるんだろうが、シンもお前にそこまで言われる筋合いはないと思うぞ」
「っ─────」
本当に、本当に、一人の女として思う所はあるのだろう。ハイネがミネルバに配属されてからの数日、そして今日これまでの彼女の態度や言動を見続けてそれがよく分かった。その正体、根本の部分にルナマリア本人が気付けていないが為に、方向性こそ違えど彼女もまたシンと同じく感情を決壊させてしまっている。ルナマリアもハイネの言わんとする事は理解できるのだろう。まだ渦巻く感情の整理はついていないのだろうが、それ以上シンへ何かを言い募る事はなかった。
シンはホッと息を吐きながら、無言でハイネへと感謝の視線を送っている。しかし一先ず落ち着いたのはいいが、このままシンとルナマリアを解散させてしまえば二人の間に遺恨が残る。そう考えたハイネは一つ、二人へ提案をする事にした。
「おいシン、ルナマリア。艦には俺が戻るから、お前ら二人で街の散策にでも行ってこい」
それは強硬手段ともいえる提案だった。本当であればアナンヤも隊長命令で二人と共に外出させたい所だったが、何やら外せない事情があるようだしそれは諦めた。それにアナンヤの性格上、逆効果になる可能性が高い。無論シンとルナマリアの二人だけでも逆効果となる可能性はない訳ではないのだろうが、特にルナマリアからシンへと向けている感情の類を考慮すれば、その可能性は低い─────とハイネは浅い経験を基に結論を出した。
─────てかこれ、最早ただの
というよりただのヤケクソだった。正直な所、二人の今回の仲違い(?)についてハイネはこれっぽっちも心配などしていなかった。何故ならこれはただの痴話喧嘩、それも互いが互いに申し訳なさを覚えているのだから、二人にしておけば勝手に仲直りするだろう─────とハイネは浅い経験を基に結論を出した。
「「─────」」
ハイネの提案に対して、シンとルナマリアは互いを見合わせたまま動かなくなってしまい何も言わない。硬直してしまった二人をハイネは放置する事に決めた。
「言っとくが隊長命令だからな。もしデートしなかったら…罰は後で考える。二人で秘密にしたって分かるからなー」
「「デッ─────!?」」
まあ何とも息ピッタリだ事。二人して顔を赤くしながら驚き声を上げるのを背中越しに聞きながら、ハイネはその場から去る。
そんな彼の顔は、やはり自分が導き出した結論は正しかったという自信に満ち満ちているのだった。
シンのラッキースケベ→書きたかったんや、後悔はない。
因みにユウの身にシンの様なラキスケが起こりそうになった場合、彼のキュピーンが発動して回避してしまいます。パーフェクトフラガは伊達じゃない。